† 貴族文化 †

18世紀ロシアの女帝エカテリーナ二世と十二人の愛人たち――エレノア・ハーマン『女王たちのセックス――愛を求め続けた女たち』



 このページでは、エレノア・ハーマンの『女王たちのセックス――愛を求め続けた女たち』の記録を残す。本書はヨーロッパの王室史におけるプリセンスたちの「セックス」を中心に編集したものである。数多くの女王、貴婦人たちがいかに色恋に溺れていったかが克明に記されているが、中でも18世紀ロシアの華であったエカテリーナ二世の色恋への耽溺は本書でも群を抜いている。以下に、ハーマンのテクストを中心にして、この昼間は真摯に公務に勤しみ、夜はベッドで数知れないハンサムな男たちとセックスに溺れたエカテリーナ二世の遍歴についてまとめてみよう。

1745年(16歳
1745年(結婚したばかりの16歳当時)のエカテリーナ二世

【娘時代のエカテリーナ二世】

 エカテリーナ二世〔エカチェリーナ二世アレクセーエヴナ、ロシア語: Екатерина II Алексеевна, ラテン文字転写: Yekaterina II Alekseyevna、1729年4月21日(グレゴリオ暦5月2日) - 1796年11月6日(グレゴリオ暦11月17日)〕は、同じ18世紀のマリー・アントワネットと同じく、けして好きではない王子と政略結婚させられた不幸な娘時代を送った女性である。ハンサムで優しければまだ女性エリザヴェータの強いた結婚であれ、取り付く島もあったかもしれない。しかし夫のピョートル三世は常人よりもやや知恵が遅れており、疱瘡を患って肌は醜く荒れ、おまけに世継ぎを作る上では致命的である包茎という三拍子揃った王子であった。一方、エカテリーナは若い頃から性欲は旺盛で、ハーマンが引用しているジョン・T・アレクサンダーの『エカテリーナ大帝、その生涯と伝説』(1984)に依拠すると、16歳の頃からマスターベーションに夢中になっていたという。「ベッドの中で旅をすること」――これが若きプリンセスの秘め事であった。とはいえ、十代後半にして既に厳格な女官たちに取り巻かれ、エカテリーナは後の政治的手腕にも繋がる英才教育を受けていた。
 不能の王子ピョートル三世と結婚させられてから実に七年間、エカテリーナは処女のままだった。既に王女は23歳になっており、本来なら素敵な男性と色恋の一つや二つは経験していなければならない年頃である。そんな時、彼女の前に現れたのが一人のプレイボーイだった。

【一人目の愛人:セルゲイ・サルティコフ】

 当時、エカテリーナは23歳にして処女である。そんな彼女を案じた女帝エリザヴェータが、三歳年上の青年セルゲイ・サルティコフを「愛人」にするように勧める。彼は社交界でもプレイボーイとして知れ渡っており、エカテリーナは水を得た魚のように不能の醜い夫の目を盗んでサルティコフとのセックスに没頭し始める。実は女帝エリザヴェータの望みは世継ぎであり、子供さえ生まれればそれで良かったのだろう。あっという間にエカテリーナは妊娠することになる。それも、二度流産して三度目でようやく、後のパーヴェル一世が生まれたという(1754年)。この子の父親が誰なのかという点については、実は現在でもロシアで研究者たちの議論が続いており、中にはピョートル三世の子だという意見も存在するようだ。しかし、エカテリーナ自身の証言では、パーヴェル一世の父親はサルティコフだという。
 世継ぎが生まれると、女帝エリザヴェータはエカテリーナから赤子を早々と引き取ってしまう。そしてサルティコフは不運にも、外交上の任務という名目で左遷されてしまう。ようやく肉体的に結ばれ合った初めての男性から遠く離れたばかりか、彼との赤子まで女帝に取り上げられてしまうのはエカテリーナにとって相当の苦であったことは想像に難くない。一方、既に知恵が多少遅れていたピョートル三世の狂気はいよいよ悪化していった。エカテリーナはサルティコフから教わった男性との情事の素晴らしさが忘れられず、日に日に色恋への情熱を強くしていった。

