† オペラ †

オスカル、あるいはこの道化的なニンファ――ジュゼッペ・ヴェルディ《仮面舞踏会》公演の記録(東京文化会館)

maschera.jpg

 トリノ王立歌劇場によるヴェルディのグランド・オペラの傑作の一つ《仮面舞踏会》についての鑑賞記録を残しておこう。会場は東京文化会館で、《トスカ》同様会場には多くの着飾った人々が訪れた。まず最初にこのオペラを観る前に私が調べたことを記録した上で、公演の感想に移ろうと思う。

【概説】

 このオペラは1859年2月17日にローマで初演された。驚くべきことに、ヴェルディはわずか二ヶ月という短期間で音楽を完成している。元々のタイトルは《ドミノの復讐》であり、オリジナル版の主人公は暗殺された実在のスウェーデン王グスターヴォ三世である。台本は国王暗殺の実話がモチーフになっている。ヴェルディ以前、既に劇作家のフランス人ウージェーヌ・スクリーブによる戯曲《ギュスタヴ三世》が存在しており、これは1833年にフランソワ・オーベールによってオペラ化されている。この時のオーベールのオペラのタイトルが《ギュスタヴ三世、または仮面舞踏会》(1833年、パリ初演)であり、ヴェルディ以前に既にオペラ関係者たちから多くの関心を浴びていた出来事であったことが窺えるだろう。
 暗殺された王はどういう人物だったのだろうか? 彼、すなわちグスタヴ三世(1746~1792)は絶対王政を強いた改革者として知られている。旧体制にしがみつく官僚たちを逮捕してまで新憲法を発布したりするなど、その手腕は革新的だが一方で敵も多かった。また、酒造法を王室専売にしたために農民層の不満を買うなど、評価は必ずしも高いわけではない。やがて反対派が陰謀を企図し、1792年3月15日の運命の「仮面舞踏会の夜」に、国王は暗殺されることになる。暗殺したのは臣下であり、彼はピストルで王を殺害した。この歴史的にもセンセーショナルな事件がヴェルディのオペラの台本である。一体、ヴェルディはこんな不穏な事件を元にした台本にどんな音楽を付けたのだろうか? それが《仮面舞踏会》の興味を誘うところだ。
 次に、ヴェルディがこのオペラを初演した時代背景を抑えておこう。この時代のイタリアは独立運動の最中であり、ヴェルディは本作の初演の成功で運動の旗印として祭り上げられた。Vittorio Emanuele Re d'Italia(イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ万歳)の頭文字が、ちょうどVREDIになったからだ。つまり、この作品の発表当時の「政治」にも眼を向けると、そこにナショナリズムの問題が絡んでいることが見えてくる。しかし、ヴェルディは初演の1859年の夏に、サヴォイという小さな村でジュゼッピーナ・ストレッポーニという女性と質素な婚礼を挙げている。列席者は馬車の御者と教会の鐘楼守りのみであったというから、運動の戦火を避けてか、あるいは運動そのものに一定の距離を置いていたことがこうしたエピソードから垣間見えるだろう。
 このオペラの重要な設定は無論「仮面舞踏会」という盛大なパーティーにある。仮面劇は15世紀頃から宮廷社会に大道芸人たちが参加を許されるようになり、16世紀後半には仮面喜劇役者が即興劇を演じるなどして人気を博すようになった。仮面舞踏会がヨーロッパで最初に始まったのは、ヘンリー8世時代であったと言われている。基本的に、貴族はタバルロというコートを纏い、ヴォルトという仮面を付ける。頭のヴェールはツェンダーレと呼ばれた。タバルロは深紅色のものが主流だったというから、かなり視覚的にインパクトの強い衣裳である。やがてこれが一般化してドミノ服になるが、貴族は公の場では男女共に黒いタバルロの着用を義務付けられていた時代もある。
 
