† マルセル・プルースト †

プルーストはどんな作曲家を愛好していたのか?――斉木眞一「1913年のプルーストと音楽」(『思想』(2013年11月号――『失われた時を求めて』発刊百年)読解

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 プルーストはどんな作曲家を特に愛好していたのだろうか? その秘密に迫った魅力的な論稿を紹介しよう。『思想』(2013年11月号――『失われた時を求めて』発刊百年)収録の、「1913年のプルーストと音楽」の中で斉木眞一氏は、プルーストがフランクのソナタと、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲(最後の五曲)に特別な思い入れを抱いていた事実を紹介している。
 マーラーが死んだ二年後、シェーンベルクによる「調性の破壊」が始まっていた年である1913年の4月19日――この日のプルーストに何が起きたのか? 彼はフランクのソナタを聴いたことで、音楽的なある「啓示」を得たとされている。この時の大きな感動が作中の音楽家ヴァントゥイユの創造に繋がることになる。

César-Auguste-Jean-Guillaume-Hubert Franck
セザール=オーギュスト=ジャン=ギヨーム=ユベール・フランク(César-Auguste- Jean-Guillaume-Hubert Franck、1822年12月10日 - 1890年11月8日)

 この年以降、プルーストは「苦悩する作曲家」のイメージを重視するようになり、フランクだけでなく聴覚を喪失したベートーヴェンを再発見している。

何年か前からベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲とフランクの音楽は、私の主な精神の糧です。(p195)


 これは、『失われた時を求めて』を音楽と共に味わう上でも貴重な証言だと言えるだろう。
 一方、プルーストはワーグナーの《パルジファル》を作品のフィナーレから意図的に「削除」していた。彼によれば、ワーグナーという人間がどれ程偉大な音楽家であっても、彼自身の人生にはベートーヴェンには宿った「悲劇的側面」が欠落しているという。ワーグナーはプルーストの生きた時代にとって、社交界の一過性の流行という印象も否めない存在でもあった。また、彼は同時代に好評を博していたサン=サーンスには一定の距離を置いている。1913年にはストラヴィンスキーがパリで《春の祭典》を初演しているが、この時の夜会に参加したプルーストは、サン=サーンスを絶讃するストラヴィンスキーをあまり快く感じなかったようだ。サロンでプルーストとも交流したストラヴィンスキーは、以下のように当時の印象を語っている。

彼(プルースト)がベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲に夢中になっていたのを思い出す。それがただの気取りで作品をめぐる独自の判断では全くないという、当時の月並みそのものでなかったならば、私も彼の感激を共有できたことだろう。(p199〜200)


 斉木氏はこのように本論で、プルーストが同時代に人気を博した作曲家とも距離を置き、音楽家の人生の「苦悩」が滲み出た作品にこそ魂のシンパシーを抱いていた点を浮き彫りにしている。1906年末からプルーストはオスマン通りのアパルトマンで一人暮らしを始めているが、そこで彼はピアノラ(自動ピアノ)を購入している。これらのエピソードは、プルーストにとって音楽が作品制作にとってどれ程重要であったかを如実に物語っていると言えるだろう。








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