† モーリス・ブランショ †

ブランショ以後のポスト文学、「文学の死」後に生きる者たちの地平――モーリス・ブランショ『カフカからカフカへ』を読む


カフカからカフカへカフカからカフカへ
(2013/10/30)
モーリス・ブランショ

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【ブランショ以後のポスト文学――「文学の死」後に生きる者たち】


 現代文学の最前衛に位置し、カフカに続いて「百年後の文学」を準備したと世界的にラディカルな議論を呼び続けているフランスの作家、評論家モーリス・ブランショ。彼はまず、今日における「文学の死」の惨状を受け容れつつ、それでもなお書こうとしている我々を象徴的に「死後に生きる者たち」(マッシモ・カッチャーリ)として規定する。あらゆる物語が書き尽くされ、同時に体験され、最早いかなる個人的な体験、アウラに依拠しようとも「再生産」にしか成り得ない21世紀前半の文学的苦境――。こうした問いに答えるべく、ブランショのカフカ論は刊行された。
 カフカとはブランショにおいて何者であったのか? より正確に言えば、彼は「カフカ」というこの世界文学史上の巨大な「事件」を、1911年2月19日付けの『日記』でカフカ自身が書いた以下の短かくも限りなく神秘的な表現を用いて言い尽くしている。同時に以下のテクストは、「ただ書くことによって生きていた」カフカという孤独な独身者の「書記官」が残したテクストを読み解く最大の鍵になるだろう。そして、それはまた「エクリチュール」の本質の解明に寄与する。

「僕が『彼は窓から眺めていた』という文を無作為に書く時、この文は既に完璧なのだ」(1911年2月19日)――「彼は窓から眺めていた」となぜ書くのか。それは、この一文がすでに彼自身を超えたものとしてあるからなのだ。(p88)


 この鳥肌の立つほど美しく謎めいたテクスト――カフカとブランショの相互浸透、最早互いの差異もなくなり、引用符が地の文に溶け、陥入し合い、織り目のない美しいタペストリーを成すこの決定的な一文を、本書は無限に展開する試みに他ならない。また、本書に収録された論稿には「文学」だけでなく、「政治」、「死」といったテーマへの深い洞察も見られる。
 カフカがまず我々に教えてくれるもの、それは以下のように図式化することができる。すなわち、人間はたとえある環境下で「幽閉」されていても、「種々の身近な可能性の道」によって「脱出」できるのだということ――。


(1)【カフカのレシ(récit)についての考察】


 まず、近年重視され始めているロマン(roman)とレシ(récit)の「差異」の問題について述べておこう。「ロマン(roman)」とは、「登場人物やエピソードの多い長編」であり、「レシ(récit)」とは、「主要登場人物が三人前後であり、エピソードも少なく、一人称の語り手には名前が与えられず、その語りはしばしば中断されるために物語的な一貫性に欠けるといった特徴がある」(郷原佳以『文学のミニマル・イメージ モーリス・ブランショ論』p192~193)。ブランショはまず、カフカの作品の総体を「レシ(物語)」と表現している。カフカの場合、『日記』も含めて「作品全体がひとつの断章」(p73)を構成している。

「レシ(物語)とは、正当さを証明することのできない、不可解な一連の出来事となった思考のことであり、レシに取り憑いた意味作用とは、不可解なものを通して、それを反転させる常識として持続するこの同じ思考なのである。イストワール(物語)の段階に留まる者は、意味が光となって暴き出すその当の謎にはたどりつくことができない。この二種の読者はけして互いを支え合うことはできず、どちらか一方、ついで他方となることしかできないのだ。常に、必要以上に理解するか理解が不十分であるかのどちらかであり、真の読書はついに不可能なままなのである」(p70)


 レシについての重要な原則として見落とされがちなのが、クロード=エドモンド・マニーが表明した以下の見解である。すなわち、カフカはIch(私は)という一人称形式の小説から、Er(彼は)という三人称形式(ヨーゼフ・K、あるいはK)へ移行したことで、文学的深みに到達したとする考えである。すなわち、レシにおいては「自己の滅却」が起きる。また、ブランショの『謎の男トマ』や『わたしについてこなかった男』の文体に見られる特徴の一つとして挙げられるのが、「固有名詞の抑制」である。これはプルーストの固有名詞を鏤めた文体と比較すると歴然となるが、いったいなぜブランショはこれほどにも固有名詞を、換言すれば「名付ける」行為から離散した地点でエクリチュールを展開するのであろうか?
 その解明の手掛かりとなる見解も、実は本書『カフカからカフカへ』で表明されている。「名付ける」行為について、ブランショは以下のように説明している。

 私が「この女」と言う。ヘルダーリン、マラルメ、そして一般的な詩の本質をおのが詩のテーマとした人々は、名付けるという行為のうちに、不安を覚えるような驚異を見ていた。語はそれが意味するものを私に与えてくれるが、まずそれを抹殺するのである。私が「この女」と言えるためには、私はいずれにせよ彼女の生身の実在性を奪い、不在にし、消滅させなければならない。語は私に存在を与えてくれるが、存在を奪われた存在として与えるのである。語とは、この存在の不在、その虚無、存在を喪失した時に残されているもの、すなわち、存在していないというただその事実だけなのだ。(p37-38)