【仮面舞踏会の真の主役は……?】

 ノセダ率いるトリノの《仮面舞踏会》最大の魅力、それは実は台本でも、音楽でもない。何がこのオペラに至高の美を与えているのか? 公演を観て私が確信したのは、演出を担当したロレンツォ・マリアーニと衣裳担当のマウリツィオ・ミレノッティ、そして照明のアンドレア・アンフォッシの類稀な才能である。いわば、このオペラを裏方で支えている突出した美意識の持ち主が、《仮面舞踏会》の美学の根本的な本質を決定付けている。それは、視覚的な美の洪水であり、オペラという芸術が「音楽」だけでなく「演出」というディテールにまで美意識を研ぎ澄ませた、その最高形式の一つだろう。
 舞踏会を描いた映画は数知れない。その傑作は、無論ヴィスコンティの『山猫』と、最近ではキーラ・ナイトレイ主演の『アンナ・カレーリナ』である。特にヴィスコンティの映画では全篇の実に1/3が舞踏会で構成されており、うら若い令嬢たちは豪華絢爛なクリノリンスタイルの衣裳に身を包み、色彩豊かな花壇のようにダンス会場を舞う。それはスクリーン上に展開された、いわば「平面的舞踏会」である。ヴェルディのオペラとは根本的に何が違うのか? それは、まさにオペラが三次元空間の舞台上で展開されている点である。ヴェルディにおいては、暗殺という危険な不穏因子を秘めた美の極致とも言うべき仮面舞踏会が、生きて歌う生身の人間を通して実際に展開される。それは、まさに手を伸ばせば届く範囲において、そこに現前する。この舞踏会の色彩的なコントラストは「漆黒」と「臙脂色」によって統一されている。仮面舞踏会用のコートであるタバルロは深紅色のものが最も流行したというのは既に述べたが、衣裳担当のミレノッティはこの点を実に上手く応用している。私はこれ程視覚的に美しいパーティーを目にしたことがない。それは、「美の饗宴」とか、「ドレスの狂い咲き」とか、「神が美に惑溺する」などという月並みなレトリックを与えることに躊躇いを感じるほどの素晴らしさである。私はこのオペラを作ったヴェルディに無論感謝しているが、それ以上に衣裳担当のミレノッティと演出のマリアーニを選んだジャナンドレア・ノセダの美意識に感謝を捧げたい。真の美は言葉を奪う。あの舞踏会には言葉は何一つ必要ないのだ……。
 とはいえ、私はこのオペラを観た感動を言語化しておかねばならない。私の衝動がそうさせるのだ。台本自体は、ダヌンツィオの『罪なき者』(ヴィスコンティの『イノセント』原作)を、よりドラマティックにしたような印象を受ける。日本ではあまり知られていないこの隠れた傑作のストーリーラインを私なりに以下に再構成してみよう。リッカルド総督には優秀な臣下がおり、彼をレナート(アンカルストレーム伯爵)という。レナートには美しい妻アメーリアがいて、総督は彼女に密かな恋心を寄せている。一方、政治的にはリッカルドは反対派に命を狙われている。レナートは最初忠実な部下として役割を果たしているが、妻が自分の上司と不倫関係にあることを知って激怒する。こうして最も優秀な部下は最も危険な暗殺者になることを誓う。レナートは仮面舞踏会の夜に総督を抹殺することを企図し、これを実現する。しかし、道ならぬ恋であることを自覚していた寛容な総督は、命果てる直前に、レナートに「赦し」と、アメーリアとは不純な肉体関係はなく、あくまでプラトニックなものであったことを告げて絶命する。これが、ヴェルディの《仮面舞踏会》の簡略化された物語構造であり、テーマ的には「赦し」というキリスト教的な道徳律が存在している点が、舞踏会という「華」に対する沈静的な対比を成している。
 もう少しそれぞれの場ごとに今回のオペラの空間演出を振り返ってみよう。まず、黒と白のコントラストが映える落ち着いた空間が最初の場面である。ここには後にレナートと共に暗殺を協力することになるサムエルとトムの二人がいる。そして、市原愛演じる可憐なオスカルもいる(オスカルの持つ特異な魅力については後述する)。この空間は二十世紀のモダニズム建築や、現代のメンズブランドの店舗インテリアを髣髴とさせる洗練を感じる。続く場はウルリカという女占星術師の黒ミサ的な怪しい空間である。この空間も赤い魔方陣に暗い室内という色彩的なコントラストが著しい。そしてアメーリアが恋の板挟みで苦悩しながら、リッカルドとの逢瀬を過ごす神秘的な空間。その現場を知ってしまった部下レナートの苦悩が歌われる寝室。最後はリッカルドの暗い書斎から、夜の圧倒的な明るさを帯びた舞踏会、という流れで舞台上の空間の変化が起きる。しかし特に筆を割くべきは、言うまでもなく最後の舞踏会の演出である。

