† ロココ論 †

舞踏会、オペラ、恋愛/ロココ芸術を学ぶための古典的名著――ジャン・スタロバンスキー『自由の創出』


自由の創出―十八世紀の芸術と思想自由の創出―十八世紀の芸術と思想
(1999/10)
ジャン スタロビンスキー

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【ロココ様式の本質としての「黄昏」と「黎明」の美学】

 スタロバンスキーによれば、古典主義美学には以下のような二つの原理が存在する。一つは、「秩序」型の原理であり、ルネサンス時代の遠近法に見出される幾何学的な空間構成、シンメトリー、調和を重視する美的原理である。この場合評価を下すのは人間の「判断力」である。もう一つは「変化」型の原理であり、これは主として快楽を中心にした感情的な決定、直観を重視する美的原理である。ワイリー・サイファーが『文学とテクノロジー』で慣用したキーワードを採用すれば、前者は「ミメーシス」に接続し、古典主義を形成するが、後者は「メセクシス」に対応し、マニエリスム、バロック、後期バロックたるロココと接続する。
 「変化」型の美的原理を採用した場合、「理性」が二の次になることは言うまでもない。ロココ美学の支持者であったデュ・ボスから敷衍しつつ、「理性は最初に生まれた快楽をア・ポステリオリに認知するためにある」と、スタロバンスキーが述べる通りである。18世紀において最も興味深い現象の一つであるロココ様式は、バロックと同じく「感性」を重視する「メセクシス」の原理に立っている。
 では、社会構造にとって上記のような「快楽」重視の傾向はどのような意味を有するのだろうか? 実は、これは貴族階級の崩壊を予兆していると解釈することができる。ロココ芸術に見られる快楽的傾向は、まさにアンシャン・レジームの「解体」の徴候であり、スタロバンスキーはこの美的原理の本質を「黄昏の快楽」(もうすぐ暮れ沈む最後の世界の美意識)と表現している。これはあくまでも勢力を失いつつある貴族階級からの視座であり、来るべきブルジョワ階級からすれば、バロック・ロココ芸術はまさに「所有」によって社会的ステータスを上昇させる符牒である。「所有」とは優れて近代的な心性を表現した概念であり、王権という中心性を喪失して以後、人々がいわば「趣味」において差異化を図り始めたことを暗示している。美的趣味による「所有」の対象となったロココ芸術は、ブルジョワ階級にとっては世界の希望を、陽気さを意味し、スタロバンスキーはこれを「黎明の快楽」(これから明け始める最初の世界の美意識)と表現している。
 「黄昏の快楽」と「黎明の快楽」――この相反するがコインの表裏のように一体化した美意識こそ、実はロココ美学の本質的に分裂した美的原理を示唆する鍵である。スタロバンスキーによれば、ロココとは「もうすぐ没落する」という貴族的な有終の美学と、「これから興隆する」という新興的なブルジョワの美学が一体化し、さながら一人の人間の内面に存在するアンビバレントな二面性を表現するかのように展開された運動である。ロココの美意識――実はその圧倒的にエレガントな世界は、表出された「優美」が「空隙」ないし「不在」によってすり替わるというメランコリア、ないし焦燥と紙一重である。「装飾の隆盛は、秩序の支配が不可欠であるところから生じる倦怠感の代償としての、変化の追求に呼応するものなのだ」(p44)。
 その証左として、スタロバンスキーはロココ様式のインテリアに平易に見出される、あの誰の眼にも明らかな細密な装飾模様――それはまるで壁に空白を残すことを不安がるかのように神経症的に装飾で埋め尽くしている――に注目している。ロココ模様こそ、来るべき市民社会によって間もなく貴族階級が没落してしまうという不安と焦りが「空白恐怖症」として皮膚化した決定的証左である。それは、社会構造の転換を象徴的に暗示させる、高度に「不安」な建築の皮膚なのだ。当時の芸術家たちの「不安」と、その反転衝動としての過剰装飾の原理を見事に分析した当時の人物としてスタロバンスキーが高く評価しているのが、ロココ芸術に賛同しながらも冷静にその本質を見抜いていたデュ・ボスの、『詩と絵画に関する批判的考察』(1718)の第一章である。デュ・ボスは以下のように、「不安」、「メランコリー」が反転して装飾の過剰性に接続することを示唆している。

