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ハイパーテキストコレクト集 「Web2.0とリンクする可能的諸セリー」 Ⅰ

Paco Segovia ブログ


             by Paco Segovia

  
サイバースペースの原理
 
 


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サイバースペースの原理とは、M. ベネディクト (Benedikt)[1] によって記述されたサイバースペースが満たすべき、つぎのような 7 つの要件 (西尾ら[2]の訳にもとづく) のことである。

排他の原理 (Principle of Exclusion) - 空間内で同じ時間、同じ場所に、2 つのものを置くことはできない。

最大排他の原理 (Principle of Maximal Exclusion) - サイバースペースを構築する際には、空間の構成要素のさまざまな属性のうち、排他の原理をできるだけ犯さないような属性を選んで空間を構成する軸とする。

不偏の原理 (Principle of Indifference) - 時間は、ユーザがアクセスしているかどうかに依存せず、不偏に進んでいく。 ユーザにとって思い通りにいかないことがあるからこそ、それだけリアリティを感じるものである。

スケールの原理 (Principle of Scale) - ユーザの動きの最大速度は、そのユーザに見える世界が複雑になればなるほど、小さくすべきである。

交通の原理 (Principle of Transit) - 2 点間の移動は、間に存在するすべてのポイントを経由して行い、移動距離に応じたコストを付与しなければならない。

個人の可視性の原理 (Principle of Personal Visibility) - 自分の周りにいるユーザはかならず見えるようにし、逆に自分の姿は周りにいるユーザから見えていなければならない。

共通性の原理 (Principle of Commonality) - ある人が見える空間やものは別の人からもそれに対応するものとして相応に見えなければならない。



参考文献
^ Benedikt, M. (ed),"Cyberspace ― first steps", MIT Press, 1991. 邦訳: ベネディクト、M. (編),"サイバースペース", NTT 出版, 1991.
^ 西尾 章治郎、岸野 文郎、塚本 昌彦、山本 修一郎、石田 亨、川田 隆雄,"相互の理解", 岩波講座 マルチメディア情報学 12、岩波書店、1999.

  
サイバースペース
 
 


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サイバースペース(Cyber-space)はSF作家のウィリアム・ギブスンが自著『ニューロマンサー』や『クローム襲撃』の中で使用したサイバネティックス(cybernetics)と空間(space)の合成語。黒丸尚により「電脳空間」と訳されている。

コンピュータやネットワークの中に広がるデータ領域を、多数の利用者が自由に情報を流したり情報を得たりすることが出来る仮想的な空間のこと。仮想空間や仮想環境もこれに近い意味をもつ。

近年はコンピューターネットワーク上で行われる犯罪をサイバー犯罪と呼ぶなど、コンピュータネットワーク上で構成された社会、即ちサイバースペースとの認識が定着している。

Edgar Mendoza Mancillas 3 ブログ


            by    Edgar Mendoza Mancillas


  
電脳化
 
 


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電脳化(でんのうか)は、漫画、アニメ作品「攻殻機動隊」シリーズに登場する架空のバイオネットワーク技術で、一種のブレイン・マシン・インタフェース(後述)というべき存在。

概要
脳に直接、膨大な数のマイクロマシンを注入し、神経細胞とマイクロマシンを結合させ、電気信号をやりとりすることで、マイクロマシン経由で脳と外部世界を直接接続する技術。これによって、ロボットなどのメカニックを直接操作したり、電脳ネット(作中におけるインターネットのようなもの)などのネットワークと直接接続したりできる。その結果、あらゆる情報がリアルタイムで検索・共有可能になり、完璧なユビキタスネットワークを構築した。可視化されたネットワーク上にあたかも自分が入り込んだかのように様々なネットワークを自由に行き来できるようになる。コンピュータなどの情報端末やネットワークにアクセスすることを作中では「ダイブする」と表現する。

電脳化することによって、他人との有線・無線交信などが行える他、自分の視覚情報などを感じたままに相手に伝えることができる。そのため、相手との極めて正確な意思疎通が可能になる。また、外部の記憶装置を、自分の記憶の一部として利用することもできる(作中では外部硬電脳と表記されている)。

この技術によって脳機能の解明もかなり進んでいるようだが、負の面として、現代のコンピュータと同じように、脳・人格そのものが、ハッキングの脅威にさらされる社会となっている。電脳ウィルス等の脅威にさらされ、自身の記憶の改ざんや、操り人形のごとく体を操作されたり、人格の乗っ取り[1]という事態も発生し得る。このような行為を防ぐため、多くの人は自分の電脳に攻性防壁や防壁迷路と呼ばれるファイアーウォールのようなものを導入することで自分の身を守っている。

また、電脳化技術により、神経と機械の接続技術が確立したことで、脳・中枢神経系以外の肉体を機械で代行するサイボーグ技術(義体化)が登場・発達している。全身をサイボーグ化した人には、サイボーグとしての体(義体)と、人間個人としてのシェルに納められた脳という分離が起こっている。もし、シェルに収められた脳を他の義体に入れ替えてしまえば、外見と中身は別人という状態になるが、義体は量産型が主で、自動車のように多数のモデルが販売されているものの、ほとんど同じ外見のサイボーグが多数暮らしている社会となっており、個人の特定には「ゴースト」という概念が使われているようだ。


現実世界での技術進歩
ニューヨーク州立大学のジョン・シェーピン教授により電脳とも取れるラットに電極をつけた実験が既に行われている。ほか、ラットの脳の海馬を解析して人工海馬を作る実験も行われている。現在こうした研究は、工学分野ではブレイン・マシン・インタフェースという名で知られており、障害を持つ人々の生活をサポートすることを目標に、脳とコンピューターを接続するための基盤技術の開発が進められている[2]。


注釈
^ いわゆる「ゴーストハック」と呼ばれるクラッキング行為。作中では重犯罪とされている。
^ 脳内チップが未来を変える! 米国サイボーグ研究最前線 - 立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」 - nikkeibp.jp

  
仮想共同体
 
 


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仮想共同体(かそうきょうどうたい)は、英語の virtual community の訳語の一つであるが、必ずしも定着しているわけではなく、文脈によりインターネット共同体、Webコミュニティまたはネット共同体ともいう。

インターネット自体が一種の仮想社会であるが、その中でもWorld Wide Webで特定のテーマで特定のサイトには、特定の人が集まる。その中でのテーマをもった議論や掲示板、オンラインゲームに参加する人たちのコミュニティから、各自に部屋やスペースが与えられ、ネット上に仮想の生活を営む人たちのコミュニティも増えている。そこから、知り合って赤の他人同士の集団自殺やWeb上とオフの現実との境界線の曖昧化や取り違えによる事件、犯罪なども増えてきており、一考を要する社会現象になりつつある。


Daniel Sprick2 ブログ



          by   Daniel Sprick


  
電子国土
 
 


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電子国土(でんしこくど)とは、国土地理院が1999年ごろに提唱した概念であり、現実の国土の電子版(サイバースペース)を指す。 電子国土では、縮尺の概念がなく、複数のデータセットがコンピュータネットワークを通して繋がることを想定している。

国土交通大臣が測量法の規定により定めなければならないとされている、基本測量長期計画の直近の計画である第6次基本測量長期計画(平成16年国土交通省告示第769号)[1]においては、この理念を踏まえ、『行政機関が所有する地理情報を始め、過去から現在及び将来にわたるあらゆる地理情報を、いつでも、どこでも、だれでも容易に共有できる環境を構築することが必要である』と謳っている。

なお、この「電子国土」という言葉自体は、関連する「CYBERJAPAN/サイバージャパン」と併せ、国土地理院によって商標登録(電子国土:第4762045号、CYBERJAPAN/サイバージャパン:第4767455号)がなされている。

電子国土事務局
電子国土に関する共通の規約/仕様の決定や、電子国土の普及促進のために国土地理院が中心となって設立した組織であり、現時点では国土地理院が運営している。


電子国土ポータル
場所・位置に関する様々な情報の提供者と利用者を繋ぎ、当該情報を相互に利用しあう場として、電子国土事務局が2003年7月にインターネット上に開設した“電子国土の入り口”の一つである(URL: http://cyberjapan.jp/ )。

電子国土ポータルでは、誰もが自由に利活用できる場所・位置に関する情報(重ね合わせ情報)を登録・検索できる機能を提供している。

また、現在国土地理院からは、電子国土の理念を具現化するツールの一つとして「電子国土Webシステム」が国土地理院技術資料 (E1-No.311) として無償提供されているほか、“情報提供者の一機関”として、場所・位置に関する様々な情報発信のために誰もが無償で利活用可能な、全国の2万5千分1地形図に相当する背景地図情報や、電子国土の理念に賛同した地方公共団体等から預かり受けた、都市計画基図(都市計画法(昭和43年法律第100号)第6条に規定する基礎調査を行うに当たって必要となる基図)や砂防基盤図(土砂災害警戒区域等における土砂災害防止対策の推進に関する法律(平成12年法律第57号)第4条第1項に規定する基礎調査を行うに当たって必要となる基図)の大縮尺ディジタルマッピングデータ等を常時配信している。このうち、2万5千分1地形図に相当する背景地図情報については、国土地理院からSVGでも配信され、パソコンのみでなく広範なメディア上で活用する方法やアイデアを提案して広く社会実験に供する試みが実施されている。

さらに、地籍調査においては、「数値地籍情報の記録形式等について(平成14年3月14日付け国土国第595号 国土交通省土地・水資源局国土調査課長通知)」に基づき、 “地籍フォーマット2000”に準拠して調査成果のファイル格納がされているところであるが、これらのファイルのうち毎筆の土地の幾何形状の情報について、電子国土Webシステムにより閲覧できる形式に変換し、その結果を直ちに閲覧・確認できるツールサイト「地籍フォーマット 2000 → 電子国土コンバータ」[2]を用意している。


電子国土Webシステム
電子国土の理念を具現化するツールの一つとして、国土地理院から無償提供されているソフトウェア。ActiveXコントロールを用いたWebブラウザのプラグインとしてインストールされる。このソフトウェアは、「地図記号発生型・トポロジ暗示型データによる地図情報システム」(特許第3702444号)に基づく技術を用いて構成されている。すなわち、サーバから配信される唯一の地理情報から、クライアント側において異なる地図表現がなされた地図情報を生成できる機能を有している。実際この機能を用いて、触地図の原稿となるべき情報を国土地理院から配信されてきた背景地図情報から自動的に生成するソフトウェア「触地図原稿作成システム」を国土地理院から試験的に提供している。

電子国土Webシステムのもう一つの特徴的な機能として、地理的・ネットワーク的に分散した複数の電子国土サイトから重ね合わせ情報を取得し、クライアント側で動的に当該情報を参照することが可能である点が挙げられる。また重ね合わせ情報は静的に存在している必要はなく、その都度CGIなどで動的に生成したものを参照することも可能である。

電子国土ポータル開設当初は、電子国土Webシステム周辺の関連技術情報の提供は、試験運用という位置付けで行政機関、教育機関、NPO等に限られていたが、2006年6月末には本運用とし、民間企業や個人でも自由に技術情報を参照できるようになった。

また国土地理院では、2006年11月から、プラグインを必要とせずWebブラウザの機能のみで電子国土にアクセスすることができるように開発中の、電子国土Webシステムの機能限定版ソフトウェアのベータ版公開を実施している(2007-09-27現在β2版[3])。


電子国土サイト
電子国土Webシステムの機能を用いてインターネット上で利活用できるように構築された、場所・位置に関する様々な情報を発信しているウェブサイト。

通常は電子国土サイトの閲覧者がWebブラウザを通じてその場で発信している情報を確認できるように、人間が可読なWebページを付随させることが多いが、情報の発信それ自体はHTTPでアクセスできるURIを明示すれば足りるので、機械可読性のみが措置されたウェブサイト構築も可能であり、そのようなウェブサイトも広義の意味で電子国土サイトと呼ぶことができる。


  電子政府  

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

電子政府 (でんしせいふ) は、主にコンピュータネットワークやデータベース技術を利用した政府を意味する。そのような技術の利用によって政府の改善、具体的には行政の効率化やより一層の民意の反映・説明責任の実行などを目指すプロジェクトを指す。 (なお、日本での具体的状況はe-Japanを参照のこと)


概要
最も単純な形態としては、イントラネットの導入による行政処理の効率化や、ウェブサイトにおける行政活動の紹介、情報公開、行政サービスに関する情報の提供が挙げられる。

より複雑な技術的、組織的取組を伴うものとしては、行政サービスの提供をオンライン(ウェブサイトや専用端末の専用インターフェースなど)で行うものがある。これは一般市民に対して住民票を提供するようなサービスもあれば、行政が管轄下の事項に関する各種の申請手続を電子的に、すなわちウェブサイトや電話回線を利用した通信で、受け付けるものなどもある。

取引を伴う場合には、電子商取引と同じく、セキュリティ、暗号化、電子認証、個人情報保護などの技術的、政策的問題が関わることになる。

また、類似の取組として政策論議や世論調査、投票などを電子的に行ういわゆる電子民主主義の試みがある。ただし、パブリックコメント制度などの電子化を通じて行政機関の意志決定に市民や利害関係者が参加できるようになる場合などもあるため、個別のプロジェクトが行政機能と立法機能のいずれかに明確に分類できるとは限らない。

また、英語でe-Governmentなどと称されるプロジェクトは、Governmentの定義が必ずしも行政府に限定されず、電子投票、市民立法など立法部門に関わる電子技術の活用も含むことがある。

日本では、1994年の高度情報通信社会推進本部の設立、行政情報化推進計画の策定から始まり、2000年12月に高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT基本法)が、制定された。これに基づき2001年作成されたIT基本戦略(後のe-Japan戦略)によって電子政府の実現は重点政策課題のひとつとされた。

ここで、電子政府は行政の諸業務で書類や対面ベースであったものを電子情報を用いたものにすることであることが定義されている。このような取組は従来、行政の情報化などと呼ばれてきたものの継承であると言える。

  
バーチャルリアリティ
 
 


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

バーチャルリアリティ (Virtual Reality) とは、実際の形はしていないか、形は異なるかも知れないが、機能としての本質は同じであるような環境を、ユーザの感覚を刺激することにより理工学的に作り出す技術およびその体系。 日本語では、「仮想現実」、「人工現実感」、「疑似体験」等と訳されることもある。

バーチャルリアリティは、コンピュータなどによって作り出された世界(サイバースペース)をユーザに提示するものと、現実の世界を何らかの方法で取得し、これをオフラインで記録するか、オンラインでユーザに提示するものとに大別される。 前者は、コンピュータグラフィクスの技術と深く関係している。また、現実と区別できないほど進化した状態を表す概念として、シミュレーテッドリアリティ (Simulated reality) があるが、これはSFや文学などの中で用いられる用語である。 一方、後者の技術としては、とくにユーザが提示対象に対して遠隔地にいる場合、バーチャルリアリティを用いた空間共有が必要となり、テレイグジスタンス、テレプレゼンス(en:Telepresence)、テレイマージョン(en:Teleimmersion)と呼ばれる。また、ユーザが直接知覚できる対象物に対して、コンピュータがさらに情報を付加・提示するような場合には、拡張現実や複合現実(en:Mixed reality)と呼ばれる。

概要
バーチャルリアリティは、3次元の空間性、実時間の相互作用性、自己投射性の三要素を伴う。インタフェースは通常、視聴覚を利用するが、触覚、力覚、前庭感覚など、多様なインタフェース(マルチモーダル・インタフェース)を利用する。 1968年にユタ大学の アイバン・サザランド によって HMD (ヘッドマウントディスプレイ、頭部搭載型ディスプレイ) が提案されたもの[1]が最初のバーチャルリアリティであるとされる。視覚のバーチャルリアリティとしては、1991年にイリノイ大学の Thomas DeFanti らによって提案された CAVE [2] (en:Cave Automatic Virtual Environment、没入型の投影ディスプレイ) が有名である。


基礎となる技術と応用
バーチャルリアリティの技術を構成する要素には、コンピュータ科学、ロボティクス、通信、計測工学と制御工学、芸術や認知科学などが含まれる。また、その応用は、科学技術における情報の可視化(en:Scientific visualization)、ソフトウェアの構築、セキュリティ、訓練、医療、芸術などと幅広い。例えば、VRに関するIEEEやACMの国際会議などでは次のようなセッションが準備されている。

情報の取得と提示のシステム
分散処理システム・インテリジェントシステム
人物や物体のトラッキング
ヒトの知覚
インタラクションと共同作業
シミュレータ
拡張現実、複合現実
ナビゲーション
CSCW (en:Computer supported cooperative work)
CHI/HCI (en:Human-computer interaction)

Edgar Mendoza Mancillas ブログ


                        by  Edgar Mendoza Mancillas

  
シミュレーテッドリアリティ
 
 


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

シミュレーテッドリアリティ(英: Simulated reality)とは、現実性(reality)をシミュレートできるとする考え方であり、一般にコンピュータを使ったシミュレーションによって真の現実と区別がつかないレベルでシミュレートすることを指す。シミュレーション内部で生活する意識は、それがシミュレーションであることを知っている場合もあるし、知らない場合もある。最も過激な考え方では、我々自身も実際にシミュレーションの中で生きていると主張する(シミュレーション仮説)。

これは、現在の技術で実現可能なバーチャルリアリティとは異なる概念である。バーチャルリアリティは容易に真の現実と区別でき、参加者はそれを現実と混同することはない。シミュレーテッドリアリティは、それを実現する方式はどうであれ、真の現実と区別できないという点が重要である。

シミュレーテッドリアリティの考え方から、次のような疑問が生じる。

原理的に、我々がシミュレーテッドリアリティの中にいるかどうかを知ることは可能か?
シミュレーテッドリアリティと真の現実に何か違いはあるか?
我々がシミュレーテッドリアリティの中に生きていると知った場合、どうすべきか?