 ここでブランショは、言語の本質を「存在」に対する「不在」、「虚無」――いわば実在するものの「抜け殻」、「亡霊的なもの」として位置付けている。ここで初めて、彼は「死」こそが「言語」の本質であり、その核心となる隠喩であることを明かすのだ。言い換えれば、ブランショにとって「死」とは単に命あるものが生き絶え、墓場に埋葬されることを意味しているのではない。彼にとって「死」とは、まず「言語」の原理なのであり、それを作品化することは、いわば言語自身の自己展開に他ならないのだ。言語が言語自身についての孤独なモノローグを展開する――これこそ、ブランショの特異なエクリチュールの空間に見られる第一の特徴である。

したがってまさに次のように言うのが正しい、私が語る時、私の中で死が語っているのだ、と。私の言葉は、死がまさにこの瞬間世界に放たれ、語る私と、語りかけられている存在との間に、不意に立ち現れたことを告げているのである。死は我々の間にあって我々を隔てる距離のようなものだが、しかしこの距離はまた、我々が隔てられるのを防いでもいるのだ。なぜなら、死のうちにはあらゆる了解の条件があるからである。ただ死のみが、私が手に入れたいものを捉えさせてくれる。死は語の中にあって、その意味の唯一の可能性である。死なくしては、すべてが不条理と虚無のうちに崩れさってしまうだろう。(p39)


 カフカを「死」の文学として捉える時、ブランショは実は自身の作品に自注を付けてもいるのだ。双方に共通しているのは、「死」を直接的に描写せず、高度に隠喩化した状態で無限にそれを引き延ばそうとする点である。死のナラティブ――それは必ずしも「死者」を描く必要はなく、「墓地」を舞台にする必要もない。ただ、言語それ自体に真正面から向き合った小説だけが、彼らの言う「死」の本質を開示させることになる。何故なら、言語の本質とは「死」、「不在」なのだから。

 文学は説明ではなく、完全な理解でもない。というのは文学のうちには説明不能なものがあるからだ。文学は説明せずして説明し、言葉の不在の中で呟かれるものにその言語を差し出す。こうして文学は、存在から締め出され、あらゆるカテゴリーを逸脱する実存の異質さと結び付くように見えるのである。(p59)


 カフカのレシは従来の物語形式としてのイストワールとは完全に異質であるわけだが、そのためには「起承転結」というこの伝統的かつステレオタイプ化された小説作法から脱却しなければならない。とはいえ、『書簡』収録の「オスカー・ポラック宛」の文面では、「芸術は技巧を必要とする」という信念をカフカが強く守っていたことが窺える。カフカは実際、クライストの文体、ゲーテ、フローベールの文学作品に見られる形式から多くを学んでいた。
 カフカのレシを考える上で見逃せない資料は、マックス・ブロートが「カフカの信仰の中心にあるもの」として強調している以下のアフォリズムである。

「理論的に言えば、地上の幸福に至る完璧な可能性がひとつある。自らのうちの不滅のものを信じ、それに到達しようと努めないことである」(『罪、希望、真実についての考察』第六十九番、本書p223)。


 ちなみに、ブロートの『異教、キリスト教、ユダヤ教』にもこれと同様の見解が収められている。

「『地上の幸福に至る完璧な可能性が理論的にはひとつある。決定的に神なるものを信じ、そしてそれに到達しようと努めないことだ』と。この幸福の可能性は、近付き難いと同時に不敬虔でもあるね。でもギリシャ人は、おそらく他の誰よりもこの可能性に近付いたのだろう」(マックス・ブロート『異教、キリスト教、ユダヤ教』、本書p223)


 物語に「結末」を与えないこと――。
 常に「未回収」で「未満」、「途上」のものであり、ロマンに到達しようと「努めない」こと。ジッドの提示した区分「ロマン」と「レシ」を用いれば、「ロマン」を「死なせる」ことである。
 カフカ文学のテーマを、ブランショは超越性としての「死せる神」と譬喩的に表現する。「死せる神」――それがカフカがエクリチュールに向かう際の通奏低音なのだ。これはユダヤ・キリスト教の「神」でありつつ、決定的にそうとは言えない、他なる神である。この次元では、最早「世界の終末」(審判)も「希望」(来るべき方へのメシアニズム)の可能性も存在しない。「この死後の生こそ、我々の生そのものなのである」(p76)、あるいは、「生きている間を通じて死んでいる」我々。つまり、「死後に生きる者たち」の一人として、ブランショはカフカをその系譜に位置付けている。死んでいるにも関わらず、それでもなお「実存(生活)はつづいている」(p79)のだ。
 一切は書かれてしまった、世界全てがかつてどこかで目にしたもの、つまりレディメイドになり果てた――こうした現状に伴う虚無、無、不在をブランショはカフカのレシの中に読み取っていく。「文学の死」後、それでも未だに平然と本質に触れることもなく量産され続けている無数の「物語」たちの墓場。我々はブランショのカフカ論を読むことで、いわば「死んだ者としての生」を快復するのである。それは実は高度なオプティミズムなのだ。

