† 映画 †

少女の「魔女化」のためのイニシエーション――カンヌ国際映画祭で話題沸騰のエヴァ・イオネスコ『ヴィオレッタ』の世界

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Isabelle Huppert, Anamaria Vartolomei
(C)My Little Princess (2010)


 あたかも、魔女の母娘のように。この映画に相応しい形容詞を私は休日の朝、静かに探している。渋谷イメージフォーラムには、多くの人がこの映画を観るために集まり、整理券が配られていた。その大部分が女性たちであったのも、やはりこの映画が「プリセンス」と「魔女」という、二つの乙女チックなテーマに貫かれているからだろう。魔女というのは、もちろんイザベル・ユペール演じる母親だ。彼女には著名な女性写真家イリナ・イオネスコの姿が投影されている。他方、プリンセスというのはアナマリア・ヴァルトロメイの姿に託された女性監督エヴァ・イオネスコの少女時代である。

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Isabelle Huppert, Anamaria Vartolomei
(C)My Little Princess (2010)


 「フレンチ・ロリータ」とキャチコピーでは飾られているが、私のようにロリータにあまり関心がない男性でも、この映画は魅力的な作品に仕上がっていた。というのは、この映画は実は「母と娘」のドライな関係を描いた親子愛としても読めるからだ。それだけでなく、イザベル・ユペールの並外れて華美な衣裳も実に鮮烈である。彼女は芸術制作のためには、「外見から」というタイプなのだろう。映画の中で「写真」をテーマにすること、それは我々に否応無く「映画と写真」という二つの領域について考えさせる。写真では伝わりにくい被写体のリアリティーが、映画では動きを伴って表現される。あたかも、写真そのものが母イリナであり、母とは異なる表現媒体を選択した娘エヴァが映画であるかのようだ。映画は写真だけでなく、テクストも内部に取り込むことができる。だが、そこには現在再評価されている「写真の古典性」に近いある種の静謐なリリシズム、ノスタルジーが宿らない。否、確かにモノクロの古い映画には古い写真に近い郷愁が働くものだが、やはり黎明期の写真とは異質なものだ。母と娘のこの異質さは、そのまま専制的な母が娘を被写体にして支配しようとする関係に移し替えられる。
 ヴィオレッタ――もしも彼女をバルテュスが見たら、あるいは『ロリータ』執筆中のナボコフが見ていたら何と言っただろうか? そしてこの映画から伝わるイリナ・イオネスコの写真作品も刺激的であることを我々は認めなければならない。それは男性客のための「半ポルノ」という性格を帯びている。彼女が芸術界で生き延び、資金を調達するための唯一の手段は、「男の欲望」に訴えかけることだったのだろう。それを「芸術界の娼婦」と侮蔑することもできなくはない。だが、それでもイザベル・ユペールの演技から伝わったのは、娘を愛することが強靭な「自己愛」に結合しているというある種の屈折である。いわば、母親の「美しい小さな鏡」(「撮る」行為が男性的な欲望の眼差しを代理し続ける。娘がモデルを降りようとすると母親が幼いロリータファッションに身を包むところに、彼女の自己愛が娘に完全に投影されている)として、ヴィオレッタが「創造」されるのだ。この創造は等身大の彼女ではない。つまり、それは「演出」されたものとしての「写真」である。あるいは、あらゆる自己を撮影した写真がそうであるように、全ての写真とは実は「演出」であり、映画上のスクリーンと同根なのである。

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Isabelle Huppert, Anamaria Vartolomei
(C)My Little Princess (2010)


 「死は娼婦よ」――ヴィオレッタは画家エルンストや有力なパトロンが集う夜宴でそう囁く。これはファム・ファタルを演じようとする、つまり母の望む役柄に「当て嵌まろう」とする少女の演技に過ぎない。だが、私にはこの言葉が死の本質を突いている気がしてならない。「死の舞踏」という絵画史の画題が往々にして童子的な遊戯性を垣間見せるように、あらゆる「死」とは実はダンスのようなものではないだろうか。すなわち、死とは突然襲い掛かる「初恋」なのだ。そして、その初恋の味は「毒」であり、つまりは娼婦的なものである。
 この映画はけして不謹慎で淫らな映画ではない。むしろ、「小さな魔女」が「お母さまの支配」から逃れ去り、自分なりの「自由」を見つけようとするまでの「戦い」を描いた映画である。そういう点では、この映画のテーマは驚くほどシリアスである。女性だけでなく、耽美的な世界に審美的価値を認める男性であれば、一度ぜひ劇場に足を運んで欲しい映画である。






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