シミュレーションの種類

ブレイン・マシン・インタフェース
ブレイン・マシン・インタフェースによるシミュレーションでは、参加者は外部から入ってきて、脳をシミュレーション用コンピュータに直接接続する。コンピュータは感覚データを彼らに転送し、彼らの欲求を読み取り、それに対する反応を返す。このようにして参加者はシミュレートされた世界と相互作用し、そこからフィードバックを得る。参加者は、仮想の領域の中にあることを忘れるために一時的な調整を受けるかもしれない。シミュレーションの中では、参加者の意識はアバターによって表現される。アバターの見た目は参加者の実際の見た目とは全く違う場合もある。

サイバーパンクと呼ばれるジャンルのフィクションには、ブレイン・マシン・インタフェースによるシミュレーテッドリアリティが数多く描かれてきた。


仮想市民型
仮想市民型シミュレーションでは、その世界の住民は全てそのシミュレーション世界で生まれた者である。彼らは現実世界に真の身体を持っていない。つまり、それぞれが完全にシミュレートされた実体であり、そのシミュレーションの論理に基づいて適当なレベルの意識が実装されている。そのような人工意識は1つのシミュレーションから別のシミュレーションへと転送することもでき、一時的に保存しておいて、後で再起動することもできる。シミュレートされた実体がシミュレーション世界から精神転送技術を使って現実世界の合成された身体に写されることも考えられる(例えば、映画『バーチュオシティ』など)。

このカテゴリはさらに次の2種類に分類される。

仮想市民-仮想世界: 外界の現実性は人工意識とは別にシミュレートされる。すなわち、人工意識は周囲の世界に対して特別な力を発揮できない。
唯我論的シミュレーション: 参加者の周囲の世界は彼らの精神の中にだけ存在している。すなわち、思い通りの影響を周囲に及ぼすことができる。

移民型
移民型のシミュレーションでは、ブレイン・マシン・インタフェースの場合のように参加者は外部の現実世界からシミュレーションに入ってくるが、その形態は異なる。入る際に参加者は精神転送技術を使って精神を仮想の人体に置く。シミュレーションが完了したとき、参加者の精神は外界の実際の身体に戻され、その際にシミュレーション内での記憶と経験を得ている。


混合型
混合型シミュレーションは様々な意識形態をサポートする。外界からのブレイン・マシン・インタフェースによる参加者や移民やシミュレーションされた仮想市民などである。映画『マトリックス』はこの混合型シミュレーションを扱っている。外界に実際の身体を持つ人間の精神だけでなく、エージェントのようにコンピュータ世界固有の独立したソフトウェアプログラムもある。


我々はシミュレーションの中で生きている


ニック・ボストロムの主張
哲学者ニック・ボストロムは、我々がシミュレーションの中に生きているという可能性を追求した[1]。彼の主張を簡単にまとめると次のようになる。

何らかの文明により、人工意識を備えた個体群を含むコンピュータシミュレーションが構築される可能性がある。
そのような文明は、そのようなシミュレーションを(娯楽、研究、その他の目的で)多数、例えば数十億個実行することもあるだろう。
シミュレーション内のシミュレートされた個体は、彼らがシミュレーションの中にいると気づかないだろう。彼らは単に彼らが「実世界」であると思っている世界で日常生活を送っている。
そこで、以上の3点に「可能性」があるとしたとき、次の二つのうちどちらの可能性が高いかという疑問が生じる。

我々は、そのようなAIシミュレーションを開発する能力を手に入れる実際の宇宙の住人である。
我々は、そのような数十億のシミュレーションの中の1つの住人である(iii にあるようにシミュレーション内の住人はシミュレーションであることに気づかない)。
より詳細に言えば、彼は次のような3つの選択肢を想定した。

知的種族は、現実と区別がつかないほど現実性のあるシミュレーションを開発できるほどの技術レベルには到達できない。
そのようなレベルに達した種族は、そのようなシミュレーションを実行しようとしない。
我々は、ほぼ確実にそのようなシミュレーションの中で生きている。
ボストロムの主張の前提として、十分に進んだ技術があれば生命にあふれた惑星全体をシミュレートしたり、さらには宇宙全体をその全住民と共にシミュレートできるという考え方がある。そして、シミュレートされている人々はそれぞれに意識があり、その中にシミュレーション外部からの参加者が混じっている。

人類が第一の仮説に反してそのような技術レベルに到達したとしたら、そしてその時点でも人類が過去や歴史に興味を持っていて、シミュレーションを実行するのに何の障害(法律や道徳)もない場合(第二の仮説の否定)、

過去に関するシミュレーションが多数実行されると想定することは妥当である。
そうであれば、そのようなシミュレーションの中でさらにシミュレーションが行われ、再帰的に派生していくだろう。
従って、我々が多数のシミュレーションのいずれかに存在しているか、実際の宇宙に存在しているかは不明であり、可能性としてはシミュレーション内の方が高い。
人類(あるいは他の知的生命体)が滅亡する前にそのような技術レベルに到達する可能性は、ドレイクの方程式の値に大きく依存している。ドレイクの方程式は、ある時点で星間通信可能な技術レベルに達している宇宙における知的種族の数を与えるものである。この方程式を解くと、人類以上に進んだ文明が存在するという結果が得られる。実際の宇宙とシミュレートされた宇宙の全ての平均値が 1 以上であれば、そのような文明が歴史上必ず存在するということになり、そのような文明がシミュレーションを行う意志を持っていれば、平均的な文明がシミュレーション内にある可能性は非常に高くなる。


フランク・ティプラーのオメガポイント
物理学者フランク・ティプラーは、ニック・ボストロムの主張と類似したシナリオを考察した。宇宙がビッグクランチで終焉を迎えるという仮説を採用し、その宇宙全体の計算能力は時間と共に増大していき、ある時点で終焉までの残り時間が無くなっていく速度よりも計算能力の増大が大きくなるとする。すると、実際の宇宙には有限の時間しか残されていないにも関わらず、シミュレーション内の時間は主観的には永遠に続くことになる。

この仮説が現代の人類に暗示しているのは、強大なコンピュータがあれば、各個人の脳の量子状態をシミュレーション内で再創造することで、かつて生きていた人々全員を復活させることも基本的には可能だということである。これにより、移民型と仮想市民型のシミュレーテッドリアリティが可能となる。その中の住民から見れば、オメガポイントは永遠に続く来世であり、本質的に仮想的であることから、任意の空想的な形態をとりうる。ティプラーの仮説では、遠未来の人々が歴史的情報を再生する手段が必要であり、それによって彼らの先祖をシミュレートされた来世に復活させる。しかし、コンピュータの能力が無限であれば、単にあらゆる可能世界を同時並行的にシミュレートすればよい。

しかし、ビッグクランチが起きるかどうかについて、最近では懐疑的な観測結果が多く示されている。


計算主義と観念的シミュレーション理論
計算主義とは、心身問題の哲学の理論であり、認識を計算の形態の一種であるとするものである。これはシミュレーション仮説にとって、意識のあるものをシミュレーションする可能性を裏付ける考え方であり、特に仮想市民型シミュレーションで必要とされる。例えば、物理的な系がある程度の精度でシミュレート可能であることはよく知られている。計算主義が正しく、人工意識を生成するのに問題が無ければ、シミュレーテッドリアリティの理論上の可能性は確かなものとなる。しかし、認識と現象的意識の関係には異論がある。もし意識に何らかの物理的実体が必須であるなら、シミュレートされた人々は適切に行動できているとしても哲学的ゾンビでしかない。これはニック・ボストロムの主張も否定することになり、意識をシミュレートできないとしたら、我々はシミュレーションの中に意識のある存在としてあるはずがないということになる。

一部の理論家[2][3]は、「意識は計算である」とする派生的な計算主義と数学的現実主義(数学的プラトン主義とも)が真であるとし、我々の意識はシミュレーションの中にあるに違いないと主張している。それらの主張には、"Plato's heaven" あるいは究極の総体(ultimate ensemble)にはあらゆるアルゴリズムが含まれ、その中に意識を実装するアルゴリズムも含まれているという考え方が含まれている。観念的シミュレーション理論は、多元宇宙論や万物の理論のサブセットでもある。



我々が現実として受け止めているものがシミュレーションであるという可能性を示すには、それが錯覚であるということの何らかの証拠が必要である。例えば夢は、それを見ている人にとっては(その時点では)真に迫った現実性を持っている。しかし、夢を見ているのだと気づくことはそう珍しいことではなく、それによって明晰夢を見ることになる。

夢の存在によって、真の現実と見分けがつかないシミュレーションが可能かどうか、そして人がそれに騙されるかどうかという問題を解決する。結果として「夢仮説」は除外できないが、常識と単純さの考慮が必要であることが議論されてきた。[4]

この主張の哲学的土台となっているのは、ルネ・デカルトの主張である。彼は実在と夢の区別を考えた最初の哲学者の1人である。Meditations on First Philosophy の中でデカルトは「…我々は睡眠と覚醒を明確に区別できる確かなしるしを持たない」[5]とし、結論として「今現在、私が夢を見ていて、私の知覚の全てが偽である可能性もある」[5]とした。これは荘子の胡蝶の夢と同様の主張である。

Chalmers (2003) でも夢仮説が論じられ、それが2つの形態に分類されるとしている。

ある人物がある時点で現に夢を見ていて、彼の世界に関する信念が多くの点で間違っている場合(つまり、夢は早晩崩壊する)。
ある人物が常に夢を見ていて、彼の想像力にもよるが、実在するかのように物体を知覚する場合。[6]
夢仮説とシミュレーション仮説は共に懐疑論的仮説の一種とされる。しかし、ちょうどデカルトが自身の思考によって自身の存在を確信したように、このような疑問を呈することは、それ自身の真実の可能性の証拠でもある。

個人の知覚が現実世界に物理的基礎を全く持たないような精神状態は精神病と呼ばれる。


擬似宗教的主張
シミュレーションがその中で生活する人々のために作られたとするなら、彼らが望みを適切な方法で表現すれば、それに答えてくれるはずだという考え方がある。これは、祈祷に正しい形式があるという考え方を現代的にしたものと言える。科学的に説明のつかない方法で祈祷による願いが聞き届けられたなら、シミュレーテッドリアリティの中に生きていることの証拠であると主張する者もいる。

シミュレーションを実施している者は、シミュレーションの通常の規則に反する形でシミュレーション内容に干渉しているはずだという考え方もある。シミュレーション内に何らかの形で姿を現している可能性もある。これも宗教的ミームの現代版と言える。

シミュレーション参加者はシミュレーションで生涯を過ごした後、外界で一定期間を過ごしたり、再度シミュレーションに入ったりするという考え方もある。すなわち、彼らは前世の記憶を持っている。そのような記憶が正確で、科学的に否定できないなら、我々がシミュレーテッドリアリティの中で生きている証拠となると主張する者もいる。既視感も同じ論法で説明できるとされる。

これらの主張には次の2つの問題がある。

これらの宗教的現象の証拠とされる事柄は、必ずしも真実であると確定できない。
真実であったとしても、神学的にも説明できる。すなわち、シミュレーテッドリアリティの証拠とする説は多数の仮説の1つにすぎない。だたし、他の仮説とシミュレーテッドリアリティは必ずしも相反するわけではない(シミュレーションを行っている者が「神」であるという考え方など)。


我々はシミュレーションの中に生きているのではない


物理学の計算可能性
我々がシミュレーテッドリアリティの中にいるという主張への決定的な反論は、計算不能な物理学現象の発見であろう。なぜならそのような現象が発見されれば、コンピュータができないことが現実に起きていて、コンピュータシミュレーションではそれを再現できないことになるからである。今のところ、既知の物理学は計算可能であると考えられている[7]。

シミュレーションはリアルタイムで実行できないという反論もある。しかし、そこには重要な点が見逃されている。問題は線型性ではなく、むしろ無限の計算ステップを有限時間内に実行可能かという点である[8]。これらの主張は、チューリングマシンよりも強力とされる仮説的なハイパーコンピュータ上でのシミュレーションには当てはまらない[9]。残念なことに、シミュレーションを行っているコンピュータが、シミュレートされている世界にあるコンピュータ以上の能力を持っているかどうかを知る方法が全く存在しない。シミュレーションの中と外で同じ物理学的法則が成り立つ必要はないので、シミュレーションの外部では違う物理法則にしたがってコンピュータがより強力であるかもしれない[10]。問題は、宇宙がコンピュータによるシミュレーションでないことを示す証拠が存在しない点であり、そのためカール・ポパーのような見方で言えば、シミュレーション仮説は反証可能性がないため、科学的には受け入れられないということになる[11]。


CantGoTu(カントール-ゲーデル-チューリング)環境
CantGoTu環境の概念は、ゲオルグ・カントールの対角線論法、クルト・ゲーデルの不完全性定理、アラン・チューリングなどに代表される計算可能性理論の三つを基礎として、それらをバーチャルリアリティ環境に適用したものである。デイヴィッド・ドイッチュが The Fabric of Reality(1997年)の中で提唱した。

あらゆる可能なバーチャルリアリティを描けるコンピュータを想定しよう。その生成器が生み出す全ての可能な環境は、環境1、環境2 というように並べることができる。それぞれの環境から同じ期間のタイムスライス(ドイッチュは1分としたが、これは原理的にはプランク時間にまで短縮できる)をとる。ここで、新たな環境を次のように構築する。最初の時点では、環境1とあらゆる点で異なる環境を生成し、一定時間後には環境2と全てが異なる環境を生成し、というようにしていく。この新たな環境はそれまでに並べたどの環境とも異なり、どの時点をとっても考えられるあらゆる環境と異なる。従って、このような万能VR生成器を構築することはできず、どんな手段を持ってしても効率的に描けない環境が存在する[12]。

しかし、同書の中でドイッチュは「あらゆる物理的に可能な環境を含むレパートリーを持つバーチャルリアリティ生成器を構築可能である」というかなり過激な主張を展開している。

しかし、「あらゆる物理的に可能な環境」を含むとしたら、そのコンピュータは自分自身を含む環境も完全なシミュレーションとして内包しなければならない。


計算負荷
仮想市民型
2007年現在、分子動力学に要する計算能力は、世界最高速のコンピュータを数ヶ月使って、蛋白質の1つの分子の動きを0.1秒程度シミュレートできるレベルである[13][14]。
銀河系全体をシミュレートするには、誰も観測していない領域のシミュレートを省くなどしない限り、想像以上に計算能力が必要となる。
このような主張に対して、ボストロムは人類の歴史全体をシミュレートするのにおおよそ 1033 から 1036 の計算が必要であるとした[1]。彼はさらに、既知のナノテクノロジーを使って惑星サイズのコンピュータを作れば、一秒間に約 1042 回の計算が可能であると主張している。そして、惑星サイズのコンピュータの構築は基本的には不可能ではないとした。ただし、そのサブプロセッサ間でデータを共有するなら、光の速度が全体の計算速度を制限することになる。
ブレイン・マシン・インタフェース型
夢は、脳のある部分が作り出した刺激を別の部分が現実として感じているものだとする説がある[要出典]。そうだとすると、人間の脳全体より計算能力が低いコンピュータであっても、現実と感じられるようなシミュレーションを生み出せる可能性がある。同様な主張は、鮮明な記憶や想像、特に幻覚などにもあてはまる。しかし、これらは現実よりも鮮明さに欠け、物理法則が常に正しく成立しているわけでもない。現実世界の物理法則を常に正しく適用することは、おそらくシミュレーテッドリアリティでも最も計算能力を要する部分である。また、幻覚はシミュレーションが必要とするような鮮明で豊かな相互作用を提供しない。これは、脳が幻覚を生み出す際の計算能力が限られているためとする説もある[要出典]。
主張の妥当性
いずれにしても、現代の感覚でシミュレーテッドリアリティの実現可能性を論じることは間違いである。
また、シミュレーテッドリアリティはリアルタイムで実行される必要はない。シミュレートされた宇宙の住人は、彼らの主観時間と現実世界の時間の流れと違っていても気づきようがない。アイザック・アシモフはこの考え方を限界まで推し進め、住人に気づかれずにシミュレーションを逆方向に実行したり、複数の異なるコンピュータで実行したり、修道士らが数世代に渡ってそろばんを使って週末だけシミュレーションしたりといったことも可能であるとした。いずれの場合もシミュレーション内の時間の進行は妨げられない。

不適切な仮説
厳密に言えば、シミュレーテッドリアリティの実在は証明できない。直接観測されるどんな「証拠」も別のシミュレーションかもしれない。言い換えれば、この主張には無限に後退していく問題が存在する。我々がシミュレーテッドリアリティの中にいるとしても、そのシミュレーションを行っている人々が別のシミュレーションの中の住人でないことを確証付けるものはない。つまり、シミュレーションの無限の連鎖がないとは言い切れない。シミュレーション仮説によれば、シミュレーションを実施している現実世界であっても、その世界自体がシミュレーションでないとは言い切れないのである。


オッカムの剃刀
シミュレーテッドリアリティの中にいるかどうかを確実に知る方法はないことを述べてきた。また、同じ現象を説明できる仮説は他にも多数存在する[15]。このような場合、オッカムの剃刀と呼ばれるヒューリスティック規則が適用されることが多い。オッカムの剃刀では、同じ現象を説明する仮説が複数あるとき、単純なほうを採用する。ありえない仮説に対する懐疑主義的批判で使われることが多い[16][17][18]。

これは、ヒューリスティックであって自然の法則ではないため、常に正しいとは限らないが、一般に最善であると考えられている。オッカムの剃刀に従えば、シミュレーション仮説は複雑すぎるため却下され、眼前にあるものはそのまま現実であるということになる。


道徳的問題
シミュレーテッドリアリティの考え方を広範囲に受け入れることは、危険な状況を生み出す可能性がある。誰もが現実は幻想であると信じていたら、かけがえのない生命という抑制から解放され、犯罪や残虐行為に走ることに躊躇しない者も多く出現するだろう。

さらに、シミュレーション内の他の人々が単なる「ボット」であるという考えに取り付かれれば、道徳観念は全く異なったものとなる。

しかし、シミュレーションが現代のMMORPGの進化したものだとすれば、何らかの道徳観念がそこに生まれると考えることもできる。例えば、シミュレーションのある参加者が別の参加者の手をハンマーで打ったとしたら、感覚のインタフェースによって痛みが感じられ、その被害者が現実世界に戻っても何らかの影響を被っている可能性がある。

ボストロムは来世について次のように述べている。「来世におけるあなたの運命は、あなたが現在のシミュレートされた現世でどう振舞ったかによって決められるかもしれない」[19] つまり、「高次の存在」を仮定すれば、シミュレーション内で倫理的に振舞うことで、最終的に良い結果が得られるという考え方も成り立つ。


科学技術的手法

バグ
コンピュータによるシミュレーションには、ボイドと呼ばれる隙間やバグがあって、内部からも判る場合があるかもしれない。そのようなものを見つけ、検証できるなら、それによってシミュレーテッドリアリティの内部にいることを証明できる可能性がある。しかし、物理法則に反する事柄は、他にも説明できる仮説が考えられる(神など)。映画『マトリックス』で描かれたように、既視感などの日常的な奇妙な体験も何らかのバグとして説明できる可能性がある。

実際、バグはよくある問題と考えられる。十分に強力なシミュレーションにおいては、全ての経験や思考が監視されている可能性があり、バグや抜け穴に関する知識が即座に消去されるのではないかという考え方もある。もちろん、その場合はバグを発見することはできない(発見したとしてもそれに基づいて行動できない)だろう。


隠されたメッセージ、あるいは「イースターエッグ」
シミュレーションには、設計者あるいは謎を解くのに成功した住人が配置したメッセージや出口があるかもしれない。これは例えばゲームなどの媒体で時折見られる。例えば、ネイピア数や円周率といった定数に何らかのメッセージが含まれていないかという探索が長年行われている。カール・セーガンのサイエンス・フィクション『コンタクト』において、セーガンは円周率から何らかのしるしを見つけ出す可能性を論じている。

しかし、そのようなメッセージは今のところ見つかっていない。もちろん、他の仮説で同じ現象を説明することもできる。


処理能力
コンピュータシミュレーションの能力は、それを実行するコンピュータの能力に制限されており、非常に微細なレベル(原子以下のレベル)では完全な計算が行われていないのではないかという考え方もある。これは、素粒子物理学で得られる情報の正確度の上限として現れる可能性がある。

しかし、この主張では正確度の判定をシミュレーション内で作られたコンピュータ上で行うことになる。従って、我々がシミュレーションの中にいるなら、コンピュータの性質を見誤る可能性がある。

