† 文芸理論 †

荒川修作&マドリン・ギンズの初期の代表作『The Mechanism of Meaning(意味のメカニズム)』(63)は現代文学に応用可能か?

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 1936年に名古屋で生まれた荒川修作(Arakawa Shūsaku, July 6, 1936 – May 18, 2010)は、大江健三郎よりも一つ年下の世代である。武蔵野美術大学を入学後わずか三週間で退学した後、荒川は「夜も昼も眠れない」ほどの深刻な鬱状態を体験する。20歳の時に制作し、1958年の「アンデパンダン展」に出品した彼の代表作≪抗生物質と子音にはさまれたアインシュタイン≫(1958-59)
には、この時期の想像を絶する「不安と発作」の体験が如実に反映されている(荒川曰く、「鬱病なんて生易しいものじゃなかった」)。タイトルにある「抗生物質」とは、荒川が高校時代に煩った結核の体験を受けたものであり、本作のための小冊子には、「餅の黴より生る」という奇妙な表現が見受けられる。「黴」とは、ものが腐敗したり放置された際にその表面をヴェールのように覆う第二の「皮膚」であり、この場合は明らかに「死」を連想させている。瀧口修造は本作を「恐怖が閉じこめられた眠り草の化石」と表現し、他の評論家たちは「死」だけでなく、何か途轍も無いエネルギーを宿した異形の生命体が今まさに生まれようとするという「再生」、あるいは「生殖」、「増殖」のイメージを見出した。後に本作は60年代以後の日本のアートシーンの出発点として位置付けられることになる。本作について江原順が述べた評が特に印象深いので、以下に引用しておこう。

荒川にとって、作品は、現代という荒野に、たったひとりでおかれた未開人のそれに他ならない。作品が作家にとって一回かぎりである以上、作家というものはつねに、未開人の不安と呪詛の祈りのなかにある。われわれの近代美術は、この自明の前提を欠きながら出発した。荒川は近代美術史の断層を埋める、わたしの知るかぎりはじめての作家である。…荒川は狂人にみえる。少なくとも、間歇的に、あふれるような狂気に襲われることはたしかである。けれども、かれの作品の、あのコンクリートの量塊との格斗は、そのまま、狂気の間欠泉をおしとどめ、鎮めようとする、作家の祈りであり、鎮魂のうたであり、たたかいなのである。この作家は、「制作」をやめれば、発狂するほかないのだ。(p37)

 
 その後、荒川は60年代の日本のアートシーンである「ネオダダ」の創立メンバーに加わるが、彼の「棺桶」シリーズは明らかにグループの芸術理念を超出していた。やがて瀧口修造の支援を受けてアメリカに渡り、現地でマルセル・デュシャンに出会う。そして1962年には後の芸術的伴侶となる女流詩人マドリン・ギンズ(ユダヤ系アメリカ人)と出会う。二人の初期の代表作『The Mechanism of Meaning』(意味のメカニズム)は63年に制作されている。翌年にはデュシャンの《大ガラス》へのオマージュとして、花嫁を右側に、独身者を左側に「反転」させた作品を制作する。そして、66年のニューヨークの個展で成功を収めるわけだが、この時に出品していたのが、他でもない『The Mechanism of Meaning』であった。この作品が本として刊行されたのは、71年西ドイツのこと(『Mechanismus der Bedeutung』〔ドイツ語版〕)でだが、なぜドイツかといえば荒川&ギンズの作品を最初期に評価したのがアメリカと並んでドイツだったからである。
 それでは以下に、「無意味」をテーマにしているとも解釈される荒川&ギンズの初期代表作『The Mechanism of Meaning』を紹介しよう。


【『The Mechanism of Meaning』(意味のメカニズム)における幾つかのコンセプト】

「全てのものは曖昧(多義的)である。何らかの現実が提示されるとすぐに、曖昧さ(多義性)が多様な可能性の区域として立ち現れる」


 本作のタイトルに入っている「意味」とは、「無意味を認識すること」として、いわばテーマは「何でも良い」状態として規定されている。この作品はどこかIQテスト的な遊びの精神も感じさせ、二人の特異な思考実験の場でもある。元々、ダダイストのトリスタン・ツァラは「ダダ宣言1918」にて、meaningless(意味の不在)をスローガンにしていた。
 以下に、特に興味深いパネルを参考資料として掲載しておく。

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 我々にとって特に重要なパネルが、この「拡大と縮小――尺度の意味」である。このパネルは、実は「物語の構成要素」、すなわち小説を組み立てる際のロジックとして解釈することが可能である。具体的に見てみると、まず中央には「壁に追い詰められた女性を殴ろうとしている青年」が描かれている。この絵の下には、「平行線の間にボディ・スナッチャーが侵入(五つの部分での拡大と縮小)」と記されている。一見意味不明な左斜め上の図の中央には「恐怖」と記されており、上には「顔」、下には「拳」とある。これは無論、中央の絵を分解したものであろう。この図の下には、「88% 午後10時40分 秒速100フィート」とある。
 続いて、右斜め上には「荒寥とした暗い空と海」を描いた絵の下に「パンチはどこだ?」と記されている。この説明は中央の絵を指し示しているが、この絵自体の説明は左斜め上の文章に当て嵌まる。つまり、ここまでの段階で起きているのは「対象」と「説明文」の「齟齬」ないし「ずれ」である。真下のピンボールには、「ここで引っ張って(ボールを)叩くこと」とある。
 以上から、このパネルはある種の「動く絵本」を要素分解したものであると位置付けることもできるだろう。仕組みとして想定できるものをここで説明しておけば、まず我々は一番下の「ボールを引っ張る」。すると、中央の絵の青年が女性を殴る。無論、我々はボールを引っ張れないわけであるから、この暴力はいつまでも潜在性の内に帰属される。続いて、殴られそうな女性の不安、恐怖は、左上の図が記号的に表現している。すなわち、「FEAR」である。更に、この時の女性、あるいは青年の関係を「気象」に脱領土化した世界が、右斜め上の悪天候の絵である。
 このように、全ての絵は一つに接続される。しかし、その結合は横断的というよりも、むしろ逸脱的である。「物語=絵」が成立する諸条件そのものを問いに付していると考えることも可能であろう。いずれにしても、『意味のメカニズム』の中で最もユニークで刺激的な「思考」の一つである。

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「参考文献」


荒川修作の軌跡と奇跡荒川修作の軌跡と奇跡
(2009/04/10)
塚原 史

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