32
第三幕、仮面舞踏会の演出

 燦爛たる舞踏会が幕開けする場面の美的本質を解明するために、我々は以下のような現象を仮定してみよう。例えば、草原の上で夜に天体観測をしているとする。辺りは暗く、光といえば夜空の星だけだ。だが、突如として空から凄まじい閃光を放つ無数の流星雨が降り注いだとしよう。草原の丘はあたかも陽光を浴びた昼下がりのような夢の輝きを取り戻すだろう。まさに、《仮面舞踏会》第三幕で起こっていたのはこれと同じ現象なのだ。これは演出担当のロレンツォ・マリアーニと、照明担当のアンドレア・アンフォッシの巧みな仕掛けによるものだろう。リッカルドのいる暗い書斎は、いわば「夜の草原」に相当する。既に彼の背後には舞踏会でシャンデリアの役割を果たす巨大なガラス球が薄らと見えている。やがてオスカルがやって来て、奥の扉から一斉にドレスアップした貴族たちが踊り出る。この時、天井からは赤い帯紐装飾が火を下方噴射する龍の如く降下する。まさに、「流星雨」の輝きである。きらきらと輝く金の紙細工も帯紐と同時に舞台に降り注ぐ。これが、舞踏会開幕の演出であり、このオペラの真骨頂である。
 この流星雨の如く開催される仮面舞踏会は、既に述べたように臙脂色と漆黒のコントラストが極めて美麗な効果を発揮している。貴婦人はパミエスタイルのドレスが多いが、ヒロインであるアメーリアだけは一際目立つ「ブラック・ローブ・ア・ラ・フランセーズ」(これは現代のゴシック文化のドレスの先駆的形態とされる)に赤く輝く薔薇の装飾を鏤めた衣裳で登場する。全ては、この決定的な「美的瞬間」のために準備されていたのである。これ程視知覚性に訴えかけるオペラが他に存在するのだろうか? 赤、赤、赤、舞台上のどこを見渡してもドレスは燃え上がるような火焔の色調で咲き乱れている。それは赤薔薇の饗宴を髣髴とさせる。暗殺という不穏で恐ろしい出来事が行われるはずの舞台が、これほど燦爛と輝いていること。光の内に夜が内包されているということ、あるいは、明るく軽妙洒脱なパーティー会場に潜在する「死」。ヴェルディはおそらく、この二重性に美的な契機を嗅ぎ取ったのではないだろうか。
 会場の拍手が特に多かったのは、女占星術師ウルリカを演じたメゾ・ソプラノのマリアンネ・コルネッティと、オスカル役の市原愛、そしてアメーリア役のオクサナ・ディカである。しかし、私がこのオペラの中で機能上最も重要な位置にあると直感したのは、市原愛であった。彼女の演じたオスカルは、本来リッカルドの愛すべき小姓という役柄である。つまり、彼は台本では男性のはずだが、演じているのは美しい女性である。そして、オスカルはリッカルドの味方であるはずだが、よく観ていると実はレナートとその仲間サムエルとトムとも交感している。更にオスカルは第一幕で物語を開始する上での導き手であり、かつ、第三幕で仮面舞踏会が開催される合図をリッカルドに告げに来る案内役でもある。ここまで重要な機能が与えられている以上、我々はオスカルを単なる「小姓」として認知すべきではない。むしろ、彼女=彼は、《魔笛》のパパゲーノと同じく真に道化的な存在である。市原愛が見事に演じ切っていたオスカルに私が感じたのは、生と死の狭間に存在する笑劇的な魔力であった。実質的に、仮面舞踏会でも中心にいたのはオスカルである。他の誰も、オスカルほど表立って存在を主張することはない。暗殺するレナート、暗殺されるリッカルドですら、オスカルを前にしては存在感が希薄化するのだ。
 これは私の仮説であるが、ヴェルディの《仮面舞踏会》の真の主役は、リッカルドでもレナートでも、アメーリアでもウルリカでもない。実質的には、オスカルというこの奇妙なニンファが全てを支配している。彼女は酩酊の神ディオニュソスの信女と、悪戯好きなプットーの間の子のような特異な存在なのだ。公演を観る前に既に私はストーリーと概説を確認していたのだが、まさかこれ程オスカルが重要な位置を持っているとは考えてもみなかった。この点で、このオペラはもしかするとヴェルディのクリプト化された笑劇だったのかもしれない。オスカルは笑い、テーブルの上でステッキを振り回し、帽子を片手に観客に笑顔を振りまく。彼女=彼はけして傷付かず、常に人を誘い、踊り、味方にも敵にもなることはない。市原愛はトリノのメンバーに混じって、極めて重要なこのポジションを愉しみながら演じ、歌っていた。私はそこに日本のオペラシーンの一つの輝かしい希望を確かに見出した。
 オスカルとパパゲーノがどこかで通底していると私は述べたが、《魔笛》でも観られた点は他にもある。その一つが、第三幕第一場のレナートの「お前こそ、わが魂を穢すもの」だ。彼はこの時、憤怒と嫉妬で深く苦しみ、絶望の果てにいるはずである。にも関わらず、ヴェルディが彼に与えた音楽は衝撃的なほどメルヘンチックで愛らしいのだ。ここには、我々がアッティラ・チャンパイの魔笛論とポール・ド・マンの「誤読」の概念から敷衍した、あの「オペラのアレゴリー(台本のテクストと音楽の不一致、齟齬、逸脱)」という美しい命題が浮上している。レナートのアリアが印象的なのは、彼の内的苦悩が音楽と一致しておらず、いわば分裂を来しているからだ。ここには、モーツァルトと通底するヴェルディの音楽の深い戦略が働いているのではないだろうか。
 今回の鑑賞でも、私はオペラグラスを用いていたが、特にドレスのディテールや舞台セットを「切り取って観察する」ためには、この道具が必要不可欠である。しかし、オペラグラスの真の面白さは、むしろ舞台の中の好きな場所に自分なりの「画面」を瞬間的に作れることにこそあるのではないか。オペラグラスから覗いている時、この丸いレンズの中は「自分しか知らない視点のプチ劇場」と化しているのだ。これはオペラ鑑賞の隠された面白さの一つである。あるいは、以下のように言い換えることも可能かもしれない。つまり、我々が何かものを「観る」ということは、実は常に既にオペラグラスによって何かを「覗く」ことと本質的には同一である、と。実際、我々は所有している文化資本の総体によってしか、一つのオペラを「解釈」することはできない。そこに既に見えないオペラグラスが用意されているといっても過言ではないのだ。

 
 

















関連記事
スポンサーサイト
*Edit TB(0) | CO(0)



~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


Back      Next