† Twitter †

11/14のツイートまとめ

tomoichiro0001

「ボルヘス文学の遺産を受け継いだ著者が〈来るべき文学の可能性〉を提示した恐るべき恋愛小説。都市で生きる男と女の偶然の出会いを通して、緩やかに〈存在〉の迷宮が可視化していく……。」鈴村智久の最新作『アニエールの水浴』(装訂/門倉ユカ)http://t.co/tnUOnXK5OL
11-14 22:38

「小説とは根源的に何なのか、その〈制度〉への懐疑なくして新しい現代文学は誕生しないと感じる全ての読書家への真の応答がここに!前衛的実験作品三篇を収録した来るべき文学のための羅針盤」鈴村智久『メリーゴーランド』(装訂/門倉ユカ)http://t.co/G7sCTiTJw2
11-14 22:36

「ボルヘス文学と〈Web〉が革新的に融合した〈来るべき文学〉の誕生。〈個性〉の分散が加速する現代社会の中で、〈存在〉の在り方を探究した黙示録的な注目の最新短編集」鈴村智久『聖アントニウスの誘惑』(装訂/門倉ユカ)http://t.co/hohcwdPZ7m
11-14 22:30

現在、新しく書いた小説を掲載させて頂いております。御意見、御感想、気付いた点など、どなたでも寄せて下さると今後の励みになります。鈴村智久『終末のメルヘン』 http://t.co/fL2TCtEqaQ
11-14 18:47

RT @lunar_shirayuki: ふ〜む('ε'o) 思い出した( (*ˇωˇ*)
11-14 16:13

RT @lunar_shirayuki: iPhone6ケースを手帳型に変えたらしっくりきた(*´v`*)
11-14 16:13

18世紀ドイツ美学の主要テーマであった「美的範疇論」によれば、「美的なもの」は以下の順に時計回りにカテゴライズされる。Schön(美)Niedlich(優美)Komisch(滑稽)Häβlich(醜)Tragisch(悲愴)Erhaben(崇高)
11-14 15:10

ガダマーは『真理と方法Ⅰ』で美的体験(aesthetic experience)を以下のように定義する。「体験者を芸術作品の力によって一瞬のうちに生の連関の外へ引きずり出すと同時に、彼の生活全体との関わりを改めて創り出す。美的体験は常に、無限の全体についての経験を含んでいる」。
11-14 15:05

「可能的世界」を表示するモデルはツリーではなく、リゾームである。この根茎は、ある「一つの行為」を始点にしてニューラルネットワーク状に無限に分裂していく。最初の行為も、始点とはいえやはりそれに先立つ始点から派生した第二の起源である。
11-14 14:40

ライプニッツは『弁神論』の中でボルヘス文学の核心である「可能的世界」をモデル化した「セクストゥス・タルクィニウスのピラミッド」について言及している。このピラミッド全体は神の知性を象徴しており、そこには無限数の小部屋が存在し、それら全てが可能的な出来事の一つ一つを表象している。
11-14 14:35



「意志という同一の現勢力において、神は互いに反対物であるものを共に欲する。同様に、互いに反対物であるものが共に存在することはないが、ただ一つの行為である同一の認識行為において共に認識されるということを神が知るのは、同一の直観ないし知によってである」ドゥンス・スコトゥス
11-14 14:30

ボルヘスの作品全体は、文学史における古典的なエクリチュールの構造を体系的に逸脱させるネオ・バロック的なゲームとなっている。個々のテクストは可能的な世界の変則例を実現したものだが、逆に、可能的な変則例のひとつを例証するようなボルヘスの作品がどこかにひとつ存在するといって良い。
11-14 14:25

ボルヘスの「バベルの図書館」、「ピエール・メナール」、「バビロニアのくじ」では、「充足理由律」が抹消されている。「八岐の園」はライプニッツの「可能的世界」論を骨格にした上で成立している点で、最も顕著にこの第二原理の抹消を実現しているといえるだろう。
11-14 14:20

ボルヘスの「神学者」で異なる人物の混同が起きたのは、「不可弁別者同一の原理」が抹消されているためである。この抹消が起きると、以下の定式が可能になる。すなわち、「シェイクスピアを朗読する全ての人間はシェイクスピアその人である」(「トレーン、ウクバール、オルヴィス・テルティウス」)
11-14 14:15

「唇」=「傷」という等式が成立する限りで、「キス」は「傷口と傷口を押し付け合う行為」を意味する。口唇――それは身体の内部と外部を交通させる「開口部」、「孔」であり、「外/内」の二項対立を攪乱する戯れである。マルドロールにとっては、他者に毒を注入するための幻想的な器官でもある。
11-14 14:05

