† 文芸理論 †

ソシュールとパースの記号モデルの統合による「バビロンの混乱」の収束――田中久美子『記号と再帰ーー記号論の形式・プログラムの必然』


記号と再帰: 記号論の形式・プログラムの必然記号と再帰: 記号論の形式・プログラムの必然
(2010/06/23)
田中 久美子

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【汎記号主義】

 汎記号主義とは、記号の解釈を記号系の中だけで捉える立場を指す。この概念を提唱した学者の一人はパースであり、彼は以下のように述べている。「思考が全て記号であるという事実を人生は思考の連続であるという事実と共に考える人は記号であるということになる」。(p26)ソシュールもまた、「記号なしで明確な思考はあり得ない」と述べている。このような見解は既に聖アウグスティヌスに見られるが、田中氏によれば汎記号主義は、この世には記号しか存在しないと言っているわけではない。「実世界は存在するが、記号を媒介することなく対象を人間が認識できない」(p27)と考える立場が、汎記号主義と呼ばれるのである。

【バビロンの混乱】


記号
(本書p33図より)

 周知のように、ソシュールは「シニフィアン/シニフィエ」による二元論モデルを提起したが、パースは「対象/記号表現(表意体)/解釈項」の三元論モデルである。記号モデルの開拓者の見解がこのようにその理論的図式において分裂してしまっていることは、解釈の混乱を招くとして、その後ノスによって「バビロンの混乱」と呼ばれた。ノスによれば、聖アウグスティヌスは実はソシュールと同じく二元論モデルで記号概念を把捉しており、スコラ派がこの伝統を受け継いだ。彼らは「記号」をaliquid stat pro aliquo(何かを指し示す何か)と定義した。換言すれば、「記号」とは対象を指し示すものとしてのラベル(あるいは名前)を意味する。例えば「木」という記号は、実世界の木があり、それに「木」という名前が付いていると考えることができる。

記号2
(本書p38図より)

 「バビロンの混乱」を解決するためにソシュールとパースの統合を図ろうと考えたのはノスとエーコである。彼らは上図のような二元論と三元論の対応関係を図示している。この図から判ることは、以下の三つである。

(1)ソシュールの「シニフィアン」はパースの「記号表現(表意体)」に対応する。
(2)ソシュールの記号モデルにはパースの「対象」は含まれない。
(3)ソシュールの「シニフィエ」はパースの「解釈項」に対応する。



 ここで注意せなばならないのは、パースが規定した三元論的記号モデルにおける「対象」は実は「直接対象」と呼ばれるもので、これには「動的対象」が含まれず、主として「心的イメージ」を意味するということである。「直接対象」とは、「記号自身が表し、その存在がそれが記号の中でどう表現されるかに依存する」対象である。一方、「動的多少」は記号に外在し、「記号の表現を定める上で何らかの方法で寄与する現実」である。つまり、パースは「対象」概念に初めから「直接対象」しか含めていないのである。また、ソシュールの記号モデルには「対象」が存在しないが、彼の定義する「もの」とは、実世界の対象全てを意味している。「もの」は記号モデルの外側にある。そして、パースは人間の「思考」を「記号過程」(解釈項の連鎖)として規定した。ソシュールにも実はパースの「記号過程」に近接した概念が存在しており、それは彼が「記号」同士の「差異」を重視している点に現れている。「シニフィアン(パースの言う「記号表現」)は恣意的であり、記号には〈差異〉しかない」(ソシュール)。また、ソシュールによると、そもそもシニフィアンとシニフィエは結合しており、これらは「記号」も持つ二つの側面に他ならない。つまり、「記号」概念を説明するために必要な要素として、ソシュールは最低限二つは必要であるとみなしたということである。
 以上の点から田中氏は、パースの「直接対象」こそがソシュールの「シニフィエ」に対応し、「解釈項」の連鎖である「記号過程」はソシュールの規定する意味での「差異」、すなわち記号を使用することによって生まれる価値を担う、と考えている。本書で新しく提起されたこの対応関係が意味しているのは、パースの「解釈項」を記号モデルの外部に置くことによって、ソシュールの記号モデルをパースの残りの図式と互換することが可能であるということである。つまり、パースの「記号過程」としての「解釈項の連鎖」の概念を、ソシュールの二元論的記号モデルが全体として示唆している記号同士の「差異」の生起と結び付けることによって、三元論からいわば「一元引く」という作業がここで遂行されている。この限りで、パースの三元論とソシュールの二元論は相互に交換可能となり、「バビロンの混乱」は収束する。








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