この考え方を一歩進めると、我々は物理的限界があるために原子レベル以下の構造を直接見ることはできず、単にシミュレートしているに過ぎないとも言える。つまり、我々は顕微鏡やコンピュータといった機器の正確性を信頼して原子以下のレベルを観測している。これらがいずれもシミュレートされた世界の中にある物なら、現実世界を生成するのに要する計算能力は大幅に削減可能となる。


ハイゼンベルグの不確定性原理
ヴェルナー・ハイゼンベルクは量子力学レベルの世界を観測するとき、あらゆる観点で完全な情報を得ることはできないという事実を発見した。これを不確定性原理と呼ぶ。

性能が限られたプラットフォーム上のビデオゲームで景色をレンダリングする際、この不確定性原理と比喩的に類似したことが行われている。つまり、プレイヤーが見ていない景色はレンダリングされず、プレイヤーが見ようとしたとき初めて描かれるのである。

もちろん、不確定性原理はシミュレーション仮説を持ち出さなくても説明できる。宇宙は単にそのようなものとして存在しているのである。


デジタル物理学とセル・オートマトン
デジタル物理学では、宇宙の歴史はある意味で「計算可能」であることを基本的な前提としている。この仮説はコンラート・ツーゼの著書 Rechnender Raum で初めて示され、同書ではセル・オートマトンを中心に解説していた。Juergen Schmidhuber は、漸近的に最適な方法で非常に短いプログラムからあらゆるプログラムを生成できるため、宇宙はチューリングマシンと考えることもできると示唆した。他の提唱者として、エドワード・フレドキン、スティーブン・ウルフラム、ノーベル物理学賞受賞者のゲラルド・トフーフトらがいる。彼らは、量子力学の確率論的性質は計算可能性と矛盾しないと主張している。デジタル物理学の量子版はセス・ロイドが提唱した。これらの示唆から具体的な物理学的理論が構築されたことはない。

物理学における連続体の仕様が、物理的宇宙のシミュレーションを不可能にしているとする見方もある。実数や枚挙不可能な無限を物理学から排除すると、コンピュータシミュレーションの可能性が生まれる。

その他

NPC あるいは「ボット」
シミュレーテッドリアリティの中の人々(の一部)は、何らかのオートマタ、哲学的ゾンビ、あるいはボットという可能性があり、シミュレーションをよりリアルに、かつ面白くするために付与されているのかもしれない。実際、自分自身以外の人物は全てボットではないかと疑うこともできる。ボストロムは、このような自分自身以外の生命(あるいは、外部からシミュレーションに入ってきた参加者以外)が全てボットであるようなシミュレーションを "me-simulation" と呼んだ。

ボストロムは、ボットに関する考え方を次のように述べている。

先祖シミュレーション以外に、一個人やある集団だけを含むより選択的なシミュレーションの可能性も考えられる。その他の人類はソンビまたは「影の人々」であり、シミュレーションは完全にシミュレーションされた人々が何も疑いを持たないようなレベルで行われる。影の人々をシミュレートすることが、よりリアルな人々をシミュレートするのにくらべて、どれだけ計算能力を節約できるかは定かではない。意識を持たない存在が人間のように振舞って気づかれないということがあるかどうかも定かではない。[1]

「ソンビ」という考え方はビデオゲームに登場するノンプレイヤーキャラクター (NPC)から来ている。「ボット」という言葉は「ロボット」を短縮したものであり、これらの概念はビデオゲームで使われる単純な人工知能が起源である。


主観時間
ブレイン・マシン・インタフェース型のシミュレーテッドリアリティはリアルタイムに近い性能が要求されるかもしれない。つまり、シミュレーション内の経過時間は 外界の経過時間とほぼ同じであることが要求される。これは、プレイヤーが何らかのインタフェースでシミュレーションに参加しているとしても、同時にその身体が実世界に存在するためである。従って、シミュレーションが現実より高速だったり低速だったりすると、シミュレーションの外部にある脳がそれに気づいてしまう。

夢の中では、時間経過は遅くなったり速くなったりする。しかし、重要なのはいずれにしても生物学的な有限の速度であるという点で、シミュレーションはそれに追随しなければならない。ただし、参加者が強化されていて、高速な情報処理が可能となっている場合は別である。

一方、仮想市民型や移民型のシミュレーテッドリアリティでは、そのような必要はない。なぜなら、住人はシミュレーション内の物理的特性に従って、経験し、思考し、反応するからである。シミュレーションが低速になったり高速になったりしても、住人の知覚や脳や筋肉も同じように変化する。シミュレーション内での時間計測の方法もシミュレーション内の物理法則に従うため、住人は時間経過の速度が変化したことに気づかない。外界と何らかの通信が可能な場合は、その限りではない。

このため、シミュレーションが完全に停止したかどうかも検出できない。シミュレーションが一時停止すれば、その中の全ての生命や精神も一時停止する。シミュレーションが後で再開された場合、住人は停止する前と全く不連続性を感じないだろうし、たとえ何百万年も停止していたとしても全く気づかないだろう。

以上から、仮想市民型や移民型のシミュレーテッドリアリティでは、宇宙全体を通常の速度でモデル化するほどの計算能力がなくてもよいことになる。チューリング完全の定理によれば、シミュレーションはそのホストコンピュータが管理できる任意の速度で進行可能である。この場合の制約条件は計算速度ではなく、メモリ容量である。


再帰的シミュレーション
シミュレーテッドリアリティ内には別のシミュレーテッドリアリティを実行するコンピュータが存在することもありうる。上位のシミュレータはそのコンピュータの全ての原子をシミュレートしており、それら原子によって下位のシミュレーションが計算されることになる。例えば、シムピープルというゲームを遊んでいるとして、シム(シミュレートされた人)がゲームで遊んでいるという状況を想像していただきたい。

このような再帰は無限のレベルで続く可能性がある。この再帰には次のような制約がある。下位のシミュレーションは、

上位のリアリティよりも「小さくなければならない」。なぜなら、利用可能なメモリが少ないから。
そして、次のいずれかが成り立つ。

上位のリアリティよりも低速である。
上位のリアリティよりも単純化されている。
上位のリアリティに比較して不完全である。
最後の場合は、量子力学的不確実性を我々の世界がシミュレーションである証拠とする考え方の基盤となっている。しかし、これはシミュレーションの再帰的連鎖が有限であることを暗黙に前提にしている。無限に連鎖するなら、上位のシミュレーションと下位のシミュレーションに容易に気づけるような差異がある必要はない。


フィクションにおけるシミュレーテッドリアリティ
シミュレーテッドリアリティは、サイエンス・フィクションのテーマとしてもよく使われる。中世やルネッサンス期の宗教劇では、「世界は劇場である」という概念が頻繁に登場する。以下に作品を列挙する。


文学

『方法序説』ルネ・デカルト(1637年)
ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899年 - 1986年)の諸作品
『時は乱れて』フィリップ・K・ディック(1959年)
『模造世界』ダニエル・F・ギャルイ(1964年)
『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』フィリップ・K・ディック(1965年)
『ユービック』フィリップ・K・ディック(1969年)
『接続された女』ジェイムズ・ティプトリー・Jr.(1974年)
『リバーワールド』フィリップ・ホセ・ファーマー(1979年)
『ヴァリス』フィリップ・K・ディック(1981年)
『ニューロマンサー』ウィリアム・ギブスン(1984年)
『モナリザ・オーヴァドライヴ』ウィリアム・ギブスン(1988年)
『久遠』グレッグ・ベア(1988年)
『ソフィーの世界』ヨースタイン・ゴルデル(1991年)
『スノウ・クラッシュ』ニール・スティーヴンスン(1992年)
『ヴァート』ジェフ・ヌーン(1993年)
『フィアサム・エンジン』イアン・バンクス(1994年)
『順列都市』グレッグ・イーガン(1994年)
『ディアスポラ』グレッグ・イーガン(1997年)
『ループ』鈴木光司(1998年)
Forever Free ジョー・ホールドマン(1999年)
Accelerando チャールズ・ストロス(2005年)


映画、テレビなど

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アヴァロン(押井守監督)
THE ビッグオー(片山一良、小中千昭)
ダークシティ(アレックス・プロヤス監督)
イグジステンズ(デヴィッド・クローネンバーグ監督)
グッバイ、レーニン!(ヴォルフガング・ベッカー監督)
クローン(フィリップ・K・ディック原作)
アイランド(マイケル・ベイ監督)
トゥルーマン・ショー(ピーター・ウィアー監督)
人生は夢(カルデロン・デ・ラ・バルカ脚本)
マトリックス(ウォシャウスキー兄弟監督)
妄想代理人(今敏監督)
Serial experiments lain(小中千昭脚本)
トータル・リコール(ポール・バーホーベン監督、フィリップ・K・ディック原作)
トロン (1982)
バニラ・スカイ(キャメロン・クロウ監督)ただし、オープン・ユア・アイズ(アレハンドロ・アメナバール監督)のリメイク
宇宙船レッド・ドワーフ号の一部エピソード
スタートレックの一部エピソード。また、ホロデッキというシミュレータも登場。
スターゲイト SG-1の一部エピソード
トワイライトゾーンの一部エピソード
Xファイルシリーズの一部エピソード
ドクター・フーの一部エピソード
13F(ジョゼフ・ラズナック監督)
ZEGAPAIN -ゼーガペイン-(下田正美監督)

脚注

^ a b c Are You Living in a Computer Simulation? by Nick Bostrom. 2002年7月. Accessed 2006年12月21日
^ Bruno Marchal
^ Russel Standish
^ 「生活全体が夢であるという仮説には、論理的には全く問題がない。夢の中で我々は眼前のものを何でも創造できる。しかし、それが論理的に不可能でないとしても、真であると仮定すべき根拠もない。そして実のところ、我々と独立な物体が存在し、その行動を感覚を通して感じているという常識的な世界観に比較して、(全てが夢であるという仮説は)単純さに欠ける。」バートランド・ラッセル The Problems of Philosophy
^ a b René Descartes, Meditations on the First Philosophy, from Descartes, The Philosophical Works of Descartes, trans. Elizabeth S. Haldane and G.R.T. Ross (Cambridge: Cambridge University Press, 1911 – reprinted with corrections 1931), Volume I, 145-46.
^ Chalmers, J., The Matrix as Metaphysics, Department of Philosophy, University of Arizona
^ PHYSICS, PHILOSOPHY AND QUANTUM TECHNOLOGY
^ 「しかし、チューリングマシン(TM)などでモデル化される一般的計算システムは有限個の状態を取ることしかできない。TMの内部状態をテープの内容と結びつけて可能な状態数を増やしたとしても、TMがとりうる状態数は枚挙可能な無限になるだけである。さらにTMは枚挙可能な状態遷移しかしない。同じことは科学的モデリングに使われるあらゆる計算機にも当てはまる。従って、通常の計算の説明では、数学全般や自然をマッピングできるだけの十分な状態数や状態遷移数を持たない。従って厳密に数学的な観点からは、あらゆるものをコンピュータ内で表せるという考え方は支持できない。」Computational Modelling vs. Computational Explanation: Is Everything a Turing Machine, and Does It Matter to the Philosophy of Mind?
^ Hypercomputation, Toby Ord
^ 「Cosmology Machine は恒星やガスや未知のダークマターについての多数の観測結果からデータをとり、超高速で計算することで、銀河や太陽系の成り立ちを探る。宇宙進化に関する様々な理論をシミュレートすることで、どの理論が現実の宇宙をもっともうまく説明できるかを調べる。」Cosmology Machine creates the Universe
^ Popper, K. Science as Falsification
^ Deutsch, D. (1997), The Fabric of Reality, Penguin Books: 特に 123-131 ページ
^ IBM Blue Gene Team, "Blue Gene: A vision for protein science using a petaflop supercomputer", IBM Systems Journal 40(2)
^ Pande, Vijay & et al. (1月), "Atomistic protein folding simulations on the submillisecond timescale using worldwide distributed computing", Biopolymers 68(1): 91-109
^ Undeterdetermination
^ Skeptic report on Occam's razor
^ Defeating the Sceptic
^ Ash, T. The Existence of the Physical World
^ Nick Bostrom (2003年5月16日). “The Simulation Argument: Why the Probability that You Are Living in a Matrix is Quite High.” www.nickbostrom.com. 2007年6月4日閲覧.

関連項目


人工意識
人工生命
人工現実
拡張現実
水槽の脳
サイバーパンク
ホロデッキ
明晰夢
精神転送
マトリックス (映画)
実在
Second Life
バーチャルリアリティ
理論面での関連人物
レイ・カーツワイル
ゼノン
コンラート・ツーゼ
フランク・ティプラー
ルネ・デカルト
デイヴィッド・ドイッチュ
プラトン
エドワード・フレドキン
ニック・ボストロム
スタニスワフ・レム
セス・ロイド
荘子

参考文献
Copleston, Frederick [1946年] (1993年). “XIX Theory of Knowledge”, A History of Philosophy, Volume I: Greece and Rome. New York: Image Books (Doubleday), 160. ISBN 0-385-46843-1.
Copleston, Frederick [1960年] (1994年). “II Descartes (I)”, A History of Philosophy, Volume IV: Modern Philosophy. New York: Image Books (Doubleday), 86. ISBN 0-385-47041-X.
Deutsch, David [1997年] (1997年). The Fabric of Reality. London: Penguin Science (Allen Lane). ISBN 0-14-014690-3.
Lloyd, Seth (2006年). Programming the Universe: A Quantum Computer Scientist Takes On the Cosmos. Knopf. ISBN 978-1400040926.
Tipler, Frank [1994年] (1994年). The Physics of Immortality. Doubleday. ISBN 0-385-46799-0.
Lem, Stanislaw (1964年). Summa Technologiae.

外部リンク

Anthropic-principle.com ニック・ボストロムが運営するサイト
The Big Brother Universe
Computer Universes and an Algorithmic Theory of Everything by Jürgen Schmidhuber
The Computational Requirements for the Matrix スラッシュドット
Computationalism: The Very Idea by David Davenport.
The Cutting Edge of Haptics MIT Technology review
God Is the Machine WIRED
“That Mysterious Flow”. Davies, Paul, (Sept. (2002) Scientific American 287 (3): 40-45.
Philosophy & "The Matrix" 映画『マトリックス』関連サイト。デイヴィッド・チャーマーズらの論文あり
The Simulation Argument ニック・ボストロムによるウェブサイト
Simulation, Consciousness, Existence ハンス・モラベック
Simulism - 「我々はシミュレーションの中で生きている」という主張に基づくウィキ
What We Still Don't Know チャンネル4によるドキュメンタリー
Zombies - スタンフォード哲学百科事典

  
精神転送
 
 


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


精神転送(英: Mind transfer)とは、トランスヒューマニズムやサイエンス・フィクションで使われる用語であり、人間の心をコンピュータのような人工物に転送することを指す。精神アップロード(Mind uploading)などとも呼ばれる(英語では、mind downloading、whole brain emulation、whole body emulation、electronic transcendenceなどとも呼ばれる)。

マービン・ミンスキーのように知能を機械的なものと考える人やハンス・モラベックやレイ・カーツワイルのようにロボットと人間の社会的融合を推進する人などが特に精神転送の可能性を公言している。

精神をコンピュータに転送する場合、それは一種の人工知能の形態となると考えられ、これをインフォモーフ (Informorph)あるいは "noömorph" と呼ぶこともある。人工的な身体に転送する場合、意識がその身体に限定されるなら、これは一種のロボットとなる。いずれにしても、転送された精神の元の本人であるように感じるなら、これらは人権を主張すると考えられる。

ロボット工学を使った身体に精神をアップロードすることは、人工知能の目標の一つとされることもある。この場合、脳が物理的にロボットの身体に移植されるのではなく、精神(意識)を記録して、それを新たなロボットの頭脳に転送する。

精神転送の考え方は、個人とは何か、霊魂は存在するかといった多くの哲学的疑問を生じさせ、多くの論者を惹きつける。生気論の立場では、精神転送は本質的に不可能とされる。

精神転送が理論的に可能だと判明したとしても、今のところ精神の状態を複製できるほど精密に記録する技術は無く、またコンピュータ上で精神をシミュレートするのにどれだけの計算能力と記憶容量を必要とするかも分かっていない。

理論上の手法
精神転送は未だ机上の空論でしかない。精神転送を実現する技術はまだ存在しない。しかし、理論的な精神転送手法はいくつも提案されてきた。


Blue Brain プロジェクトと計算問題
2005年6月6日、IBM とスイスのローザンヌ連邦工科大学は、人間の脳の完全なシミュレーションを構築する「Blue Brainプロジェクト」を開始することを発表した[1]。このプロジェクトは IBM の Blue Gene 設計に基づくスーパーコンピュータを使って、脳の電気回路を再現する。人間の認知的側面の研究と、自閉症などの神経細胞の障害によって発生する様々な精神障害の研究を目的とする。当面の目標は、ラットの新皮質の一部を正確にシミュレートすることであり、これは人間の大脳新皮質とよく似ている。次いで、知能と深く関わるとされる大脳新皮質全体のシミュレート、さらには人間の脳全体へと進めていく。

しかしながら、Blue Brain プロジェクトの主任研究者 Henry Markram [2]が「知的ニューラルネットワークを構築することが最終目標ではない」と述べている点は重要である。また、彼は人間の脳の正確なシミュレーションがコンピュータ上で可能かとの質問に次のように答えている[3]:

「それは不可能と思われるし、必要でもない。脳の中ではそれぞれの分子が強力なコンピュータであり、それを正確にシミュレートするには、膨大な数の分子と分子間の相互作用をシミュレートする必要があり、非常に困難だ。おそらく現存するコンピュータより遥かに強力なものが必要となるだろう。動物の複製を作るのは簡単であり、わざわざコンピュータ上で動物の複製を作る必要はない。それは我々の目標ではない。我々は生体系の機能と誤動作を理解することで人類に役立つ知識を得ようとしている」
精神転送の信奉者は、ムーアの法則を引き合いに出して、必要なコンピュータ性能がここ数十年の間に実現すると主張する。ただし、そのためには1970年代以降主流となっている半導体集積回路技術を越えた技術が必要となる。いくつかの新技術が提案され、プロトタイプも公開されている。例えば、リン化インジウムなどを使った光集積回路による光ニューラルネットワークがあり、2006年9月18日、インテルが公表している[4]。また、カーボンナノチューブに基づいた三次元コンピュータも提案されており、個々の論理ゲートをカーボンナノチューブで構築した例が既にある[5]。また、量子コンピュータは神経系の正確なシミュレーションに必要なタンパク質構造予測などに特に有効と考えられている。現在の手法では、Blue Brain プロジェクトが Blue Gene を使っているように従来型のアーキテクチャの強力なコンピュータを使った ab initio モデリングなどの手法が必要となる。量子コンピュータが実現すれば、量子力学的な計算に必要とされる容量やエネルギーは削減され、Markram が言うような脳全体の完全なシミュレーションに必要とされる性能や容量も減少すると考えられる。

最終的に、様々な新技術によって、必要とされている計算能力を超えることは可能と予測されている。レイ・カーツワイルの収穫加速の法則(ムーアの法則の変形)が真実ならば、技術的特異点に向けての技術開発の速度は加速していき、比較的素朴な精神転送技術の発明によって2045年ごろには技術的特異点が発生すると予測されている[6]。