【二人目の愛人:スタニスワフ・ポニャトフスキ】

 ジョーン・ハズリップの『エカテリーナ大帝』(1978)に拠ると、宮廷のサロンでエカテリーナはまるで「獲物を狙い定める野獣のよう」に美男子を探していたのだという。そんな時、イギリス公使の付き添いの一人としてポーランドからスタニスワフ・ポニャトフスキという23歳のハンサムな青年がやって来た。彼はエカテリーナに優しく親切で、髪はブロンド、性格は穏やかだった。サロンで恋仲を深めた二人は頻繁にセックスを繰り返すようになる。ハズリップの前掲書によれば、エカテリーナはセックスの前に「レースと薔薇色のリボンを飾ったシンプルな白い夜着を着ていた」という。エカテリーナが28歳の頃(1757年)、ポニャトフスキとの間に娘が誕生する。しかし、この当時の幼子に往々にして見られたように、一年後には早世してしまうのだった。この悲劇が契機となったためか、1758年に彼はポーランドに帰国してしまう。
 しかし、ハズリップが紹介しているピョートル三世の証言を読むと、彼が帰国した理由は他にもあったようだ。それは、エカテリーナの性欲の激しさだった。ピョートル三世は以下のように洩らしている――「レモンを潰して果汁を全部搾り取り、それからあっさり捨ててしまう」と。これは夫婦仲の険悪さを示す誇張も含まれているだろうが、いずれにしてもエカテリーナが夫の代わりに性的に満たしてくれる美男子たちとの情事を愛していたことは間違いない。こうした色恋への耽溺にも関わらず、エカテリーナは才智に富んでおり、女帝エリザヴェータもロシアの将来をピョートル三世ではなく彼女の方に感じていたという。

【三人目の愛人:グレゴーリィ・オルローフ】

 1759年、エカテリーナは30歳になっていた。既に二十代に彼女は三度サルティコフとの間に赤子を設け、続いてポニャトフスキとの間でも赤子が生まれていた(その内三人は二人は流産で、もう一人は早世している)。三十代は少し穏やかになっていくのかと普通は考えるところだが、エカテリーナの前にはあまりにも次から次へと美男子たちが現れ過ぎた。30歳の夏、エカテリーナは宮廷の中庭で「アドニスの美貌にヘラクレスの肉体をした近衛兵」(エレノア・ハーマン)に一目惚れしてしまう。彼こそが四歳年上の、社交界でも美男子として名高いグレゴーリィ・オルローフという軍人だった。彼は長身で性格はワイルド、そして何よりエカテリーナを悦ばせるのに十分過ぎるほどの非凡なサイズのペニスの持ち主だった。しかもオルローフは四人兄弟であり、他の男兄弟も皆ハンサムで屈強な肉体を持ち、体力自慢でエカテリーナに敬愛を覚えていたという。
 エカテリーナはオルローフに近付き、あっという間に恋仲になる。二人は夜になる度にセックスに耽溺する甘い生活を送る。後に愛人になるポチョムキンとのセックスでも判明することだが、エカテリーナは大のペニスマニアであった。特に彼女は巨根を持つ美男子に目がなかった。ポニャトフスキのように穏やかで優しい貴族の青年ではなく、美貌と野性味を併せ持つオルローフとのセックスにエカテリーナは没頭していく。
 1762年、女帝エリザヴェータが崩御する。生前はエカテリーナの政治力に可能性を感じていた女帝であったが、ツァーリとなったのはピョートル三世であった。しかしピョートルは政治的にも無能であり、軍部は明らかにエカテリーナをこそロシアの女帝として立てようと企てていた。そんな中、反ピョートル三世派でもあったオルローフ四人兄弟が王を捕え、退位宣言を署名させるという強行に出る。そして一週間と経たないうちに、兄弟の一人がピョートル三世を暗殺してしまうのだった。こうして、エカテリーナは「愛人」たちに暗躍させる形で実質的に政権を掌握するに至る。セックス面では奔放なものの、昼の公務ではその政治的手腕が期待されていただけあって、エカテリーナはそれまでの腐敗した財政を立て直すために構造改革を始動する。この時ばかりは、一日十四時間働いたというから、彼女の政治への熱情にも並々ならぬものがあったと言えるだろう。エカテリーナは民衆のために孤児院や、医療機関、裕福な子女のための学校などを次々に設立していった。エカテリーナの敏腕な政治手腕に対して、当時のフランスの知識人たち――特にディドロ、ダランベールら――は、エカテリーナの王政が血腥い暗殺の臭いを感じさせるとして批判している。他国には、どうやらエカテリーナの実務の業績とは別に、愛人であるオルローフ兄弟たちの不穏な側面がネガティブに喧伝されていたようだ。
 1763年、エカテリーナはフリードリヒ大王との取り決めにより、かつての愛人であったポニャトフスキをポーランドの国王に選出することにする。穏やかなポニャトフスキは未だにエカテリーナを愛していたが、実はエカテリーナはポーランドを「ロシアの傀儡」として位置付けていた。そのトップを信頼できる元愛人にしておくと、色々と都合を効かせ易いことを既に見込んでいるのである。
 セックス面では、依然女帝のお気に入りはオルローフであった。この頃の二人のこの美男子の様子について、ハーマンは以下のように述べている。

