† ポール・ド・マン †

美学における「崇高」、すなわち「想像力(構想力)にとって常軌を逸したもの」(カント)ーーポール・ド・マンの代表作『美学イデオロギー』所収の三つのカント論の可能性

Keira Knightley by Mario Testino
Keira Knightley by Mario Testino

 このページでは、文庫化されて哲学、文学、美学の垣根を越えて多大な注目が集まっているポール・ド・マンの主著『美学イデオロギー』に収録されている三つのカント論全ての読解記録を掲載する。ド・マンは、私が考えるに現代の文芸理論において一つの頂点に屹立している並外れた思考力を持つ書き手であり、その著作はどれも喩えようのないほどの緊迫感を帯びている。カントの『判断力批判』は、ド・マンの『美学イデオロギー』における中心的な分析対象である。ド・マンはカントのこの美学書を、現代にあっても未だに謎であり続ける極めてラディカルな書として捉えている。


(1)「カントにおける現象性と物質性」読解

【崇高の核心的テーマ――「表象」】 

 カントの『判断力批判』の中枢テーマは多くの研究者から「目的論的判断力」、あるいは「目的なき合目的性」であると解釈され、美学的な「崇高」の概念はむしろ「余計なもの」とみなされてきた。しかし、ド・マンは本書を読解する隠された最大のキーコンセプトこそが、実はこの「崇高」論にこそあると考えている。まず最初に以下の二つの原理の要点を抑えておく必要がある。
 カントのいう「形而上学的原理」は、事物がなぜ、そしてどのように出来するのかを述べているだけでなく、この概念にとっては外在的な経験をも含んでいる。それは例えば、神の啓示として宗教者が認識するような体験である。このような体験を批判的に捉え、判断を下すのがカントのいう「超越論的原理」である。
 これら二つの原理は、アナロジーとして次の二つのものに擬えられる。つまり、形而上学的原理はスタティックな「物体」に、超越論的原理はダイナミックな「運動」にである。形而上学という不動の原理に対して、批判哲学とイデオロギーはそれらを批判的に分析しようとするダイナミックな運動に相当する。また、イデオロギーを逆に物体とみなした場合、批判哲学はやはりそれを解体しようと企図する知的な運動に相当するというわけだ。形而上学的原理は美学的には「美」と相関する。「美」は理論的に定義されており、明白な規範・原則を有する点で「延長(限界を持つ)」の概念に近い。他方、超越論的原理は美学的には「崇高」と相関する。「崇高」は延長のように限界を持たず、「数(限界がない)」の概念に近いとされる。
 ここからカントは、「美的なもの」とは「超越論的原理と形而上学的原理を接合させる哲学の可能性」であると規定する。より判り易く言えば、「美的なもの」の力は、「美」を理論的に構築しつつ、それを「崇高」によって攪拌し、内部破壊を齎す性質を最初から持っているということである。Aを打ち立てつつ、それを批判できる力、いうなれば絶えず自己批判する能力を「美的なもの」は持っているというわけだ。他方、「崇高なもの」はそもそもこの二つの原理の接合を目的になどしていない。
 まとめると、「美」は理論的に定式化可能であり、カントのいう形而上学的原理に近い。他方、「崇高」は「二律背反を孕んだ複雑さ」に貫かれており、強烈な快(反転すれば不快な苦)を与えるような魅力を持ちつつも、不愉快かつ不可解なものとされる。「崇高」のこの奇怪な側面について、ド・マンは以下のように極めてインパクトのある表現を用いて解説している。

あるいは哲学的な意味でいうならば、崇高とは一種の怪物、いやむしろ幽霊のようなものである。つまり、崇高というのは自然の属性ではなく(崇高な対象といったようなものは自然界には存在しない)、意識の純粋に内的な経験でありながら、この叡智的な存在物は現象としてrepresent(独:dargestellt/描出)されねばならない、とカントは繰り返し何度も主張しているのである。まさにこれこそが崇高の分析論の肝要な部分、核心部分に他ならない。(p135)


