† 表象文化論 †

表象文化論における「指紋」の本質、あるいは「痕跡」/「幽霊」――橋本一径氏の代表作『指紋論』(第2回表象文化論学会奨励賞)の世界


指紋論 心霊主義から生体認証まで指紋論 心霊主義から生体認証まで
(2010/10/23)
橋本 一径

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 このページでは、第2回表象文化論学会賞において奨励賞を受賞して各方面から多大な注目を集めた橋本一径氏(早稲田大学文学学術院准教授/文化構想学部)の代表作『指紋論』についての読解を中心とした書評を掲載する。橋本氏は他に、現代フランスを代表する美術史家ジョルジュ・ディディ=ユベルマンの『イメージ、それでもなお――アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』(2006年、平凡社) や、 ピエール・ルジャンドルの『同一性の謎 知ることと主体の闇』(2012年、以文社) の翻訳業でも知られている。本書を読み解く上で、我々は橋本氏がなぜ「指紋」というメディアに注目したのかを知る手掛かりとして、表象文化論的な観点から「痕跡」、「幽霊」、といったテマティックに派生していくプロセスを追跡してみよう。これらは「現前」、あるいは「表象」の概念を考察する上で極めてラディカルな思考を誘発する。なぜ、表象文化論において「指紋」は先鋭的な問い足り得るのか、その点を詳しく読み込んでみよう。

【犯罪捜査における「指紋」の定義】

 指紋とは、identification(身元確認)のための記録と身体との間の「同一性」を確認するものであり、いわば生体認証のためのツールである。犯罪捜査において、指紋は写真よりも証拠として高い価値を持っているが、実はこれもけして確定的なものではない。科学的に言えば、「捺された条件の違いで線の太さなどに違いが生じる」ので、「二つの指紋の線の完全な一致はほぼありえない」(ロドルフ・A・ライス、1911年)と言われる。いわば、指紋は完全な「同一性」ではなく、厳密には「確率性」の問題に還元されるのである。この点で、死ぬまで変わらないという指紋にも、微視的なレベルではライプニッツのいう「不可弁別者同一の原則」(この世に同じ葉は二枚存在しない)が成立する。いわば、人それぞれによって指紋は全く異なるだけでなく、同じ人でも状態・時間の流れによって指紋は微分的に差異化しているのだ。

「すべての指紋は唯一無二なので、ある指紋が他の指紋からの遺伝であると判断するのは、容易なことではなかった」(サイモン・A・コール)(p166)


 指紋捜査が開始したのは実は最近であり、20世紀初頭のフランスからである。1902年、パリの殺人事件で初めて指紋が決定的な証拠となって解決に至った(「シェフェール事件」)。この事件で指紋捜査を行ったのがアルフォンス・ベルティヨンである。犯罪捜査における「指紋」は、いわば「痕跡」である。そして痕跡とは、この場合犯罪者の「署名」に他ならない。指紋捜査では以下のような信念が共有されていた。

痕跡とは犯罪者の「署名」であり、「犯人が現場に残すポートレートそのものである」。(p151)


 指紋捜査はこうしてヨーロッパに拡大していく。1910年代に入ると、指紋鑑定が絶対化され、二つの指紋が一致さえすれば即座に犯人を断定するという「決定打」となった。
 指紋捜査法の確立された時代と重なる時期の文学について興味深いエピソードを挙げよう。コナン・ドイルが生み出した探偵シャーロック・ホームズは「指紋」については盲目であったとされる。とはいえ、ドイルも指紋捜査の重要性を意識した作品を手掛けてもいる。『ノーウッドの建築業者』という物語では、ホームズは「指紋の偽造」を見破ることになる。ここには、どんな痕跡もそれを「絶対的な証拠」として位置付けることは危険だというメッセージが隠されていると考えられる。
 では、指紋捜査においては何が重要になのか? その核となるのが、minutiae(マイニューシャ)と呼ばれる指紋で特徴的な12点以上の特異点である。捜査では12点以上の一致が同一人物だと判断する決め手となっている。

【表象文化論における「指紋」の本質――⑴「痕跡」】

 そもそも「痕跡」とは何だろうか? 橋本氏は以下のようにこの概念を定義している。

痕跡とはそもそも、「母型」がその場を離れたときに初めて形成されるものである。痕跡があるということは、「母型」はそこには既に不在であるということを意味する。足が地面に触れた瞬間にその足を捕らえでもしない限り、痕跡から「母型」そのものに到達することは困難だ。痕跡と「母型」との間の乗り越え難い隔たりは、推理によって少しでも埋める努力をする他に手立てはないだろう。(p169)