メシア(=救世主)は、もはや必要でなくなった時、初めてやって来るだろう。その到来の日に一日遅れでようやく訪れることだろう、最後の日にではなく、究極の最後のその時に。(「八つ折り判ノート・八冊」本書p98)


ただ一語だけ、ただひとつの祈りだけ、ただ一度の空気のそよぎ、お前がまだ生きて待っているという、ただひとつの証しだけ。いや、祈りではなく、ただ一度の呼吸、呼吸でさえなく、ただひとつの存在、存在ですらなく、ただひとつの思考、ひとつの思考ですらなく、ただ眠りの静謐さだけ。(「断章――ノート及びルール・リーフから」、p99)


 ヨーロッパ文学を「聖書」の総体に置き換えた時、カフカの位置はメシアを待ち続けた洗礼者聖ヨハネになるのだろうか? それも、絶対にメシアなど来ないと確信している「第二のヨハネ」。ちなみに、ヨハネは共同体としてのエッセネ派に属していたが、ブランショもまたカフカと同じく明かし得ぬメシアを待ち続けている――到来が極度に隠蔽化され、ほとんど「不在」と変わらない次元において来るものとしての、稀有なメシアニズムの相続者として? なぜ「来ない」ことを信じなければならないのかと言えば、もし一度でも到来してしまえば、最早エクリチュールはその意味を失効するからである。常に「待ち続ける」ことそれ自体のために「書く」カフカ、あるいはブランショ。双方は共に「文学」という名の「死のエッセネ派」に帰属しているのだ。共通しているのは、この二人がいかなる実在化する宗教共同体にも属さず、「書く」ことに「祈り」の唯一のかたちを見出していたという事実である。
 ここで我々は、ブランショのカフカ論から抽出できた幾つかの「カフカ的エクリチュール」の要諦項目を整理しておこう。

(1)一人称の「わたし」を「隠喩の森に住まう三人称主体」に変換する。
(2)起承転結の「不成立」(結末の不在、常に途上、未完成なものとして提示される)。
(3)あらゆる文学空間が「実在するもの」に対する「不在」として記号的に表現される以上、言語の本質であるこの「不在」――より概念的に深化させれば「死」――を「隠喩化」しなければならない。いわば「不在」、「死」、「亡霊性」という概念に無限に滞留し続けられるような「隠喩の森」を形成すること――これこそ、カフカ的エクリチュールからブランショが相続したものである。
(4)あらゆる二項対立的な概念(文学空間では概念は往々にして隠喩化される)のどちらかを選択せず、常に「かつ」、「または」の内に滞留し、アモルフな「亡霊」(生/死のあわいを漂う存在者としての)として書くこと(亡霊的エクリチュール)


 では、カフカから多くを学んだブランショの小説はどうなのだろうか。どこからが「レシ」になるのだろうか? 郷原氏のブランショ論を参照すると、以下のように分別することができる。

「ロマン」(三作品のみ)


『謎の男トマ』第一版(1941)
『アミナダブ』(1942)
『至高者』(1948)



「レシ」


『死の宣告』(1948)以降の作品



 カテゴライズする上で重要な分岐点となる作品は、『至高者』と『死の宣告』である。前者は物語性を持った長編小説であり、ロマンからレシへの過渡期に位置しているが、後者も同時期に「同じ一つの現実の二つのヴァージョン」として計画され、スタイルは「レシ」に相当する。興味深いことに、ブランショは『死の宣告』に続いて1949年に短編小説「レシ?」(後に『白日の狂気』に改題)を発表するが、その最後には「レシ? いや、レシはない、二度と、けっして」(p193)と締め括っていた。氏によれば、『至高者』にも「ロマン」が今後書かれ得ないことを作家自身が自覚したかのような側面があると解釈されているが、ブランショが「ロマン」と「レシ」のはざまで揺れ動き、文学作品としてのスタイル上の懊悩を抱えていた点を感じさせるに十分である。
 ブランショ自身はスタイルをどのように自覚していたのだろうか? 「私はintrigue(筋)という語を使った。確かにこの語はある絶望的な役目を遂行するように定められているのだが、それでもこの語はそれなりの仕方で私の感情を表しているのである。それは、私がhistoire(物語)ではなく、ある事実に結ばれているという感情なのだが、その事実というのは、物語がますます私に欠けていきそうになると、その貧しさが…私の生に残っているものを、残酷なまでにもつれたある動きの方へと惹き寄せていくという事実である」(郷原佳以『文学のミニマル・イメージ モーリス・ブランショ論』p149)――郷原氏はこのテクストの「もつれ(embrouillage)」を、intrigueの換言とみなしている。つまり、ブランショ自身は自分の小説のスタイルが明らかに「物語」ではないことを自覚しており、その上で「絶望的」に、「ロマン」と「レシ」のembrouillage(もつれ)であらざるを得なかったのではないだろうか? ブランショが「物語」を書くことができず、「もつれ」=「筋」に「絶望的な役目」を見出しているという、このスタイル上の自認は極めて重要である。


