† 映画 †

夜の街路の果てに少年の瞳が捉えたもの――ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ兄弟『少年と自転車』(カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ)

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(C)Jean-Pierre Dardenne, Luc Dardenne

 ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ兄弟による『少年と自転車』(Le gamin au vélo/2011)を観た。本作は第64回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、審査員特別グランプリを受賞している。

 自転車の使い方が秀逸な映画だった。
 特に、情が移ってすっかり母親役になったサマンサと二人で河川敷の砂利道をサイクリングしている場面が持つ、独特な安らぎには目を見張るものがある。この映画を観終わった後、私は自分の自転車で昔よく通った小学校時代の通学路を通ってみたくなった。それはきっと、この短くも美しい物語の主人公が思春期の少年という、大人をやや困らせる難しい時期に属しているからなのかもしれない。
 物語のプロットはあくまでもシンプルだ。両親が扶養能力を持っていないために施設に預けられている少年シリルは、父親への愛情に常に餓えている。彼はいつも自分を捨てた父親のことを想っていて、探し出すことに必死だ。見つけ出そうとしても見つけられず、週末に里親をしているサマンサが経営する美容室で、蛇口の水を永延と出しっぱなしにする場面は実に印象的である。これは、本当に欲しいものがけして手に入らないことが、流れ続けてけして「掴み切れない」ものとしての水のメタファーに巧みに重ねられている秀逸な場面だ。シリルの複雑な苛立ち、葛藤、失意は、実体を持たずに流れ落ちていく水によって代理的に表象されている。
 シリルに何か絆を感じているサマンサは彼の父親探しを手伝うことにする。しかし、場末の飲食店でかろうじて自分一人だけの生活費を稼いでいるような生活をしている父親は、無情にも「会いたくない」ことを息子に伝えることまで他人任せにするほど責任感のない男性だった。おそらく、この直前に登場していた店の女主人らしき若い女性との関係で、現在の生活がなんとか持ち堪えられていることも暗示されている。父親の本心を知ったシリルはうなだれ、まだ幼い身体で精一杯苦悶を表現していた。そんな彼の前に自分と似た匂いを持つ同類として登場する不良少年の誘惑は、この時期の孤絶された少年たちの暗部を感じさせる。彼は窃盗を何度か働いており、実行犯役としてシリルを訓練しようと企てるのだ。こうして犯罪にいつの間にか手を染めてしまうシリルだが、盗んで得た金をどうするかといえば、やはり愛さざるを得ない父親のところに持っていくのである。これは観ていて実に涙ぐましい行動だった。父親に金を拒絶されたシリルが、沈黙しながら夜の街路をひたすら自転車で疾駆する場面こそ、この映画で最も美しい場面だろう。ここには、逆境の最中で幼いながらも苦悩している存在への、監督の深い憐憫の情が感じられた。確かに、少年時代には世界が突然変わってしまうような不条理な出来事が往々にして起きるものである。少年は大切な自転車に乗って、先の見えない夜の街をひたすら進む――その先には真の「母親」であるサマンサが確かに彼の帰りを待っているのだ。
 血の繋がりはなくても、自分の息子のようにシリルを愛するサマンサの存在こそ、この映画の木漏れ日だろう。夜の一人ぼっちの疾走から、明るい日向でのピクニックへとシリルが導かれたのは、やはり深い慈愛を持って彼を見守ったサマンサの御蔭だろう。映画は、そんな二人が今後も仲良く「母と息子」として成長していく明るい希望を予感させて終わる。孤独な少年が、人と人との温かい結び付きに目覚めていく、観る者に光を与えるような映画の一つだ。



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