 短いテクストだが、重要な点が凝縮されている箇所だ。まず、崇高は怪物的で、幽霊的なものであるということ。そして、崇高はそもそも自然界に対象としてあらかじめ存在しているわけではないが、人間の意識が現象にいわば「意味賦与」(フッサール)、ないし「解釈項」(パース)を与えることで「崇高」として認知されるに至る点、更にそれが現象として再現=表象されなければならない点である。表象される以上、崇高には何らかの「対象」が纏わり付くことにならざるを得ない、とカントは既に認めていたことになる。
 自然そのものは崇高でも美でもなく、単にそこに物質として、有るから有る。しかし、主体の意識の動乱が自然界の嵐や竜巻などに「投影」されることで、いわばこれらの嵐や竜巻が現象としてVorstellung(表象されて)、単なる自然現象が理論的に「崇高」だと「みなされる」わけである。簡潔にカントの「崇高」の定義を引用すると、「それを表象することによって、自然の到達不可能性を理念の感性的な描出(表象)として思考するように意識を規定するような、(自然の)対象」が、すなわち「崇高」である。この引用文中の「表象」は英語のrepresentであり、ドイツ語のVorstellungが当てられている。崇高の問題の核心に、「表象」が位置しているという点はけして忘れるべきではない重要項目である。つまり、それを眼に見える形で表現してしまって良いのか? それは果たして眼に見えるほど通俗的であるのか? という、中世の「神」の視覚性においても往々にして言われていた命題がここで再現前しているのだ。
 このように、カントの「崇高」において「表象」の概念は極めて重要なものであるが、ド・マンによればフーコーは『判断力批判』のこの中心テーマを過小評価していた。フーコーによればこの本は「表象の空間からの認識と知識の退却」として位置付けられており、いわば「表象」の閉め出しが遂行されていると解釈されているのである。また、『判断力批判』を読解したヘーゲルもやはりカントの「崇高」の持つ重要性を矮小化して捉えてしまっている。ヘーゲルによれば、カントは「崇高」を単なる主観的な情動性という「凡庸なもの」に回帰させてしまっていると解釈されるのである。
 
【崇高、すなわち「想像力(構想力)にとって常軌を逸したもの」】

 ド・マンによると、カントが崇高を論じる際に数学的崇高に留まらず、力学的崇高という極めて名状し難い概念についても論じざるを得なかった(無論、言語によっても崇高が何であるかを明確に規定することなどできないことをカントは知っていたにも関わらず)という点が、そもそも巨大な謎として横たわっている。カントによれば、量と数の偉大さは「数学的崇高」(認識能力の要求に由来する)と呼ばれ、曰く言い難い質・量における定義が困難なものは「力学的崇高」(欲求能力の要求に由来)と呼ばれる。いわば、崇高は量・大きさとしては「極大」であり、本質的に感覚によって捉えきれるものではないのだ。それは「巨大さそのもの」であり、自然的なものを超越論的原理へ、知覚を想像力へと引き上げるものである。
 このように、崇高は本質的に定義不可能な美学的概念である。それは「自らを同定する原理」を最初から奪われているのだ。「崇高とはいわば、自分が成り損ねてしまうものへの願望として実現されるのだ、などと言うこともできないだろう。何故なら、崇高が願望しているもの――全体性――とは、自分自身に他ならないからである」(p138)。あるいは、以下のテクストも同様のことを述べている。「つまり崇高は、自分自身の存在不可能性を糧にすることによって存在を主張するというすり替えを行いながら、自分自身を策定していたのではなかったか」(p139)。だとすれば、崇高の自己破壊的要素、その定義の不可能性は、ド・マンが『盲目と洞察』のジョルジュ・プーレ論で展開した「近代」の概念と近接しているのではないだろうか。すなわち、モデルニテもまた、理論(父)に対して歯向かっていた息子が、その抵抗運動そのものに内在する頓挫を知って、理論へと遡及するそのダイナミックな動きとして捉えることができるのだとすれば、「美」に対する「崇高」の関係性は、「伝統」に対する「前衛」の関係性と相関していると言えるのではないだろうか。
 崇高は表象されても、絶えずそれを湧出していく。つまりある対象に完結した固定的な崇高が描き出されることなどありえない。だからこそ、崇高は「想像力(構想力)を我々に自覚させ、「想像力の快」を教えることになるのだと、ド・マンは述べている。「崇高」を自然界に見出すために必要な「眼」があるとすれば、それは「詩人のように見る」力であるとカントは考えているが、それがまさに「想像力」に他ならない。想像力は、「無限」という曰く言い難い超越を眼に見ようと企図するが、これは常に失敗・頓挫を余儀なくされている。しかし、この失敗の形式が、逆説的に「無限」に「対峙」することになるわけだ。このように考えると、本論の芸術論としての性格が浮き彫りになるだろう。いわば、頓挫・失敗を内に潜在させつつ、想像力は「無限」に対峙し得る唯一の力だとされるのだ。どこまでも定義、対象、解釈から逃走していくものとして「崇高」が意図される時、我々はここでデリダが述べる「コーラ」を想起することもできるだろう。コーラもまたあらゆる意味の領土から無限に逃走し続けつつも、デリダはこのギリシア語から謎めいた「一人の女性」の姿をイメージしている。つまり、本来イメージを招来することを禁忌として退けるはずのこの概念にも、不可避的にミニマル・イメージが到来するのだ。崇高もまた、コーラと同様に何らかの対象と結合せざるを得ない――すなわち、「表象」されざる得ないのである。そもそも、ドイツ語のEinbildungskraft(想像力/構想力)には、Bild(像/イメージ)という語が含まれていることを想い出そう。
 