連続切片化
精神転送によく似た手法として、連続切片化がある。この場合、脳細胞と周辺の神経系を凍結させ、少しずつスライスして切片化する。この手段としては、超ミクロトームとしてダイヤモンドナイフを使った半自動的な手法と、レーザーを使った自動化手法がある。このようにしてできた切片を透過型電子顕微鏡などの高解像度の装置でスキャンする。その結果を三次元化し、適当なエミュレーションハードウェア上の変換アルゴリズムを使ってアップロードする。つまり、この手法ではオリジナルの脳は破壊される。


ナノテクノロジー
より進んだ理論上の技法として、ナノマシンを脳内に注入し、脳の神経系の構造と活動をナノマシンが読み取るという方法が考えられる。さらに積極的に、ナノマシンが神経細胞を人工的な神経に置換していくという方法も考えられ、この場合、有機脳から人工脳への移行が徐々に進行し、その間に意識が途切れないことになる。これは例えば、インターネット上のコンピュータを徐々に新しいハードウェアに置き換えていくのと似ている。


サイボーグ化
ナノマシンを使った技法とも関連するが、より実現可能性が高い方法として、人工脳を完成させてから有機脳と入れ替える「脳のサイボーグ化」が考えられる。一度に全体を入れ替えるのではなく、徐々に入れ替えていく方法も考えられ、患者の意識に変化がないことを確認しながら進めていくことができる。


脳イメージング
脳機能イメージング技術の進化したものを使って、非破壊的に脳の三次元モデルを構築する方法も考えられる。この場合、外部からの観測でどれだけの解像度が得られるかというのが問題となる。現在でもナノメートル単位のイメージングは可能だが、その場合は連続切片化で述べたような脳の破壊が必要である。


ブラックボックス
グレッグ・イーガンの作品にあるように、実用的な観点では脳をブラックボックスとして扱い、単に外界からの刺激に対してどう反応するかさえわかれば脳のモデルを構築でき、精神転送が可能という考え方もある。この場合、「自己」とは何かという哲学的問題が生じる。


複写か移動か
精神転送技術は意識の複写を前提としているものと移動を前提としているものがあるが、コンピュータによる何らかの脳のシミュレーションを行うものである以上、それはコンピュータ上のファイルのようにコピー可能である。そのシミュレーションを作成するために本来の脳を破壊しない方法がとられた場合、そのシミュレーションされた意識は存命中の人間の複写である。ただし、連続切片化のように脳を破壊する手法も考えられている。いずれにしても、同じ脳からとられた2つのバージョンがあったとき、複写時点までの記憶が同じであっても、その後の経験が違えば、両者の違いは徐々に大きくなっていくだろう。

同じオリジナルを出自とする複写が複数存在する場合、それぞれの利害が必ずしも一致するとは考えられず、複雑な問題が生じることは容易に想像がつく。これは例えば転送装置の故障で複数のコピーが生じてしまったときの問題と似ている。コンピュータ上では複写を作ることは(リソースさえあれば)無限に可能であり、それらがそれぞれ活動する場合を想像することもできる。

ジョン・ロックは1689年の "An Essay Concerning Human Understanding" の中で自我の同一性について次のような判断基準を提案している。すなわち、もしあなたが過去に何かを考えていたことを記憶しているなら、その考えていた人物とあなたは同一である、というものである。その後、哲学者らは同一性問題に関する様々なバリエーションを提案してきた。そのほとんどはブール論理を適用することで生じたものである。ファジィ論理によれば、ロックの提案は、自我の同一性を離散的な値ではなく連続的なものとして扱うことで妥当となることが示された[7]

精神転送では、複写が作られた時点では、両者(複写元と複写先)はほとんど同一の人物の2つの実体(インスタンス)と言う事ができる。しかし、時と共に両者の別人としての差異が大きくなっていくと考えられる。

脳の破壊を伴うような技法(連続切片化など)では、これを精神の複写と見るのか移動と見るのかは難しい問題である。これは、心身問題の哲学について各人がどのような考え方を持っているかに依存する、正しい1つの答の無い問題である。

このような哲学的な問題に関連して、徐々に脳を置き換えていく手法(上述のナノマシンによるものなど)の方が好ましいと考える者もいる。その間意識を失うことがないならば、これは通常の新陳代謝で脳を構成する分子が常に入れ替わっているのと何ら変わらない。


倫理上の問題
精神転送には様々な倫理的問題がある。精神転送技術が実現したとき、財産権、資本主義、人間とは何か、来世、神が人間を創ったとするアブラハムの宗教の観点などといった概念と競合するかもしれない。そういった意味では、精神転送の倫理的問題は移植などの身体的延命/改良技術の倫理問題の延長上にある。これは、生命倫理学の範疇になる。また、サイエンス・フィクションはこういった問題を扱う役割もある。

別の問題として、アップロードされた精神がオリジナルと全く同じ思考や直観を持つのか、それとも単に記憶と個性のコピーにすぎないのか、という問題もある。この違いは第三者にはわからないだろうし、当人にもわからないかもしれない。しかし、直観が失われるとしたら、破壊的な脳スキャンで精神転送することは殺人を意味する。このため、精神転送に反対の立場をとる人も多い。


SFにおける精神転送
精神転送はサイエンス・フィクションの典型的テーマの1つである。初期の例としては、ロジャー・ゼラズニイの1967年の小説『光の王』、フレデリック・ポールの1955年の短篇 「虚影の街」がある。類似のテーマの作品としては、ニール・R・ジョーンズの1931年の短篇 "The Jameson Satellite" がある(ある人間の脳が機械に移植される)。また、オラフ・ステープルドンの1930年の『最後にして最初の人類』では、移動不可能な機械内で人間のような有機的脳が成長する。
もう1つの初期の例として、哲学者にして論理学者である Bertil Mårtensson の1968年の小説 Detta är verkligheten がある。同書では、過密になりすぎた人口を制御するために人々がアップロードされた状態で生活する様子を描いている。フィリップ・K・ディックの1969年の小説『ユービック』は、それまでのこういった小説の集大成ともいうべき内容であった。
フレデリック・ポールのヒーチー年代記では、Robinette Broadhead は人間としては死ぬが、彼の妻(計算機科学者)がコンピュータプログラム Sigfrid von Shrink を使って「64ギガビット空間」(1976年の『ゲイトウェイ』での表現)に夫の精神をアップロードする。ヒーチー年代記はウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』以前にサイバー空間での物理・社会・性・娯楽・科学を描いており、サイバーパンク小説で一般化したサイバー空間とメタ空間の相互作用も描いていた。『ニューロマンサー』では、主要登場人物がハッキングツールとしてサイバー犯罪者 Dixie Flatline の人工的インフォモーフを使う。このインフォモーフは、任務完了後に削除されるという約束で働く。
ルーディ・ラッカーの "ウェア三部作" の1つ『ソフトウェア』(1982年)では、主人公コッブ・アンダスタンは人造人間の身体に精神転送される。
グレッグ・イーガンは、精神転送の技術的側面だけでなく、哲学・倫理・法律・同一性といった様々な面を扱っている。『順列都市』と『ディアスポラ』では、脳スキャンに基づくシミュレーションによってコピーが作られる。また、"Jewelhead" ものでは、頭蓋骨に埋め込まれた小さなコンピュータに精神を転送し、その後有機脳が外科的に除去される世界が描かれている。
小松左京の『虚無回廊』(1987年)では、無人深宇宙探査船のコンピュータにある人物の精神を転送して送り出す。ストーリーはそのコンピュータ上の人格のモノローグで進行する。
萩尾望都の『銀の三角』(1982年)では、クローン技術と精神転送技術によって不死が実現した世界が描かれている。
GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊
カウボーイ・ビバップ Session#23「ブレイン・スクラッチ」
Orion's Arm
ZEGAPAIN -ゼーガペイン-では、現実世界において地球全土に致死率の極めて高いウイルスが散布され、逃れ得た極少数の人々が量子コンピュータに創られた仮想空間の町に肉体ごと転送しており、主人公もそこで暮らしている。だが、自分達がコンピュータの中に住んでいる事に気づいている者はいない。

精神転送の支持者
ラエリアン・ムーブメントの信者は、クローン技術を使った永遠の生命の実現に精神転送を必要とする。また、コンピュータ上で生きるというのも選択肢の一つと考えられている[8]。

もちろん、宗教がかっていない神経科学者や人工知能学者(マービン・ミンスキーなど)にも精神転送の信奉者はいる。1993年、Joe Strout は Mind Uploading Home Page と名づけた小さなWebサイトを立ち上げ、人体冷凍保存サークルなどネット上のあちこちで宣伝を始めた。このサイト自体は近年まであまり活発に更新されていなかったが、Randal A. Koene の MindUploading.org のような同趣旨のサイトが登場している(Koene はメーリングリストも主催している)。これらは、精神転送を不治の病に対抗する医療手段の一種と見ている。

トランスヒューマニズムの信奉者の多くは精神転送技術の開発を望んでいるし、21世紀中にそれが実現すると予測している。ある意味で精神転送の実現がトランスヒューマニズム運動の最終目標の1つでもある。

Gregory S. Paul と Earl D. Cox の著書 Beyond Humanity: CyberEvolution and Future Minds ではコンピュータが直観を持つよう進化する様子を描いているが、同時に精神転送も扱っている。

トランスヒューマニズムの信奉者にして技術的特異点の可能性を指摘した人物、レイ・カーツワイルは人間並みの人工知能を生み出す手っ取り早い方法として「人間の脳のリバースエンジニアリング」を示唆した。彼は、このような言い回しで脳の動作原理に基づいた新たな知能の生成を指していることもあるが、脳の詳細なスキャンとシミュレーションによって個人の精神をアップロードすることを指していることもある。これに関しては、彼の著書 The Singularity is Near の pp. 198-203 などで論じられている。


精神のバックアップ
精神転送の技術を応用すれば、個人の精神(意識)のバックアップをとることができる。そして、その個人の死亡時にバックアップから当人の精神の複製を作るのである。この種の設定もSF小説にはよく登場する。


関連項目

人工知能
チューリング・テスト
バーチャルリアリティ
シミュレーテッドリアリティ
ブレイン・マシン・インタフェース
脳移植
サイボーグ
霊魂
瞬間移動

参考文献
^ Herper, Matthew (2005年6月6日). “IBM Aims To Simulate A Brain” Forbes. 2006-05-19閲覧.
^ [1]
^ [2]
^ http://www.photonics.com/content/news/2006/September/18/84442.aspx
^ http://pubs.acs.org/cen/topstory/7936/7936notw1.html
^ More, Max; Raymond Kurzweil (2002年2月26日). “Max More and Ray Kurzweil on the Singularity” 2007-01-19閲覧.
^ Strout, Joe (2/09/97). “The Issue of Personal Identity” 2006-05-19閲覧.
^ Roos, Dave, Eternal Life Through Cloning, g4tv.com. 採取日2007年3月31日

外部リンク
The Duplicates Paradox by Ben Best
Joe Strout's Mind Uploading Home Page
MindUploading.org
"The Day You Discard Your Body" by Marshall Brain
Links on uploading from Anders Sandberg
Transhumanist writings on uploading from the Foresight Institute

Edgar Mendoza Mancillas 2 ブログ


                     by Edgar Mendoza Mancillas

  
人工意識
 
 


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人工意識(じんこういしき、Artificial Consciousness、AC)は、人工知能と認知ロボット工学に関わる研究領域であり、技術によって作成された人工物に意識を持たせることを目的としている[1]。Machine Consciousness (MC)、Synthetic Consciousness などとも呼ばれる。

人工的に知覚を持った「存在」を作る話は、古くは様々な神話など、数々存在する。ゴーレム、ギリシアのプロメテウス神話、クレティアン・ド・トロワの機械人間、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』などが例として挙げられる。サイエンス・フィクションでは、人工的に意識を持った存在としてロボットや人工知能が描かれてきた。人工意識は哲学的にも興味深い問題である。遺伝学、脳科学、情報処理などの研究が進むにつれて、意識を持った存在を生み出す可能性が出てきた。

生物学的には、人間の脳に必要な遺伝情報を適当なホストの細胞に組み込むことで、人工的なゲノムを生み出すことも可能かもしれないとも言われており、そのような人工生命体は意識を持つ可能性が高い。しかしながら、その生命体の中のどういった属性が意識を生み出すのだろうか? 似たようなものを非生物学的な部品から作ることはできないのか? コンピュータを設計するための技術でそのような意識体を生み出せないだろうか? そのような行為は倫理的に問題ないだろうか?という諸問題を孕んでいる。

脳科学では、脳の各部分の相互作用によって意識が生まれると仮定する。これを「意識と神経の相関; Neural correlate of consciousness」(NCC) と呼ぶ。脳はホムンクルス誤謬と呼ばれる問題にも陥らず、次節で解説する問題をも克服する。人工意識の研究者は、この(まだ完全には解明されていない)相互作用をコンピュータによってエミュレート可能であると信じている。

意識の性質

詳細は「意識」を参照

素朴実在論や直接的実在論によれば、脳の行う処理によって人間は直接意識を持っているとされている。間接的実在論や二元論によれば、脳には処理によって得られたデータは存在するが、人間の意識は物理的な事物の上に投影された精神モデルや精神状態であるとされている(ルネ・デカルトの二元論など)。意識に関するこれらのアプローチのいずれが正しいかは常に議論の的である。

直接知覚という考え方は、意識体験が外界に直接的に依存することを説明する新しい物理理論を必要とするかもしれない。しかし、知覚が脳内の世界モデルを通した間接的なものなら、どのようにしてモデルが経験となるのかを説明しなければならない。

知覚が直接的なら、自己認識を説明することが難しくなる。というのも直接知覚という考え方が登場した背景には、内部処理が無限に再帰するという Ryle's regress に陥るのを避けるという目的があった。ロボットの自己認識は明治大学の武野純一教授[2][3]が研究しており[4]、鏡に映った自分自身と別のロボットとを区別できるロボットが開発された[5][6]。直接知覚の立場では、夢や想像やメンタルイメージなどの精神生活に人間が本当には気づいていないとも主張する(これらは再帰に関係するため)。

自己認識は間接知覚の立場ではそれほど問題にならない。というのも、その定義上、人間は自身の状態を認識しているとするからである。しかし、上述したように、間接知覚の立場では Ryle's regress を防いでいる現象を説明しなければならない。人間が間接的に知覚しているなら、自己認識はイマヌエル・カント、ウィリアム・ジェームズ、デカルトの説明する時間経験の拡張の結果として生じるのかもしれない。残念なことに、時間経験の拡張は現在の物理学の認識とは一致していないと言えるだろう。


情報処理と意識
情報処理とは、状態の符号化である。プログラムと呼ばれる命令列によって示された一連の変換を符号化された状態に対して行う。この符号化された状態は電子の流れによって表されるが、原則として媒体は何でもよく、鉄球や玉ねぎでもかまわない。命令が実装されたマシンも電子式である必要はなく、機械式でも流体を使用してもよい。

デジタルコンピュータは情報処理を実装したものである。その黎明期から、それら機器が意識を持つ日がやってくるかもしれないという示唆はなされてきた。最も早期にそれを真剣に論じた人物としてアラン・チューリングがいる。

技術者が意識を持つ実体を作成するにあたってデジタルコンピュータ方式だけを使うなら、強いAIの哲学と関連した問題が生じる。最も重要な問題はジョン・サールの中国語の部屋という思考実験である。それは、情報処理装置の中身は真の意味を理解する必要がないことを示したものである。それは単に電子や鉄球の一群にすぎない。

サールの主張は直接知覚主義者を納得させることはない。彼らは「意味」が知覚するオブジェクトによってのみ見つけられるものであるとする。また、創発主義の概念もサールの主張への反論となっている。創発主義は処理系の複雑さが新たな物理的現象を生むことを提唱している。

人工知能研究では「digital sentience(デジタル直観)」という誤った用語がしばしば使われる。「直観」とは、内的思考なしで知覚する能力を意味する。それは、意識体験がプロセスというよりも状態であることを示唆している。

マシンが任意の環境で意識を持てるかという議論は、一般に物理主義と二元論の対立として描かれる。二元論者は「意識には物理的でない何かが関わっている」と信じている一方、物理主義者は「全ては物理的に説明できる」としている。


デジタルコンピュータの意識
マシンが人工的に意識を持つにあたって、必須と考えられている意識の様々な面が存在する。Bernard Baars は意識が役割を果たす様々な機能を提案した。人工意識の目的は、それを含めた意識の各相をデジタルコンピュータのような人工物で合成することである。そのリストは完全ではなく、カバーされていない面も多々ある。

直観と意識を判定する一般的な基準は自己認識である。「conscious(意識がある)」の辞書の定義を見ると「自身の置かれた環境、自身の存在、感覚、思考を自覚する」とある(dictionary.com)。1913年版のウェブスターでは conscious を「内部の意識体験、または外部からの観測によって知識を有する; 認識がある; 気づいている; 分別がある」と定義している。自己認識は非常に重要であるが、それは主観的で検証しにくいと言えるかもしれない。

Igor Aleksander は人工意識の重要な能力として、将来の事象を予測することを挙げた。彼の Artificial Neuroconsciousness: An Update で「予測は意識の重要な機能の1つである。予測のできない有機体は意識に深刻な障害を負っているだろう」と述べている。創発主義者ダニエル・デネットは『解明される意識』で、予測に関連する「多元的草稿」モデルを提案した。それは、現在の環境に最も適した「草稿」を評価・選択するという考え方である。

もう1つの必要とされる面として「自覚; Awareness」がある。しかし、「自覚」についても定義上の問題がある。この問題を説明するため、哲学者デイビッド・チャーマーズは汎心論者の主張によればサーモスタットも意識があることになると逆説的に論じた(Chalmers 1996, pp283-299)。サーモスタットは、暑すぎる、寒すぎる、ちょうどよい温度という状態を持つ。猿の神経系をスキャンした実験によると、状態やオブジェクトではなくプロセスが神経を活性化させることが示された[7]。そのような反応は五感を通じて得られた情報に基づくプロセスのモデルによって説明されなければならない。そのようなモデルの作成には多大な柔軟性を必要とするが、予測を行うのに有益でもある。

意識を持つマシンは、個性を持つと考えられている。行動主義心理学では、個性は他者との関わりにおいて脳が生み出した錯覚であるとするやや一般的な理論がある。つまり、他者と関わりを持たない人間(および他の動物)は個性を持つ必要はなく、人間の個性は進化することはないだろうという説である。人工意識を持つマシンは、人間のオブザーバーと意味のある対話をする能力を有するものとする限り、個性を必然的に持つと考えられる。しかし、計算機科学者らが指摘するとおり、機械の個性を測るチューリングテストは汎用的に使える手法ではない。