魂は肉体と同じく欲求を持つ。そして人間の最大の欲求のひとつは精神を何かで満たしておくことである。魂が活動しないとすぐに生じてくる倦怠は、人間にはまことに耐え難い苦痛なので、その苦しみを免れるためにはしばしばどんなに辛い仕事でもやってみるほどである。……実際、たとえ孤独の中にあっても情念が我々を繋ぎ止めておく昂奮情態は極めて激しいものなので、その余の状態は全てこの昂奮と較べれば弛緩状態である。かくして、我々は本能的に情念を刺激してくれる対象を追い求める。たとえそれらの対象が我々に齎す強い作用のせいで、しばしば臥しては不安の夜を、起きては苦悶の日を過ごす羽目になろうとも。いったい人間にとって、情熱に苦しめられることよりもいっそう苦しいのは、情熱なしに生きることである。(p14)


 ロココ美学は、じきに滅びゆき短命で終わってしまうという自覚を抱え込みながらも、そこから無限に逃避し続けて快楽を続けるようなある種の病理と結び付いている。それはメランコリアを内在させ、やがて到来する「ロマン主義」の主題である「死」へ、そして「廃墟」へと変容していくことになる。ロココ芸術は、いわば社会構造が形骸化し、革命によるアンシャン・レジーム体制の終幕を予兆した過渡期の芸術様式なのだ。スタロバンスキーはこの時代の切迫さを、以下のように適切に述べている。

この時代ほど自らの趣味の保守性を意識しつつ、実行に踏み切れない変化に好奇心を燃やし、実験精神の旺盛だった時代はない。幾人かの大胆な精神の持ち主が躊躇うことなく主張したのは、人間こそ歴史の作り手であり、おそらくはまた人間の価値の創造者でもあるということだ。人間の現在のありようとその環境の総体は、人間の意志によって変えることができる。(p50)


 元々、ロココ芸術が17世紀後半の「エロスの解放」としての側面を持っていたことを見落としてはならない。ロココ様式の過剰な装飾は、まさにスタロバンスキーの言う「歓びのバロック」であり、バロックのエロス化として規定される。その美的心性は、空虚感や虚無、王権への失望などといった不安からの逃避という側面もあいまって、いっそう強烈に狂い咲くものとなった。実際、ヨーロッパの建築史において「ロココ」時代ほど優雅にして全てのものが過剰に装飾され尽くした時代は存在しない。
 だが、ロココの快楽は18世紀になって啓蒙主義の時代になると、批判の対象となる。「メセクシス」の美的原理は快楽的な傾向を変えるわけではなく、今度は「優雅な白い快楽」を、「暗黒的な黒い快楽」として原理化するに至る。これこそが、18世紀を通じてヨーロッパ貴族のあいだで流行したグランドツアーの経験や、抑圧されたロココの快楽が「死」という仮面を被って再現前するところの「ロマン主義」に他ならない。そして、この芸術潮流を支えたのは、バークが『崇高と美の観念の起源』で世に広め、カントが『判断力批判』で理論化した、いわゆる「崇高」の美学である。この18世紀という時代になって、ドイツでは「美的範疇論」が議論の対象となり、美的原理を構成するものとして、ルネサンス的な「優美」だけでなく、「崇高」、「悲愴」、「滑稽」、「美」、「醜」などのカテゴリーが概念化される。中でも重視されたのは、怖れと戦きという特異な心性に根を持つ「崇高」の美学であった。
 スタロバンスキーが本書で明示している重要な図式は、ロココとロマン主義が実はその美的心性において完全に「陸続き」になっているということである。例えば、ロココ時代を通じて流行した文学形式は「妖精物語」であり、絵画で愛好されたのはブーシェの描いたような「ニンフ」であった。この時代に表象されていた女性も、優美で妖精的である。他方、新古典主義からロマン主義の時代に入ると、文学形式はゴシック的な不穏さを帯びた「暗黒小説」へと変化する。画題もフュースリの《夢魔》や、ゴヤの《巨人》のように、芸術家たちは陽気さではなくむしろ不穏で不気味ですらある「夢」の力の内に霊感を見出すようになっていく。明るく妖精的なロココ的女性像から、暗い夜の悪魔に脅えるロマン主義的な女性像への変化は、まるで一人の人間の感情に流れるプロセスのようだ。ロマン主義芸術の理念が持つ前衛性は、このように前世紀のロココと比較することによって浮き彫りになるだけではない。双方は実は等根源的な同じ心性に基づいており、我々はその異なる変奏を眺めているだけに過ぎないのだ。フュースリの描いた恐怖に震える女性像は、まさにブーシェの描いた明るく陽気な女性像の裏面であり、その夜の姿なのである。
 ロココ時代からロマン主義時代への変遷を考える上で、風景画に注目することで得られる示唆は大きい。

