† 文学 †

誠実さは「正午」の中にこそある……瀬尾育生『アンユナイテッド・ネイションズ』


アンユナイテッド・ネイションズアンユナイテッド・ネイションズ
(2006/08)
瀬尾 育生

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瀬尾 育生

瀬尾 育生(せお いくお、1948年11月16日 - )は、日本の詩人、ドイツ文学者。首都大学東京都市教養学部教授。
愛知県名古屋市生まれ。東京大学大学院人文科学研究科独文科修士課程修了。1991年、湾岸戦争の際に藤井貞和と論争を行った。1996年、詩集『Deep purple』で第26回高見順賞を受賞。2006年、『戦争詩論 1910-1945』で第15回やまなし文学賞を受賞。2010年、稲川方人との共著『詩的間伐―対話2002-2009』で第1回鮎川信夫賞受賞。文芸評論家の神山睦美、詩人の福間健二などとGENIUSの会をつくり、ガリ版刷GIPを発行した。

「著書」

鮎川信夫論 思潮社 1981
ハイリリー・ハイロー 風琳堂 1988
文字所有者たち 詩、あるいは言葉の外出 瀬尾育生詩論集 Fragmente 1982-1987 思潮社 1988
われわれ自身である寓意 詩は死んだ、詩作せよ 瀬尾育生評論集 思潮社 1991(<昭和>のクリティック)
瀬尾育生詩集(現代詩文庫)思潮社 1993
Deep purple 詩集 思潮社 1995
あたらしい手の種族 詩論1990-96 五柳書院 1996
モルシュ 思潮社 1999
二〇世紀の虫 <解読不能なもの>について 五柳書院 2001
戦争詩論 1910-1945 平凡社 2006
アンユナイテッド・ネイションズ 思潮社 2006
詩的間伐―対話2002-2009(稲川方人との共著) 思潮社2009

※出典:Wikipedia




 瀬尾育生の詩集『アンユナイテッド・ネイションズ』(2006)を読了したので、その中から印象深い言葉を書き留めておきたい。この詩集は「詩」と「散文」、あるいは時に「小説」的にも感じられるような境界線の曖昧化したテクストの集積である。文字のフォントを変化させたり、記号「☆」や英数字などを散りばめたりするなど、言語遊戯的な側面も見受けられる。私は日本の詩人では入澤康夫が好きだが、瀬尾氏の本作を読んで彼にも魅力を感じた。読んでいて感じたのは、独特な狂者の思考である。それはテーマがたとえ設定されていなくとも文字を常に生み出さざるを得ない「エクリチュールの衝動」といっても良いだろう。本作を読んでいて感じた独特な狂気は、例えば真夏の炎天下のアスファルト上に散らばっている砂粒たちを、じっと見つめている一人の青年の姿としてイメージされる。彼はこの大通りで、歩行者たちの足によって砂粒たちが移動させられないように常に見張り続けいる。彼には何か、砂の位置を変えるとこの世界に存在する「命」の数が確かに減少していくように感じられるのだ。あるいは、砂粒の移動によってこの世のシステムそのものが何か変更されてしまうような濃密な気配を(世界システムの縮図としてのアスファルト上の砂粒)感じているのだ――私にとって、瀬尾育生の本作はそのような「白昼夢の思考」として襲来した。


誠実であるとは、決して何かあることに対して(あなたの外にある、あるいはあなたの内にある、何かに対して)忠実であるということではない。このことは、ひとたび自分自身への帰属を解かれたことのある者には、すでに自明のことであろう。誠実であるとは、なにかもっと絶対的なことなのである。(「大使たち」p27)

無前提な拘束と戒律をきみたちは体を激しく前後に揺らしながらその肉の中に刻印している。それが私には声できた海のように聞こえる。だがきみの裸足は砂の中でどうなっているのか。きみ一人が抽出された場合、分節できない声は学校から追い払われて砂の中へ去ってゆく。きみが目を閉じても学校はある。きみがそこを立ち去っても学校はそこにある。きみがこの世界から消失してもなお学校はそこにありつづける。きみは「さよなら」という。それは「私はそれを(あなたを)再び見る」という意味である。どうしてきみはそれを再び見ないでいることができよう。そこにはそのものの、見られないままの、決して聴かれないままの「ある」があるのだ。「ある」がすべての学校を抹殺し、きみを私に繋いでいるのだ。(「エブタイド」p87)