(2)【亡霊的エクリチュール、あるいは「独身者の書記官」の苦悩】

 カフカは「不眠というこの夜ごとの劇的な苦しみ」(ブランショ)と闘いながら書いていた。より正確には、書く行為が不眠の苦しみから彼自身を救い出していた。それだけでなく、「完全な孤独への恐怖」という心理的な苦しみからも。ブランショはこうしたカフカが担った苦を受けて、文学そのものを「苦悩を現前させるために構成されるのであり、表現するためではない」(p94)と述べている。
 晩年のカフカの「書くこと」への執念を感じさせるテクストとしては、以下が特に印象的である。

「…ひどく苦しんだ狂気の期間を経て、僕は書き始めたのです。この仕事は、僕のまわりの全ての人々にとってとても残族なものとなるようなやり方で進めることになってしまうものですが(言葉に尽くせぬほど残酷なかたちであり、それについて話すつもりはありません)、僕にとってこの地上で何よりも大事なものなのです。狂気のひとにとって自分の錯乱がそうであるように(もし彼がそれを失えば、彼はただの“狂人”になってしまうでしょう)、あるいは女性にとって妊娠がそうであるように。…そのために僕は不安におののきながら、書くことを、それを妨げるあらゆるものから守るのです。書くことだけではなく、それに属している孤独をも」(p226)


 カフカの以下の書簡では、「書かない」と「狂う」次元にまで達していたことが濃密に伝わってくる。

「書くことが僕を支えてくれているのだが、書くことがこの種の生を支えてくれる、という言う方が正しくはないだろうか。もちろん僕は、書いていない方が僕の人生はもっと良いものになる、などと主張するつもりはない。それは遥かに悪い、まったく耐え難いものとなり、狂気に行き着くしかない。たとえ僕が現在書いていないとしても、それでも僕が作家であるという条件下では、実際そのその通りなんだ。そして書かない作家などという代物は、やはり狂気を呼ぶ怪物じみたものだ。しかし、作家である、とはどういうことなのか。書くことは、甘美で奇跡のような報いだ。しかし、我々の何に対して報いてくれているのか。夜になると、子供の教科書のような明白さで僕にははっきりと分かったものだ、それが悪魔の奉仕に対する報酬なのだということが。この闇の諸力への下降、通常は抑圧されている様々な霊の解放、そのいかがわしい抱擁、下層で進行しているかもしれない事ごとの一切は、陽光のもとで様々な物語を書いている時、その高みで知る由もないことなんだ。おそらく他の書き方というものもあるのだろう。しかし僕はこの書き方しか知らない。闇の中で、不安に眠れないような時には、この書き方しかできないんだ。そしてそこにある何か悪魔的なものが、僕にはとてもくっきりと見える」(p230)


「なぜなら、作家の存在というものは現実に彼の机にかかっているのであり、狂気から逃れたいと願うなら、彼にそこを離れる権利はないのだから。そこに歯でかじりついていなければならないんだ。作家を、それもこのような作家を定義し、彼が取る行動(それがあるとしてだが)を説明するなら、以下のようになる。すなわち、作家とは、人類にとっての贖罪の山羊であり、彼は、人間たちが無邪気に、ほとんど無邪気なまでに罪を楽しむことを可能にするのだ、と」(p231)


 三島由紀夫はかつて川端康成がノーベル文学賞を受賞した後の対談で、いかに偉大な作家といえどもその仕事場はやはり部屋のごく慎ましい机から創造されるという事実に触れている。カフカの場合、仕事から帰宅して机に向かい、小説を書くこと――それは「祈り」であった。
 カフカは「旅」に出かけることにすら恐怖を抱いているが、それはその期間「書けなくなる」からである。しかし、カフカにはなぜ「書くこと」以外に救いが存在しなかったのか? なぜ、他に心理的な「癒し」となる趣味、人間関係を持ち得なかったのか? それはやはり、それらを犠牲にしてまで作家の仕事に恨みがましい未練と深い憧憬を抱いていたからに相違ない。しかし、やがて彼は「日記」において「意志的な沈黙」を採用するようになっていく。書かねばならない、書くこと以外に私の存在価値はない……そう確信していたはずのカフカが取る「言葉の不在」としての「沈黙」には、やがてブランショ自身の文学論の中核を形成する極めて重要なテーゼが宿っている。

「私を書くことへと駆り立てる理由は様々だが、最も重要ないくつかの理由は、最も秘められたものであるように思える。中でもおそらく次の理由がそうだ。すなわち、死から何ものかを保護し、守ることである」(『日記』1922年7月27日)(p149)


 このように、カフカにとって「書く」ことは「自己救済」に他ならなかった。彼の言葉が隠喩の森として構成されていながらも非常に高い「透明性」で満ちているのは、言語が彼の苦悩をそのまま代補しているためである。