【ロココ芸術とロマン主義芸術の表裏一体性】

 スタロバンスキーによれば、ロココ絵画を代表する画家であるヴァトーの描いた人物たちは、「快楽空間の中で宗教的に生きている」。その上で彼は、ロココ美学の本質は、美的原理としての「優美」が「空隙/不在」に触れるその「瞬間」を核にしていると規定している。以下は、ヴァトーの代表作《シテール島への船出》についてのスタロバンスキーの解釈である。

ヴァトーの好みが通例として向けられるのは、間隙であり、視線が逸らされた会話が途切れ、音楽家が音合わせをする瞬間である。心が少なくとも神秘の存在に開かれるのでないとすれば、不在に触れる瞬間。ヴァトーの作中人物は手に手を取りつつあらぬ方を眺めやって、その放心した光景を快楽の神々に見せている。彼らは表象の世界を逃れるのだ。《シテール島への船出》の中で恋人のカップルたちはヴィーナス像に捧げ物をした後、立ち去っていく。崇敬は既に表され、彫像は一人残されるだろう。ヴァトーのメランコリーは祈りの瞑想と離別、親密さと遠くからの呼びかけの共存の内に潜む。それは生きる幸福と引き換えに、描く幸福を手に入れたことを自覚する芸術家の憂愁である。(p74)


 このテクストは、18世紀の卓越した研究者であるスタロバンスキーのロココ論『自由の創出』の神髄と言っても過言ではない。実質的にヴァトーを通じて語られているのはロココ美学の中核に位置する「メランコリー」という情動性なのであり、画家は既にこの一枚の絵画でその本質を見事に表現していたということである。ゴンクール兄弟によれば、ヴァトーの描いた「シテール島」とは恋愛のための「魔法の島」を象徴するのだという。
 ブーシェまでのロココ画家たちは、新しい美的原理として18世紀に興隆することになる「崇高」とはほぼ無縁である。当時のロココ時代の人々は、優美な天井画の持つ色艶を「生気ある輝かしい〈肌〉」と、エロティックな皮膚と相関させて把捉していた。「一瞬の優美」を必死で追い求めるか、あるいは空間を装飾で埋め尽くすかという、この半ば何らかの不安や焦燥に駆り立てられているかのような快楽志向は、まさに「空隙/不在」に対する恐怖を根に持っていると解釈することができる。
 ロココが追い求めた「快楽」は、やがて「崇高」の美学に席を譲っていく。スタロバンスキーはバークの『崇高と美の観念の起源』の以下のテクストを引用している。