 ここで重要なのは、表象文化論における「痕跡」の意味である。痕跡は、表象されたもの(足跡、指紋など)であるが、それは常に時間的な隔たり、遅延によって規定されている。痕跡は世界に現出するが、それは常にその痕跡を残した者の「不在」の証左でもあり、いわば彼/彼女の亡霊的な現前である。この点で、指紋を含む「痕跡」の概念こそ、本書『指紋論』の最もラディカルなテーマであると言えるだろう。指紋は「表象」を根源的に揺さぶるのだ。
 橋本氏はアイスキュロスの『供養する女たち』における、エレクトラが「足跡」によって弟オレステスの帰還を悟るという場面を紹介している。これは神話における「痕跡」概念のひとつの範例である。しかし、実際の犯罪捜査においては、「足跡」は決定的な証拠とならないことも多い。先述したように、足跡のみならず指紋も含め、全ての「痕跡」は状態・時間によって微分的に「差異化」するのだ(※1)。つまり、痕跡においては「A=B」(同一性)は成立できないのである。しかし、犯人を究明するためにはBがAのmatrice(母型)であることを証拠立てなければならない。だからこそ、最も証拠としての「確率性」の高い指紋が決め手となる。橋本氏は「足跡」と「指紋」という、典型的な二つの「痕跡」概念について以下のように述べる。

同じ足でも残す足跡や履く靴は様々であるのに対して、同じ指が残す指紋は、常に同じである。現場の指紋と記録の指紋の二つが同一であれば、それらは同じ指によって残されたということであり、その指の持ち主がいかなる人物であるのかは、推測するまでもないのだ。逆に言えば指紋は、足跡などに較べて、「母型」となった身体の性質や状況を反映することが少ないということでもある。生まれてから死ぬまで変わらない指紋は、若者でも老人でも同じであるはずであり、足跡のように年齢の違いを推測させることがあってはならないだろう。(p164)


※1)――状態によって足跡も変化するとはいえ、足跡のサイズから「身長」を逆算する以下の公式は、アンリ・ド・パルヴィルによって1889年に発表された。P=足のサイズ、T=身長。

P=8.6/30(T/2+0.05)