学習も人工意識が備えるべき能力である。サセックス大学の Ron Chrisley のまとめた "Engineering consciousness"[8] によれば、意識とは、自己、透過性、学習、計画、へテロ現象学、信号の区別、行動選択、注意、タイミング管理から構成される。ダニエル・デネットは "Consciousness in Human and Robot Minds"[9] の中で「未成熟なロボットが意識を持つように育てる方が、事前に全ての用意を整えるより簡単だろう」と述べている。彼はロボットの意識について「サイズは大人であっても、最初から成熟してはいないだろう。それは人工的な幼少期を経るよう設計され、その間、現実世界の入り乱れた環境で得るであろう経験から学ぶ必要があるだろう」としている。そして、「人間と自然言語で対話できるエージェントは、世界中の知識のうち数百億の項目は多すぎるにしても数百万の独立な項目にアクセスできなければならないことは間違いない。ダラスのダグラス・レナート率いる Cycプロジェクトが行っているような人間のプログラマによるコード化がその手段かもしれないし、人工エージェントが実世界と実際にやり取りして知識を獲得する新たな方法が見つかるかもしれない」と述べている。学習に関する興味深い論文として、Axel Cleeremans(University of Brussels)と Luis Jiménez(University of Santiago)の "Implicit learning and consciousness" [10] がある。そこでは、学習を「系統発生的に発展した適応プロセスの集合であり、経験への感度に強く依存していて、複雑で予測不能な環境でエージェントが行動を柔軟に制御することを可能にするもの」と定義している。

「期待; Anticipation」はマシンに意識があるように見せるのに使われる特徴である。人工意識を持つマシンは期待される事象に対して対応する準備ができていなければならない。これが示しているのは、マシンがリアルタイム性を備えていなければならないということであり、それによってマシンが今現在意識を持っているということを証明できる。そのためには、マシンを検証するには現実世界をシミュレーションするために予測不能な環境の中で動作させなければならない。

ジョン・マッカーシーは「人工知能プログラムが汎用性に欠けているために苦しんでいることは、1971年時点はおろか、1958年時点でも明らかであった」と述べた。「汎用性; Generality」は人工知能だけでなくむしろ人工意識にとって重要な特徴と言える。


学説
人工意識のもっともらしさと能力、人工意識が真の意識を持つ可能性についていくつかの定説がある。サーモスタットに意識があると言う人も、サーモスタットに音楽を理解できるとは思っていない[11]。チャーマーズはインタビューの中で、サーモスタットが非常に思索的な意識を持つと言ったが、彼自身は熱心な汎心論者ではない(Chalmers (1996) whiter panpsychism の298ページ参照)。そのような解釈は、意図的に不正確な定義を与える可能性があるが、任意の有意な知性を定義するには限定的すぎる傾向がある。

人工意識は「強いAI」のように天才的である必要はない。それは科学的方法のように客観的である必要があり、既知の意識の能力を実現できなければならない。ただし、トマス・ネーゲルが客観的に観測できないとした主観的経験は除外される。

虚無主義的観点
何かに意識があるかどうかを検証することは不可能である。寒暖計に音楽が理解できるか問うことは、人間に五次元で思考できるか問うのと同じことである。人間が五次元で思考する必要はないし、寒暖計が音楽を理解する必要もない。意識とは、自分で選択するように見えるものの属性を示す単なる用語であり、おそらく我々の精神が内包するには複雑すぎるものである。意識のあるように見えるものもあるが、それは単に我々の精神がそう信じさせようとしているか、我々のそれらのものへの感情の影響である。意識とは錯覚である。

その他の観点
別の観点の一例として、人間は自身の存在、延いては自身の意識も否定することができる。ルネ・デカルトの「我思う、ゆえに我あり」を熱心に論じる機械があったとしたら、それは人工意識の存在の証拠の1つとなるだろう。しかし、機械がそれを記号的に論じるとしたら、あまりにも人間的すぎる。その主張の本来の意味は、意識体験が存在するというものであり、それを否定することも一種の意識体験であるため、我々はそれを否定することができないのである。意識を持つマシンはマシンであるが故に意識を持たないと主張することもできる。ちょうど記号的主張と体験の違いを誤解した人間のように。意識は必ずしも無謬の論理的能力を意味しない。意識の完全性、意識の程度、その他の関連する事柄については議論が続いており、今後も続くだろう。ある実体の意識が他の意識より劣っているとしても、どちらの意識の完全性も損なうことにはならない。

今日のコンピュータは一般に意識を持たないと考えられている。UNIX系のシステムで wc -w コマンドを実行すると、テキストファイル内の単語数を数えて報告する。しかし、それは意識の存在を示す証拠でも何でもない。しかし、top コマンドを実行すると、コンピュータはリアルタイムで継続的にタスクの実行状況やCPU使用率などを報告する。これは一種の限定された自己認識の証拠であり、意識が自己認識に基づく行動で示されると定義されるなら、top コマンドは意識の存在を示していると言えないこともない。


学問分野としての人工意識
人工意識の研究には、人工意識システムを構築することで、対応する自然のメカニズムを理解するという側面もある。

「人工意識」という用語を使う科学者として Igor Aleksander (インペリアル・カレッジ・ロンドン)がいる。彼の著書 Impossible Minds の中で、人工意識を創造するための原理は既に存在するが、そのマシンに言語を理解させるには40年かかると述べている。ここでいう言語理解とは、必ずしも人間の自然言語のことを意味しない。犬は200程度の単語を理解すると言われることもあるが、万人が納得するような証拠はない。

その点で、「デジタル直観; Digital Sentience」は漠然と代替的目標とされたが、あまり理解が進んでいない。1950年代以来、計算機科学者、数学者、哲学者、SF作家がデジタル直観の意味や可能性を議論してきた。

そういった意味では、人間の直観をモデルとしたアナログのホログラフィック的直観の方が可能性が高い。


実用的アプローチ
哲学の範囲に止まらない人工意識研究もある。実際に人工意識を持つマシンを開発しようと真剣に取り組んでいる者もいる。以下に2つの例を挙げる。他にも同様の研究は行われているし、今後も増えるだろう。


Franklin の知的分散エージェント
Stan Franklin(1995年、2003年)は、自律エージェントを Bernard Baars の Global Workspace Theory(1988年、1997年)に定義された意識の機能の一部を備えた場合に、機能的意識を持っていると定義した。彼の生み出した IDA(Intelligent Distributed Agent)は GWT のソフトウェアによる実装であり、その定義により機能的意識を備えている。IDA はアメリカ海軍で航海から帰ってきた船員に対して、各人のスキルと好み、海軍側のニーズを考慮して新たな仕事を割り当てる作業を行う。IDA は海軍の大まかな方針に従った上で海軍のデータベースと対話しつつ、船員たちとも自然言語の電子メールを使って通信する。IDA の計算モデルは Stan Flanklin らが 1996年から 2001年にメンフィス大学で開発した。これは約25万行のJavaコードで構成され、2001年ごろのハイエンド・ワークステーションのリソースをほぼ完全に消費する。それは「コードレット; codelet」と呼ばれるものに強く依存している。コードレットとは目的に特化した比較的独立したミニエージェントであり、スレッドとして動作する小さなコードとして実装されることが多い。IDA のトップダウン型アーキテクチャでは、高レベルな認知機能が明確にモデル化されている。詳細は Flanklin(1995年、2003年)を参照されたい。IDA は定義により機能的意識を持つとされるが、Franklin はそれが人間のような振る舞いを多く見せるとしても、いわゆる一般的な現象としての意識ではないと述べている。アメリカ海軍の人々は IDA とのやり取りで「そう、そのとおり」とうなづいてるのが何度も目撃されているが、それは単に IDA がそのタスクを実行した結果にすぎない。


Haikonen の認知アーキテクチャ
Pentti Haikonen(2003年)は人工意識を達成するには従来のルールベースの処理方式では不十分であると考えている。「脳はコンピュータとは全く違う。思考はプログラムされたコマンド列の実行ではない。脳は数値演算装置でもない。我々は数で考えたりしない」と Haikonen は言う。精神や意識を実現するのにそれらの根底にある計算規則を特定して実装するのではなく、Haikonen は「認知/内部イメージ/内言/苦痛/喜び/感情のプロセスやそれらの背後にある認知機能を再現する特殊な認知アーキテクチャ」を提案した。「このボトムアップ型アーキテクチャはアルゴリズムやプログラムを使わずに人工神経と呼ばれる基本処理装置を多数使って高レベルな機能を生み出す。」Haikonen は、これに十分な複雑性を持たせれば、このアーキテクチャが意識を発生させると信じている。彼はそれを「分散信号表現、知覚プロセス、混合様相、遡及力などを特徴とした操作のスタイルと手法」であるとしている。Haikonen のような意識の見方(神経を基にしたアーキテクチャを自律エージェントに導入することによって創発的に人工意識を生み出そうとする立場)は孤立しているわけではない。他にも Freeman(1999年)、Cotterill(2003年)の例がある。Haikonen(2004年)はこのアーキテクチャをあまり複雑でない実装にすることも提案しており、人工意識には至らないものの、感情と見られる状態を示すという。


検証
人工意識は形式的に証明可能としても、実装されたものが意識を持っているかどうかの判定は観測に頼ることになる。

チューリングテストは、マシンと人間が対話することでそのマシンの知能を測ることを提案したものである。チューリングテストでは、対話の相手がマシンなのか人間なのかを推測する。人工意識体が観測者の想像を超え、意味のある関係を築いたときに初めてそのようなテストに合格したと言える。

猫や犬はこのテストに合格できない。意識は人間だけが持つ属性ではないだろう。しかし、人工意識をもつマシンもこのテストに合格できない可能性は高い。

前述したように、中国語の部屋はチューリングテストに合格するマシンが意識を持つ必要がないことを示すことによって、その妥当性に疑問を呈した。

意識によるものとされる人間の振る舞いは非常に幅広いため、マシンに意識があるかどうかを判定する全基準を定めることは困難である。

実は、間接知覚主義者からすれば、意識の有無を検証する振る舞いに関するテストはありえない。なんとなれば意識体は夢などの精神活動を行うからである。その点は意識体験の主観的性質を強調する人々が主張している。例えば、トマス・ネーゲルは論文 What is it like to be a bat? で、主観的体験は客観的に観測できないため還元されることがなく、物理主義にも反しないとしている。

客観的基準がマシンの意識をテストする前提条件として提案されているが、特定のテストに不合格であったとしても意識がないことの証明にはならない。最終的に、意識についての一般的理解が適用可能なら、マシンが意識があるかどうかを判定することができるだろう。

人工意識の別の検証方法として、環境を人工的に構築して一部の刺激以外発生しないようにして、マシンをその環境に置いたときの学習能力を証明するという方法も提案されている。人間が何かに注目するメカニズムはまだ科学的に完全に解明されていない。この知識の欠如が人工意識の技術者によって利用された。つまり、「注目」のメカニズムが分かっていないため、マシンに関してもそれを測る方法が特定されていないのである。人間の無意識は、完全に注意力のない状態であり、前述のテストでは人工意識が注目した点を示す出力機能を持つ必要がある。Antonio Chella(University of Palermo)は次のように述べている[12]。 「概念と言語の間のマッピングは、概念構造の言語的シンボルによる翻訳である。適切な内部状態を持つニューラルネットワークによって実装された注目のメカニズムによってなされる。概念的表現を適切に走査する逐次的注目メカニズムを仮定したとき、事前の知識に基づいて生成された仮説に従えば、その場面で発生している興味深い事象を予測し、検出することができる。それゆえ、入力される情報からそのようなメカニズムが期待を生成し、仮説が実証されるような(場合によっては補正された)コンテキストを作成する。」


倫理的側面
人工意識を持つマシンが実際に作られたとき、そのマシンの権利という倫理的問題が生じる(すなわち、法的にそれはどんな権利を持つのか)。例えば、意識を持つコンピュータが何者かの所有物でシステムの一部として使用されている場合、その権利は特にあいまいである。法律制定の前に、「意識」を法的に定義する必要がある。人工意識はまだ研究段階であり、そのような倫理的問題はまだ論じられていない。しかし、フィクションにおいては良く取り上げられるテーマである(下記参照)。


フィクションにおける人工意識
フィクションの未来史ものには以下のような人工意識が登場している:

スカイネット - 『ターミネーター』
Vanamonde - アーサー・C・クラーク『都市と星』
フランク・ハーバートの『ボイド - 星の方舟』に登場する宇宙船
ジェイン - オースン・スコット・カードのエンダーシリーズに登場する
HAL 9000 - 『2001年宇宙の旅』
デイビッド - 『A.I.』
データ - スタートレックシリーズ
アイザック・アシモフの一連のロボットものに登場するロボット
アンドリュウ - 『バイセンテニアル・マン』
『ブレードランナー』
『ニューロマンサー』
『マトリックス』
テクノコア - ダン・シモンズの『ハイペリオン』四部作
Johnny 5 - 『ショート・サーキット』
ロバート・A・ハインラインは人工知能や人工意識を扱った小説を数々残している。『月は無慈悲な夜の女王』など。
『鉄腕アトム』
石ノ森章太郎の諸作品(ロボット刑事、人造人間キカイダー、大鉄人17など)
R田中一郎 - 『究極超人あ〜る』
『アイの物語』山本弘
多脚戦車 - 『攻殻機動隊』

参考文献
^ Aleksander, Igor (1995). "Artificial Neuroconsciousness: An Update" [1], IWANN, 1995
Chalmers, David (1996), The Conscious Mind. Oxford University Press.
Baars, Bernard (1988), A Cognitive Theory of Consciousness [13]. Cambridge, MA: Cambridge University Press.
Baars, Bernard (1997), In the Theater of Consciousness. New York, NY: Oxford University Press.
Cotterill, Rodney (2003), 'Cyberchild: a Simulation Test-Bed for Consciousness Studies' in Machine Consciousness, ed. Owen Holland. Exeter, UK: Imprint Academic.
Franklin, Stan (1995), Artificial Minds Boston, MA: MIT Press.
Franklin, Stan (2003), 'IDA: A Conscious Artefact?' in Machine Consciousness. Ed. Owen Holland. Exeter, UK: Imprint Academic.
Freeman, Walter (1999), How Brains make up their Minds. London, UK: Phoenix.
Haikonen, Pentti (2003), The Cognitive Approach to Conscious Machines. Exeter, UK: Imprint Academic.
Haikonen, Pentti (2004), Conscious Machines and Machine Emotions, presented at Workshop on Models for Machine Consciousness, Antwerp, BE, June 2004.
Casti, John L. "The Cambridge Quintet: A Work of Scientific Speculation", Perseus Books Group , 1998
McCarthy, John (1971-1987), Generality in Artificial Intelligence [14]. Stanford University, 1971-1987.
Takeno, Junichi (2005), Inaba Keita, Suzuki Tohru, Experiments and examination of mirror image cognition using a small robot, The 6th IEEE International Symposium on Computational Intelligence in Robotics and Automation, pp.493-498, CIRA 2005, Espoo Finland, June 27-30, 2005.
Suzuki Tohru, Inaba Keita, Takeno, Junichi (2005), Conscious Robot That Distinguishes Between Self and Others and Implements Imitation Behavior, ( Best Paper of IEA/AIE2005), Innovations in Applied Artificial Intelligence, 18th International Conference on Industrial and Engineering Applications of Artificial Intelligence and Expert Systems, pp. 101-110, IEA/AIE 2005, Bari, Italy, June 22-24, 2005.
武野純一(2006), 自己を意識するロボット ーディスカバリーチャンネルへの反響に答えてー [15], HRI press, 1-Aug.-2006
Sternberg, Eliezer J. (2007) Are You a Machine? Tha Brain the Mind and What it Means to be Human. Amherst, NY: Prometheus Books.

関連項目

心の哲学
モーガンの公準 - 「ある行動が低レベルの心理作用で解釈できるなら、より高いレベルの心理作用で解釈すべきではない」
随伴現象説
脳コンピュータインターフェイス
ライプニッツの法則 - 「分類不能なものは同一である」というオントロジー的法則
Kismet - MITが製作した人工意識を目指したロボット
Jabberwacky - チューリングテストをパスすることを目指したおしゃべりボット
貪欲な還元主義

外部リンク
What's the Difference Between You and Your Dog? かくれんぼから意識とは何かを理解する
Are People Computers? Strong AI, The Simulation Argument and Naive Realism
Humanoid Robotics Ethical Considerations
Proposed mechanisms for AC implemented by computer program: absolutely dynamic systems
Conscious Entities
Models of Consciousness ESF/PESC Exploratory Workshop、Scientific Report、2003年
Anton P. Zeleznikar's Home Page
Conscious-Robots.com - Internet Portal dedicated to Machine Consciousness
Robot In Touch with Its Emotions 5-Sep-2005
Robot Demonstrates Self-awareness 21-Dec-2005
The World First Self-Aware Robot and the Success of Mirror Image Cognition (Lecture at the Karlsruhe University and the Munich University, Germany), 8-Nov.-2006.
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%B7%A5%E6%84%8F%E8%AD%98" より作成

  
ユビキタス
 
 


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この項目では用法、歴史および語源について記述しています。その他のユビキタスについてはについてはユビキタス (曖昧さ回避)をご覧ください。
ユビキタスとは、それが何であるかを意識させず(見えない)、しかも「いつでも、どこでも、だれでも」が恩恵を受けることができるインタフェース、環境、技術のことである。 ユビキタスは、いろいろな分野に関係するため、『ユビキタスコンピューティング』、『ユビキタスネットワーク』、『ユビキタス社会』のように言葉を連ねて使うことが多い。現在「ユビキタス」の厳密な定義は出されていないが、標準化団体であるW3Cでは2006年、「ユビキタス」に関するワークショップを設立し、国際基準の規格化に乗り出している。2007年4月には、日本での活動が展開されている。

概要
ユビキタスという言葉は、他の言葉と組み合わせて使うことが多く、意味する範囲が明確に定義されているとは言いがたい。近年流行のバズワードのひとつとして使われている。現在、以下のような使い方をされている。

ユビキタスコンピューティング
コンピュータということを人に意識させないで、人の生活を支援する技術、環境。
コンピュータ本体だけでなく、各種デバイス、端末を含む。
ユビキタスネットワーク
コンピュータ同士が自律的に連携して動作することにより、人の生活を支援する技術、環境。
開発中の技術(センサーネットワーク等)だけでなく、既存の技術(インターネット、Web2.0)を含む。
ユビキタス社会
ユビキタスの技術により、人が人らしく支援を受ける社会。
ユビキタスネットワーク社会、ユビキタス情報社会と表現する場合もある。




歴史
事始め
ユビキタスという言葉は、ラテン語の宗教用語であり、「神はあまねく存在する」という意味である。1991年に米ゼロックス(XEROX)社パロアルト研究所のMark Weiserが論文(The Computer for the 21st Century[1])に発表したのが最初といわれている。このとき彼は、ユビキタスという言葉の持つ『神の遍在』という意味を込めたわけではなかった[2]。究極のインタフェースの理念は、それが何台のコンピュータであるとか、どのように接続されているかといった事象とは別の概念であることを強調したのだった。後に『遍在』という言葉が独り歩きしてしまったため、Weiserは"Calm Technology"[3]という言葉を使うようになった。
日本におけるユビキタスの萌芽(TRON)
Mark Weiserのユビキタス論文より数年前の1984年に、坂村健(当時東京大学助手、現教授)はTRONプロジェクトを起こした。これが日本におけるユビキタスの始まりとされている。
TRONでは、電脳住宅などユビキタス社会につながる実証実験が行われた。
日本におけるユビキタスの変遷
坂村健は、TRONプロジェクトで電脳社会を実現するものとして、『どこでもコンピューター』という考えを提唱した。これが、「ユビキタス・コンピューティング」という言葉が日本に入ってきたときに受け入れる下敷きとなり、現在でもユビキタス社会を表現する言葉のひとつとなっている。国立国語研究所では、ユビキタスを表現する言葉として、「時空自在」と言い換える提案がなされたが、『時空を飛び越えて、どこにでも行くことができるタイムマシンのようだ』との批判が多く、現在も検討中となっている。最近では、「ユビキタス」を表わす言葉として『いつでも、どこでも、だれでも』という言葉が、ユビキタスと共に使われることが多い。
「ユビキタス」に関する規格化、標準化
「ユビキタス」の厳密な定義は、ユビキタスに関するコンソーシアム、各研究機関、政府機関で検討、提案されてきたが、規格化されてはいない。
世界標準機構であるW3Cでは2006年、「ユビキタス」に関するワークショップを設立し、国際基準の規格化に乗り出した。
2007年4月に、W3CのWGが日本に設立された。「ユビキタス」の規格化、標準化へ向け、日本の各活動組織との連携が行われている。