【カントの文体のおける修辞システム――詩人ワーズワスとの類似点】

 ド・マンはカントを読解しつつ言語のモデルを以下のようにプロセス化して解釈している。これは人が読書する際の基本的な図式であると言えるだろう。まず、我々はページを捲りながらシンタグマティック(系統配列的)な連続的運動によって文章を次から次へと読み進めていく。これをカントはAuffassung(把捉)と呼ぶ。そうしていると、連続的な読みの運動を今度は、全体としてパラディグマティック(同位配列的)に包括して整理しなければならなくなる。ただ際限なく文字を追うのではなく、我々は常に何かキーコンセプトを拾い、必要に応じて取捨選択し、一冊の本をまとめるわけだ。これをカントはZusammenfassung(総括)と呼ぶ。すなわち、人は継起的に文章をAuffassungしながら読み続け、最終的にそれらをZusammenfassungするわけである――これがド・マンのいうreadingである。しかし、重要な点は人間の「総括」の力は有限であるという事実だ。どれ程理解力の優れた読者であろうが、「損得のエコノミーの内部で、局地的にトータライゼーション(全体化作用)を引き起こす」(ド・マン)ことは必然である。総括とはいえ、それは常に「誤読」の可能性に開かれた恣意的なものなのだ。
 美学的「崇高」は、「把捉」でも「総括」でも捉え切れないものとして出来する。つまり、それは言語によって理論化することができないのだ。ド・マンはこれを「崇高のアポリア」と呼称するが、カントは少なくとも崇高は言語学的な原理においては「かろうじて」基礎付けられることならできるのではないか、と考えていた。
 ここで今、「言語」と「崇高」という重要なテーマが浮上しているが、そもそもド・マンは言語をどのように解釈しているのだろうか? 本論において彼はオースティンの見解が『判断力批判』においても妥当すると述べている。すなわち、言語は比喩による擬似認識から、自ずと「行為遂行性」へと拡張するという考えである。『判断力批判』が厳密に理論構成された哲学書ではなく、むしろ文学的でパフォーマティブな構造になっているのだとすれば、それが最も顕著に見出される場こそが崇高論である。その理由の一つは、崇高がそもそも人間の「心的能力の理論」に即しているからであり、「情動性」を媒介にせざるを得ないからである。また、『判断力批判』には概念、観念を擬人化して語り合わせるかのような高度な演劇性も散見され、ド・マンはこれをクライストの『人形芝居』や、ディドロの『盲人書簡』と相関させてすらいる。カントが文学的な修辞によって思考を導かれている以上、我々はド・マンに倣ってこの本に登場する様々な比喩表現にこそ注目しなければならないことになる。
 ド・マンの解釈によれば、あれ程厳密かつ精緻に織り成された理論書の形式を採用しているカントの文体は、実は徹頭徹尾パフォーマティブな機制によって成立しているという。換言すれば、カントのテクストは「修辞システム」(一見些細なメタファーがテクストを暗々裏に支配していること)によって構成されているというのだ。では、カントが駆使した比喩言語の法則とはどのようなタイプだったのだろうか? ド・マンによれば、それはワーズワスの詩的言語に類似したプレ・ロマン派的な情緒性という特徴を帯びているとされる。特にそれが顕著に窺えるのは、カントの空間認識であり、そこでは天空は建築物の「屋根」として表現されている。また、「屋根」も「天空から身を護るもの」(シェルター)として表現されており、ここは建築の起源とは何であるかについてカントが非常に素朴で、ある種前近代的なメタファーに甘んじていた点を如実に物語っている。ワーズワスも、同じように天空を「屋根」と表現しているのである。
 天空が屋根だとすれば、カントにとって「大洋」は「星座が映し出される鏡」として表現される。しかし、このメタファー自体をド・マンは修辞学的なステレオタイプと考えており、いわばカントは崇高の対象を論じる際に、使い古された修辞システムからほとんど物質的なほどの形式性に支配されながら引用していたことになると解釈される。カントやヘーゲルといった美学者は、自分自身は安全な書斎の静かな机上で崇高について論じていたわけだが、この際に用いた比喩表現はあくまでも、実際に生身の自然に対峙して言語を生成させた詩人たちの生み出した修辞を辞書的に再利用していたということである。これをド・マンはカントの「唯物論的」な、あるいは「形式的」な側面であるとみなす。
 ド・マンのこの箇所が興味深いのは、あくまでも哲学の言語によって「崇高」を概念的に規定しようとするカントの企図が、否応なく詩人たちの感性的経験と結合してしまっているという点である。もし崇高が哲学言語で余すところなく定義可能であれば、わざわざ「大洋」や「天空」という眼に見える「対象」に言及する危険を冒さなくても良かったはずである。にも関わらず、カントは不可避的に「比喩言語」を崇高に結合させてしまう。ド・マンによれば、カントがサドと共に読まれなければならないという有名なフレーズも、まさにこのテーマを中心にしているという。つまり、カントの純粋に哲学的な言語には、その「不在」としての文学言語を不可避的に招来してしまう性質があるというのだ。彼の『判断力批判』の崇高論はまさにその「裂け目」であり、カント自身の文学性(詩人カント)が薄らと窺える極めて刺激的な部分なのである。
 ここで再度振り返っておけば、カントは「全体を同位配列的に包括する」力としてのZusammenfassung(総括)という概念を述べる際に、二つの比喩表現を用いている。一つは、雑多なものを一つに統一する作業という点で「建築術」のメタファーが利用される。もう一つは、やはりこれも部分の集合体として「身体」のメタファーが利用される。つまり、概念を説明する際にカントは不可避的に「比喩」に依存する傾向を持っていたのであり、これがまさにド・マンをしてカントは詩人ワースワスに近いと言わしめる点である。特に際立つのが、カント自身の自然描写とワーズワスの類似性なのだ。
 
