† メディア論 †

存在論的に「情報がある」とはどういうことか?/「原-情報」についてーー西垣通『基礎情報学』

ミュシャ1


〈原―情報について〉

ホフマイヤーは「生命情報」を「生命体が交換する記号」と定義した。
この定義から、改めて進化史全体を再解釈しようとしたのである。
より詳密に述べると、生命情報とは、生命体の内部にパターンとして出現し、記述として構成されるものである。
これを西垣氏は、生命体の内部の最も始原的な情報という点で、「原―情報」と規定する。
原―情報」は、我々のシンボル体系である言語などを通して、すなわち「記述」されることによって初めて「情報」として認識されるのである。
原―情報」それ自体が、客観的に表象されることは不可能なのである。
これを私は「原―情報の社会情報化」と便宜的に呼称しておきたい。
生命情報」としての「原―情報」は、いわば「情報」のイデア/原型である。
それを我々の心的システムが「観察/解釈」することで、初めて「記述」されて「情報(社会情報)」となるのである。
このように、「情報」には、「原―情報」/「(社会)情報」という、プラトン的な差異が存在する。
これは観念論(イデア)と実在論(リアル)と概念関係としては同じ差異構造である。

 
原―情報」―――――→「社会情報
<イデア>      ↑    <実在> 
<生命現象的>        <メディア現象的>



矢印は「観察者/記述者」の位置である。

ホフマイヤーが定義したように、「生命情報」を「原―情報」と規定すると、自然界が「原―情報」の宝物庫であることが判然となる。
そこには、言語化されていない(ノーレットランダーシュのいう“外情報”的な、すなわち情報化していない原―情報)数多くの「生命情報」が溢れている。
基礎情報学では、「観察者/記述者」としてのヒトが発生した数十万年前に、「情報」が発生したと規定する。
つまり、40億年前の原始的な地球においても、無論「生命情報」は存在していたのであるが、その「観察者」としてのヒトが存在しないために、それが「情報」として把捉されないからに他ならない。

ここで「観察者」とは、「ヒトの心的システム」という意味を持っている。
ヒトの心的システムすなわち「」とは、「思考を構成素とするオートポイエティック・システム」である。
思考」とは、後に詳述するが、「原―情報も含めた知覚的シンボルのBOX」である。

ここで今一度、パースの記号論と基礎情報学のコンセプト・リンクする要素を構図にしておこう。

  
  「パース記号論」      「基礎情報学」

・ 対象             ・原―情報
・ 解釈項            ・観察者
・ 記号             ・相互作用としての社会情報



 「記号表現」を正確に「解釈」すればするほど、原型である「対象=原―情報」へ接近することが可能となる。「原―情報」が「社会情報」化する上で、次の二つの変容過程を経るとされている。

� 同じ「記号表現」に対して、多様な「解釈項」の生起
� 「原―情報」に対して、「記述」はその全ての内容を表象することが不可能である



�も�も、共に「心的システム」を媒介にするので発生しているのである。

ミュシャ2



〈存在論的に、「情報が、有る」とはいかなる事態か?〉

情報」は、シャノン&ウィーバーのモデルが示唆するように、「関係概念」である。
したがって、「情報が、有る」という表現は、必然的に「関係/チャネル的ネットワーク」の生起を伴う。
「情報」は主体間に構造変化を付与する概念であり、すなわち「伝達」される非身体的な概念である。
「情報」をハイデガーの存在論的に把捉すると、それは超越的なものと化す。

〈オートポイエティック・システムのautonomy自律システム〉

基礎情報学にとって重要になるオートポイエティック・システムの定義をヴァレラに依拠して行う。

オートポイエティック・システム

産出プロセスのネットワークであり、システムは構成素を産出し、構成素はまた自らを産出するネットワークを再生産する」。
これは「生命体」の規定でもある。
換言すると、「構成素を産出するような自律システム」を意味する。

自律システム

自律システムとは、ヴァレラの定義を看取すると、「organizationally closed system構成的閉鎖系」である。
構成的閉鎖系とは、
構成がネットワークを成すプロセスによって関連付けられ、そのプロセスのネットワークが再帰的に相互依存するようなシステム」を意味している。
プロセスのネットワークにより、「空間的/領域的に認知できる単位体」が構成される。因みに、単位体を識別できるのは「観察者」である。

例えば、部屋に存在する書物一冊を「構成素」、それらの集合を「単位体」として規定できる。

構造としては、自律システムの概念の中にオートポイエティック・システムがあり、その更に中に、生命単位体がある。しかし、これらのシステムは、「観察者」の記述が可能となって初めてシステムとして意味を持つのである。すなわち、構成的閉鎖系には、観察者の存在が不可欠なのである。観察者が記述することで、その「原―情報」は「社会情報」となり、別の他なる主体に「情報伝達」されていく。構成的閉鎖系と観察者が一体となって、初めて自律システムは成立するのである。

因みに、ヒトの体も、免疫系、神経系、代謝系などの「システム複合体」である。

〈organization構成とstructure構造について〉

ヴァレラの定義によると、「機械」の存在は、「構成素」の活動によって規定されている。
しかし、「構成」と「構造」は、実は全く異なる概念なので、注意が必要である。

構成

単位体としての機械がこうむる相互作用と、変形のダイナミックスを決定する。非物質的関係である。

構造

具体的な機械を一定の空間に統合する構成素間の実際の関係である。これは物質的関係である。したがって、「認知可能/目に見える」のである。

大切なことは、「構造」は目に見えるが、「構成」はけしてそうではないということだ。
「構成」は、目には見えないが、「構造」を通じて推定することが可能なのである。
人間は、対象のシステムが自律システムかどうかを判別しづらい。
なぜなら、「構造」が見えても、それがどのように「構成」されているかは定かではないからである。
精巧な時計であっても、中枢となる歯車が微妙にかみ合っていなければ、それはシステムとして機能しない。

タデマrr

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