「カフカにとって書くことは審美的な問題ではなかったということを、そして彼が目指していたのは文学的価値のある作品の創造ではなく、自らにとっての救い、自らの生のうちにあるあのメッセージ(使命)の成就であったということを認めよう」(p83)


 カフカは「死」を直接描いてはいないが、このテーマをかなりの程度意識して執筆していた。ブランショはカフカと「死」のテーマの関わりについて以下のように述べている。

「カフカはある意味ですでに死んでいるのである。このことは、流刑と同様に彼に科されたものであり、この天分は書くという能力に結び付いている。もちろん、日常の様々な可能性から疎外されているという事実ゆえに究極の可能性を手中にできるわけではない。生から疎外されているという事実は、幸福な死を手に入れるための保証にはならないし、否定的な仕方でしか死を満足なものにすることはできない(生に対する不満と縁を切ることで満足するのだ)。このことから、カフカの示唆は不十分で表層的なものと言うことができる。しかし、まさにこの同じ年、カフカは二度にわたって『日記』の中にこう書き記している。“僕が人々を避けるのは、平穏に生きるためではなく、平穏に死ねるようにである”(1914年7月29日)」(p147)


「彼は書くために世間から身を隠し、平穏に死ぬために書く。ここでは死は、自足した死とは、芸術の報酬であり、エクリチュールの目的であり、証明なのだ。静かに滅びゆくために書くこと」(p147)


 この「静かに滅びゆくために書くこと」という最後の言葉――ここにブランショはいったいどれ程の重みを与えているのだろうか。書くことの理由が名誉でも金銭欲でもなく、ただ慎ましく死ぬこと、「静かに滅びゆく」ことに捧げられているのだとすれば、カフカにとっては書いた本が店頭でベストセラーになろうが、古本屋の片隅で二束三文で売りに出されていようが、最早関係はないだろう。ただ、彼は自分の死をよりよくまっとうするために書いていたのだ。ここにも、彼の「祈り」の特異な次元を垣間見ることができるだろう。

「カフカが自分の書く作品を通じて、死ぬことができるという能力の方へ向かうなら、それは、作品それ自体がある死の経験――作品に、また死に到達するため、あらかじめ手にしているべきであると思われる死の経験――であることを意味しているのだと我々は感じ取ることができる。しかしまた次のことをも予感することができるだろう。すなわち、作品における死の接近であり、死の空間、死の行使であるところの運動は、作家を死ぬことの可能性へと導くこの同様の運動とまったく同一ではないということである」(p148)


「でも僕は闇がそこにあることを、それが僕を待っていることを知っているんだ……」(1922年7月12日、ブロート宛書簡、本書p222)



(3)【エクリチュールのaura】

 ブランショによれば、文学とは本質的に無根拠なものであり、かつ「無」そのものである。ニヒリスティックに、彼は今日の大半の文学は「たやすく気化する」と述べている。

作家はその作品を通じてのみ自己を見出し、自己実現する。作品以前には、彼は自分が何者であるか知らないだけでなく、何者でもないのである。(p13)


 どのような作家も実は、執筆し始める最初の契機はごく平凡でありふれているという点についてブランショは触れてもいる。

最も偉大な作品の出発点に、まったく無意味な状況を想定することもできる。しかしその無意味さが何かを損なうことはない。そこから決定的な状況を作り出す作家の運動は、彼をその天分や作品と融合させるのに充分なのだ。(p14-15)


 人はどのような時に「小説を書く」のだろうか? ルソーの場合、書く前の「感覚様態」として重要なのは現実生活での満たされ得ぬ想い、苦悩であった。ポール・ド・マンは、「苦悩」を媒介にして書いていたタイプの作家として、ルソー以外にバンジャミン・コンスタンとプルーストを挙げている(『盲目と洞察』)。商業主義的な作家の場合、「小説を書く」行為が単なる仕事のため、原稿料のため、出版社を困らせないため、以前よりも売上げを伸ばすため、などといった場合もあるだろう。こうした願望は世俗的なものであり、ニーチェが『ツァラトゥストラ』で「市場の蠅」として批判した悪しき精神だとされる。ブランショは「市場の蠅」の論理に肯定も否定もしない。ただ、彼は作家が何か偉大な霊感に啓示を受けて書き始めるというロマン主義的なメタファーに疑問符を打ち、「偉大な作品の出発点に、まったく無意味な状況を想定することもできる」と述べている。それはほんの小さな憤慨とか、嫉妬とか、些細な閃きが元だったのかもしれない。

大衆のためだけに書いている作家は、実のところ書いてはいない。書いているのはこの大衆であり、それゆえにこの大衆はもはや読者たり得ない。読書は見かけだけで、実際にはゼロだ。読まれるために書かれた作品の数々が無意味であるのはそのためであり、誰もそんな作品を読んではいない。他人のために、他人の言葉を目覚めさせ、彼ら自身にそれを見出させるために書くことの危険性はそこから生じる。彼らは自分自身の声を聴きたいわけではない。彼らが聴きたいのは、現実の声、深遠で、真実のように心に刺さる、他者の声なのである。(p17~18)


