† 展覧会 †

特別展「《終わりなきパリ》、そしてポエジー« Paris sans fin », et ses poètes —アルベルト・ジャコメッティとパリの版画展—」(東大駒場博物館)の記録

【ジャコメッティにおけるmodernitéとの格闘】 

 今回の特別展のテーマはカタログにあるように「modernité(モデルニテ/現代性)」の再構成である。松浦寿輝の『平面論』にせよ、小林康夫の『表象の光学』にせよ、極言することを許されるならばそれらは共通して「モデルニテ」を新たに位置付け直すことに向けられていると言えるだろう。それが結局は、今我々が生きているこの「現在」を鮮烈に逆照射する行為になるからである。
 桑田光平氏が寄せているように、素描家コンスタンタン・ギースを扱ったボードレールの評論「現代生活の画家」の中で、「モデルニテ」はその定義を得ている。つまり、「éphémère(エフェメール/儚さ)の中に永遠の美を見るという都市生活の美学」という、この簡潔な表現の中に「モデルニテ」の概念を紐解く全ての謎が隠されていると言えるのではないだろうか。ジャコメッティ最晩年の版画連作が選択されていること自体が、この概念を解剖する戦略だろう。

彼の眼からは「全てが逃れ去る」のです。以降、1966年の死に至るまで、ジャコメッティは「逃れ去る」現実との「終わりなき」格闘を続けることになります。…《終わりなきパリ》は、カフェで、路上で、博物館で、アトリエで、広場で、あるいは車の中ですら、はかなく逃れ去るモデルニテの首都を捉えようとしたジャコメッティ最晩年の傑作です。…そして、ついには「わたしはわたしが誰なのか、わたしが何をしており何を望んでいるのか、もうわからない」という境地にまでジャコメッティは至ったのです。


 消費主義的で、即物的に流れ行く「現在」の流動性に抗したジャコメッティ。そして、そんな現在にも瞬間としての「永遠」のauraを見出そうとしたジャコメッティ。éphémèreという言葉は、まさにmodernitéの中核を成す観念ではないだろうか。ジュネはジャコメッティの作品について、以下のように評している。「素晴らしくカットされた宝石たち。だが、ジャコメッティがカットしたのは空白――白いページ――だったのではないか」。あるいは、ラディゲの「親愛なる友よ、ただちに錨をあげよう。インク壷は海のように悲しい」という言葉もまた、ジャコメッティの制作に伴う精神と通底しているように思われる。モデルニテと格闘すること――言い換えれば、「パリ」という都市のイメージに触れること――は、同時に絶え間ない「痛み」を伴う制作へと駆り立てることを意味したのだ。
 本展覧会には「モデルニテの空間」を描写したシャルル・メリヨンの貴重な《パリの銅版画》や、建築家ル・コルビュジエの版画集《海は常に存在する》なども出展されている。また、作家パスカル・キニャールが本展に共鳴する言葉を贈っている。


秘められた生 (フィクションの楽しみ)秘められた生 (フィクションの楽しみ)
(2013/11/14)
パスカル・キニャール

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  キニャールの『秘められた生』は、「モデルニテ」における断片的な特徴をテクストの上で実践したような散文的な作品である。あたかも都市の至る所で書き留めたフラグメントが一冊の本として「再構成」されたような印象は、本展覧会のディスプレイの方法論とも通底していると言えるだろう。
 モデルニテの概念をより深く考察するために、我々は以下で日本でも脚光を集め続けているポール・ド・マンが、この概念をどのように分析していたのかを読んでみよう。


 【ポール・ド・マンによるmodernitéの分析】




盲目と洞察―現代批評の修辞学における試論 (叢書・エクリチュールの冒険)盲目と洞察―現代批評の修辞学における試論 (叢書・エクリチュールの冒険)
(2012/09)
ポール ド・マン