自己保存に属する諸感情は、苦と危険に依存する。……我々が現実にそのような境遇にいないで苦と危険を心に浮かべる時、それらは歓喜となる。この歓喜を私は快とは呼ばなかった。というのは、それが苦に依存するから。そして、絶対的快のいかなる観念んとも十分異なっているから。この歓喜をそそるいかなるものをも、私は崇高と呼ぶ」(第一部第十八節、『自由の創出』p81)


 ロココの美的原理である「快楽」は「恐怖」と一体的であり、ロマン主義が追い求めた「廃墟」、「悪魔」、「夜の城」などといった破滅的な形象は、 前様式の「優美」、「軽妙洒脱」、「陽気」などといったロココ的情動性とまさにシンメトリーを成している。この時代のサドやベックフォードに見られる意識の幼児回帰、空想性は「最初のロマン主義」である。明るい欲望は、やがて暗闇を愛し始める。恐怖、責め苦、破壊、黒い快楽、そして単純化された二項対立的な善悪……それらは神の権力のパロディー化であり、悪魔主義的な演劇である。フュースリの描いた《夢魔》のように、現実ではなく「夢」の世界から芸術家たちは欲望を引きずり出そうとした。
 ここで重要なのは、スタロバンスキーがロココとロマン主義の「心性」に、同じ本質を持つ二つの様態を見ている点である。ファッションに還元すれば、シンデレラチックなロココ的ファッションを愛好していた少女が、メランコリーに支配されて今度はその暗黒面としてのゴシック系ファッションに身を染める「美的衝動」に驚く程近接している。この時、彼女の心性で生起しているのはロココ時代の終幕と、ロマン主義の誕生である。そしてそれを導いたのは、ロココ芸術が否定されて彼女自身が「メランコリー」に襲われ、生命の「恐怖」すら経験したという切実な美的体験なのだ。この一人の少女に生起した出来事が、やはり18世紀の芸術様式にも妥当するのである。ロココ時代には、既に「黒い快楽」を追い求める「プレ・ロマン主義」としての側面が存在していたのだ。

《ケルス国立宮殿・「舞踏会の間」》(ポルトガル、ケルス)
《ケルス国立宮殿・「舞踏会の間」》(ポルトガル、ケルス)
《エカテリーナ宮殿・「舞踏会の間」》(サンクトペテルブルク)
《エカテリーナ宮殿・「舞踏会の間」》(サンクトペテルブルク)

【ロココ的祭儀の核心としての「オペラ」、あるいは「舞踏会」】

 ロココ時代の「恋愛」について深く学ぶためには、この時代の華やかなパーティーであった「舞踏会」を知らねばならない。ロココ貴族たちが何故あれほど快楽的な恋愛ゲームに現を抜かしていたのかは、それ自体でこの文化の本質に急迫するための重要な命題である。例えば、この時代に流行していたロココ文学の一つとして、『おしゃべり宝石』という物語が存在する。そこには、妻とは別に、愛人用のための「別宅」を持つことが貴族階級の間で流行していた背景が描写されている。また、同じようにロココ時代の貴婦人たちも恋愛ゲームに溺れ続けていた。革命が起きる手前の1780年、フランスの建築家ル・カミュ・ド・メジエールは「貴婦人の御部屋」について、以下のようにそのインテリアの説明を試みている。

心をなごませる壁面には、贅沢で美しい飾り布を貼り、絵画を一枚ずつ、太い房と金色に編んだ絹紐で趣味よく掛けると良い。絵の題材は神話の甘美な「愛」の場面から取る。ポセイドンの妻アンフィトリテの勝利、プシケとクピド、ヴィーナスとマルスなどは、この場にぴったりの図柄を提供してくれよう。ここでは全てが居心地良く、全てが「快感」を与えねばならない。近付いて見るための細部も、広さに応じて部屋全体の「美しい調和」を乱してはならない。窓を東洋風にすれば、光はいっそう柔らかくなる。窓はせいぜい眺めが良くなくてはならないが、美しい自然が無いなら芸術の助けを借りることだ。…ベッドを据える窪みに鏡を備えつければ、閨房(貴婦人の部屋)は更に甘美なものになるかもしれない。その場合、鏡の番目を隠すために、木の幹に彫刻を施し、巧みに厚みをもたせ、葉を茂らせ、自然そのままに彩色したものを使うと良い。この複製物は四方の鏡に映し込まれてサイコロの5の目型に増殖するだろう。…彫像に彩色して適宜に配すると、魅惑と迫真力が増すだろう。(p67-68)



