† ロココ論 †

ディテールで読み解くソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』の魅力

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《VOGUE》『マリー・アントワネット』特集号より


 ロココ芸術の資料としても第一級の価値を持っているソフィア・コッポラ(Sofia Coppola, 1971年5月14日 - )の代表作の一つ『マリー・アントワネット』(Marie-Antoinette/2006)のディテールを読み取ってみよう。まず、冒頭は黒地にピンクの文字でクレジットが流れる。ポップな音楽が流れているが、これはアントワネットを「現代のセレブリティ」として再表象しようと企図する監督の戦略の一つである。
 物語が始まると、彼女は淡い灰色がかった水色のドレスを纏って登場する。連れているミニチュアのブルドックはモップスという名前である。ここはオーストリアからフランス入りする有名な場面であるが、背景は秋のどこか寂れた森であり、アントワネットの心象風景が象徴化されている。ルイ16世と初めて顔を合わせる時のドレスは、控えめな水色のローブ・ア・ラ・フランセーズだ。ロココ様式のインテリアにも特徴的なペールピンク、ペールブルーと同じく、彼女は帽子からドレスまで全てペールブルーで統一している。胸飾りには白いリボンを付け、清楚な印象を感じさせる。将来の夫の前で初めて挨拶を交わす時、アントワネットは左手を胸の上に添えて、ゆっくりと微笑みながら御辞儀している。この優雅で洗練された貴族的作法は観る者に高貴な印象を与える。
 婚礼の際は、アントワネットのヘアスタイルが特徴的である。頭の後ろをファンタン=ラトゥールの花弁が入り組んだ薔薇の如き印象を与える巻き方をして登場する。ルイ16世もアントワネットも、共に純白の衣裳に身を包み、参列した貴族たちも純白、アイボリー、あるいは銀で統一される。二人とも静かに、ゆっくりと落ち着いて歩く姿が王族特有の自然な身振りを感じさせる。婚姻の祝福のダンスは、ヴィスコンティの助監督でもあったゼフィレッリの『ロミオとジュリエット』でも登場したルネサンス時代の古い踊りを髣髴とさせる。ヴェルサイユ宮殿に初めて入った際は、監督は「アントワネットの視点」から内部のインテリアのディテールを丁寧に映し出している。この時代の空間への観察眼は、ヴィスコンティの全篇の三分の一が「舞踏会」を占める代表作『山猫』に匹敵するほどの資料的価値があるだろう。二人の寝室は、王族のための広いベッドに花柄の美しい天蓋が薄くかけられている。ベッドの枕元から、おそらくこの薄幕を通して天井の美しいシャンデリアの構造が覗けるだろう。
 「ケーキのように可愛い」と愛されるプリンセス、しかし侍女たちは毎朝彼女を丸裸にする――これはドイツの社会学者ノルベルト・エリアスが『宮廷社会』で分析した「朝の儀」の記述に忠実である。王族の身支度一つ一つがプロセス化され、その工程全てにそれぞれの「名誉ある職種」が随伴する。アントワネットの喉を潤す飲み物を継ぐ係、小さな爪を切る係、ドレスの下のパミエを準備する係――彼女たちは全員誇りと名誉に与る宮廷の女性たちなのだ。ソフィア・コッポラは間違いなくディテールを映し出す魔力に捕われているが、キルスティン・ダンストという女優の性向も鑑みた上でなのか、アントワネットに「馬鹿みたい」という台詞を与えている。これは監督のロココ的な建築、小物への細密な拘りとは一見相反するような孤立した台詞である。
 アントワネットと対照的に描かれるのが、ルイ15世の愛人であり庶民階級出身のデュ・バリー夫人である。アントワネットはどうしても彼女の宮廷での地位を容認することができない。宮廷社会が「地位」によってその人間の「価値」を判別するという原理を、無論アントワネットも性向として身体化しているわけであるが、デュ・バリー夫人はいわば王の寵愛を失えば単なるスノッブな娼婦に過ぎなくなるという自身のハビトゥスを理解していない。アントワネットはこうした身分の低い女性が正統的な宮廷社会にも色仕掛けで参加できるという「男の論理」の理解に苦しんでもいるのであろう。アントワネットには、現代を生きる我々にも共通する様々な悩みがある。先述したように宮廷での「人間関係」もその一つだが、もう一つは同盟関係の良好な維持という目的のために、あまり好きになれないルイ16世の赤子を生まなければならないというのは身体的にも多大なストレスだったはずだ。
 バロック、ロココ時代の貴族階級の趣味と言えば、ヨーロッパの18世紀の優れた研究者でありロココ論の大家でもあるジャン・スタロバンスキーが述べたように、「オペラ」「色恋」以外にはない。ソフィア・コッポラもまた、この時代の貴族女性たちの台詞の過半数を「色恋」にまつわる談笑に割いている。アントワネットもパリでオペラを観るのが好きで、映画では彼女が最初に拍手をして劇場が続く喝采に包まれる場面が登場する。この時のルイ16世とアントワネットは案外仲の良い夫婦になるのではないかという期待を感じさせるほどの演出だ。オペラ劇場での拍手喝采は、本作において国民の宮廷への不信感を表示する指標にもなっており、アントワネットが来るべきフランス革命の気運により高まった民衆の怒りを買うようになり始めると、誰一人として拍手を続ける者はいなくなるのだ。