(2)「カントの唯物論」読解

【カントの「崇高」論】

 初期カントの『美と崇高の感情に関する観察』(1764)はド・マンにとって「とてもすんなりと読めた代物ではない」と評されているが、具体的に言えばそれは例えば男性は崇高であり、女性は美であるなどという規定に見出される。この作品では「激情」も崇高と相関させられているが、後の『判断力批判』になると、「激情」よりも高貴な感情のモードとしてオランダ人的な「粘液質」、すなわち「情動の欠如」こそが崇高の最高形態であると規定されるに至っている。カントは以下のように考えを改めている。

しかし、感動の欠如(無感動、良い意味での粘液質)が、自分の諸原則にあくまでも忠実な心のあり方のことであるとすれば、こうした欠如ですら崇高であり得るし、それどころかはるかに優れて崇高なものであり得るはずである。何故なら感動の欠如は同時に純粋理性の承認を味方に付けるからである。こうした心のあり方だけが高貴と呼ばれ得る。この性質は後に、例えば建築物、衣裳、文体、身のこなしといった事柄にも適用され得ることになる。(p229)


 これは新古典主義時代のヴィンケルマンが建築物の崇高の条件として用いた有名な「高貴な単純さ(edle Einfalt)」、「静かな偉大さ(stille GrÖße)にも通じるものである。また、崇高は「溌剌として闘争的な感情」であり、小説や喜劇に往々にして見出されるような「のんびりして従順な気分」ではないと規定される。ここでド・マンが注目しているのは、初期に較べて、『判断力批判』の頃になるとカントは崇高と相関する感情についての考えを一変させているということである。そこにはやはり、カント自身が時を経て激情に対して一定の穏やかな姿勢を持てるようになったという精神的な軌跡――ある種のパフォーマティブな戦略変換――が見え隠れしているといって良いだろう。カントによると、「崇高」は理性と共に成り立ちつつ、感性を超越したもの、超感性的なもの(Übersinnlich)だとされる。そして芸術とは、「崇高を人為的に創り出すテクネー」であり、この技術は建築術をメタファーにして表現されている。例えばカントが崇高の眼に見える具体例として挙げるのが、聖ピエトロ大聖堂とエジプトのピラミッドである。
 以上、ド・マンの分析から判ることは、カントの「崇高」論がメタファーを主成分として構成されている点である。彼の文体は、崇高という曰く言い難いものを修辞的に表現せざるを得ないのだ。カントはかくして、「崇高なもの」の眺め方について以下のように述べるに至る。まず、有名な表現がwie die Dichter es tun(詩人が行うように)、wie man ihn sieht(現に見るがままに)、nach dem was der Augenschein zeigt(眼に映じるままに)という比喩である。無論、カントは「眼というのはなすがままの状態では知性を完全に無視する」こと、あるいは眼にそのまま映る眺めに気付くだけであることを知ってもいる。にも関わらず、彼は崇高をこのようなフィギュア(比喩)によってしか語ることができないのである。ここから導出されるのは、「崇高」もまた言語的な構成物であるという点に他ならない。
 カントにとって「崇高」があくまでも修辞学的な存在に過ぎず、実際の山や深い谷、荒れ狂う海でなかった点をド・マンは執拗に追及している。「カントにおいて詩人はけして外洋に乗り出したりはしないのだ」と彼が主張する時、同時に彼はカントがロマン主義的レトリックを崇高の修辞学的な成分として採用し、実際には崇高を伴う自身の体験を全く言語化していない点を追及しているわけである。ここで対照的な人物を一人挙げておくとすれば、それはやはりカントのようにテクストで崇高を分析した哲学者ではなく、絵画によって崇高を追い求めた画家ターナーの存在であろう。ターナーの挿話として知られているのが、荒れ狂う海の最中で、船のマストに自分の身体を括り付けて「嵐」の実相を直視したという体験談である。実際、ターナーの崇高表現には観る者を引き寄せるauraが宿っている。だが、冷静になって考えてみれば、カントが文体においてロマン主義のレトリックを採用していたように、ターナーもやはり「崇高な自然描写」の範型を先行する画家の中から物質的に「引用」していたはずである。より正確に言えば、たとえ画家が実際に崇高を出来事として体験していたとしても、その「表現」のシステムはあくまでもイギリスのアカデミックな風景画のテクニックから緻密に構成されているはずである。だとすれば、カントにとって崇高があくまでも言語的な産物であったように、ターナーにおいて崇高はあくまでも絵画素に変換可能な平面的事象に過ぎなくなる。我々は文字を、あるいは絵画に触れることで、表現者が想定しているであろう「背景」にかろうじて想像力を働かせることができるだけである。すなわち、カントが既に示唆していたように、「芸術」はあくまでも「崇高を人為的に創り出す技術」に過ぎず、本来の「崇高」との間には深い差異が横たわっているのだ。
 ド・マンはこのようなわけで、「世界を眺めるカントの眼差しは徹底的なフォーマリズム(形式主義)」に過ぎないと批判している。しかし、これはロマン主義の詩人や、ターナーだけでなくフリードリヒのような明確に「崇高」をテーマにした画家においても妥当するだろう。崇高は何らかの芸術システムによって人為的に再現前され、観客はそれを追体験することで個別具体的な、けして芸術表現には還元されない「出来事」との相関を見出すことになる。だとすれば、「崇高」は生身の自然に対する一つの解釈項に過ぎないことになるだろう。
 だが、ここで根本的な問いをド・マンに投げかけても良いかもしれない。そもそも、大海や天空は崇高なのだろうか? ターナーやフリードリヒが描いた氷海や断崖絶壁の岩盤の露出は崇高なのだろうか? もしも崇高をこのような、都市生活からは離れた大地的なものに還元する思考の一様態だとすれば、これ程簡単な芸術上の方法論は存在しないだろう。むしろ私には、何も描かれていない画布や、文字の消滅、修辞の不在などもまた「崇高」の情動性を満たすものとして重要であるような気配を感じるのである。自然描写というステレオタイプではなく、むしろ「描写」することの不可能性、書くことの不可能性を形式化することは、逆説的に曰く言い難い崇高の美学に接近していくことにならないだろうか? 例えばブランショのエクリチュールや、バーネット・ニューマンの抽象画のように……。