初めて宮廷に来た人でも、誰が女帝の愛人かはすぐにわかった。一番長身で、一番姿の美しい男がそうだ。ダイヤモンドのボタンに金糸の刺繍を施した一番上品なフロックコートを着て、胸にはダイヤモンドの縁取りをしたエカテリーナのミニチュア画を飾っている男、それが女帝の愛人だ。その美しい姿だけでも、オルローフは宮廷にとって一大収穫だった。(p211)


 これ以後、オルローフ兄弟は「暗殺」の功績もあり、政府高官へと駆け足で昇格していき、その暮らしも日に日に贅沢になっていった。43歳まで、エカテリーナはオルローフとの情事を大切にしていたが、この頃になると彼の方が情熱を冷ましていた。最早エカテリーナは若くなく、オルローフも別のもっと若い女性に恋するようになっていたのである。しかし、エカテリーナは飽きられても、けして激怒したりする性格の女性ではなかった。何故なら、探そうと思えば自分にも若い巨根を誇る美男子などいくらでも容易に見つかるからである。関係が肉体的にも冷めてしまったことで、1772年、エカテリーナはオルローフをトルコとの平和条約締結のために派遣する。

【四人目の愛人:アレクサンドル・ヴァシーリチコフ】

 43歳になったエカテリーナだが、昼の公務とは別に夜のセックスへの情熱は若い頃よりもますます強くなっていた。オルローフが不在の間に、宮廷の反オルローフ派のお膳立てもあって、28歳の美青年アレクサンドル・ヴァシーリチコフにエカテリーナは目を留める。彼はルックスでもセックス面でも申し分なかった。しかし、トルコから帰国したオルローフがエカテリーナとこの美青年の肉体関係を知って激怒してしまう。エカテリーナは彼に多額の報酬と土地を与え、宮廷からは去らせたものの穏便に和解するに至る。とはいえ、ヴァシリーチコフ自身、四十代の女帝を満足させられるだけのエスプリを持ち合わせてはいなかったという。女帝は愛人に政治・芸術・神学上のテーマでもベッドの上で語り合うことを心から望んでいたので、ヴァシーリチコフとのセックスには女帝の飽きが早かった。