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《VOGUE》『マリー・アントワネット』特集号より――ロココ時代の王侯貴族のファッション

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《VOGUE》『マリー・アントワネット』特集号
 
 映画ではロココ時代の「御菓子」、「娯楽」、「ファッション」がさながらロココ文化の視覚的シャワーのように視聴者の眼に注ぎ込まれる。それらは並列的に、どこかスクラップとして映し出されている。アントワネット専属の髪結師レオナールも登場するが、この俳優がルイ16世の俳優とあまりにもよく容貌が似ているため、まるでルイ16世が突然何かに目覚めたかのような錯覚を与えられる。レオナールは中性的な雰囲気を感じさせる、ファッションデザイナー特有の雰囲気を放っている人物で、宮廷社会の貴婦人たちから人気があった様子がよく伝わって来る。
 ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵(Hans Axel von Fersen/1755年9月4日 - 1810年6月20日)と出会うのは仮面舞踏会である。ここでは当時には流れていなかったポップな音楽が流れており、ソフィア・コッポラが現代的にアダプテーションしている演出であることが判る。ジェイミー・ドーナン演じるフェルゼン伯爵は口数が少ないものの、誘惑的な調子を濃密に帯びているところが魅力的である。

フェルゼン
ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵

Hans Axel von Fersen
仮面舞踏会で初めて出会うマリー・アントワネットとフェルゼン伯爵

 やがてルイ15世が崩御し、ルイ16世が戴冠する。夜通し開かれるパーティーにはシノワズリの影響を感じさせる中国からの使者も登場する。アントワネットの兄に当たるヨーゼフ2世が面会しに来る場面では、湯を入れるとお茶の葉が美しく広がる中国の皇帝からの贈り物が差し出されるなど、当時のロココ文化が交易によりアジアからも大きな影響を受けていたことを感じさせる。兄の心配は、妹がなかなか子供を生んでくれないということについての王への助言だった。こうした周囲の圧力に応える形で、アントワネットは遂に念願のマリー・テレーズを出産する。これまではフランスのメルヘンチックな宮殿で孤独を感じもしたアントワネットに、初めて自分の愛すべき分身が誕生した瞬間であった。

プチ・トリアノン
《プティ・トリアノン》――ルイ15世の公妾であるポンパドゥール夫人のために建てられた。ジャック=ザンジュ・ガブリエル設計。


 貴重なことに、本作には日本でも撮影されることが稀な、アントワネットの隠れ処《プティ・トリアノン》(le Petit Trianon)のインテリアが映し出される。未だかつてこれ程美しいロココ様式のささやかな空間が存在しただろうか。内装はやはりペールブルーが基調であり、燦爛と斜光がカーテンから射し込む光景は、まさに「ロココ時代の聖域」に相応しい映像美と言えよう。