【ド・マンの歴史概念】

 そもそも、カントにとって「美的判断」とは、想像力と理性が「対照を通じて生じる調和」であるとされるが、ド・マンはこの考えに曖昧性を認めている。雑多なものを身体のように、あるいは建築物のように一つに統一、調和することに重要性を見出しているはずのカントは、奇妙なことに「美的な視覚の純粋な物質性」を重視して、ド・マンにジェリコーの四肢切断された絵画のような記述を誘発させているのである。実際、カントは身体の「部分」それぞれにも美が宿るという「断片性の美学」に対して寛容な姿勢を取っていたという。ド・マンは、ここに伝統的な「美的なもの」が解除された一つのメルクマールを見出している。
 これと相関して重要なのが、ド・マンの歴史概念の持つ「断片性」である。彼は歴史をevent(出来事)、あるいはoccurrence(出来作用)と位置付けており、その性質を以下のように記述している。「真理を特徴付けているのは真理ではなく、真なるものが出来するという事実である」。無論、真なるものと真理は一致していない。そこには「齟齬」、「ズレ」が存在するわけだが、これがoccurrenceの本質的な定義である。ド・マンによれば、歴史は常に断片化したeventとして分節化されてしまっており、テンポラル(時系列的)ではないとされる。それはいわゆる歴史教科書の記述方法が、どれも重要年代ごとに歴史を分節化している点からも明らかである。歴史は記述された途端、不可避的に分節化されたイベントの堆積物に過ぎなくなるのだ。あるいは、以下のように歴史と記述の問題を言い直すこともできるだろう。何か出来事が起きるそのたびごとに、出来作用が存在していると。「出来事」を記述している言語は、出来事それ自体ではないのである。そこに歴史の持つ「虚構性」(物語性)もまた存する。ド・マンは以下のように「歴史」の持つフィクションとしての性格を指摘している。

むしろ歴史とは、認識の言語の只中から力の言語が忽然と浮上することに他なりません。とはいえ、そうした忽然たる浮上というのは、それ自体は弁証法的な運動でもなければ、いかなる種類の連続的過程でもない。つまり認識作用によって把握されるような類の連続的過程ではない。…比喩論的陳述(トロポロジカル)と遂行的陳述(パフォーマティブ)とのあいだには、いかなる媒介者の介在をも許さない切断があるのです。しかし、一方から他方へと進む単線的な運動でありながら、しかも時系列的な流れに沿った過程としては表象され得ないような運動というものが存在します。こうした運動こそヒストリカル(歴史的)なものであって、そこでは何らかの認識の内部に再び歴史が書き込まれるなどと想定されてはいないわけです。(p245)