《ヴィーナスとマルス》サンドロ・ボッティチェッリ
サンドロ・ボッティチェッリ《ヴィーナスとマルス》(1483)

 ここで注目されるのは、「プシケとクピド」、「ヴィーナスとマルス」の画題は、往々にして愛欲の宴の後の心地よい余韻として描かれているものが多く、本質的に「性愛」をテーマにしていたということである(美の女神ヴィーナスは美男子であり戦の神であったマルスと不倫関係にあったことを想起しよう)。このテクスト一つ取り出しても、「愛」、「美しい調和」、「快感」、「甘美」、「魅惑と迫真力」などといった、ロココ装飾の「表面」を飾る美的原理としての「優美」の概念の諸属性が目白押しである。まさに、ド・メジエールの「貴婦人の御部屋」論には、ロココの表面的な美学の全てが表出していると言っても過言ではない。貴婦人たちは舞踏会に出かける前、ローブ・ア・ラ・フランセーズの美しい装いのために侍女たち数人の手を患わせつつ、会場に現れるであろう想いの貴公子のために胸をときめかしていたことであろう。ロココ芸術が、貴族たちの「快楽」に捧げられた様式の一つであることに違いはない。しかし、スタロバンスキーは豪華絢爛な「祭り」としての「舞踏会」を語るに際して、ヴォルテールが『ザディグ』第六章で述べた以下の箴言を引用している。すなわち、「絶え間ない快楽は快楽ではない」。ここで舞踏会と相関して綴られているのは、バロック時代に確立された貴族の総合芸術たる「オペラ」である。舞踏会にオペラ――こうしたロココ時代の貴族たちを楽しませた社交の場についてのスタロバンスキーの見解はまことに示唆に富むものであるので、以下で詳しく見てみよう。
 一言で言えば、スタロバンスキーは禁欲主義的な立場に立ってロココ世界の「祭儀性」を冷静に見つめている。ラ・モルリェールの『アンゴラ』の以下の描写が引かれるのも、我々への訓戒のためであろう。

デュ・デファン夫人が退屈の薬とみなした放蕩は、一時の緩和剤に過ぎない。放蕩はそれ自体、不治の宣告を含んでいる。…快楽の疲れの後に本物の陽の光に照らされると、蝋燭の元ではあれほど魅力的に見えた顔が過淫の荒廃をあらわにする。厚化粧の妻に夫が見出した驚きはそうしたものである。「化粧をし過ぎたため肌が酷く荒れているので、朝起きてみると昨夜ベッドに私が導いた女性は、その母親ほどの齢にさえもう見えないほどであった」。(p96)


 このテクストから窺えるのは、新古典主義が古代への情熱を核とした永遠志向に貫かれているのに対して、ロココは極めて「刹那」的な時代気運を表出しているという事実である。既に前回の記事でも我々が学んできたように、ロココ芸術とは実は「空虚感/虚無」からの無限の逃走運動が芸術様式に昇華されたものなのである。なるほど、確かに「歓びのバロック」と呼べば聞こえは良いだろう。だが、その本質は実際「虚栄」に彩られたものであり、「バロック的〈幻影〉」としてスタロバンスキーは解釈している。あれ程優美で魅惑的なロココ様式のインテリアが、実はその本質において「優美」以外の全てのものを拒絶するかのような幼稚な退行運動の具現化でもあるというこのパラドクシカルな現象こそ、まさにスタロバンスキーをしてロココ論を書かせた最大の理由であろう。
 逆の見方をすれば、「瞬間の快楽」の追求は、この世界は結局「罪と死」で終幕するという無常観の現れでもある。貴族的祭儀としての舞踏会やオペラがこれ程人を集め賑わわせるのは、実はそうした「祭り」が無ければ最早日常が退屈で仕方ないという極度のメランコリアを暗示させるというわけだ。こうした美学的な「優美」と「憂鬱」のクリプト化された婚姻関係(あるいは共犯関係と言っても良いだろうが)は、ロココ絵画の先駆者であるヴァトーの名高い《ジル》において見事に結晶化している。