【五人目の愛人:グレゴーリィ・ポチョムキン】
 
 ヴァシーリチコフとのセックスに飽きたエカテリーナは、一度は関係が疎遠になったオルローフを再び宮廷に戻すことになる。やはりセックスのパートナーなしで女帝としての仕事はできないというのが、彼女の女としての性なのだ。しかし、奇しくもこの頃エカテリーナの前に、以前から何度か会って好意を寄せていた34歳の軍人、グレゴーリィ・ポチョムキンが姿を現す。オルローフともぎくしゃくしていた彼女は、兼ねてから評価していたこの才能豊かな軍人と恋に落ちた。これまでの愛人に較べて、エカテリーナはポチョムキンを熱烈に愛し、夜のサウナで何時間もセックスに溺れたという。この頃のエカテリーナの様子は、アンリ・トロワイヤの『大帝ピョートル』(2002)に、「わたしの肉体には貴方を求めない細胞など一つもありません」などと記されていることからも、あたかも長い処女時代を全て払拭するような官能的契機を秘めていたことは確実である。
 既にこれまでの男性遍歴からも察しがつくように、エカテリーナは男性に美と知性と筋骨を求める。ポチョムキンは既に若くはなかったが、それを補ってあまりあるほどの素晴らしいペニスの持ち主だったという。そのサイズはあの美男子揃いの屈強なオルーロフ兄弟ですら誰も叶わないほどであり、エカテリーナは愛するのを通り越してポチョムキンの巨根を崇拝するに至ったという。彼女はポチョムキンのペニスを磁器で象らせ、それを自室に所蔵していつでも愛でていた。こうした性癖からも判るように、エカテリーナは軍人特有の力強く太いペニスを何よりも愛していた。おそらく、煩わしく複雑な王室の仕事を一度リセットするためには、人並み外れて優れた男根がどうしても必要だったのだろう。エカテリーナはこうして、ポチョムキンとのセックスに再び没頭し始める。文化面でも一定の知見を備えていた彼はエカテリーナの格好の話し相手にもなった。ポチョムキンは素晴らしい早さで公爵位を賜り、軍事評議会の議長という名誉あるポストにまで昇格した。これも一重に、エカテリーナが彼とのセックスに圧倒的な至福を感じたことへの感謝に拠るものである。
 ジョーン・ハズリップの前掲書に拠れば、エカテリーナはこの豪傑のことを「わたしの子猫ちゃん」、「愛しいハートちゃん」などと呼んで可愛がっていたという。1774年には、極秘結婚したという噂が流れる程、二人は相思相愛の関係になった。ジョン・T・アレクサンダーは、フリードリヒ大王がエカテリーナに対して以下のような皮肉を洩らしていたことを記録している――「女は女だ。女の治世では理性に導かれた戦略よりも、ヴァギナがものをいう」。エカテリーナは実際、オルローフ以上のペニスで毎晩ポチョムキンにくたくたにされていた。彼は時折エカテリーナに「愛のお預け」を与えて焦らしていたともいう。
 このような甘い生活が二年程続いたが、次第にポチョムキンがエカテリーナに飽き始める。すると女帝は彼を南部州総督に任命し、宮廷から距離を置かせるという措置を取るのだった。後のことになるが、1783年にはポチョムキンはクリミア半島を占領し、トルコ軍を壊滅させ、この南の土地で独自の宮廷を形成していくことになる。男性との性的関係が飽和してくると、和解のための財産や地位を与えて次の美男子を追い求めるというのは、女帝ならではの愛欲の作法に他ならない。この頃、エカテリーナはポチョムキンを南部に赴かせた寂しさを埋めるためか、一つ淫らな妙案を編み出す。それは、宮廷の女友達であるプラスコーヴィア・ブルーツェ伯爵夫人と共謀して、「有望な若者」を寵臣に相応しいか判定するための「試験」である。それによれば、まずルックス、筋骨の逞しさ、そしてエカテリーナ好みのペニスのサイズの条件を満たした若者は、ブルーツェ伯爵夫人のベッドルームに次々と送られて行く。夫人は彼らの性的な機能を自分で鑑定し、合格すると彼らは優秀な、女帝のための夜の「寵臣」として認可されるに至るというものだ。ポチョムキンが去ってからというもの、こうして数多くの美男子たちがエカテリーナのセックスパートナーとして宮廷に極秘裏に招集されたのだった。

【六人目の愛人:ピョートル・サヴァドーフスキー】

 プラスコーヴィア・ブルーツェ伯爵夫人の「試験」を潜り抜けた、礼儀正しさと甘いマスクを兼ね揃えた最初の男性は、37歳のピョートル・サヴァドーフスキーであった。しかし、記録によればこの男性はけして若くはないことに加え、早漏というセックスにおいては致命的な落ち度を持っていた。セバック・モンティフィオーリは『貴族の中の貴族:ポチョムキンの生涯』(2000)の中で、明らかな人選ミスに憤慨するエカテリーナの憤慨を以下のように表現している――「貴方はまことに火山のようだわ。一番望まないときに爆発してしまう……」。とはいえ、女帝はサヴァドーフスキーとのセックスも、ポチョムキンが激しい嫉妬を抱くほどには満喫していたようだ。何よりも、サヴァドーフスキーの方が女帝に多大な愛を感じるようになり、夢中で奉仕するようになっていった。これに憤怒を覚えたポチョムキンは、即座に彼を解任してしまう。

【七人目の愛人:ピョートル・ヨーリッチ】

 ブルーツェ伯爵夫人の「試験」で選抜された男には、ポチョムキンも判定を下すようになった。彼がエカテリーナ用の男性たちに求めた条件とは、まずハンサムであること、ペニスが人並みはずれて大きいこと、しかし頭はむしろ悪い方が良いという三つである。これは女帝が愛人と共謀して宮廷を牛耳るようになることを怖れたポチョムキンの不安に拠るものでもあった。こうして選抜された新しい適任者は、ピョートル・ヨーリッチというまばゆいほどの美男子だったが、条件通り読み書きはできないというお墨付きであった。彼とも十ヶ月に渡ってセックスを満喫したエカテリーナであったが、またしてもエカテリーナが飽きてしまう。この頃、女帝は既に50歳になろうとしていた。

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「正義の女神」に扮するエカテリーナ二世(1780年代初頭)

 壮年に達した女帝エカテリーナ二世が未だにセックスに夢中になっていた事実について、ハーマンは以下のように述べている。

若さは永遠に失われた。彼女がまだ乙女の気持ちでいられるのはセックスの最中だけだった。その時だけは、手と足を絡め、激しく突き上げられて若さと情熱を呼び覚まされ、老いてゆく太った肉体を忘れることができた。だが鏡を覗き込んだ時、そこにいる女はまだ男たちの愛と欲望を本当に掻き立てるのだろうか? 仮に王冠を戴いていなくとも、男たちが奪い合う女なのだろうか?(p228)