 本論稿を読解しながら考えていたことなのだが、我々が「言語」の持つ虚構性に恐ろしい程敏感になる瞬間がもしあるとすれば、それは「歴史的な事件」についての意見が皆それぞれ異なっているような現象に直面した時ではないだろうか? 言語はばらばらで脈絡の無い意見を統一し、包括するような力を持っている。これはカントがZusammenfassung(総括)と表現した言語の力である。しかし、ド・マンによれば言語は以下の二つを主成分として構成されている。すなわち、「フィギュア(比喩)」と「パフォーマティブ(行為遂行的陳述)」である。もしそうだとすれば、歴史の「客観的記述」の不可能性が指摘されるのは当然だということになり、いずれにしても言語の「総括」の力には一定の「権力」が宿ることになる。より正確に言えば、歴史は勝者が記すという表現にあるように、文化的威信を持つ歴史学者などの専門家の言説が「客観性」のパラメータとして重視され、彼らによって「歴史」がいわば「編集」されるということになるだろう。そして実際、世界中の歴史教科書はこのようなテーマ系の上に成立していると言える。ド・マンの言語論はこの歴史認識に深く食い込んでいる「言語」の問題をもう一度ラディカルに問い直すものとして極めて衝撃的な力を持っている。
 興味深いことに、ド・マンによれば行為遂行性は比喩(比喩論的な認識体系の内部)によって回収され、後退するとされる。だとすれば、全ての歴史教科書がどれ程修辞を排除し、客観的な記述を企図したとしても、そこには必要最低限の「ミニマル・イメージ」を付随させることになり、これは「メタファー」の持つイメージ喚起力と同質のものとみなすことができるだろう。テクストは「比喩」に支配される――この図式が最もドラスティックな形で問題化する場は、やはり「歴史」とその言語化された舞台、すなわち「歴史教科書」においてなのではないだろうか。
 ド・マンの歴史概念こそ、おそらく彼の言語論の最深部に繋がっていく領野である。ド・マンに学んだイェール学派の才媛ショシャナ・フェルマンはそのオースティン論であり、かつモリエール論でもある『語る身体のスキャンダル』の中で、「言語」とは本質的に「パフォーマティブ」な運動に支配されており、ドン・ジュアンが女性たちとの約束を次々と破っていったように、誘惑的なパフォーマティブはコンスタティブな事実を破棄していくと述べた。これはオースティンの場合、最初に定義した理論を、後半では自ら破棄してみせるという演劇的な構成と擬えられている。フェルマンはこのような言語の持つ行為遂行的側面を第一の原理として認めていたわけだが、ド・マンもパフォーマティブをフィギュアと同じように重視する点ではフェルマンと同じである。言語が本質的にパフォーマティブなものであるとすれば、「歴史教科書」は時代によって全くその内容を変えることにならないだろうか? ある国家と犬猿の仲にある時、その国を説明するページは極めて批判的な調子を帯びているが、その国が自国と同盟関係を結び共通の利益に与ると判断すれば、記述の色合いも変化するだろう。言語はこのように、国家の情動性に左右されるという点で、やはりドン・ジュアンと同じようにパフォーマティブな原理に支配されていると言えるのではないだろうか。


(3)「カントとシラー」読解

【シラーの「実践的崇高」】

 初期シラーには、カントの『判断力批判』を誤読した書として有名な「崇高について」という論稿が存在する。この論稿の副題は「幾つかのカント的理念の更なる展開」であり、若きシラーがカントを自分なりに咀嚼し、思考したことを書き著したものである。ド・マンの分析によれば、シラーにはカントを単純なアンチノミー(二律背反)に還元してしまうような素朴な思考が見出されるという。例えば、「自然」を「恐怖」に、「理性」を「平静」に結び付け、この四つの項目によって論を進めようとするようなある種の素朴さである。シラーによれば、崇高な自然とは常に恐ろしいものとして規定される。逆に、意図的な戦略を持ってわざと人に恐怖を齎そうとするようなものは、人間であれ、自然であれ、崇高ではないとされる。一方、理性が恐怖と結合することもあれば、自然が平静の状態になることもあるとシラーは考えてもいる。「人はある種の平静さを保ちつつ、自然の崇高な暴力を享受することができる」(p251)、このシラーの印象的な言及をあえて「表象」に結合させるとすれば、それは例えばドイツ・ロマン主義の画家フリードリヒの《雲海の散策者》のようなイメージになるだろう。
 シラーとカントの崇高論の著しい相違点は、「数学的崇高」と「力学的崇高」に対する解釈によって顕在化する。シラーはこの二つを対立した崇高として認識していたが、ド・マンは少なくともこれらは対立してなどおらず、むしろ「比喩」が「力」へと変形されるプロセスであると判断している。判り易くまとめておくと、カントの「数学的崇高」に相当する概念はシラーの「理論的崇高」である。これらは共に「表象の失敗」によって特徴付けられる。他方、カントの「力学的崇高」に相当するものはシラーには存在しない。何故なら、シラーがカントのこの概念を「誤読」しているからである、とド・マンは考えている。シラーが誤読によって新たに生み出した新しい崇高概念は、「実践的崇高」と呼ばれ、これはカントの力学的崇高と対応していない。この概念的な不一致にド・マンは注目している。シラーの「実践的崇高」は、自然の脅威、その恐るべき自己保存の力を指している。
 実践的崇高――それは「火・暴風」に代表されるような人間の生命に深刻な「危機」を齎す概念である。因みに、この底知れない危機意識はカントには存在せず、この哲学者にとって危機に対応するのはあくまでも「Verwunderung(驚嘆)の衝撃」に過ぎない。火や暴風といった具体的な自然現象を例にしながらも、実践的崇高はやはり「表象の失敗」という、崇高概念におなじみの特徴を備えている。