ユビキタスと"ubiquitous"
日本では"ubiquitous"の英語の元の意味である「遍在する」という意味[4]を離れ、インターフェイス、環境、技術を念頭に置いた使い方(例えば、ユビキタス社会など)が1990年代後半から2000年代初頭にかけてよく見られるようになった。2002年には「情報通信白書」などにもみられるようになり、一般にも広く浸透するようになった[5]。
一方、国際的にも"ubiquitous"のこの用法が研究者間でしばしば使われるようになった。2006年にはW3Cが"W3C Workshop on the Ubiquitous Web"[6]というワークショップを開き、国際基準の規格化に乗り出している。
デバイス開発によるユビキタス
RFID

用語の起源
ラテン語でUbiqueとは、「いつでも、どこでも」を表す一般的な用語であるが、英語のubiquitousには、「神は遍在する」という宗教観がある。欧米では「唯一神」が遍在するのに対し、伝統的日本の神は八百万の神であるということで、日本的ユビキタスを意識した、やおよろずプロジェクト[7](2003年度~2005年度)が生まれた。
今日では、ユビキタス社会に遍在するのはサービスであるとの認識から、ユビキタスと神を結びつけることはなくなった。

ユビキタスの実証実験
愛・地球博実証実験
銀座実証実験
神戸実証実験
UBWALLイオンモールと共同で新たなインフォメーションサービスを実証開始(Fujitsu)

脚注
^ Mark Weiser, "The Computer for the 21st Century" Scientific American,Vol 265 pp. 94-, Sep. 1991.
^ 石井裕「特別寄稿 ユビキタスの混迷の未来"」『ヒューマンインターフェース学会誌』Vol4 (2002) p.p.129-130.
^ "Calm Technology"(Wiserのwebsiteより)
^ EXCEED 英和辞典"ubiquitous"[1]
^ 「情報通信白書」
^ W3C Workshop on the Ubiquitous Web
^ やおよろずプロジェクト

関連項目
日立製作所
ICタグ
ウェアラブルコンピュータ
坂村健(東京大学)
舘(東京大学)
徳田英幸(慶應義塾大学)
TRON
野村総合研究所
富士通
富士通ゼネラル
イー・モバイル
人体通信


  
RFID
 
 


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非接触ICカードRFID(Radio Frequency IDentificationの略)は、ID情報を埋め込んだタグから、電磁界や電波などを用いた近距離(周波数帯によって数cm~数m)の無線通信によって情報をやりとりするもの、および技術全般を指す。ICタグそのものを指したり、パッシブタイプのICタグのみを指したりすることもある。

これに用いるタグをRFタグと呼び、無線通信によって外部からその情報を読み書きする。従来は、複数の電子素子が乗った回路基板で構成されていたが、近年、小さなワンチップのIC (集積回路)で実現できるようになってきた。この場合はICタグと呼ばれ、そのサイズからゴマ粒チップと呼ばれることもある。

非接触ICカードも、RFIDと同様の技術を用いており、広義のRFIDの一種に含まれる。非接触ICカードは乗車カード(Suica、ICOCA、PASMO、PiTaPaなど)や電子マネー(Edy、iDなど)、社員証やセキュリティロックなどの認証用など色々な用途がある。この分野では日本ではFelicaが支配的である。

狭義では、タグとリーダとの間の無線通信技術であるが、技術分野としてはそれにとどまらず、タグを様々な物や人に取り付け、それらの位置や動きをリアルタイムで把握するというシステム全般まで含めて語られる。

実世界のオブジェクトを、デジタルの仮想世界と結びつけて認識や操作ができるようになるという点が、社会的に様々な波及効果を与えると考えられている(期待される用途を参照)。

タグの種類
パッシブタグ(受動タグ)とアクティブタグ(能動タグ)の2種類がある。

パッシブタグ
パッシブタグとは、タグリーダからの電波をエネルギー源として動作するRFタグで、電池を内蔵する必要がない。タグのアンテナはタグリーダからの電波の一部を反射するが、ID情報はこの反射波に乗せて返される。反射波の強度は非常に小さいため、アクティブタグに比べてパッシブタグの受信距離は比較的短くなるが、安価に出来ること、ほぼ恒久的に作動することから、今後の普及の本命と目されている。タグリーダ側は、比較的強めの電波を供給し、タグからの非常に微弱な反射波を受信・解読できる必要がある。
ICそのものにアンテナが埋め込まれている場合も多いが、その場合、通信可能距離は数センチオーダーに制限される。通信距離を伸ばすには、ICの外部にアンテナを取り付けることが必須となる。
RFIDに期待が高まっているのは、このパッシブタグが非常に安価(10円以下)に生産できる見込みが出てきたためである。
アクティブタグ
アクティブタグは、電池を内蔵したタグである。自ら電波を発するので、通信距離が長く取れる(10-100メートル以上)。またセンサーを内蔵して、自発的にその変化を通知することが出来るので、センサーネットワークとしての用途が期待されている。
また、電磁波の伝達方式で、次の2つに分類することもある。

電磁誘導方式
タグのコイルとリーダのアンテナコイルを磁束結合させて、エネルギー・信号を伝達する方式。電波方式に比べて、エネルギーを効率的に伝達できるので、開発が先に進んだ。Suicaはこちらの方式である。電磁波の周波数としては、135kHz、13.56MHzで、この方式が採用されている。パッシブタイプでの通信可能距離は最大でも1m程度である。
電波方式
タグのアンテナとリーダのアンテナで電磁波をやりとりし、エネルギー・信号を伝達する方式。電磁波を空間に放射して伝達するので、電磁誘導方式に比べて、より遠くのタグと通信が可能になる。が、タグが受け取れるエネルギーが極めて微弱であるため、パッシブタイプのこのタグは、最近になってようやく実用化された。電磁波の周波数としては、900MHz帯、2.54GHzで、この方式が採用されている。通信可能距離はパッシブタイプで3-5mである。アクティブタイプでは、電波強度さえ許せば数キロメートルオーダーでも通信可能である。
アンテナで伝達するという点で2者に基本的な違いはないが、この2つの違いは、電磁波の波長とアンテナ間の距離で決まる。波長に対して距離が長ければ、空中を伝搬する電磁波として伝達され、短ければ空間放射されるよりも前に、電界・磁界の変化が他方のアンテナに伝わる。


通信方式
パッシブタイプのタグでは、タグ内部に整流回路が内蔵されており、タグリーダからの電波を整流して、直流に直し、それを電源として、ICが動作する仕組みになっている。 通常、リーダからの電波は、プリアンブルに続きコマンドbit列で変調されたものである。この後にさらに無変調のキャリアが続く。 プリアンブルの部分で、ICの初期動作に必要なだけのエネルギーが蓄えられる。 そしてコマンドbit列を復調して解釈し、無変調部キャリアの部分で反射波に返答を乗せて情報を返す。 リーダからの変調およびタグの返答の変調には、振幅変調、周波数変調、位相変調、あるいはその組み合わせ変調が用いられる。 パッシブタイプのタグでは、必ずリーダからの送信が始めにあって、タグはそれに応えて情報を返す。つまり、タグから自発的に情報を出すことはない。

これに対して、アクティブタイプのタグでは、情報を自発的に発することが可能である。 定期的に情報を発信するタイプ、センサーを内蔵してその変化があったときに発信するタイプ、 などがある。もちろん、リーダからのコマンドに応答して返答するタイプも存在する。


使用する電波の周波数帯
135kHz
135kHzのタグは、もっとも歴史的に長く使われている。 世界的にも規格が統一化されているが、電磁誘導方式であるため、通信可能距離が数十センチメートル前後と短い、アンテナがどうしても大きくなることなどから、UHF帯、2.45GHzのタグに取って代わられるものと予想される。

13.56MHz
これも電磁誘導方式である。 現状では、もっとも広く使われているのが、この13.56MHzのパッシブタイプのタグである。 CD、ビデオショップなどで盗難防止用によく使われているのを目にするであろう。Suicaもこの周波数を使っている。 通信可能距離は最大1m程度である。ISMバンド。

433MHz
欧米では国際物流用に使用されているといわれる。しかし、日本ではアマチュア無線の周波数帯の一つ(430-440MHz、更に呼出専用周波数であって、他業務による有害な混信からの保護を要求出来る一次業務扱い) であり、一部の実験が行われた程度に留まる。欧米の430MHz帯アマチュア無線の周波数は、420~450MHzと日本の3倍の周波数幅があり、問題が表面化しにくい事情がある。

860-960MHz
昨今ICタグといえば、この900MHz帯か、2.45GHzが注目されている。 UHF帯である。 日本では既に携帯電話や業務無線などで使われており、RFIDで使うことは認可されていない電波帯であったが、2006年1月改正の国内電波法によりRFIDでも利用可能となった。 電波の波長が身の回りの物品のサイズと近いため、電波の回り込みが期待できる。そのため、多少の障害物があっても通信が可能であり、距離が一番稼げる周波数である。大量普及の最有力候補と目されている。 通信可能距離は2~3m程度、ベストケースでは5m程度が期待できる。

2.45GHz
電磁波としてはマイクロ波の帯域になる。 波長が短いため回り込みが起き難く、900MHz帯にくらべて距離が稼げない。 通信可能距離は2~3m程度である。 しかしアンテナが最も小型になることから、そのような要求の高いアプリケーションでは、普及するであろう。 日本でもRFIDとして使うことが、既に認可されている電波帯である。ISMバンド。


期待される用途
RFIDの技術を使うと、今まで考えられなかったようなことが可能になると期待されている。以下はその一部である。

流通
サプライチェーン・マネジメント (SCM:Supply Chain Management) で期待されている。工場で生産した段階で製品にタグを貼り付け、その後の配送ルートで物品の動きを追跡するという用途である。例えば、コンビニエンスストアでコーラが1本売れたら、コーラ工場での生産数を1本追加する、あるいは、今こちらの倉庫に在庫が多いからこっちから配送しよう、といった生産の合理化が図れる。これは現状でも、バーコードにより実現されているシステムであるが、RFIDの技術を使うことによりIDの読み取りが自動化され、人間がバーコードリーダを操作するという手間がなくなり、効率がさらに向上すると期待されている。
履歴管理
RFタグには書き込みが可能なので、物品の流通過程で、その物がどこを通って、どういう加工をされて、どこに出荷されたか、といった履歴情報を、移動、加工の都度、記録することが出来る。これにより、例えば牛肉の産地や生産者・賞味期限を記したり、狂牛病のBSE問題を管理したり、ブランド品の真贋判定をより確実にしたり、といった用途が考えられている。
物品管理
図書館やビデオライブラリーなど、物品が大量にあって、それを管理する必要がある場所での利用が期待されている。いつ、どこで、だれが、その物品をどこへ移動させたかを自動的に認識できるようになる可能性がある。図書館の貸出、返却を自動化したシステムは、一部でもう実用化されている。
プレゼンス管理
人が今どこに居るのかという情報を、プレゼンス情報と言い、今後のビジネスで重要視されている。人がRFタグを常時携帯することにより、今は会議室、今は本人の机、今は外出中、といった情報を、仕事仲間が瞬時に把握できるようになる。
センサーネットワーク
センサーを様々な場所に取り付けて、そこから包括的な全体情報を抽出して、意味のあるデータを得ようという試みが進行中である(データマイニング、コンテキストアウェアネスも参照)。例えば、タクシーのワイパーが動いていると反応するセンサーをたくさん集めると、都市内の詳細な降雨情報が得られる。

バーコードとの違い
RFタグは、既存のバーコードと対比して語られることが多い。一見何が違うのか分かりにくいが、以下の点に要約される。

読み取り範囲が広い
バーコードは、バーコードリーダが読める位置に、人が意図的に持ってこなければ読めないが、RFタグでは、読み取り範囲が広く、また読み取れる方向も自由度が大きいため、おおまかな位置決めで読むことが出来る。これにより人の作業が省力化される。
一度にたくさんのタグが読める
数十ミリ秒~数百ミリ秒でひとつのタグを読むことが出来る。また、多くのタグが密集して配置されていても、それぞれを見分ける技術(衝突回避)が開発されているため、RFタグが多少重なっていても、読み取りが可能である。これも人の作業の省力化につながる。
書き込みが可能
バーコードは印刷物なので変更できないが、RFタグは書き込みが可能なものがある。流通過程の履歴情報などを書き込むことで、新たな利用方法が期待されている。
見えなくても読める
RFタグが目に見えない隠れた位置にあっても、タグ表面がホコリ、泥などで汚れていても読み取り可能である。このため、バーコードよりも広い用途が期待される。

普及の課題
上記のような用途が本格化するのは、タグリーダのインフラが十分に整った後の話であり、 そこまで普及するためには、数々の問題を克服しなければならない。

タグの価格
流通用途に大量に使用するためには、タグの価格を低く抑える必要がある。10円以下という話がよく引き合いに出されるが、実際の運用では1円以下が望ましいともいわれる。
タグの付加
従来のバーコードと同じく、単品毎にタグを付加しなくてはいけない(単品毎にタグを付加するのではなく、コンテナ、パレット、或いはケース単位にタグを付加する場合もある)。メーカーで製造される時点で付加されるソースタギングまたは、自前で付加するインストアタギングの工程が必要となる。コストの低減を行うには自動化の実施は必然となり、それに対応する機械も開発、普及が望まれる。
データベースシステムとの連動
RFIDのシステムで誤解されやすいが、RFタグ自体に、例えば野菜の生産方法や農薬の使用状況などのさまざまな情報(トレーサビリティ情報)が保存されていることはほとんどなく、RFタグに記録されているのは概ね個体を識別する情報のみであることに注意する必要がある。前述のような、本来参照したい情報については、個々の識別情報に対応したデータベースを構築し、これを参照することで得られるものである。この点については、現在広く使用されているバーコードシステムと同じである。
今後、RFタグを利用して食品のトレーサビリティ情報を一般に公開していくとすれば、そのIDからひも付きデータを引っ張ってくるためのデータベースシステムが、今以上に重要になってくる。また、RFIDの情報と、データベース情報のひも付けについては全くユーザ側からは見えない部分であることから、その信憑性についてどのように保証するかという点も重要になる。
現状でも、大規模なデータベースを構築するには、多大な費用と労力を要するが、それ以上のものを低価格でいかに信頼性を高く作るかが、あまり注目されていない隠れた大きな課題である。
プライバシーの保護
最近ではRFタグに搭載される記憶素子の容量と機能(読み書きなど)は増加傾向にあり、トレーサビリティ情報が直接記載されるケースもあるため、それらを不正に組み込まれた場合は個人情報の漏洩にもつながる。
考え得るトラブル
タグが付いているのか判らない服を着て街をあるけば、その人がどんな素材で、どんな価格の物を購入したのかが周辺に判ってしまう。
SuicaやPASMOといったRFIDカードなどをポケットに入れていたりしている場合には、RFIDリーダーを持って近づけば個人情報を所有者に知られずに取得できるため、個人情報の入手がRFID普及前に比べて容易である。
所持品が紛失した場合は所在を調べるのに役立つが、個人が持ち歩けばその個人の行動経路も第三者に知られてしまう。
意図的に個人や物品にタグを付けて商業的なリサーチを行う場合、悪意を持ってそのタグを関係のない物に付けると精度の低いデータとなってしまう。
IDのみを記録したRFタグを利用する場合であっても、1は、IDと商品情報がリンクされているデータベースが漏洩すると起こりうる。2、3のトラブルは無条件で起こりうる。
このように、タグは用途が終われば取り外せる様に工夫したり、不必要な情報は記録しないなど、プライバシーを守る仕組みを検討すべきと指摘されている。例えば、大根に付けられたタグは、スーパーのレジで精算をすると同時に、その機能を消去するというような仕組みを入れることが検討されている。
電波の影響の考慮
無線ICタグは「短距離無線機器」と見なされており,一般無線機器と同様の規制を受ける。電波法に従うだけでなく、人体の防護、植込み型心臓ペースメーカを含む医用電子機器への影響、EMC(Electro Magnetic Compatibility:電磁両立性)規格などに注意しなければならない。

参考リンク
RFIDテクノロジ
Inaccuracy problems & RFID
「電子タグに関するプライバシー保護ガイドライン」の公表(総務省)

Edgar Mendoza Mancillas 4 ブログ
 
           by  Edgar Mendoza Mancillas


  
集団的知性
 
 

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都市や文明と言ったものも、多くの「個」により形成される集団的知性と言う見方が出来る集団的知性(Collective Intelligence、CI)とは、多くの個人の協力と競争から出現する知能、それ自体の精神が存在するかのように見える知性である。Peter Russell(1983年)、Tom Atlee(1993年)、Howard Bloom(1995年)、Francis Heylighen(1995年)、ダグラス・エンゲルバート、Cliff Joslyn、Ron Dembo、Gottfried Mayer-Kress(2003年)らが理論を構築した。

集団的知性は、細菌、動物、人間、コンピュータなど様々な集団の意思決定過程で現われる。集団的知性の研究は、社会学、計算機科学、集団行動の研究などに属する。集団行動の研究とは、クォークから細菌、植物、動物、人間社会などの各レベルの集団的振る舞いに関する研究を意味する。

Tom Atlee などは、Howard Bloom が「グループIQ」と呼んだものから一歩進んで人間の集団的知性に研究の焦点をあてている。Atlee は集団的知性を「集団思考や個人の認知バイアスに打ち勝って集団が協調しより高い知的能力を発揮するため」に推奨されるべきものと考えている。

CIのパイオニア George Pór は集団的知性現象を「協調と革新を通してより高次の複雑な思考、問題解決、統合を勝ち取る人類コミュニティの能力」と定義している[1]。Tom Atlee と George Pór は「集団的知性はまた注意をひとつに集中し、適切な行動を選択するための基準を形成する」と述べている。彼らのアプローチは Scientific Community Metaphor を起源としている。

一般的概念
Howard Bloom は、35億年前の祖先である細菌の時代から現代まで、生命体が進化させてきた集団的知性の経過を描いた[2]。

Tom Atlee と George Pór は一方では、グループ理論や人工知能が何がしかを達成したとしても、集団的知性は共有すべき自発性と分散知能のオープン性を基本として第一に「人間」の集団を対象にすべきであるとした。Atlee や Pór のように集団的知性の信奉者は、個人の能力を信用しつつ、それをまとめた以上のものが全体として発生すると考えている[要出典]。

