† 神秘主義 †

フランツ・アントン・メスメルが与えた文学的影響について――マリア・M・タタール『魔の眼に魅されて――メスメリズムと文学の研究』


魔の眼に魅されて―メスメリズムと文学の研究 (異貌の19世紀)魔の眼に魅されて―メスメリズムと文学の研究 (異貌の19世紀)
(1994/04)
マリア・M. タタール

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 いつの時代も、文学は神秘主義やオカルティズムと結託する傾向を常に孕んでいる。ハーヴァード大学ドイツ文学教授のマリア・M・タタールは『魔の眼に魅せられて――メスメリズムと文学の研究』の中で、18世紀のロココ時代において流行したメスメリズムがそれ以後の作家たちに与えた文学的影響について考察している。文学と魔術について関心のある読者にとって、本書は極めて有益で刺激的な論文集である。

【ロココ時代の催眠術師フランツ・アントン・メスメル】

 マリア・M・タタールは論稿「メスメルからフロイトへ」(一章)の中で、18世紀において活動したメスメルの診療所の雰囲気について詳しく描写している。

部屋の中には妙なる香水が漂い、大気中を伝わる磁気流体と混じり合った。分厚い絨毯が敷き詰められ、窓には厚手のカーテンがかけられ、装飾を施した家具調度の置かれた仄暗い部屋で、患者は磁気桶から突き出している鉄棒を握り締め、治療の中枢である発作の激発が訪れる瞬間をじっと待った。四方の壁には大きな鏡がいくつもかけられていた。鏡は磁気流体を反射してその力を強化する、とメスメルは考えていた。ピアノ・フォルテあるいはグラス・ハーモニカが――時にはメスメル自身の手によって――奏でる心地よい音楽が、磁気流体を順調に循環させていた。メスメルの診療所では、一切が神秘的な雰囲気と魔術的な魅力とを強めるように工夫されていた。メスメルが芝居がかった身振りで入って来る頃には、患者たちは既に治療に相応しい精神状態になっていた。(p33−34)


 フランツ・アントン・メスメルはフランス革命前のロココ時代において活躍した医師である。彼の提唱した「動物磁気説」は当時のルイ16世に任命された調査委員会から「古代の迷信」として断罪され、その「いかがわしさ」によって物議を醸していた。しかし、メスメルの磁気療法は当時の医学界から完全に黙殺されていたわけではない。パリ大学医学部で学び、人並みはずれた外見的魅力を持っていたシャルル・デスロンは彼に心酔し、医学部の脅しにもめげずにメスメルを擁護し続けた弟子である。デスロンはメスメリズムをより学界にも認められ易い形で普及しようと苦心し、自身でも新たにクリニックを設立した、メスメリズム最初期の紹介者の一人であった。肖像画を見る限り、どこか猪に近い野性的な風貌を感じさせるメスメルに較べて、デスロンのクリニックには彼の魅力によって多くの患者が集い、後にメスメルは彼を「患者を横取りした裏切り者」として非難することになる。1786年、肺炎で死去するまでデスロンは磁気療法によってその名を広めた。
 18世紀におけるメスメリズムはデスロンのみならず多くの素人科学者を惹きつけたが、教育のある真面目な医学者たちは素人のメスメリズムに往々にして見受けられるオカルティックな要素を嫌悪していた。メスメリズムはその後、心霊主義や神秘主義的なグループからも注目を集め、磁気療法を部分的に、もしくは誤って摂取した新種のメスメリストたちが多く登場した。彼らは少女霊媒を引き連れてヨーロッパ各地を旅し、その霊感ビジネスによって一山儲けようと企てていた。こうした腹黒い奇術師まがいの磁気療法師たちは、19世紀の欧米諸国における文学作品において描き出されている。
 20世紀においてメスメリズムを批判的に相続したとされるのが、他でもないフロイトの精神分析であることは意外に知られていない。そもそも精神分析はフロイトにとって、「催眠術を不要のものとする新しい技法と共に生まれた」ものだった。彼自身、現代の精神分析は催眠術の「法的相続人」であることを認めている。メスメリズムにおける催眠術は、フロイトの関心をやがて「自由連想」へと向けさせ、それが今度は「夢分析」へと発展していくことになる。