 このように、エカテリーナは自身の年齢からくる老いと、それでも抑え切れない若い美男子たちとのセックスの魔力の間で苦悩していたのである。

【八人目の愛人:イヴァン・リムスキー=コルサコフ】

 ヨーリッチの後任は、イヴァン・リムスキー=コルサコフという24歳のエレガントで古典的な顔立ちをした青年だった。エカテリーナは今度は彼とのセックスに耽溺していく。しかし、「試験管」の仕事をそれまで満喫していたブルーツェ伯爵夫人が、彼と愛し合うようになってしまう。二人がベッドの上にいる様子を目の当たりにしたエカテリーナは驚愕し、二人をサンクトペテルブルクの宮廷から即刻追放してしまったという。

【九人目の愛人:アレクサンドル・ランスコーイ】

 ランスコーイは24歳の近衛兵で、ハンサムで長身、しかもチャーミングで心優しい青年だった。エカテリーナはランスコーイを可愛がり、数週間で将軍の地位にまで昇格させてやる。女帝はこの若者との情事を楽しみ始める。この頃、ロシアの宮廷での昇格は実務による業績ではなく女帝のヴァギナが決定する、という皮肉な噂が流れていたが、それも一面でエカテリーナの真実を捉えていた。ランスコーイは将軍職を与えられながらも、仕事はといえば夜に女帝のベッドに潜り込んで彼女を性的に満足させることだけだった。それほど女好きでもなかった真面目な彼は、無理して大量の催淫薬を摂取するようになっていく。1784年、エカテリーナの衰えない性欲による体力の激減と、ジフテリアに感染したことによりランスコーイはあえなくこの世を去ってしまう。この時、女帝は若い愛人を死なせてしまったことで深く傷付き、嘆き悲しんだという。

【十人目の愛人:アレクサンドル・イェルモーロフ】

 ランスコーイを喪失したとはいえ、エカテリーナはセックスを断つことなどできるはずがなかった。次の新しい御相手であるアレクサンドル・イェルモーロフは31歳、長身でブロンド、性格は温厚だが政治的にはどこか不安定な面があった。エカテリーナは彼とのセックスに溺れることで哀しみを忘れようとするが、イェルモーロフはポチョムキンに楯突いたことにより解雇されてしまう。

【十一人目の愛人:アレクサンドル・マモーノフ】

 マモーノフは二十六歳のハンサムな青年で、エカテリーナの好みのタイプだった。しかし女帝があまりにもセックスに夢中になり過ぎるのに辟易してしまう。1789年、マモーノフは女帝との度重なるセックスに心身共に疲れ果て、深く悩んだ末に愛人としての仕事を辞退させてもらうように訴える。すると女帝は十分な報酬を彼に与えたという。

【十二人目の愛人:プラトン・ズーボフ】

 ズーボフはおそらくこれまでの試験、及びエカテリーナの歴代「愛人」の中でも最年少にして、最高の美男(オルローフに並ぶほどの)だと言われている。彼は二十二歳という若さで女帝のための夜の仕事を与えられた。エカテリーナもズーボフとのセックスに夢中になっていくが、彼は非常に傲慢な性格であった。
 その頃、マラリアでポチョムキンが逝去する。しかし相変わらずエカテリーナは日増しに性欲を強める一方で、ズーボフもセックスが終わる旅に毎回力尽きるという有様だった。

【セックスと公務の相乗効果】

 1796年、昼は公務に追われ、夜はベッドの上で男たちと汗を流し合うことの繰り返しだった一人の女帝がこの世を去る。エカテリーナ二世の死後、息子のパーヴェルがツァーリになる。彼は母親の愛人たちを皆憎悪していたが、反パーヴェル派たちに暗殺されてしまう。
 彼女の女帝としての評価について、ハーマンは「性と仕事」の相乗効果を彼女ほど熟知していた女性はいないと述べている。エカテリーナが奔放に肉慾を讃美したのは、昼の公務を充実させ、めりはりをつけるためである。昼は猥談の類すら許さない礼節を重視した仕事につき、夜はただ性に没頭した。十人以上の愛人たちに与えた財の総額は日本円で2800億円(20億ユーロ)に匹敵するとされている。




「参考文献」



女王たちのセックス女王たちのセックス
(2007/02/16)
エレノア・ハーマン

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