 上記のテクストは極めてラディカルな言及である。特に、「読まれるために書かれた作品の数々が無意味であるのはそのためであり、誰もそんな作品を読んではいない」という断定は、巷に存在するほとんどの書物を灰燼に帰させることになるだろう。しかし、ブランショの読書観、書物観は、やはりニーチェのそれと相関していることを我々は指摘しておこう。ニーチェもまた、「時の風化に耐えた書物のみを読め」と諭し、「教養俗物」の書いた「新書」や、「血の涙」の宿っていない卑小な作品には警戒するよう注意を促している(『ツァラトゥストラ』)。
 カフカの存在は「書くこと」に支えられている。「…僕はある直観を得た。単調で、空虚で、道を踏み外した僕の人生、この独身者の生活にも正当性はあるのだ、と。……それは僕を進歩に導いてくれる唯一の道なのだ」(1914年8月15日)。
 ここでカフカは悲観的に己の生を捉えているが、ブランショによれば「不幸の意識」は、実は作家の「最も深遠な才能」である。なぜカフカは「書くこと」にのみ唯一の救いを見出したのだろうか? その「原体験」は何だったのだろうか? この極めて興味深い点について、ブランショは以下のように報告している。

…一晩のうちに八時間かけて一気呵成に『判決』を書き上げ、休みなく書き通すという試練を見事にやり遂げた…これは彼にとって決定的な経験となり、あの近付き得ない空間に触れる可能性を彼に確信させたのである。彼はすぐにそれを『日記』に書き記している。「僕の確信は確かめられた。このように、一貫性の持続と、肉体と魂との完璧な解放があってはじめて書くことができるんだ」(1911年9月23日)


 これは、カフカにとっての「奇蹟的なエクリチュールの体験」である。あるいは、文字通り「書くことのアウラ」を彼は啓示の如く体感したのだと言っても良いだろう。ただし、ブランショが述べているように、カフカは実は「少しずつこつこつ書いていく」ことができないタイプの書き手でもあった。彼は「一気呵成に一晩で集中して書き上げる」タイプであり、テクストを堆積させて物語を緻密に構成していくタイプではないというのである。これは『城』のあの長大かつ堅牢でもある物語構造に親しんでいる我々からすれば、意外な見解という他ない。しかし、『城』、そして『アメリカ』は「未完成」な作品であった。カフカは執筆を「中断」しているのである。この「物語を途中で中断させること」という、極めてラディカルな「方法」について、ブランショは以下のように述べている。

中断において、中断によって(断片的なものに引き寄せられつつ)完成されるという、この新しい方式…しかし彼は、そこで(中断による完成において)読まれることには盲目であることしかできないために、また自己を確立するためでなく自己を破壊するために直面する一個の要請によってしかそこに到達することができないために(自己満足とは無縁の作家には、これは毎度のことであるのだが)、おのれが書くものを読む力を奪われることを受け容れなければならなかった。(p262)



失敗こそが作品の本質であり、その消滅が作品を実現させるからであって、意識はそれに満足なのだ。この失敗は意識を喜ばせる。しかし、もし書物が生まれることすらなく、純粋な無にとどまるとしたら?(p20)


 書くことの頓挫・中断・挫折は、実は作家に新しい変奏を次々と生み出していくように強いる。ブランショはカフカの作品の多くが「未完成」であった点に言及して、制作過程における「傷」の存在を見出している。
 例えば、「モナ・リザ」を途中で放棄したレオナルドの存在――「未完成」であることは、読者に強力な「想像的補完力」を働かせるひとつの「方法論」なのだ。我が国でも広く名が知れた童話『銀河鉄道の夜』は未完成であり、随所に原稿の「欠落」が見受けられる。しかし、これを作者の事情として還元してしまう前に、まず前衛的なひとつの「スタイル」として規定することが可能であると、ブランショは我々に示唆しているのだ。究極的な「未完成」とは、バルザックの「知られざる傑作」が描いてみせたように、「作品の不在」である。つまり「破棄」であり、「焼却」である。これは「書物の不在」として提示される透明化した不在の物語であり、誰も読めない、まさに「読むことの不可能性」の極北となる次元に他ならない。もしもカフカが作品の総体を焼却していた場合、彼の「日記」のみが全ての作品を指し示す唯一の断片的地図になるだろう。その時、初めて『城』や『判決』は「書物の不在」として、亡霊的な位相を占めるに至るのである。カフカがこれを意図的に実践していたのではなく、止むを得ず「中断」に追いやられていたのだとしても。
 ブランショの作品にも、「何も書かずに、常に無のままであれ」という「書物の不在」を特権的で貴族的な「悟り」の境地とみなすある種の信仰が垣間見られる。ブランショにとって、「書かない作家」は狂人である以上に、まず「外部」の世界で文学を「体験」している「高貴さ」を担っているのだ。一方でブランショには、カフカのように内なる「虚無」を言語によって表象=代理したいという欲望も宿っている。この相反する二つの葛藤が、彼のカフカ論の通奏低音でもある。