愛の神殿
リチャード・ミック建築による《プティ・トリアノン》内部の「愛の神殿」

神殿内のアモール像
「愛の神殿」内のアモール像

 ヴェルサイユ宮殿庭園では象、羊などの動物が放し飼いされている。そして、注目すべきことにアントワネットとその取り巻きの令嬢たちにはジャン=ジャック・ルソーの著作が人気であったことも映画にさり気なく挿入されている。とはいえ、アントワネットの映画中での理解は「自然への回帰」に共鳴するという素朴なものだ。彼女が実際は豪華絢爛さよりもシンプルで洗練されたエレガンスを放つアングロマニーに共鳴していたという点は、ファッション史では御なじみである。
 やや残念な点は、戦地に赴いたフェルゼンの勇姿をダヴィッドのナポレオン画に重ねるようにイメージする場面があるのだが、ダヴィッドは新古典時代の画家なのでやや時代考証の甘さを感じさせる。また、ルブランらしき女流画家がアントワネットの肖像画を描いている場面も挿入されるのだが、実際の肖像画と「ダンスト版アントワネットの肖像画」の落差は甚だしい。視聴者を興醒めさせるくらいなら、いっそカットしても良いと思うのだが、あくまでも「この映画はダンスト版アントワネットであって、実在のアントワネットではない」ことを主張しているのであろうか?
 バスティーユ襲撃後は、悲哀を感じさせる沈痛なメロディーに支配される。映画が終わるまでの20分は前半のロココ的な軽妙洒脱とは打って変わって、宮廷社会の威信失墜を感じさせる暗さに満ちている。マリー・アントワネットの生涯は、ロココ的「優美」(Niedlich)から18世紀の美的範疇論でいうところの「悲愴」(Tragisch)へと劇的に失墜していくプロセスが顕著である。神秘的なことに、革命前に夜会でグラスの縁に指を乗せて音を奏で合う場面が描かれているのだが、この音色が我々に与える薄い「不安」は、まさにロココ時代が短命に終わった神話であったことを物語っているのではないだろうか。





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~ Comment ~

☆親愛なる智さま☆

お元気でしょうか?

いつお邪魔しても智さまのブログには
美しいロココ世界が広がっていて素敵ですね(*^_^*)

[2014/01/31 15:21]  聡子  URL  [ 編集 ]

★親愛なる聡子様へ★

こんばんは!
聡子様も御元気だったでしょうか?

昨年は忙しく返信で至らなかったこと、深くお詫び申し上げます。
最近、私は聡子様もあの小説で登場人物の男性に語らせていたモーツァルトをよく流しています。
教養豊かな聡子様には言わずもがなでありましょうが、特に三大交響曲の《ジュピター》第一楽章と第四楽章が私の魂を震わせ続けております。
これを作曲中のモーツァルトは非常に貧しく、外出もままならなかったそうなのですが、それなのにあんな優雅で美しく明るい音楽を創造できるというところに圧倒的な美を感じます。
聡子様も詩や御活動など、いかがでしょうか?
私はいつまでも貴女の味方です。
貴女と二人で交互に書いた詩は私の創作活動の華でございます。

[2014/02/01 00:06]  TOMOHISA  URL  [ 編集 ]

☆親愛なる智さま☆

モーツアルトは 多くの偉大な作曲家の中でもずばぬけた才能をもっていましたよね。
フリーメイソンとも深く関わっていたというのも頷けます。

執筆活動の方は去年 一作書き上げました。

ブログは 気が向いた時に書いておりましたが ここ最近
訪問者の数が 桁違いに増えていまして 少々困惑しております。

ブログに青空文庫ページも記載しておりましたので そちらにも 人がくるかもしれません。

去年は 熊川哲也さんの白鳥の湖を観に行きました。

ここ最近は チャイコフスキーを聴いていることが多い気がします。

智さまとの詩のやりとりは 本当に素晴らしかったです。

また こちらにも お邪魔しますね(*^_^*)
[2014/02/01 13:53]  聡子  URL  [ 編集 ]

★親愛なる聡子様へ★

聡子様、こんにちは!
御返事が少々遅れてしまい大変申し訳ありません。

私も去年は彼女とトリノ王立歌劇場主催のオペラに訪れました。
去年はヴェルディ、ワーグナー生誕二百年祭ということもあって私の中でもオペラへの情熱が非常に高まりました。
モーツァルトの「魔笛」、プッチーニの「トスカ」、ヴェルディの「仮面舞踏会」、そして「アイーダ」……どれも劇場でしか味わえない素晴らしく審美的な体験で満ち溢れていました。
創作面では、公募の新人賞のための応募作を執筆しております。
私のロココ研究、及びオペラで実際に体験した美の感覚などを全て盛り込んだ作品を現在も執筆中でございます。
聡子様の御活動もこれから応援しております。
また何か記事などで琴線に触れるものがありましたら、貴女のような芸術的素養に溢れた方から御言葉を頂けると光栄でございます。
それでは、失礼致します*
[2014/02/08 11:43]  TOMOHISA  URL  [ 編集 ]















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