【表象文化論における「指紋」の本質――⑵「幽霊」】

 先述したように、指紋の本質となる概念である「痕跡」とは、そこに現前していながら、対象が既に「不在」になったものである。例えば、三百年前に亡くなった先祖の肖像画も、実在した人物が生きた「痕跡」を告げる点では「指紋」と概念的に類縁的であり、そこで共通するのは既にその人物が「不在」であるという点である。「幽霊」に哲学的な意味が帯びるのもまさにこの次元においてである。「幽霊」とは、その場に幻のように現前していながら、実体は伴っておらず、対象も既にこの世界には存在していないものとされる。(※2)
 例えば、ある広い教室を想像しよう。そこに新しい生徒Aが転校してくる。彼は扉を開け、黒板の前に立つ――彼が「現前」する。しかし、一方で生徒が引っ越してくる少し前から欠席している別の生徒Bがいたとしよう。Bの席は空いている。つまり、それまでBもまたいつものように教室という空間に「現前」していたわけだが、今は「不在」である。そしてBの机の中にはノートやペンなどの幾つかの「痕跡」が残されている。それらの物は、Bがそれまでそこに「現前」していたことを告げるものである。それらは「物体」としては確かに「今・ここ」に「現前」しており、その点ではAの「現前」と本質は変わらない。しかし、この時間的な関係が「Bの不在」という相関項を与えられると、初めてノートやペンは「Bの現前していた証拠」=「痕跡」としての概念的輪郭を獲得するのだ。
 本書『指紋論』の第一章に「心霊現象」のテーマが言及されているのも、実はこうした概念的親和性のためであろう。つまり、「指紋」を概念として解体した場合、得られるものは「痕跡」であり、「幽霊」なのだ。そして「痕跡」と「幽霊」は共に表象文化論の基礎概念であるrepresentation(表象)の概念を考える上で、極めて有益な問題提起を孕んでいるのである。
 橋本氏が紹介する超常現象は、1923年にボストンで起きたミナ・クランドン家でのポルターガイスト現象である。ミナの死んだはずの兄ウォルターの「幽霊」が出現し、なんと「指紋」まで残したというのだ。当時の科学者たちは、この「指紋」に疑念を抱いてそれが実際は「誰のものか」を解明しようとした。そして、その指紋が実はミナに近しい歯科医コールドウェルのものであったことが明るみになる。この事件には、既に橋本氏が考察している「痕跡」、「幽霊」の概念が、「指紋」というテーマに絡められて全て出揃っている。また、「この指紋は誰のものか?」という問いは、「私とは誰であるのか?」という問い、換言すれば「私が私であるという承認は最終的にどこに見出され得るか?」という問いを喚起する。この点で、「指紋捜査」こそ、実は表象文化論において今日最もラディカルな問いを突き付けるテマティックであると考えることも可能だろう。
 そもそも、出現した幽霊が「誰」なのか、という問いは古くから心霊主義をめぐるidentificationの問題として言及されてきたものである。よくよく考えてみれば、先のミナ・クランドン家での事件で「幽霊」にわざわざ「指紋」を残させようとする発想はどこか倒錯的ではないだろうか。あたかも、科学者から「それなら証拠を提示せよ」と脅され、それに神経質に答えようとしたかのようだ。実際、この事件はこうした近代合理主義の糾弾にヒステリックに応答することによって「嘘」が明るみになった事件として語られる。換言すれば、どのような「降霊会」であれ、客観的にそこに「幽霊」が出現したという「証拠」がない限り、他者を信じさせることなど不可能なのだ。その証拠ですら、今日では幾らでも科学的に正体を暴くことが可能である。これは心霊現象をめぐる本質的なパラドックスと言っても過言ではないだろう。我々がそれを認めるためには、やはり何らかの「証拠」が必要となる。しかし、その「証拠」が逆に信憑性に「摩損」を与えてしまうのだ。

A photograph of a group gathered at a seance taken by William Hope (1863-1933) in about 1920
A photograph of a group gathered at a seance taken by William Hope (1863-1933) in about 1920

Spirit Photography of William Hope
by William Hope


ウィリアム・ホープ
by William Hope


photographer William Mumler
                 by William Mumler

 怪奇現象を「証拠」に残す行為――その最たる霊が「写真」メディアとカップリングした「心霊写真」である。それがどのような加工修正によって捏造されたフィクションであれ、全ての心霊写真は「霊の痕跡」である。最初期の心霊写真として有名なのは、ウィリアム・マムラーが1860年代に撮影したspirit photographyであり、そこにはリンカーンの霊を写した有名な写真も存在する。あるいは、1920年代のイギリスのウィリアム・ホープによるghost stamp(幽霊スタンプと揶揄された撮影用器具)に写った人物の上の奇妙な発光体(エクトプラズム)も当時の話題を集めた。これらはどれも、心霊現象をなんとかして万人に告知したいという人間の欲望を暗示しており、いわば科学的合理主義を纏った「モデルニテ」(近代)の裏面なのだ。

※2)――revenant(幽霊、蘇り)はそもそもヨーロッパにおいて、「死の直前の姿」で出現すると考えられた。ジャン=クロード・シュミットの表現を借りれば、「亡骸と幽霊の同一性」が保たれているからこそ、西欧における「幽霊」の表象は、常に半分腐った恐ろしい姿で現れるのである。


【指紋と写真】

 フレイザーが1890年に刊行した『金枝篇』には、奇妙な部族についての報告が収録されている。それによれば、彼らは写真を撮影されるとanima(霊魂)が抜け落ちてしまうと考え、写真そのものを非常に恐れているというのだ。実はこうした未開部族の写真恐怖症は、南カフカスで「指紋を捺印すること」に明らかな拒絶を示した部族とも相関している。彼らに共通しているのは、「影」や「鏡像」の中には霊魂が宿るので、写真や指紋は呪術的な眼で見られていることだ。これらの先行研究を受けて、橋本氏は以下のように現代の写真過剰な視知覚性優位な文明社会に以下のような警鐘を鳴らしている。

影や鏡像を恐れたのと同じように、人類学者からカメラを向けられることを拒んだ人々の態度は、私たちよりもはるかに思慮深かったのではないか。「似たもの」に過ぎない顔写真を「同じ」であると言い張り、「私」が唯一無二のものであると頑なに思い込もうとする私たちの方が、はるかに「迷信」深いのだとも言える。(p208)