【E・T・A・ホフマンに見られるメスメリズムの影響】

 「盲目と明察/E・T・A・ホフマンの作品にみる幻視体験」(第四章)の中で、タタールはホフマンとメスメリズムの関係について考察している。ホフマンは小説の中で本筋から逸れてメスメリズムについて延々と論じたり、参考にした心理学文献を挙げたりしており、メスメリズムは彼の想像力や文体に多大な影響を及ぼしていた。彼が描く登場人物たちの精神状態は、メスメリズムも含めて十九世紀の心理学の語彙を用いて表現されている。タタールはこうしたテクストの表層に注目しつつ、今日ホフマンを研究する場合、メスメリズムとの相関を踏まえることの重要性を指摘する。
 興味深いのはホフマンの『歌合戦』に登場する架空の文学愛好会「セラーピオン盟友会」である。この創作上の秘密倶楽部が掲げる「セラーピオン主義」のクレドは以下のようなものである。「内的世界というものがある。そして、それを完璧に明晰に、生命力に溢れたその至高の輝きの中で見る、霊的な力というものがある。…我々の生きているこの世界が、その霊的力を動かす梃子の役割を果たす」。(p147)ここから垣間見ることのできるホフマンのオカルティズムについて、タタールは以下のように考察している。すなわち、霊的な外的世界は作家の執筆活動にとって決定的な役割を果たしている。霊的な世界からの刺激、あるいは内面へのメッセージが真の詩的創造を生み出す。その上で重要なのは、自分たちが体験した幻視体験をこの地上世界でも通用する言語体系によって再構成するという作法である。霊的な世界をシャーマンの如き忘我的な憑依に求めるのではなく、あくまで冷静に芸術的な行為に移し替えることが神聖視される。ホフマンは詩的創造における、こうしたBesonnenheit(冷静さ)を特に重視していた。とはいえ、ホフマンが『歌合戦』で描写しているように、霊的世界は一種の「磁気催眠」(催眠状態)に近いものであり、外的な感覚は眠りにつき内なる眼が目覚める。内なる眼は我々を「時間のない国」へと導く。ここで重要なのは、ホフマンが当時流行していたメスメリズムの語彙で超越的感覚を表現しているということである。ホフマンが催眠状態に近い恍惚へと陥らせる芸術として高く評価していたのは、他でもないモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』に代表されるオペラであった。ホフマンは『カロ風幻想作品集』の語り手の強烈なオペラ体験を物語っている。曰く、彼はドンナ・アンナ役の濃い碧眼の眼の女性を舞台上で目にした時、以下のような「啓示」を与えられたのだという。これはまさに宗教的なエクスタシスであり、芸術における審美的体験の絶頂の好例と言えるだろう。――「まるで私のこの世ならぬ夢が、いつか叶えられるという昔からの約束が、本当に現実のものになったかのようであった。まるで、恍惚とした魂の抱く最も深遠なる思想が、音楽の内にがっしりと固定され、神秘的な音の連なりを通じて最高の知を開始したかのようであった」(p150)。そして、語り手はドンナ・アンナ役の女性を一人の女教祖のように讃える言葉を情熱的に綴る。「御身の魅惑的な幻の環の中に、我を迎え入れたまえ。御身が恐ろしくも友好的な使者として、地に繋がれた生き物のもとへ遣わした夢。眠りが体を鉛の絆に縛り付ける時、その夢が我が魂を霊妙なる沃野へと連れ去らんことを」(同)。
 ホフマンのこうした表現から導き出せるのは、我々が霊的な世界に触れて感じたエクスタシスを言語化した時の「語彙」と、芸術的な最高の感銘を覚えた瞬間を言語化した時の「語彙」が驚く程近似しているということに他ならない。換言すれば、強烈なオペラ体験とは、実は審美的な宗教的体験であり、オペラとはまさにこの点で「儀式」のための生の装置なのである。ホフマンが注目していたメスメリズムにおいても、通常の視覚は閉じて心の眼が開くことで「魂の奥深く静かにまどろんでいるもの」が透けて見えてくる。その霊的な空間を実際に知覚できるほどの高みにまで上昇すれば、詩人はその驚異を心から信じることができる。だからこそ、ホフマンは恍惚を芸術的な媒体を通して冷却し、あくまでも「冷静」に描写しようと努めたのであった。ここには客観的叙述を重視する近代文学特有の観察眼が背景として存在する。ホフマンによれば、「夢」もまたこうした「儀式」への参入儀礼としての機能を帯びている。彼の短編『夢はうたかた』の中でオトマールという青年は、「夢はこの世ならぬ霊的な世界を実際に見ることができるような国へと導くため」の門であると信じている。メスメリズムにおける催眠状態と同じく、夢もまた人間には「良い」影響しか与えない、と彼は述べる。ここには、「夢」、「オペラ」、「霊的世界」という、それぞれ異なる三つの領域を甘美に結ばせる「魅惑的な幻の環」(ホフマン)が認められるのである。




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