「言葉の密かな希望とは、自ら消え去ることなのだが、しかしこの希望が叶うことはなく、言葉が失われることはない」(p86)


 消滅することができず、たとえ未完成で不完全であれ書かれ続けるテクストの山……それはどこか「亡霊的」で不穏なエクリチュールである。ある時まで、カフカには「書く」ことが果たして本当に自らに許された最後の「救い」になり得るのかという点について、まだ疑問を残していた。以下のテクストは、その当時の躊躇いの影を今だ留めている。

「書くことを望む者ならほとんど誰でも、苦悩の中で苦悩を対象化できるということを、僕はまったく理解できなかった」(p93)



「空虚こそが言葉の意味それ自体なのである」(p22)


「カフカは生きることが不得手だった。彼はただ書くことによって生きていたのだ」(p88)

 

 「ただ書くこと」にのみ支えられるカフカ――。これは、少なからず強調されて然るべき印象的なテクストである。というのは、我々も基本的に「書く/読む」ことを日々している。だが、カフカの場合、「読む」ことに救済を見出してはいない。それは彼が表現したいものが他の作品では見出し得ないから、あるいはたとえ素晴らしい考えや構想を読みながら知ったところで、それが自分の「居場所」足り得ないからであろう。ここに、カフカの「レクチュールの漂泊民」としての性質が現れている。本当に書くことでしか生きられない作家は、最早読んでいるだけではけして満たされることはない。他者の書いたいかなる書物の中にも、最早「居場所」を見出すことはできない。そうした苦悩を担いながら、彼が「居場所の永遠の不在」を主題にした文学を生産し得たことは、やはり非常に重要である。書くことにおいて「居場所」、「故郷」の復元を試みる場合、いったい何がその最高形式に相応しいのだろうか? それは、実は「居場所など何処にも存在しない」ということを徹底的に読者に告知する行為によってではないだろうか。逆説的にも、カフカの場合「居場所の不在」の先鋭化が、エクリチュールの次元における「書くべきテーマの獲得」に繋がっていたと想定される。

 芸術とはあたかも……であるかのようにということである。すべては、あたかも我々が真実に対峙しているかのように進行する。しかしそれは真実の現前などではなく、だからこそ、我々が前進を阻まれることはない。芸術は、認識が永遠の生に至る段階で、ある時は認識であると自称し、認識がその生の前に立ちふさがる障壁となる場合には、認識ならざるものであると主張する。芸術はその意味と記号を変える。存続しつつおのれを破壊するのである。まさにそこに芸術家の欺瞞があるのだが、それはまた芸術の最大の高貴さでもあり、“祈りのかたちとして書くということ”(カフカ)という、あの言明を正当化するものに他ならないのである。(p91)



 カフカにとっての最後の宗教的行為――“祈りのかたちとして書くということ”――それはエクリチュール以外の何ものでもない。

あたかも、私が書く、ということが表象する可能性とは、その固有の不可能性を――私の苦悩に他ならない書くことの不可能性を――その本質として担うものであるかのように。不可能性を確固に入れたり、それを破壊せずそれによって破壊されもせず、不可能性それ自体として受け容れたりするだけでなく、その不可能性の中で、またそれによってのみ、真に可能であるということをその本質としているかのように。言語が、とりわけ文学の言語が、おのれの死に身を投じるものでないなら、それは可能でありえない。なぜなら、おのれの不可能性を目指すこの運動性こそが、言語の条件であり、根本だからである。すなわちこの運動こそが、おのれの虚無に先駆けることによって、その虚無を実現することなく、虚無として現前するというその可能性を決定するのである。(p93)


 ここでブランショは、「おのれの不可能性を目指すこの運動性こそが、言語の条件であり、根本であり」と述べている。私は「私のこと」を書くことができない――「自己言及のパラドックス」――それこそが、言語の本質であるという見解はポール・ド・マンも共有している。対象を語ることは、常に「別の何か」を指示してしまうのだ。パースの記号論で言い直せば、「対象」についての「解釈項」は常に無限数存在するのである。
 

ラシーヌが悲劇の執筆を断念したことは、悲劇の一部なのであり、ニーチェの狂気、クライストの死もまた然りである。近年我々は、文学に対するあらゆる作家の軽蔑が、文学的手法による様々な手段で埋め合わされるさまを見てきた。文学が政治的、社会的行動の真摯さと結び付くことによってその無償性を忘れさせようとする時、そのようなアンガージュマンは、それでもやはり、デガージュマン(離脱)というかたちを取るということを、我々はやがて見出すことになる。それは、文学的なるものと化した行動なのだ。(p101)


(4)【「彼は窓から眺めていた」という一文に宿るアウラ】

 最後に、我々はもう一度ブランショが取り上げているあのカフカの「窓」に関する一文に回帰してみよう。なぜ、ブランショはこの一文にあれ程までに執拗な考察を試みるのであろうか? 多少長くなるが、本書全体にとって最も重要な箇所なので、全て引用しておこう。