ある存在物ないし物体は、それが無限なものの表象を含んでいるならば、理論的に崇高である。無限なものを把握することなどできないと想像力は感じるからである。崇高の第一の形態においては、我々は表象しようと試みて失敗し、第二の場合においては、対抗しようと試みて失敗するのである。第一の崇高の例となるのは凪いで静かな大洋であり、第二の崇高の例となるのは暴風で荒れ狂う大洋である。(p256)


 既にカントの崇高論でも登場していたが、シラーもまた崇高なものを「大洋」の表情に見出している。大洋であれ、密林であれ、岩場であれ、砂漠であれ、自然の環境としてそのまま残っている世界が対象になっているわけだ。絵画的な次元に置換すれば、やはりターナーの海洋描写へと我々を誘うものである。
 劇作家シラーの崇高論は、哲学者カントのそれよりも単純明快である。しかし、カントを「誤読」するシラーというテーマでド・マンが彼の見解を再構成する時、そこには逆に「カントが言いそびれた点」が顕在化している可能性があるわけだ。カントとは異なり、若きシラーは強烈な身体的「危機」の感覚に美学的「崇高」を見出しているのである。無論、シラーも机上という安全な場でこれを述べていたわけだが、カントの「驚嘆」の感覚よりも、シラーの方がいっそう生存上の危険を想定していることが濃密に伝わってくる。シラーは以下のように、実践的崇高を理論的崇高の上位に位置付けている。

というのも自己保存を目指す欲望は、認識を目指す衝動よりも大きな声をあげるからである。恐怖の対象は、無限の対象よりもはるかに大きな暴力でもって、我々の感性的生存を攻撃する。まさにそうであるからこそ、我々の中の感性的力と超感性的力とのあいだの懸隔がいっそう生き生きと経験され、理性と内的自由とに備わる優越性がかえってますます明らかにもなる。崇高の本質とはこうした理性的自由の意識のうちにあり、また崇高と結び付いたあらゆる快楽はこうした理性的自由の意識に基づいているのである。したがって当然次のようなことになる。すなわち、恐怖というのはエステティック(美的)な表象において無限よりもいっそう生き生きと快活に我々を動かすはずであり、したがって感動する力という点では実践的崇高は理論的崇高よりもかなり優位に立っている、ということである。これは経験によって確証されることでもある。(p258)


 ド・マンはシラーのこの解釈を、哲学的関心の欠如した、どちらかというと心理学的観察に基づく見解であると批判する。カントが崇高に「無限」を策定したのに対し、シラーは劇作にも応用可能な「恐怖」に掏り替えてしまうというのである。カントにとって「恐怖」はあくまでも理性と想像力が無力に陥ることで生起するものであったが、シラーのそれは劇作家の眼から捉えた世俗的解釈の域を出ないと一蹴されるのである。

【「危険」をアナロゴンに変換すること――トロポロジカルな交換】

 カントとシラーには重大な共通点が存在する。それは、二人が共に安全な岸辺から船の転覆を論じるような「机上の人」であったという点である(彼らは共にphysical safety〔身体的な安全〕の確保された場から崇高を分析する観察者である)。シラーはこの点をポジティブに捉えており、危険は「我々には力を向けていないような場合だけ」、崇高になり得るとすら述べている。シラーは以下のように続けている。

このとき恐怖は専ら想像力の中でのみ危険の表象として存在しているに過ぎない。しかし恐怖の想像的な表象であっても、それがともかくも生き生きとした表象であれば、我々の自己保存の感覚を十分に呼び覚ます。それは実際の経験が生み出すであろうものと類比的なものを生み出すのである。(p262)


 ここで重要なのは、シラーが「実際の生存上の危険」を、「危険と類比的なもの」に置き換えているという点であり、そのような想像的な恐怖の表象であっても、「我々の自己保存の感覚を十分に呼び覚ます」と認めている点である。これはすなわち、絵画や、文学、音楽、映画、オペラなどの芸術上の審美的体験が、「崇高」の感覚を呼び覚ますことをシラー自身が認めているということである。ド・マンはこの「類比的なもの」に置換するシラーの戦略を、「トロポロジカル(比喩論的)な置換」と呼称している。無論、画廊で崇高を味わう時、絵画平面に描かれた「嵐」は我々の生存を脅かすわけではない。つまり、こうした「類比的なもの」による審美的な体験は、実は実際の自然の崇高体験の「擬似体験」なのであり、観客はあくまでも安全なところに身を置いているという点が前提である。シラーは崇高の類比物を積極的に取り込もうとするわけだ。

こうして人は危険な状態の只中にありながら、一種のフィクションないしプレイ(演劇)の中にいるかのように戯れることになるわけですが、しかし危険を比喩論的な状態に置くことによって身を守ってもいる。つまり、危険が一つのフィギュア(比喩)へと加工されるという事実こそ、人を危険の直接性から守っているのです。こうした比喩論的な比喩表現によって、つまりこのように想像力へと移行することによって、人は危険にうまく対処できるようになる。逆に言えば、フィギュレーション(比喩表現)とは必要とあらば危険をアナロゴン(類比物)やメタファーといった比喩でもって置き換えることで我々が危険にうまく対処してゆけるようにする、一種の防衛策のような役を演じているわけです。(p265)