Atlee と Pór の観点からすれば、集団的知性の力を最大限に発揮できるかどうかは、その組織が任意のメンバーからの潜在的に有益な示唆を「黄金の示唆」として受け入れる能力を持っているかどうかにかかっている。集団思考では、一部の個人の意見しか取り入れなかったり、黄金の示唆となるべき意見に十分耳を傾けないために、集団的知性としての能力発揮を妨げる。

様々な投票による知識の集積は、多くのユニークな観点を集める可能性を持っている。特に、予備知識のない投票はある程度無作為であり、事前の討議は合意を形成してしまって観点をフィルターにかけてしまうと考えられる。これに対する批判として、悪いアイデアや誤解が支持されるのを避けるには、決定過程でその問題の専門家の意見を重視しなければならなくなるとも言われている。

集団的知性の他の専門家は、Atlee や Pór とは違った見方をしている。Francis Heylighen、Valerie Turchin、Gottfried Mayer-Kress は集団的知性を計算機科学とサイバネティックスの方向から論じている。Howard Bloom は生物学的観点を強調し、地球上のあらゆる生物が「学習マシン」の一部であるとした。Peter Russell、Elisabet Sahtouris、Barbara Marx Hubbard ("conscious evolution" という用語の発明者)は、叡智圏(ノウアスフィア)のビジョン(すなわち、地上の情報層ともいうべき部分で急速に発展する集団的知性)に触発された。


歴史
集団的知性の概念を最初に提唱したのは昆虫学者 William Morton Wheeler である。彼は個体同士が密接に協力しあって全体としてひとつの生命体のように振舞う様子を観測した。1911年、Wheeler はこれを蟻の観察で発見した。彼はコロニーによって形成される生命体を「超個体」と呼んだ。

集団的知性の先行概念としては、ピエール・テイヤール・ド・シャルダンの「叡智圏(ノウアスフィア)」やH・G・ウェルズの「世界頭脳(world brain)」があるが、その後も Pierre Lévy の著作、Howard Bloom の Global Brain、Howard Rheingold の Smart Mobs、Robert David Steele Vivas の The New Craft of Intelligence などで言及されてきた。The New Craft of Intelligence では、全市民を「知性召集兵(intelligence minutemen)」として正当で倫理的な唯一の情報源とし、それによって公僕や企業経営者を正す「公的知性(public intelligence)」が生み出され、さらに「国家的知性(national intelligence)」となるとした。

1986年、Howard Bloom は、アポトーシス、コネクショニズム、集団選択、超個体といった概念を統合して集団的知性に関する理論を生み出した[3]。後に彼は細菌コロニーや人間の競争社会のような集団的知性をコンピュータ上に生成した「複合適応システム」と「遺伝的アルゴリズム」で説明できることを示した。[2]

David Skrbina [4] は、「集団心(group mind)」の概念はプラトンの汎心論(精神や意識は遍在し、あらゆるものに存在している)から導き出されるとした。彼は「集団心」の概念をホッブズのリヴァイアサンやフェヒナーの集団心理に関する主張に基づいて展開した。彼は集団心理に関して最も重要な人物としてデュルケームやテイヤールを挙げた。

集団的知性は創始者の指針の増幅である。トーマス・ジェファーソンは「国家の最大の防御は、教育された市民である」と述べている。工業化時代、学校と企業はエリートを一般市民から選別する方向に向かった。政府も民間組織も官僚制を美化し、知識を秘匿することを良しとした。最近の20年間で、知識の秘匿が公共の利益に反する利己的な決断を生むことが明らかとなってきた。集団的知性は人々の力を社会に復元し、富の集中を生む情報処理の既得権を無効にする。


集団的知性の種類
認識
市場での決断
政治や技術に関する未来予測
共同
トラスト・ネットワーク
P2Pビジネス
オープンソース・ソフトウェア
協調
集団協調行動
アドホックなコミュニティ

集団的知性の例
集団的知性の好例は政党である。政治的方針を形成するために多数の人々を集め、候補者を選別し、選挙活動に資金提供する。軍隊、労働組合、企業はより特定の目的に特化しているが、集団的知性の本質の一部を備えている。その根本とは、「法律」や「顧客」による制限がなくても任意の状況に適切に対応する能力を有することである。この観点の信奉者の1人としてアル・ゴアが挙げられる。彼は2000年の民主党の大統領候補であり、「米国憲法は、我々が個人ではできないことを集団でなさしめるプログラムである」と述べた。

緑の党の4つの柱(エコロジー、社会正義、草の根民主主義、非暴力)もそのような「プログラム」の例である。これは緑の党や関連する組織での合意形成の基本となっている。特にグローバルグリーンズを組織するにあたって、この4つの柱が有効に働いた。


数学的技法
特に人工知能方面で「集団的知能指数」(あるいは「協力指数」)が測定の尺度として使われる。これは個人の知能指数(IQ)のように測定でき、集団に新たに個人が参加することによって知性が増すことを数値で示し、集団思考や愚かさの危険を防ぐのに使われる。

2001年、ポーランド AGH 大学の Tadeusz (Ted) Szuba は集団的知性現象の形式モデルを提案した。それは、無意識的で、ランダムで、並行的で分散化された計算プロセスであり、社会構造によって数学的論理を実行するものである[5]。

このモデルでは、個人と情報は、数学的論理の式を運ぶ抽象情報モジュールとしてモデル化される。それらは、自らの意図と環境との相互作用に従って準無作為的に配置を変える。抽象計算空間でのそれらの相互作用はマルチスレッド化された推論プロセスを生成し、それが集団的知性として観測される。つまり、そこでは非チューリング的計算モデルが使われている。この理論では集団的知性に社会構造の属性としての単純な形式的定義を与え、細菌コロニーから人類の社会構造まで様々な面をうまく説明できる。集団的知性を特殊な計算プロセスと捉えることで、いくつかの社会現象も説明できる。この集団的知性のモデルでは、IQS(IQ Social)の形式的定義が提案され、「社会構造の推論活動を反映したN要素推論ドメインと時間の確率関数」と定義されている。IQSを計算で求めることは難しいが、上述の社会構造の計算プロセスとしてのモデル化によって近似値を得る可能性が出てくる。考えられる応用としては、企業のIQSを高めるための最適化や細菌コロニーの集団的知性による薬剤耐性の分析などがある[5]。


逆の観点
人工知能的なものに批判的な人々(特に人間を人間たらしめているのはその身体性であると信じている人々)は、集団が流体のように移動して被害を最小限にするよう行動する点を強調する。この考え方は反グローバリゼーションで顕著であり、学界とは一線を画している John Zerzan、Carol Moore、Starhawk らの業績などに端的に現われている。これらの理論家は、「知性」を存在するかどうかも疑わしい単なる「賢さ」であるとし、存在論的区別をする合意形成の役割やエコロジカルな集団的知恵を好む。

倫理的観点での人工知能を批評する人々は、集団的知恵を構築する手法を求めている。それを集団的知性のシステムと呼べるかどうかは未だ不明である。ビル・ジョイなどは自律的人工知能全般を排除したいと考え、集団的知性には人工知能を関わらせないようにしたいと考えているように見える。

最近の進展
インターネットとモバイル通信の成長により、"swarming" や "rendezvous" と呼ばれるオンデマンドのミーティングを可能とする技術が出現した。このような技術が集団的知性や政治に与える影響はまだ感じられないが、反グローバリゼーション運動は電子メールや携帯電話などに大きく依存している。理論家の中でも政治活動も行う Tom Atlee は、これらの事象と彼らを駆り立てる政治的問題の関係をうまく文書化している。Independent Media Centerはこれをもっと報道的立場で行っており、そこでは例えばウィキペディア上でおきている事象も扱っている。

それらのリソースは将来的には参加者だけに責任を持つ一種の集団的知性の中に組み込まれるだろう。ただし、歴代の貢献者たちによる道徳的あるいは言語的誘導があってのことであり、さもなくば共通目標の達成を早めるために政治結社的な形態をとることになるだろう。


関連項目
意思決定
協調フィルタリング
協調的知性
分散認知
群知能
グループウェアとウィキ
百匹目の猿現象
ミーム/ミーム学
オープンソース・インテリジェンス
オープンスペース技術
スマートモブ
超個体
創発

外部リンク
Managing Collective Intelligence, Toward a New Corporate Governance
MIT Center for Collective Intelligence
Blog of Collective Intelligence (George Pór)
How to reverse the brain drain into a fantastic brain gain for the developing countries by the use of the strategy of collective intelligence (Dr. Sarr)
StoryCode — 「群集の知恵」に基づく書籍推奨システム
TheTransitioner.org
Social Capital & Collective Intelligence Forum at openbc — George Pór, Carlos García Timón, Fernanda Ibarra, John Lindsay によるサイト
Cultivating Society's Civic Intelligence Doug Schuler. Journal of Society, Information and Communication, vol 4 No. 2.
Superorganism. Howard Bloom, The Lucifer Principle: A Scientific Expedition Into the Forces of History から抜粋
Principia Cybernetica



^ George Pór, Blog of Collective Intelligence
^ a b Howard Bloom, Global Brain: The Evolution of Mass Mind from the Big Bang to the 21st Century, 2000
^ Howard Bloom, The Lucifer Principle: A Scientific Expedition Into the Forces of History, 1995
^ Skrbina, D., 2001, Participation, Organization, and Mind: Toward a Participatory Worldview [[1]], ch. 8, Doctoral Thesis, Centre for Action Research in Professional Practice, School of Management, University of Bath: England
^ a b Szuba T., Computational Collective Intelligence, 420 pages, Wiley NY, 2001

  
ウィキ
 
 


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ウィキ (Wiki) あるいはウィキウィキ (WikiWiki) とは、ウェブブラウザを利用してWebサーバ上のハイパーテキスト文書を書き換えるシステムの一種である。このシステムに使われるソフトウェア自体や、このシステムを利用して作成された文書群自体を指してウィキと呼ぶこともある。 ウィキウィキはハワイ語で「速い」を意味し、ウィキのページの作成更新の迅速なことを表している。


ハワイ語の"Wiki Wiki"という表示。ここではホノルル国際空港のシャトルバスの名前。ウィクショナリーにウィキの項目があります。

用途
ウィキでは通常、誰でも、ネットワーク上のどこからでも、文書の書き換えができるようになっているので、共同作業で文書を作成するのに向いている。この特徴から、ウィキはコラボレーションツールやグループウェアであるとも評される。ソフトウェアとしては、初めに登場したプログラムに改良を加え、あるいはそれを参考にしたりして、現在では多くのウィキが出回っている。

また、WWWサーバを用いずにウィキを実現し、個人のメモなどとして手軽に利用できるようにしたシステムをローカルウィキという。その場合、ウェブブラウザではなく専用のアプリケーションを用いるのが普通。エンジンの構築が不要というメリットがあるが、アプリケーションごとにマークアップ構文が異なるというデメリットも合わせ持つ。


主な特徴
多くのウィキに共通する特徴を、以下に掲げる。

ネットワーク上のどこからでも、いつでも、誰でも、文書を書き換えて保存することができる。
文書の書き換えに最低限必要なツールはウェブブラウザのみである。
ウィキ特有の文書マークアップはHTMLなどと比べて簡潔なので覚えやすい。
同じウィキ内の文書間にリンクが張りやすくなっており、個々の文書が高度に連携した文書群を作成しやすい。
大抵は、変更の事前許可を必要とせず、ウィキのあるサーバに接続できる人に開かれている。実際、ユーザアカウントの登録を必要としていないところも多い。

ウィキの文書マークアップ構文
軽量マークアップ言語も参照

多くのウィキはそれぞれ独自のマークアップ構文を策定していて、ウィキが扱う文書はその構文に従って記述され、そのまま文書ファイルとして保存される。そして文書が閲覧されるときには、文書内に記述されたマークアップはウィキプログラムによって適切なHTML形式に変換されて、ウェブブラウザはその変換されたHTML文書を表示することになる。


マークアップ構文とHTMLへの変換例
保存されるウィキ構文

'''ウィキ''' ('''Wiki''') あるいは'''ウィキウィキ''' ('''WikiWiki''') とは、
[[ウェブブラウザ]]を利用してWWWサーバ上の[[ハイパーテキスト]]文書を
書き換えるシステムの一種である。
変換されて送り出されるHTML

ウィキ (Wiki)
あるいはウィキウィキ (WikiWiki) とは、
ウェブブラウザ
を利用してWWWサーバ上の
ハイパーテキスト
文書を書き換えるシステムの一種である。


ウェブブラウザによる表示例
ウィキ (Wiki) あるいはウィキウィキ (WikiWiki) とは、
ウェブブラウザを利用してWWWサーバ上のハイパーテキスト文書を
書き換えるシステムの一種である。
上の例では、HTMLでは タグを使って強調するところを、ウィキ構文では '''~''' を使っていたり、ウィキ構文の二重スクエア・ブラケットで単に [[ウェブブラウザ]] と書いたところが、同じウィキ内の別の文書へのリンクに変換されているのが見て取れる。

HTML自体は高機能で、豊富な種類の要素を複雑に入れ子にしたり、見栄えを調整するスタイルシートなどを埋め込んだりすることもできる。一般的なウィキにおいては、むしろこれらの機能を制限することによって、文書の作成・編集を容易にするとともに、個々のユーザーがスタイルを埋め込んでしまい全体としての一貫性が崩れるという危険性を回避している。また同時に、文書の見栄えではなく肝心の内容のほうへユーザーの注意を集中させるという効果も狙っている。

それでも、最近のウィキエンジンでは記事の編集にActiveXコントロールやAjaxなどで作られたWYSIWYGエディタを内蔵しているものもある。これにより、クライアントサイドでの編集を容易にすることができる。ブラウザ外部のフロントエンドツールを用いて編集を簡素化するツールも存在する。

ウィキのマークアップ構文は使用するウィキエンジンごとに様々である。簡単なウィキでは基本的なテキストのフォーマットのみが用意され、もっと複雑なウィキでは、表、画像、テンプレートによる定型文など、さらには投票やゲームまで実現するものもある。ただ、あまりに多様なので、標準化しようという動きがある。


リンクとページ作成
ウィキは真のハイパーテキストメディアで、その読者を関係するページへと容易にナビゲーションをする構造を持つ。各ページは通常、他のページへの多数のリンクを含んでいる。より大きなウィキには、階層的なナビゲーションページがしばしば存在するが、必ずしも使われる必要はない。リンクは特定の構文、いわゆるリンクパターンを用いて作られる。

当初はほとんどのウィキがキャメルケースと呼ばれるリンクパターンを用いていた。キャメルケースはフレーズ内の単語の頭文字を大文字にし、それらの間のスペースを除いて生成される(キャメルケース ("CamelCase") という単語自体がキャメルケースの例である)キャメルケースによりリンクが非常に容易になったが、それはまた標準的な綴りとかけ離れた形のリンクが書かれる結果を招いた。キャメルケースベースのWikiは "TableOfContents" や "BeginnerQuestions" などの名前のリンクが多いことで即座にそれとわかる。

キャメルケースはさまざまな欠点をもっていたため、ウィキペディアではフリーリンクと呼ばれる、[[二重スクウェア・ブラケット]] で囲ってその代わりとした。このようなキャメルケースを使わないリンク方法はウィキの開発者に代替の解決策を探すよう促した。様々なウィキエンジンは []、{}、_ または / 他の文字をリンクパターンとして用いている。異なったウィキコミュニティ間のリンクはInterWikiと呼ばれる特別なリンク方法を用いることで実現が可能となる。

ウィキで新しいページを作るには、厳密には他のページからリンクされることによって作られなければならない。リンクはトピックと関係のあるページ上に作成される。もしそのリンクが存在しないならば、それは何らかの方法で「壊れた」リンクとして強調される。そのリンクをたどると新規ページを編集する画面が開き、ユーザはその新しいページにテキストを入力することができる。この仕組みによって「孤立したページ」(全くリンクされていない)が作られる割合は格段に落ち、高い関連性を持ったページ群が保持されることとなる。

また、ある一定のサイズより少ない量しか内容のない記事(スタブと呼ばれる)や、ある記事にリンクする全てのページを表示するようにすることも出来る。


変更の管理
一般にウィキは「間違いをおかしにくくするのではなく間違いを直しやすくする」という哲学に従っている。そのため、ウィキは非常にオープンである一方で、ページの内容に関する最近の変更の妥当性を検証するための手段を備えている。

殆どすべてのウィキにある最も優れた機能は、いわゆる「最近更新したページ」である。これは最近の編集に番号を付けた詳細なリストか、あるいは決まった期間に行われた全ての編集のリストである。いくつかのウィキでは、些細な編集や自動インポートスクリプト (bots) による編集を、フィルタして表示しないようにすることも可能である。

大半のウィキでは、更新のログから二つの機能を利用することができる。一つは「改訂履歴」で、そのページの以前の版を見ることができる。もう一つは「差分」機能で、二つの版の差異を強調表示できるものである。改訂履歴を使うと、以前の版を開いたり保存することができて、それによって、変更される前の内容へと復元することも可能である。差分機能は、ウィキの利用者が最近の更新ページにリストされた差分を見て、許容できない編集だった場合、それを昔のものに戻す必要があるか判断するのに使うことが出来る。この手順は、使っているウィキエンジンにも依るが、多かれ少なかれ自動化されている。改版履歴を保存し、過去の任意の版へ戻すrevert機能を提供するウィキエンジンも多い。


差分のレポートでは2つの版の違いをハイライトする。もし許容できない他人の編集が最近の更新のページから消えてしまっても、それをさらに追いかける機能を持っているウィキ・ソフトウェアもある。ウィキペディアで使われているMediaWikiははじめて「気になる記事(Watchlist)」を備えたウィキで、自分が選択したページの最近の更新を見ることが出来る。


ユーザ管理
多くのウィキはユーザ登録を義務化することは避けているが、事実上すべての大きなウィキエンジンは、コミュニティのルールを常習的にやぶるユーザを制限するためのいくつかの方法を備えている。その最も一般的な方法は、ある特定のユーザの編集を禁止することである。これは特定のIPアドレスからのアクセスを禁止することで果たされる。しかしながら、多くのインターネットサービスプロバイダは、接続のたびに新たなIPアドレスを割り振るので、IPアドレスを用いたアクセス制限は比較的簡単にすり抜けられてしまう。また、無関係なユーザのアクセスを制限する結果になってしまうこともある。

小さなウィキでは、常習の破壊者への共通の防御手段は、単に彼らにページを好きなだけ壊させて、破壊者が去った後にそのページをすぐに復旧することである。この戦術は、大きなコミュニティの状況ではしばしば受け入れられないと考えられる。もっと抜本的で素早いアクションが好まれるからである。変動IPアドレスの問題を処理するためには、時限式の編集禁止措置が行われ、特定の範囲のすべてのIPアドレスの禁止へと拡げられる場合もある。これが抑止力として十分である場合が多いという考えを背景としており、これにより破壊者がある期間内に編集が出来なくすることが可能となる。

緊急処置として、いくつかのウィキはデータベースを読み出ししかできないモードに切り替えることが出来る。あるいは、期日までに登録されたユーザだけに編集を続けさせるようにすることが出来る。しかし一般的に言えば、破壊者によるどんな損傷でもかなり早く復旧することが可能である。それよりも問題なのは、微妙な誤りがページの中に紛れ込み、他の人が気付かなくなっていくことである。