 
 あらゆる作品は状況の作品なのだ。それはつまり、この作品には発端があったということであり、作品は時間の中で始まり、その瞬間が作品の一部を成しているということを意味している。なぜなら、その瞬間が無かったら作品は克服しえぬ問題であるほかなく、それを書くことの不可能性を超えるものではなかっただろうからである。
 書かれた作品を想定してみよう。作家は作品によって誕生する。それ以前には、その作品を書く者は誰もいなかったのであり、書物が存在してはじめて、自身の書物と融合する作家が生まれたのだ。カフカは、「彼は窓から眺めていた」と何気なく書いた時、自分は、その文章がすでに完全であるような一種の霊感の中にいた、と語っている。(1911年2月19日の『日記』)それは、彼がその文章の作者であり、さらに正確に言えば、その文章のおかげで彼が作家であるからなのだ。彼はその文章から自分の存在を引き出す。彼は文章を作ったが、その文章が彼を作るのであり、文章は彼自身であるとともに、彼が文章そのものでもあるのだ。そこから彼の喜びが、不純物も不足も無い喜びが生まれる。彼が何を書こうと、「文章は既に完全なのだ」。これこそ、芸術が自己目的とする、深遠で奇妙な確信である。書かれるものは、上手だったり下手だったりするものではなく、重要でも空虚でもなく、記憶すべきものでも忘却に似つかわしいものでもない。それは完全なひとつの運動であり、それによって、内部にあっては何ものでもなかったものが、必然的に真である何ものかとして、また必然的に忠実なひとつの翻訳として、厳然たる外部の現実に到来する。なぜなら、その翻訳が表現するものは、その翻訳によって、翻訳のうちにのみ存在するからである。この確信は作家の心の内に存する楽園のようなものであり、自動書記とは、ヘーゲルが可能性の夜から存在の昼に移行する純粋な幸福と呼んだこの黄金時代を、あるいはまた、光明の中に立ち現れるものは闇の中に眠っていたものと異ならないというこの確信を、現実のものにするための手段に過ぎなかったと言えるのだ。しかしその結果はどうなるのか。「彼は窓から眺めていた」という文章に自己を集中させ、閉じ篭る作家には、この文章についてのいかなる説明も要求することはできないかに見える。何故なら、彼にとってそれ以外のものは何も存在していないからである。しかし、少なくともその文章が存在し、それも、それを書いた者を一人の作家となし得るほど真に存在しているのであれば、それは、その文章が彼の文章であるのみならず、それを読むことができる他の者たちの文章でもあり、普遍的な文章であるからなのだ。
 ここから、意表を突くような試練が始まることになる。作者は、様々な他人が彼の作品に感心を持つ様を目にすることになるのだが、彼らの感心は、作品を自分自身の純粋な翻訳に作り上げた作者の関心とは別物であり、この他なる関心は作品を変化させ、当初の完全性を作者が見出せないような別の何かへと変貌させてしまう。作者にとっての作品は消滅し、他人の作品、他者はいても作者がそこにはいない作品と化すのである。他の書物によってその価値が決まる書物――他の書物に似ていなければ独創的だということになり、他の書物を反映しているという理由でよく理解されるような、そんな書物に。(p15~16)




 「彼は窓から眺めていた」――この一文が完全であるためには、それがどれ程無味乾燥で月並みな文章であれ、カフカ自身の内面から溢れ出したものでなければならない。その時、初めて「窓から眺める」という単純な行為を記述したテクストが「肉」を持つのである。実在が、文字という空に降下する瞬間――それは神学的な次元での「受肉」の概念の文学形象化である。「彼は文章を作ったが、その文章が彼を作るのであり、文章は彼自身であるとともに、彼が文章そのものでもあるのだ。そこから彼の喜びが、不純物も不足も無い喜びが生まれる」。ここにあるのは、書くことが完全に内面の展開となり、いわば「存在=エクリチュール」と化した次元である。「内部にあっては何ものでもなかったものが、必然的に真である何ものかとして、また必然的に忠実なひとつの翻訳として、厳然たる外部の現実に到来する」。「彼は窓から眺めていた」――この日記的ですらある文章に「自己を集中させ、閉じ篭る作家」、とブランショは続ける。彼はエクリチュールと溶け合っており、いわば合一している。そして重要なことは、書くことが純粋に精神の内的吐露足り得るためには、「わたし」や「僕」という一人称を用いる必要性も、作家自身の私小説的な空間をそのまま採用して少しずつ異化する必要(例えばオートフィクションの方法がこれに相当するだろう)も無い。カフカが採用したのは、カフカ自身が生活する環境世界の隠喩化――より喚起的に言えば、童話形象化とも表現できる――であり、この隠喩の森の次元が、いわば書き手の内面世界の展開と一致していたのである。この次元を見出せた点にこそ、カフカの苦難と絶え間ないセルフリナンシエーションの実現が存するのだ。





「参考文献」


文学のミニマル・イメージ モーリス・ブランショ論 (流動する人文学)文学のミニマル・イメージ モーリス・ブランショ論 (流動する人文学)
(2011/03/03)
郷原 佳以

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