 このド・マンの見解は本論稿の白眉の一つであり、極めて説得的で合理的な解釈ではある。しかし、果たして我々の生命が本当に「比喩表現」によって、要するにそれらを駆使して創造される言語的な類比物によって救われるというようなことがあるのだろうか? 問題は生存上の「危険」のはずだが、ド・マンはここで確かに「アナロゴンやメタファー」が、「危険にうまく対処してゆけるようにする」一種の特効薬であることを全面に押し出している。これは冷静に考えれば実に奇怪な考えではないだろうか。芸術が生命を救い出すというのは確かに一つの重要なテーマの一つになるが、シラーがあくまでも「生存上の危険」を繰り返し主張していた後で、このようにあっさりと比喩論的に解釈してしまうド・マンは、やはり「書物の外もまた書物である」という一種の病を患っているのではないだろうか。ここで我々が見出すのは、むしろド・マンが「余白」に眼を向けないその専制的な思考のプロセスそのものである。
 生存上の危険――このシェルターになるほどの力が(ド・マンは控えめに「フィルター」と表現しているが)、果たして再現前化された類比物に存在するのだろうか? 例えば情動性に含まれる幾つもの感覚、憂鬱、憔悴、絶望などを「歓喜」(あるいはmoral safety〔精神的な安心〕)に変える力がそれらにあり得るとしても、「生存上の危険」がこうした単なる気分に還元されないものであることは言うまでもない。例えば、爆撃機の攻撃、火事場、沈没する船……こうした危険に抵抗し得るものを、ド・マンがここで述べている言語的な類比物(例えば詩)は宿してはいない。むしろ、机上で想像的に体験することで感じる崇高とは無縁な「快」について、シラーもド・マンも肯定してしまっていると言えるのではないか。詩は戦場では何の役にも立たない。それは血を拭き取るための応急処置にかろうじてなり得る程度である。そしておそらく、こうした我々の不満は、実はカントを読解したシラーや、シラーとカントを読解したド・マンがやはり共有していた「もどかしさ」ではなかったのだろうか。実際、カントもバークの『崇高と美の観念の起源』を読解した時に、その経験論への傾斜を批判していた。ここから一つ言えることは、彼らには共に強烈な「崇高」を生身で体験したというその経験が欠けているということであり、Einbildungskraft(構想力/想像力)にその代補的な力が移譲されているという図式である。
 カントとシラーの崇高論には他にも重要な相違点が幾つか存在する。その一つは、「想像力」の概念についてである。カントは、それが失敗することで初めて美的観照(美的直観)が可能になると規定したのに対して、シラーは知性と同じくそれは人間を無力な状態から救済するものであると規定する。この関係をカントが定めた「形而上学的原理」と「超越論的原理」に照らし合わせると、シラーはいわばはスタティックで「物体」的なカントを、ダイナミックに「運動」させる存在として解釈することが可能である。換言すれば、シラーはカントの批判哲学のイデオロギーとして機能してしまっているわけである。また、比喩についての認識にも両者には差異が見受けられる。シラーが比喩を目的論的に、それ自体を目指して用いるのに対して、カントはあくまでもロマン主義的なレトリックを形式的に緩用する程度である。

【シラーの「遊戯衝動」について】

 後期シラーは『美的教育に関する書簡』の中で、美的なTriebe(衝動、衝迫)を二つに区別している。一つはsinnlicher Trieb(感性的衝動)であり、これは全てを一瞬で欲する衝動で、特殊的でありかつ個別具体的である。もう一つはForm Trieb(形式的衝動)と呼ばれ、これは法則を求め、前者を一般化しようとする衝動である。シラーはこれをテクストの原理としても重視しており、二つの統一を目指している。つまり、単なる一過性の最初の衝動を、後天的に既成の法則・形式に当て嵌めて一般化するプロセスである。シラーはこの二つの結合原理から、「美の最高の理想」が生じると考えていた。シラーには名高い「美的国家」の概念が存在するが、その根にあるのが上記の二つの衝動によって構成されたSpieltrieb(遊戯衝動)である。英訳ではplay(戯れ)とも訳され、「我戯れる、ゆえに我あり」の考えを基礎にした美的原理である。ド・マンはここでシラーの国家論については概略程度にまとめているに過ぎないが、シラーが美学を国家論の基礎に据えていた点を強調している点が印象的である。シラーの美的国家論に対する極めて重要な批判は、栗原隆編『世界の感覚と生の気分』に収録されている宮﨑裕助氏の論稿「美的情動のアンビヴァレンス――カント、シラー、美学イデオロギー批判――」が示唆的であるので、そちらを確認されたい。




「参考文献」


美学イデオロギー美学イデオロギー
(2004/12/10)
ポール・ド・マン

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