 ここで重要な点は、橋本氏が「指紋」と「写真」を共に、対象あるいは被写体の「痕跡」として類縁的に把捉していることである。三日前に死んだ人間の写真は、三日前に遭難した人間の足跡と同じく、彼/彼女の「痕跡」であり、「不在」において対象を遅延させつつ再現前させる一種の「亡霊」に他ならない。そして、写真という存在そのものを、橋本氏は「同一性」を倒錯させるメディアとして解釈している。「私たちの写真に写るのは、私たちとよく似た、しかしけして同じではない小さな二次元のイメージである」(p207)。つまり、写真とは実は客観的な「自己」ではなく、あくまでも「自己イメージ」の断片に過ぎないのだ。写真を即座に自己像と一体化させる現代社会の盲目性が、ここで暴き出されていると言えるだろう。
 実は「写真」が身元確認のツールとしては不完全であるという指摘は、既に19世紀後半から行われていた。写真と撮影された本人は「別もの」であり、それを過信すると誤捜査に繋がったのである。特に正面向きの顔写真は証拠として非常に曖昧なもの、不確定要素の多いものと判断された。何故なら、人間の「顔」ほど髪型、健康状態などによって刻一刻と変化するものは他に存在しないからである。「顔」とは、この点でいわば「水」のように変化するものなのだ。それでも、実際の犯罪捜査では「横顔の輪郭線」、特に「耳の形態」は重要な注目ポイントであった。とはいえ、21世紀の現代における美容整形手術は、当時は有力であった「横顔の輪郭線」の証拠価値をも蜃気楼に包み込んでしまうだろう。耳の形態も、犯罪捜査に多少の知見がある犯人であれば、整形で変えてしまうことは無論可能である。だとすれば、いったい「顔」とは何なのか? 
 「顔」という部位にidentificationの場があるとする考えが単なる神話に過ぎなかったという点は、本書が痕跡論的な分析を通じて投げかけているテーマでもある。だとすれば、「顔」とは何なのか? それは皮膚にできた「瘡蓋」のように、すぐに新しい皮膚によって脱落し、更新されてしまうものなのだろうか。我々の顔写真が「自己」の居場所の担保を保証するわけではない。それはイリュージョンであり、よく言われるように写真と実際の対象には常に一定の駆け引き、偏差が存在している。
 ディディ=ユベルマンの翻訳などでも知られる表象文化論の研究者である橋本氏が、なぜ本書で「指紋」をテーマにしているのかについて我々は真剣に考えなければならない。指紋というテーマは、このように読解していくと「写真」についての橋本氏の批判的考察から導出された概念装置であると考えることができるのではないだろうか。だとすれば、『指紋論』とは、実は『写真文明批判序説』という、クリプト化された新たなメッセージを帯びることになるだろう。以下の指摘は、ベンヤミンの『写真小史』への批判的考察としても活きている。

「複製技術」の代名詞のように語られ、被写体から「アウラ」を消失させたと言われもする写真技術は、同じネガを無数に焼き増すことはできても、被写体そのものを複製することはおろか、まったく同じ写真を二度撮影することすらままならないのだ。考えてみれば当然のこの事実は、身元確認の現場においては、取り除き難い困難として立ちはだかることになる。そしてこうした写真の欠点を解消してくれるものこそ、指紋に他ならなかった。(p196)


