† 現象学  †

「矛盾律は真理の基礎である」--エドムント・フッサール『論理学研究Ⅰ』読解

論理学研究 1 (1)


フッサールの『論理学研究1』を読了したので、レジュメを残しておく。


「数は、心的活動たる集め数える働きから生ずる。…和、積、差、商、その他なんであれ、規整されたものとして算術命題のうちに現出するものは、心的所産に他ならず、したがってそれらは心的合法則性に従うのである」

「数学の諸法則は心理学的法則であらねばならぬ」

「5という数は私または他の誰かが5と数えることでもなく、また私あるいは他の誰かの5の表象でもない」



現象学3


上記の引用部分は、本書の心臓部分であり、最重要箇所である。


「判断という論理学的概念においては、私がちょうど今体験する2×2=4という判断と、昨日または別の日に他の誰かが体験した2×2=4という判断とは同権ではない」



解り易く述べると、例えば「5」という数があるが、この数自体はイデアに属している。
数とはイデアであり、我々が5と書いたり、5から3を引いたりして計算する時の表象(頭の中での計算も含めて)とは、別物であるとフッサールは規定する。
この数のイデアのことを、イデア的スペチエス、或いはスペチエスという。
これはイデア学と実在学の差異であり、本書でフッサールが何度も試みる本質的な区別である。

現象学



「ここで現在するというのは、ある事態がある一定の意義把握の中で、またその事態の種類に応じて、個別的または一般的、経験的またはイデア的事態などとして《現在》しうるという意味である」

「明証とはむしろ真理の《体験》に他ならない。真理が体験されるのはもちろん、一般にイデア的なものがリアルな作用の中では体験たりうるのと別の意味においてではない。換言すれば、真理は一つのイデーであり、明証的判断におけるこのイデーの個別的事例が顕在的体験である。しかるに明証的判断は原初的所与性の意識である。」



バラの花には、バラのイデアがある。
バラの花を一輪だけ見るというその行為は、バラのイデアと体験することに他ならない。

フッサールは、純粋論理学の基礎にあるのは「こころ」であると導いている。
1+1=2という数学の法則はイデアに属するが、それを行う動機、発端には、必ず人間の「こころ」がある。
フッサールは論理学の「矛盾律」の研究から、「感じ/感覚」の世界へと足を踏み込むのである。
彼によれば、「矛盾律は真理の基礎である」。

本書では「リアル」と「イデア」は二項対立する概念ではない。
リアル(実在物)は、イデアを核として有し、いわばイデア性に組み込まれているのである。
ある人が見た、燃える樹木が、別の人にとって燃えない、ということではない。
たとえ別様に見えても、それぞれの知覚された燃える樹木は、実在する燃える樹木の「核」を有するのである。
この辺りは、『イデーン�』で開闢するノエシス・ノエマ構造の理論のプレテクストとして、非常に興味深い部分でもある。

現象学2



Jacob Collins (このページで紹介した新しい画家)
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