アントワーヌ・ヴァトー ヴァトー 「ピエロ(ジル)」 1718-19
アントワーヌ・ヴァトー《ピエロ(ジル)》(1718-19)

 ヴァトーは基本的に明朗で陽気な世界を描いたが、彼自身の性格は内向的で孤独であったことが知られている。それまで貴族たちの余暇の一時を描いてきたヴァトーは、実は絵画空間に感情移入できない稀有なメランコリアをどこかで抱え込んできたのであり、《ジル》においてまさにこの憂鬱症がロココの裏面として現前しているのである。すなわち、「陽気さ」とはヴァトーにおいて〈仮面〉なのであり、道化を通じて彼は抑圧した「メランコリア」というロココの本質を描いている。ロココが有するこの「仮面性」は、ノルベルト・エリアスが『宮廷社会』において貴族階級たちの特性として述べた、「感情をけして出さないこと」や、「地位が人間の存在価値を全て決定付ける」という暗黙の掟が敷かれた宮廷社会であるからこそ、その真意が伝わるものである。人は陽気に振る舞っているように見せつつ、実は訳の分からない「悪夢」に震えているのだ。そしてこの抑圧された「悪夢」への志向性は、やがてロマン主義芸術へと結実していくのである。
 
【オペラ劇場という名の聖域】

 18世紀にはヴェルサイユ宮廷劇場、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場、ミュンヘン故宮など、多くの見事な劇場が人を集めた。スタロバンスキーは、ロココ時代のオペラ歌手たちが、時に「巫女」として神聖視されるほど讃美された事実について言及している。皮肉を込めて、彼はオペラ劇場を「神殿」、「優雅な聖域」などと形容し、宗教的高揚とは異質な「文学的・音楽的高揚」が約束された場であると述べている(p106)。実際、ロココ時代のみならず、現代においてもオペラには宗教的な側面が濃密に漂っていると考えられる。オペラは映画とは異なり、実際に舞台上で劇的なドラマが生きた人間を用いて展開され、会場内はそれぞれの幕が終わるごとに圧倒的な拍手喝采で満たされる。

カール・F・シンケル  舞台画「夜の女王」(1816) のコピー
カール・F・シンケル  舞台画「夜の女王」(1816)