【カメラアプリ化する自己イメージから、W・G・ゼーバルトの「記録写真」へ】

 写真は本人ではない。しかし、本人にとっては写真こそがアイデンティティの確立のための有力なツールである。ここで参照価値を帯びてくるのが、安部公房の代表作『他人の顔』である。この作品では、「顔」という部位が紛れもなく空間論的なメタファーを用いて表現されている。その最たるものこそが、「居場所」である。換言すれば、「居場所」を可視化させるためには、自己の「顔写真」と、それを承認する公的な「手続き」が必要なのだ。FacebookやTwitter、blogなどのサービスでは、今でも「自分」のプロフィールとして「顔写真」を貼付するユーザーが多い。それらは、いわば面接用や免許証用に撮影した証明写真とは「異なる」、幾分自分の「理想像」が意味賦与された「自己イメージ」であることが多い。あるいは、自己の顔写真に価値を見出さないユーザーは、自分の存在の符牒としての多種多様なイコン(林檎の写真から、マスコット、ファッションモデルという他者の写真まで)によって「顔」=「居場所」をrepresentさせる。
 だが、何度も「自己イメージ」としての顔写真、あるいはイコンを変化させる人間には、ある一定の共通点が妥当するのではないだろうか。つまり、社会空間上における「自己の居場所」を常に意識し、探り続けているという状態である。だからこそ、「居場所」=「顔」は、流浪民のように様々な「画像の場」を通過するのだ。それはパラドクシカルにも、「自己イメージの不成立」の証左となっている。
 現代における「カメラアプリ」の流行に似た現象が、実は第一次世界大戦の直前にフランスで一般用として「写真館」が流行した時期にも存在している。そこで人々が比較的安価で撮影していたのは、無論犯罪捜査で使用するような「横顔写真」ではない。それは実はある種の「原始アプリ」であり、人々は自分の好きなポーズ、衣裳、表情で「自己イメージ」を作り出していたのだ。もし自分の気にくわない写真ができると、また次の写真を撮れば良い。このようにして、人は恋愛を中心とした社交空間上のツールとしての「自己イメージ」の重要性に気付いたのだ。それは繰り返すように、あくまでもイメージであって、既に自己との同一性は崩壊しているのである。
 こうした点を、橋本氏は以下のように鋭く分析している。

そもそも証人が必要とされたのは、私たちが自らの身元を自分では証明できないからである。「私」が誰なのかを普段は確信しているはずの者でも、周囲のあらゆる人々にそれを否定されれば、同一性の主観的な基盤は、たちまちのうちに崩れ落ちるだろう。「私」が「私」であることは、他者の証言によってしか保証されない。家族や友人が暗黙のうちに認める「私」こそが、私自身の見る「私」の姿であり、こうして「私」は、他者の眼差しのうちに自らの鏡像を見出すことで、自らの位置を事後的に確認する。証人の制度は、私たちが日々繰り返しているはずのこうした「私」の確認作業を、儀礼的に可視化したものだと言えるだろう。この制度が廃止されるということは、これまでの証人の認める「私」を追認してきた国家が、直に「私」を認定するようになることを意味する。国家が「鏡」の位置に立ったのだと言い換えても良いだろう。パスポートに貼られたポートレートとは、国家によって与えられた、私自身の鏡に他ならないのだ。(p205)


 ここで我々は最後に、どこまで行っても最後まで「自分の居場所」を見つけ出すことができなかった20世紀最大の作家の一人フランツ・カフカの「写真」について言及しておこう。カフカの作品には多様な解釈史が横たわっているが、ここでは「カフカと写真」について触れるに留めておこう。実はカフカの少年時代の写真は、ベンヤミンの『写真小史』にも掲載されている。そして、この写真に触発されたのか、ベンヤミンは自分の少年時代の弟、妹と共に写っている写真をも掲載している。重要な点は、ベンヤミンがそれらにある種のノスタルジーを感じつつも、けして自分の存在の「証明」としては語っていない点だ。それはあくまでも「少年期のイメージ」の断片に過ぎないのである。カフカは、このような写真に課せられた苛酷な「同一性の崩壊」を文学的に形象化した最初の作家であると考えることも可能ではないだろうか。あるいは、カフカが描いた主体としての匿名的な存在であるK、あるいはヨーゼフ・Kの「居場所」は、実は彼の「顔写真」にこそあったのではないだろうか。
 橋本氏の研究は、「顔」に変わって、より証拠として強力であり、かつ表象文化論的な概念としてもラディカルな「指紋」というメディアの分析に捧げられている。それは不思議にも、我々にノーベル文学賞候補になりながら交通事故で亡くなったW・G・ゼーバルトのテクストにおける「写真」の機能についての再考を促すものでもある。カフカとは違い、この作家は「居場所の不在」の感覚を共有する移民たちの姿を描きつつも、そこに彼らの「生きた証拠」としての様々な「記録写真」を掲載している。中には、レシートの裏のような犯罪捜査的な証拠写真も存在する。全ては、彼らが「生きた証」を、テクストだけでなく画像によっても、すなわち「イメージ」によっても伝えるためである。そこに我々は、改めて「自分の居場所」が「どこにもない」という感覚の、ひとつの勇敢な解決の手段を見出すことが可能である。






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