だが大筋のところ、われわれは吊られているものと思う。私の背筋、私の指先は見えない糸によって吊られ、上方から操られているものと思う。そうでないとなぜ私が立って歩くのか、よく理解できないからだ。またそうでなければ、なぜ私が糸を切られ横たわるのが好きなのかも理解できないからだ。それゆえ私にとって、上方とはもっとも大切な方向だ。(「ディクタート」p13)

心が疲れるたびおまえは反復だけでできた機械になりたいと思う。人々の心は十分に疲れていたからヨーロッパにはおまえと連動して動く多くの機械があった。夢の中を多くの合成人物が徘徊する。出来事もまたすべて合成された出来事として重なり合いながら継起する。謎の言葉が私たちを招待しそれを記した文字がいくつものよく似た機械を作った。(「ケシ、文字所有者たち」p56)

空耳でいくつかの恐ろしいことが私にやってくる。でも私は大丈夫だ。なぜなら私には空耳でいくつかの恐ろしいことがやってくるが、私は大丈夫だからだ。私には空耳でいくつかの恐ろしいことがやってくるが、私は大丈夫だ。いくつかの言語に分割されて歩く森の中でいくつかの恐ろしいことが空耳で私にやってくるが、私は大丈夫だ。なぜなら……。(「エブタイド」p88)

文書は激しい外傷を負っている。なぜなら文字はいつも体を開いているからだ。その四肢に繰り返し息を吹き込むと名が除かれたあとの息だけがかすかに残される。おまえがなぜ削除されなければならなかったのか話してあげよう。(「ケシ、文字所有者たち」p54)

言語の贋物! では言語の正体をどこにさがしたらいいのか? 私たちがまずこれらの事後から「遡行」したのは当然のことだった。言語の概念をまず各民族言語やそれの抽象物である一般言語以前へと遡らせる必要があった。各民族語が語る前に存在している「語ること」そのもの。植物や動物や事物が語りそれと同じようにヒトも語っているような言語がどこかに存在しなければならない。だが奇妙なことだ。そこまで遡行してもなお私たちが「現在」の優位を信じたままでいるとは! 生ける現在。意識の現前。微分される現在の痕跡。つねに連続し変容し屈折し裏切るもの。それを私たちは「現在」と名づけてきたのだが。そこには同時に連続せず変容せず屈折も裏切りもしないものがあったのである。突然に襲いかかり不意に断絶し完全に消滅しまた突然に回帰し噴出するもの。諸言語の向こうから突然語り出すもの。あらゆる現在の言語の向こうから言語を通して不断に語っているもの。それを私たちはなんと名づければいいのか。「切り離されたもの」。化石。骸骨。私はそれをもう一度時間の中に置き換え時間の刻み目でそれを呼ぶ。それは「現在」の言葉ではない。それは正午の言葉だ。私が忠実であるべきなのは「現在」に対してではない。私の正午に対してなのだ。(「正午」p64)

どこにも生成する言葉はなく冠飾句だけが反復される。それこそが彫塑的なほんとうに美しい言葉だった。私たちは根絶されたのだからすべての感情の死滅が好ましかった。死後の私たちにあなたがたは何を禁ずることができよう。私たちの何を監視することができよう。根絶された国民ほどに強いものはほかにあるまい、と私たちはその半島の根本に埋葬されたまま言う。埋葬されたまま私たちは機械として働く。ただ破壊され埋められたままの数千万の機械として動く。私たちはすでに死んでいるので死を可能にする理由だけをさがしているのだ。(「黄土」p78)

私たちが法によって語れないのは、私たちが法を知らないからではなく、私たちがあの「底なし」からやってきたからなのだ。またある者たちが法の言葉を話せるのは、自らが法にではなく「底なし」にこそ帰属していることを、彼らが知っているからなのだ。(「大使たち」p26)

「想起することによって忘れられてゆく」歴史として葉を揺らしている木だった。少し呼吸を変えてみればおまえのフュジスが揺れるだろう。地上に生えてやがて死に、生者たちの畑に帰ってゆく堆積のうえで眠っていた。(「黄土」p75)

意識に向かって「解読不能」という意味を持つものが何故「ある」のか。意味を生み出したものが意識ではなく、また意識によってつかまえる何ものかでもなく、意識は無意味によって背後からつかまれることで意味を産出している、と「言う」ためである。(「エブタイド」p86)

あなたはあなたの不死を河に登録していると思っている。
だとすればあなたはあなたの死を超えて流れる河を信じているわけだ。
あなたはその河に多くの人々の不死が登録されていると思っている。
だとすればあなたはあなたの声が無数の人々の声によって支えられる声の空間を信じているわけだ。(「あなたは不死を河に登録している」p118)





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