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 『盲目と洞察』の八章でド・マンはまず「モデルニテ」の定義の困難さ、その錯綜さを示唆する。モデルニテという概念にもしアントニムが存在するとすれば、それはおそらく「歴史的」(伝統的、ないし古典的)であろう、と彼は考える。ニーチェの考えによれば、近代人はギリシア人と対立していたが、ド・マンはこれを受容して「モデルニテ」とは一過性の流行ではなく、より実践的で根底的な何かであると把捉している。何か、とはすなわち、「衝動」である。例えば「動物」という存在は、いつでも「瞬間」を生き、過去を振り返らず、非歴史的である。なおかつ、ニーチェは彼らを「ある種の幸福の内に生きている」とみなしていた。ニーチェのいう「衝動」とは、このような動物存在を看取した上で成立しており、それは行動に没入する際のある種の「盲目性」を担っている。モデルニテとは、どのような衝動であるのか? ド・マンによれば、それは「自分自身に向かって批判的な裁きを下す」ことの可能な、「それ自体が生成力」となるものである。モデルニテとは、新しい出発を印付ける原点へ到達しようと試みつつ、どんなものであれ先行するものの一切を払拭しようとする欲望というかたちをとって存在する。それは「意図的な忘却」と、「新しい起源への意志」の結合である。モデルニテとは、「自分自身を否定し、かつ破壊する」衝動であり、また「自分自身に矛盾すること」である。これはニーチェの規定する文学の本性でもあり、そして「生」それ自体であった――ド・マンは、このように「近代」の概念を再構築する上で、その発火源に位置するニーチェのモデルニテ概念を採用している。そして、彼はこうしたニーチェの解釈を、「語の最深の意味で歴史的」だと解釈している。
 ド・マンはニーチェのモデルニテについての考え方を、「歴史」概念の核心として位置付けている。ド・マンは言う、「文学は常に本質的にはモダンである」。そして、作家の言語はやはり一つの「行為」として、また「解釈のプロセス」として規定できる。ニーチェが「自分自身を否定し、かつ破壊する」衝動を「モデルニテ」として定義する時、結局ここで言われているのはある作家、詩人における「苦悩」の「瞬間」なのであり、その後全ての創造の「出発点」に位置するような源泉のことである。こうして、全ての書き手は同時代から超脱しようと前衛的な身振り(それはモデルニテ概念そのものが持つ運動を意味する)を試みるが、彼らの破壊的な意志にも関わらず、批評家は彼らのテクストに常に先人たちという起源を見出さざるを得ない。というより、書き手自身が己の起源を先人たちに見出すことが不可避的に生起するのである。このような例は、演劇を根本的に革新しようとしたアントナン・アルトーが、結局「バリ島」の人々の儀式という先例に自己の起源を見出したことや、晩期ボードレールの散文詩がルソーという先達を見出している点などからも明らかである。作家は自分がモダニスト、あるいは前衛の旗手にはなりえないと自覚することで、伝統的な文学形式の内部へと引き返すことになるが、だからといって彼らが真にそこで慰められるわけでもない。ド・マンは、もし彼らが文学の古巣で安逸してしまえば、「彼は最早作家ではなくなる」(p282)とすら述べている。ここでド・マンが我々に伝えていることは作家たちの創造原理である。それはまず、モデルニテを自己体現しようとする欲望を通して生成する。しかし、いかなる作家もけして自らが望むモデルニテを完全に実現し尽くすことはできない。ここで彼らが「古典」へと反転衝動のように立ち返り、文学そのものの遺産へと「折り返される」瞬間――まさにそれは、モデルニテの概念が文学の歴史性と手を結ぶ瞬間に他ならない。前衛たらんと意志する者は、その「挫折」、「断念」を通して初めて文学史そのものの連続性、反復性を半ば苦渋に満ちた面持ちで受容せざるを得なくなるのであり、ここにこそ読者がその作家をして真に革新的であるとみなすテーマ、概念が前景化する。かくして、モデルニテそのものは根本的に文学からの離脱であり歴史の拒否として規定できるが、それはまた文学に歴史性を与える根本原理としても作用する。
 実際、我々は多くの作家志望者、あるいは新進気鋭の作家たちの中にこのような「モデルニテ」と「歴史性」の共存を見出すことが可能である。彼らはデビュー当時は華々しい前衛主義を表明し、注目を集め新時代の文学の幕開けを予告するが、しかしいわゆる彼らをして「後期形式」と呼ばれる時代にまで時間が流れれば、そのスタイルが最早当時の前衛とは一線を画していることに気付く時が来るだろう。しかし、このように文学の古典的形式へと回帰したスタイルの中にも、彼のモデルニテは盲目的なかたちで埋め込まれているのであり、文学史はこのようにモデルニテによって支えられていると解釈することが可能である。モデルニテ――それは伝統的、歴史的な文学史を「祖父」とみなした場合における、反抗的な「孫」の身振りに他ならない。しかし、孫もまたいつかは「祖父」となる。こうした作家のプロセス自体が、ド・マンによれば「文学言語の本性」に由来した現象として規定されていることは重要である。ただ、彼は以下のように注意深く付記してもいる。「あたかも文学テクスト(ないし文学的使命)が一定期間その中心から離れ、次に方向転換し、特定の一瞬へと折り返されてその真の原点に立ち戻ったかのように、事態が順序だてて生ずるわけではないのだ」(p283)。文学の中心的な場から離れる瞬間、あるいは再び中心に回帰する瞬間が、どの作家にも交替して出現するなどということではなく、彼らの創造の軌跡においてこうした諸瞬間は脈絡なく断片的に生起する。何らかの文学史上に画期を齎す出来事が、なるほどそれまで伝統的形式に身を委ねていた書き手に「前衛」を意識させることはあり得るだろうが、かといって全ての作家が共通して「中心化」、「脱中心化」という順序を踏襲するわけではない。繰り返すが、これらは各自の持つ固有の出来事として生起する。
 本論(八章)を読解しながら考えたことを書いておきたい。作家がモデルニテから再び伝統的形式へと回帰した時に、エクリチュールの次元ではやはり古典性の中にもモデルニテが「痕跡」化して保存されるということである。つまり、スタイル上の前衛主義が伝統主義と敵対関係にあるわけではなく、むしろ前衛主義のスタイル上の技巧性や時代状況との即応性、過激な身振りなどは次の形式において再現前する、と言えるのではないだろうか。この時に生起するのは、古典性を持ちつつも高度に洗練された新しいエクリチュールである。したがって、文学における最新鋭の理論を吸収し、常に前衛を意識して書こうとする試みは、やがて彼らが「古典」へと回帰した時にこそ、最も華やかな美的特質を備えた形式へと生まれ変わると言える。
 また、本論でド・マンは文学を社会科学的に厳密にアプローチしていく理論に対して批判的な見解を表明している。作家の社会学的な背景を分析することによってのみ作品の解明が可能だとする厳格な「実証主義」(例えばブルデューの社会科学的な作家へのアプローチも、ド・マンからすれば批判の対象になり得るだろう)が、ここで問題視される。








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