 例えばロココ時代の代表的オペラである《魔笛》に登場する「夜の女王」は、アンシャン・レジームの支配者側を象徴しつつ、伝統的なオペラ・セリアの系譜に属すると解釈されているが、この女王こそ、まさにスタロバンスキーがアイロニカルに言及している「巫女」にも等しい舞台演出を伴って現前する存在である。それはカトリック教会の荘厳なミサではけして実現不可能な、古代の異教の「蘇生」であり、その美しいアリアによる「洗礼」なのだ。こうした宗教的空間にも近接した魔力の開示は、ロココ時代のみならずキリスト教が脱中心化された現代世界においても、尚神秘的なアウラを体験できる固有の場として我々に与えられているのである。因みに、18世紀の舞台装飾家としてスタロバンスキーは、オペラの隠れた旗手の一人であるフランチェスコ・ガッリの仕事を極めて高く評価している。
 一方、ディドロはオペラではなく、より市民に親しみ易い「大衆演劇」に集う人々の活気ある姿にひとつの「美」を見出していた。ブルデュー的に言えば、ディドロのこうした態度には典型的な「スコラ的貴族主義」を見出すことも可能だが、問題は市民たちにとって大掛かりな「祭儀」とは一体何であったのか、という問いである。無論、それは市民社会の到来を告知した「フランス革命」という巨大な「祭儀」に見出すことができる。スタロバンスキーは傑出した視座に立って、まさに貴族たちの「オペラ」と同根の祭儀性を有するイベントとして、1792年にプリユールが描いた《シャン・ド・マルスでのバスティーユ占拠記念祭》の絵を掲載している。市民たちにとって、ロココに浸っていたアンシャン・レジームこそ焼き払うべき偶像であった。偶像破壊のためには、大規模で集団的なセレモニーが必要である。いわば旧い「像」を破壊して、市民たちによる新しい「像」を立てるというわけだ。こうして、フランス革命は式典として象徴的に繰り返されるようになり、貴族たちのファッションも民衆的な理解が得られるようなものへと変化していった。
 もう一度整理しておこう。バロック・ロココ時代の芸術は本質的に視覚的・空間的なものであり、その具体化として我々はオペラという総合芸術を位置付けることができる。オペラによる劇場体験がいかに18世紀の芸術家にとって重要であったのかについて、スタロバンスキーは以下のように述べている。

それゆえ18世紀のほとんどの偉大な精神にとって、演劇体験が決定的であったことは驚くに当たらない。作者としてであれ、熱烈な観客としてであれ、彼らは演劇からしばしば本質的な啓示を受けた。彼らはそこに自分自身の真実が呼び覚まされるのを感じ、ヴィルヘルム・マイスターのように、つまりはゲーテのように、演技のうちに、劇的創造のうちに、人間の自由に与えられた力の現実的にして象徴的な一側面を発見したのである。


 一方、18世紀末からその萌芽が見出されるロマン主義は、前時代の視覚優位文化に対する根本的な「反動」として興隆したと解釈することができる。すなわち、ロマン主義の本質を、スタロバンスキーは「交響曲と詩」にこそ見出している。これはヘーゲルのロマン主義観とも通底しており、この哲学者はやはりロマン主義芸術の本質を「音楽性」と「叙情性」に求めているのである。しかし、「反動」としてロマン主義が生起した以上、抑圧された視覚性は亡霊的に回帰するのもまた真実である。
 さて、我々はこのようにロココ時代の「祭儀性」についてのスタロバンスキーの解釈に触れてきた。そこで前景化している重要な概念として浮上したのは、さながらオペラの舞台上の役者がそうであるように、貴族たちは宮廷内において常に「仮面」を被っていたということである。この「仮面」を、スタロバンスキーはロココ時代の「恋愛論」を知るためのキーワードとしても機能させている。一見して「女性中心」とも評されるロココ時代は、果たして真に恋愛面においても女性崇拝を踏襲していたのであろうか? 彼はその虚構を暴き出している。

熱烈な女性崇拝の美辞麗句のお陰で、女は言い寄る男に与える愛の印一つで運命を左右できると信じ込まされる。愛の誓いは肉の疼きの暗号であり、理性の陥落を誘う知的な前奏曲なのだ。眼を留める、敬意を示す、世辞を述べる、手紙や肖像画を交わす、といった洗練の極みに達した一連のシステムが繰り広げられた末に、確実に動物的充足の嵐に至る。(p64)


 ロココ的恋愛――それは、いわば「快楽」のために「愛の神」を巧妙に演じ、女性に対して美辞麗句を並べ立てることで、いかに落とすかを競い合うという、まさに「恋愛ゲーム」の市場である。クピドは常に戯れに仮面を被る。そもそも、クピドは誤って矢先で己を傷付けてしまったために、プシケを愛するようになったというアプレイウスの『黄金の驢馬』の名高いエピソードを想起しよう。それは戯れ=偶然による恋なのだ。そして、こうした遊びが興隆する背景に、システムとして既に閉塞化してしまった宮廷社会の麻痺を感じ取ることが可能である。



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