多くのウィキではある特定のページへの一切の編集を凍結することができる機能を備えている。ほとんどのウィキにおいて、この機能が使われるのは極端な場合に限られ、滅多に使われることはない。最近では、ウィキに宣伝行為を行う「ウィキスパム」が横行し、連結されていないページなどへの投稿が多くなってきている。ウィキペディアの場合、ページの「保護」と呼ばれ、保護されたページは保護を行使したり解除したりできる管理者権限を持つ人しか編集できない。これを使うことは一般にウィキの基本哲学に反すると考えられるので、可能な限り避けるべきであるとされている。


検索
たいていのウィキは、全文検索はなくても、少なくとも記事名の検索を提供している。検索の拡張性は、ウィキエンジンがデータベースを使っているか否かに強く依存する。データベースの索引呼び出し機能は大きなウィキでの高速検索に必須である。ウィキペディアでは、いわゆる表示ボタンで読者が検索条件を入力して、それにできるだけ合致するページを直接見られるようになっている。いくつかのウィキを同時に検索するためには、メタウィキ検索エンジンが作られた。


ソフトウェアとしてのウィキ
詳細はウィキソフトウェアを参照

ウィキとして稼動するプログラムはウィキエンジンあるいはウィキクローンなどと呼ばれる。「ウィキクローン」という呼び名は、現在出回っている多くのウィキが、初めに登場した一つのプログラムに改良を加えたり参考にしたりして派生してきた経緯を表している。

ウィキのコンセプトは比較的シンプルであるため、現在では様々なウィキプログラムが作成されていて、中には、非常に単純な機能しかサポートしないとても小さなハッカー的実装から、高度に洗練されたコンテンツ管理システムまで、たくさんの実装が存在する。ウィキプログラムの多くはオープンソースのソフトウェアであり、TWikiやウィキペディアのような大きなプロジェクトは共同で開発されてきた。多くのウィキは高度にモジュール化されており、プログラマがコード全体を把握しなくても新しい機能を追加開発しやすいように、APIを備えている。

どのウィキが一番人気であるかを判断するのは難しいが、あえて挙げれば、すぐ使うことが出来る、UseModウィキ、TWiki、MoinMoin、PukiWikiや、ウィキペディアで利用しているMediaWikiなどであろう。


歴史
ウィキのソフトウェアは、デザインパターンの共同体で、パターン言語を書くために創られた。1995年にワード・カニンガムが確立したPortland Pattern Repositoryが初のウィキだった。カニンガムは、ウィキの概念を発明し名付け、ウィキエンジンの初の実装を製作した。元々のウィキだけが、ウィキ(先頭が大文字のWiki)あるいはウィキウィキウェブと呼ばれるべきだと主張する人もいる。カニンガムのウィキ(Wards Wiki)はいまだに、最も人気のあるウィキサイトの一つである。

20世紀の最後の数年に、ウィキは非公開・公開のナレッジベース(知識の基地)を開発するのに有望な技術であるということが、ますます認知されるようになった。そしてこの潜在能力は、 Nupedia という百科事典プロジェクトの開祖ジンボ・ウェールズとラリー・サンガーに、ウィキ技術を電子百科事典の基礎に使おうというひらめきを与えた。こうしてウィキペディアは、2001年の1月に始まった。初めはそれはUseModソフトウェアを基にしていたが、後にいくつかの他のウィキから取り込まれた独自のオープンソースのコード基盤に切り替えられた。

今日においては、一番項目の多いウィキは英語のウィキペディアだろう。非英語のウィキペディアも世界でも比較的に大きい。が、二番目に大きいウィキはUseModというソフトを使うスウェーデン語のen:Susning.nuである。ウィキペディアの急成長は何でも記事にするというポリシーに基づくだろう。このポリシーと反対に、大半のウィキの内容は専門的である。ウィキペディアの急成長のもう一つの原因として、キャメルケースを使わないこともあげられるだろう。


代表的なウィキの種類
◎:全体に日本語使用可 ○:本文に日本語使用可 △:日本語の使用不可


独自系統
名称 開発言語 開発国 日本語対応 特徴/備考
JAMWiki Java アメリカ ◎ MediaWikiから触発されて開発された。Ajaxによるユーザインタフェースも使用。
XWiki Java アメリカ ○ Velocity、Groovy、Tomcat、HSQLDB、XML-RPC、ポートレット、RSS、PDFに対応。
WikiWikiWeb Perl アメリカ 不明 オリジナル
FreeStyleWiki Perl 日本 ◎
SevenWiki(7Wiki) Perl 日本 ○ ソースが7行
YukiWikiMini Perl 日本 ○ Wikiの研究用
ソースが約100行
開発者は同じだがYukiWikiとは別実装
TWiki Perl - ○ Javapedia
TikiWiki Perl - ◎
KinoWiki PHP 日本 ◎
MediaWiki PHP アメリカ ◎ ウィキペディアなど
PhpWiki PHP - ○
DokuWiki PHP ドイツ ○
RWiki Ruby 日本 ◎
VikiWiki Ruby 日本 ◎
Hiki Ruby 日本 ◎
MoinMoinWiki Python - ◎


TiddlyWiki系統
名称 開発言語 開発国 日本語対応 特徴/備考
TiddlyWiki JavaScript - ◎
PhpTiddlyWiki JavaScript + PHP - ◎
KamiWiki JavaScript + PHP - ◎


YukiWiki系統
名称 開発言語 開発国 日本語対応 特徴/備考
YukiWiki Perl 日本 ◎
PukiWiki PHP 日本 ◎
PyukiWiki Perl 日本 ◎ PukiWikiをPerlに再移植
PassWiki PHP 日本 ◎


ウィキバスツアー
色々なウィキサイトへ連れて行ってくれる仮想的な"バスツアー"というものがある。単にそれは、参加する各々のウィキ上の「ツアーバス停」と呼ばれるページである。それは次のバス停へのリンク--基本的には、ウェブリングというようなものを持っている。各々のバス停ページは、そのウィキに関するいくらかの情報を示していて、どのウィキを探検するかを選ぶことができる(つまりバスを降りる)。あるいは、次のウィキへのツアーを続けても良い。(訳注:日本語版にはまだない。)


ウィキ・コミュニティ
Biggest wikis
WorldWideWiki: SwitchWiki - Most complete index
en:Asian Open Source Centre
en:CapitanCook - travel information
en:Cunnan - medieval recreation and the en:Society for Creative Anachronism
en:DarwinWiki - en:Darwinism
en:Disinfopedia - about en:propaganda
en:EvoWiki [1] - en:Evolution
en:Green Light Wiki
en:Grubstreet [2] - the Open Community Guide to London
en:infoAnarchy wiki - en:intellectual property, en:anarchism, en:politics
Javapedia - Javaに関する情報を集める百科事典
en:MeatballWiki - en:online communities
en:OpenFacts
en:Personal Telco
en:This Might Be A Wiki - band en:They Might Be Giants
ウィキペディア - このオンライン百科事典のこと
ウィキクォート - 引用集
ウィキトラベル - 旅行、観光ガイド
ウィクショナリー - 辞典
ウィキブックス - 教科書
Ypsilanti Eyeball - en:Ypsilanti, Michigan's own user maintained wiki

サービス提供型コミュニティ

日本向け
@Wiki (独自エンジン、PukiWikiと似ている)
MyWiki (独自エンジン)
WIKIWIKI.jp (PukiWiki Plus!)
Gamedb (PukiWiki/PukiWiki Plus!)
WikiHouse/WikiRoom (PukiWiki)
SukiWikiWeb (独自エンジン)
wikifarm (Hiki)
WikiFarm/S.P.C. (Hiki)
livedoor Wiki (独自エンジン)

その他
ウィキア(MediaWiki)

関連文献
ボウ ルーフ(Bo Leuf)、ウォード カニンガム(Ward Cunningham)著、 yomoyomo 翻訳、Wiki Way-コラボレーションツールWiki(ISBN 4797318325)

Wiki-like systems
EditMe
en:Everything2
en:Halfbakery
en:Eksi Sozluk (Turkish)
en:SnipSnap

外部リンク
日本語サイト
日本発の wiki クローンリスト
日本発の wiki クローンリスト
日本発の wiki クローンリスト2
Wikiの比較
他のWikiとの比較 - ドキュメント
無料Wikiサービス比較表
その他Wiki情報サイト
WikiFan
オープンソースでIT戦略 MOONGIFT
外国語サイト
WikiIndex 公開されているWikiのindex、日本語を含む非英語サイトも掲載。
"Tour bus stop" at MeatballWiki
WikiWikiWeb (the first wiki)
MeatBall:WikiCommunityList
MeatBall:BiggestWiki


  
ハイパーテキスト
 
 


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Hypertext Editing System (HES) IBM 2250 ディスプレイ・コンソール – ブラウン大学、1969年ハイパーテキスト (hypertext) とは、複数の文書(テキスト)を相互に関連付け、結び付ける仕組みである。「テキストを超える」という意味から"hyper-"(~を超えた) "text"(文書)と名付けられた。テキスト間を結びつける参照のことをハイパーリンクと言う。ハイパーテキストは文書を表示するユーザインタフェースの一種であり、従来の文書作成方法の持つ、要素を組織化することについての限界(特にその線形性)を克服しようとするものである。

ハイパーテキストによる文書は静的(前もって準備され格納されている)または動的(ユーザの入力に応じて)に生成される。よって、うまく作られたハイパーテキストシステムは、メニューやコマンドラインなどの、他のユーザインタフェースパラダイムの能力を包含しており、それらを置き換えることができる。クロスリファレンスを含む静的な文書群と、対話的なアプリケーションの両方を実現するのに使える。文書やアプリケーションはローカルでもインターネットのようなコンピュータネットワーク環境でも利用できる。最も有名なハイパーテキストの実装はWorld Wide Webである。

ハイパーテキストという語は広く使われているが、実際にはハイパーメディアと呼んだほうが適切な場合も多い。

前史
ハイパーテキストの前兆は、様々な種類のリファレンス(辞書や百科事典)で使われる単純なテクニックに見られる。用語に添えられた小さな文字でその用語についての(同じリファレンス内の)記事や項目を示すものである。用語の前に指差しの絵記号が ☞このように、または矢印が ➧このように 来ることもある。そのような手動のクロスリファレンスのほかにも、文書に注釈を組み込む様々な実験的手法があった。その最も有名な例はタルムードである。

ハイパーテキストの核心は、情報オーバーロード問題の扱いである。以下に述べる人物は皆、情報の中に人間性が埋もれてしまっているという認識を強く持っていた。意思決定者は誤った判断を繰り返し、科学者たちは研究を重複させることが、あまりにも多い。メンデルの研究の再発見がその例である。

20世紀の初め、先見の明のある2人の人物がクロスリファレンスの問題に挑み、労働集約的な力任せの方法に基づく提案をした。ポール・オトレは、すべての文書はインデックスカードに記録された固有の語句に分解できるはずだという "Monographic Principle" に基づく、ハイパーテキストの元ともいえるコンセプトを提案した。1930年代、H・G・ウェルズは書籍という線形な型には収まらない情報を蓄積するWorld Brainの創設を提案した。しかしながらコストの理由から、どちらの提案も成功することはなかった。


Memex
詳細はMemexを参照

したがって、ハイパーテキストの真の歴史が始まったのは1945年ということになる。この年、ヴァネヴァー・ブッシュが The Atlantic Monthly誌に As We May Think(『人の思考のように』)という論文を書き、彼がMemexと呼んだ未来のデバイスについて述べた。Memexは機械的な机で、マイクロフィルムの拡張可能なアーカイブと接続されており、図書館から本や書き物などのどんな種類の文書でも表示することができ、さらにあるページから参照されているページへと参照を辿っていくことができる。彼の言う「全く新しい形の百科事典; Wholly new forms of encyclopedia」は今日のコンピュータ、インターネットを予見したものだといえる。

ほとんどの専門家はMemexを真のハイパーテキストシステムだとは考えていない。しかし、ハイパーテキストの歴史はMemexから始まった。なぜなら、As We May Think は一般にハイパーテキストの発明者と称される2人のアメリカ人に直接の影響と着想を与えたからである。それはテッド・ネルソンとダグラス・エンゲルバートである。


初期
ネルソンは「ハイパーテキスト」と「ハイパーメディア」という語を1965年に作り、ブラウン大学の Andries van Dam の指導の下で1968年にHypertext Editing Systemを開発した。

エンゲルバートは1962年にスタンフォード研究所でNLSシステムの開発を始めた。しかし、資金や人材、設備の確保の遅れのため、その核となる機能が完成したのは1968年のことだった。その年、エンゲルバートはハイパーテキストインタフェース(と初の実用的なGUI)のデモを公衆の前で初めておこなった。このデモはその革新性から "The Mother of All Demos"(「すべてのデモの母」)と呼ばれる。

NLSへの財政的支援が鈍った1974年以降、ハイパーテキスト研究の進歩はほとんど停止した。この期間、カーネギーメロン大学でZOGが人工知能の研究プロジェクトとしてアレン・ニューウェルの指導の下、開始した。プロジェクトの参加者たちがそれをハイパーテキストシステムであると気づいたのは、かなり後になってからであった。ZOGは1980年にCVN-70に配備され、後にナレッジマネジメントシステムとして商業化された。

様々なアプリケーション
1977年には初のハイパーメディアアプリケーションであるアスペン・ムービー・マップが登場した。

1980年代の初め、多くの実験的なハイパーテキストおよびハイパーメディアプログラムが現れ、それらの機能や概念の多くは後にウェブに取り込まれた。Guideはパーソナルコンピュータ用の初のハイパーテキストシステムであった。元々はUNIX向けに開発され、後にMS-DOSに移植された。

1987年8月、アップルコンピュータはボストンで催されたMacworld Conference & Expoで同社のMacintosh用に開発されたHyperCardを披露した。HyperCardはすぐにヒットし、ハイパーテキストの概念を公衆に広めるのに一役買った。またこの年には初めてのハイパーテキストに特化した学術会議がノースカロライナ州チャペルヒルで開催された。

その間、ネルソンは20年間以上に渡って彼のザナドゥシステムについて働き続け、それを擁護していた。HyperCardの商業的な成功を受け、オートデスク社は彼の革新的なアイデアに投資することを決断した。プロジェクトはオートデスク社で4年間続いたが、製品が発売されることはなかった。

World Wide Web
詳細はWorld Wide Webを参照

1980年、ティム・バーナーズ=リーはENQUIREを開発した。ENQUIREは初期のハイパーテキストデータベースシステムで、いくぶんかウィキに似たものだった。1980年代の終わり、当時CERNに所属していたバーナーズ=リーは、世界中に分散する別々の大学や研究所で働いている研究者たちが自動的に情報を共有する、という要求に対してWorld Wide Webを開発した。

1993年の初め、イリノイ大学のNCSAがMosaicの最初のバージョンをリリースした。それ以前のウェブブラウザは、NeXTSTEP上でしか動作しないものと最小のユーザビリティしか持たないものの2つしかなかった。Mosaicは研究者たちの間で人気のあるX Window System上で動作し、ウィンドウベースの対話性を備えていた。Mosaicはハイパーリンクをテキストだけでなく画像からも張ることができ[1]、Gopherなどの他のプロトコルも内蔵していた[2]。ウェブトラフィックは爆発的に増加し、1993年には500のウェブサーバしか知られていなかったのが、PCとMacintosh用のブラウザがリリースされた後の1994年には10,000以上にまでなった。

World Wide Webはそれ以前のハイパーテキストシステムを霞ませるほどの成功を収めたが、それらのシステムが持っていた多くの機能を欠いている。例えば、型付きリンク、トランスクルージョン、ソーストラッキングなどである。


実装
前述したもの以外にも、取り上げる価値のあるハイパーテキスト実装がいくつかある。

FRESSは、1970年代の、マルチユーザー対応のHypertext Editing System後継製品
Information Presentation Facilityは、IBMのオペレーティングシステムのヘルプを表示するのに使われた。
Intermediaは、1980年代半ばの、グループウェブオーサリングおよび共有システム
Microsoft Wordは、ページからコンピュータドキュメントへと志向が変わっていった。
アドビのPortable Document Formatにもリンク機能がある。
Texinfoは、GNUのヘルプシステム
FM TOWNSのTownsGEAR
BTRONもハイパーテキストシステムを持つ。
各種ウィキ実装(MediaWikiなど)は多くのウェブブラウザに欠けている組み込みエディタを補っている。
MicrosoftのWinHelp、後にHTMLヘルプに置き換えられた。
XLinkつきのXML

学術会議
ハイパーテキストに関する学術会議の有名なものとして、毎年開催されている "ACM Conference on Hypertext and Hypermedia" (HT 2006) がある。

また、ハイパーテキストに限ったものではないが、IW3C2がホストする一連のカンファレンスではハイパーテキストに関連する多くの発表がある。


関連項目
マークアップ言語
オンライン小説
マルチメディア

参考資料
Bolter, Jay David (2001). Writing Space: Computers, Hypertext, and the Remediation of Print. New Jersey: Lawrence Erlbaum Associates. ISBN 0-8058-2919-9.
Byers, T. J. (April 1987). “Built by association”. PC World 5: 244-251.
Cicconi, Sergio (1999). “"Hypertextuality"”. Mediapolis. Ed. Sam Inkinen. Berlino & New York: De Gruyter.: 21-43.
Crane, Gregory (1988). “Extending the boundaries of instruction and research”. T.H.E. Journal (Technological Horizons in Education) (Macintosh Special Issue): 51-54.
Engelbart, Douglas C. (1962). “Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework, AFOSR-3233 Summary Report, SRI Project No. 3579”.
Heim, Michael (1987). Electric Language: A Philosophical Study of Word Processing. New Haven: Yale University Press. ISBN 0-300-07746-7.
Landow, George (2006). Hypertext 3.0 Critical Theory and New Media in an Era of Globalization: Critical Theory and New Media in a Global Era (Parallax, Re-Visions of Culture and Society). Baltimore: The Johns Hopkins University Press. ISBN 0-8018-8257-5.
Yankelovich, Nicole, Landow, George P., and Cody, David (1987). “Creating hypermedia materials for English literature students”. SIGCUE Outlook 20 (3): All.
Nelson, Theodor H. (September 1965). “Complex information processing: a file structure for the complex, the changing and the indeterminate”. ACM/CSC-ER Proceedings of the 1965 20th national conference.
Nelson, Theodor H. (September 1970). “No More Teachers’ Dirty Looks”. Computer Decisions.
Nelson, Theodor H. (1973). “A Conceptual framework for man-machine everything”. AFIPS Conference Proceedings VOL. 42, M22-M23.
van Dam, Andries (July 1988). “Hypertext: '87 keynote address”. Communications of the ACM 31: 887-895.
Rayward, W. Boyd (1994). “Visions of Xanadu: Paul Otlet (1868-1944) and Hypertext”. JASIS 45: 235-250.
Rayward, W. Boyd (1995 May). “H.G. Wells’s Idea of a World Brain: A Critical Re-Assessment”. Journal of the American Society for Information Science 50: 557-579.

外部リンク
SELFHTML 日本語版:はじめに/ハイパーテキスト
From Work to Hypertext : Hypertext (英語)
HyperTextの歴史 (日本語)

















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テーマ : 文明・文化&思想 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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