† 映画 †

「天使」はきっとどこかに描かれていた――ケン・ローチ『天使の分け前』

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(C)The Angels' Share (2012)

 銀座テアトルシネマで、2012年度カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞したケン・ローチ監督の『天使の分け前』を観た。監督はイギリス生まれでオックスフォード大学で法律を学んだ後、劇団の演出補佐などのキャリアを経て演出家としてデビューしている。この作品は社会的な下層に位置する品性不品行な若者たちの「絆」、あるいは一種の「更生」を描いている。四人の登場人物のうち、暴力沙汰で逮捕されてしまったポール・ブラニガン演じる若者ロビーには愛する妻がいて、子供が生まれたばかりだ。いわば守るべき家族がいるのだが、彼の悪行のせいでクラブに遊びに来ていた若者は片目の視力を喪失し、恋人を失い、大学にも顔を出さなくなってしまったという。「暴力」が引き起こす他者への深刻な痕跡、そして罪を背負うと同時に子供が生まれた「父」としての責任をも担うことになった若者に焦点が当てられる。
 冒頭は痛ましい場面が相次ぐものの、映画は次第にユーモラスで喜劇的な側面を垣間見せ始める。社会から外れた者同士の結束、互いに痛みを知っているがゆえの独特な絆が丁寧に描き出される。彼らを正常な人間へと導く更生スタッフの壮年の男性は、特にこの物語において「善き父親」の役割を持っている。やがて高級ウィスキーのオークションが行われることを知った彼らは一計を思いつき、最高級ワインが入った樽の中身を別の安酒とすり替える。更生途中でも「悪巧み」からは抜け出せない彼らの計画は意外なほどに順調に運び、別のブルジョワ男性の助力もあってすり替えた高級ウィスキーを換金することに成功する。ロビーはこの泥棒劇に当たって主犯格になるが、監督はあくまでも彼らの行動を「憎めない外れ者」として温かく描いている。その眼差しは更生スタッフの男性が持つ優しさに近いのかもしれない。また、彼らも社会階層における底辺からうまく這い上がるためには、密かに悪事を働くブルジョワの力を利用しないことはない、と画策しているとも考えられる。いずれにしても一行はこの計画で大金を山分けし、ロビーは醸造施設で職を得ることに成功する。そして、一番御世話になった更生スタッフの男性に、無償で盗んだうちの一本のウィスキーを贈るのだった。
 この映画で最も印象的なのは、ロビーの変わりぶりである。冒頭の彼は(あるいは子供を授かる前の)手に負えないほどの非行青年で暴力に耽溺し、苛立ちと憤怒に常に支配され続けているような男だった。相手が四人いてもたった一人で血塗れになってでも立ち向かおうとする、若き男の「怒り」の寓意化のような存在である。しかし、仲間を得て、子供を養うという「人生の目的」を見出した彼は、怒りではなく心の奥深くで「平穏さ」を求め始める。怒りに憑かれた若者たちを相手にしても、きっと今の彼なら冷静に彼らをやり過ごせるだろう。その背景には、震えながら「目には目を、歯には歯を」式の生き方を実践していた彼を諭した更生スタッフの男性の全身全霊の「戒め」が存在する。仲間の一人が誤ってウィスキーのボトルを割ってしまった時でも、冷静に最も合理的な次の行動を考えていたのはロビーだった。人は、家族と仲間の絆、愛に包まれることで、内なる「怒り」を浄化することができるのだろう。この映画のタイトル「天使の分け前」は保存中に揮発したウィスキーを意味するが、それはいったい何を意味しているのだろうか? 彼らの行動自体が、どこか知られざる不可視の天使によって計らわれていた「より大きな善のための計画」だったのだろうか。
 映画のラストは、海沿いを仲間たちと乗り合わせた車で走る爽快な場面である。私はこの映画を観て、どんな人間も最終的には「平穏さ」、「家族」、「愛」という光を求めるようになるということを一つの真理のように感じた。ロビーの場合、既に彼を愛してくれる妻がいたという事実が、大きな恵みであったようにも感じられる。










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