ロートレアモンにとって「唇」は「傷の両縁」を意味する。それは顔面の中で唯一開閉可能な器官である点で「傷」として規定される。堕天使マルドロールは笑うために自身の唇を切り裂き、大量の血を流すが、その姿を他の人間と比較して、自分がけして「笑っていない」ことを発見する(第一歌第五章)。
11-14 14:00

「文学におけるhymenography(膜研究)」においては、登場人物のあらゆる行為は遂行されつつ出来事になりえず、ただ空隙として意味を無へ回収される。それは犯罪が行われつつ被害者も加害者も存在し得ない完璧な「完全犯罪」のためのプログラムである。
11-14 13:55

AにとってはBは外部であるが、BにとってはAは外部である。接合部である「扉」からすれば、AとBは外部であり、かつ内部である。「内/外」という二項対立の脱構築は、磯崎新が『見立ての手法』で展開した「間(ま)」の概念や、ウィトゲンシュタインの「ジャストロウ図形」とも相関する。
11-14 13:50

「唯一にして現前する固有の〈起源〉というものはない」とデリダが述べる時、それはリオタールがデュシャン論で述べた「蝶番」のシステムと相関するだろう。蝶番や窓、扉という建築空間における接続部分は、ある空間Aと空間Bを繋ぐ機能を持っている限りで「Aであり/かつBである」。
11-14 13:45

「テクストの外部はない、とすればそれは、全般化された書記素が常に既に開始されていて、先行するエクリチュールの中に常に接ぎ木されているからである。…テクスト以前には何もなく、既にひとつのテクストでないようなプレテクストはない」デリダ『散種』
11-14 13:40

ド・マンが述べたように、「主体とはレトリックの与える効果に過ぎない」のであり、主体=主語は、それぞれのテクストのブロックごとに常に差異化される。「主体性」とは、「言語の絶対的なランダム性の、常軌を逸したメタフォリカルな相関物」である。
11-14 13:35

パロールはエクリチュールを内に秘め、互いに「接ぎ木」し合っている。どちらが起源かを問うことに意味はない。デリダが絵画論『盲者の記憶』で述べた定式をここで引用すれば、「起源は常に廃墟化されている」のだ。
11-14 13:30

ソレルスのテクストに、詩的かつ哲学的なテクストを積極的に接ぎ木していくデリダは、まさにソレルスというsemence(種、精液)を使って、新しい農地に種子を蒔いている(semer)。では、接ぎ木とは意図的な行為なのだろうか? 我々は何かを書く際、常に既に接ぎ木しているのだろうか?
11-14 13:20

鉢植えで形、色彩が微妙に異なる別の植物をexportation(移植)したとしよう。その時、この植物は「接ぎ木」されたことになり、成長する上で付け足された新しい植物から影響を受ける。それは既に元の植物ではなく、双方の主体間の「縁」に位置する新たな再生である。
11-14 13:15

全ての書物にはsemence(種、精液)が存在する。真っ白なページを「農地」に見立てた場合、作家は農夫だ。農夫は土地に芽を蒔く。この幾つかの「種」が、やがて農地を豊かに実らせることになる。したがって、どのような「書物」にもまた、「種」となるべき文が存在する。
11-14 13:10

巽孝之氏が円城塔氏の文学空間に適用しているParergonとは、デリダの『絵画における真理』で提示される戦略素であり、これは「額縁」、「作品の外」、「余白」を意味している。これまで「文学外」として排除されてきたテクストたちは、今や「内」に折り込まれつつある。
11-14 13:05

巽孝之氏が、円城塔氏の文学空間を安部公房、小松左京、山尾悠子らに連なるSpeculative fiction(思弁小説)としてカテゴライズした上で、特に「Parergonの文学」と表現していた点を想起しよう(詳細は円城塔『後藤さんのこと』文庫版解説を参照)。
11-14 13:00

意味論的空白としてのイメーヌ、あるいはコーラは、建築学において青木淳が提示している「原っぱ」の概念を喚起させる。原っぱ、空き地、何も建てられていない空間、都市の余白。そこにかつて何が建っていたのか最早誰も知らない、そんな「場所」としてのイメーヌ、コーラ。
11-14 12:55

hymen(イメーヌ)はデリダの「パルマコン」、「代補」、「差延」、「コーラ」、といった戦略素と同じ系列項に属している。これらの場は共に、「けして〈記憶〉や〈止揚〉によって媒介、制御、止揚、弁証法化されるがままにならないものの地点を標記している」(デリダ)
11-14 12:50

イメーヌは邪「であり/かつ」神聖である。それは、ものとものの間隔、「…のあいだで」の存在であり、二重で相反する決定不可能な意味価、いわば意味論的「空白」である。それは二項対立する全ての概念を包含する境位としての環境、二項の「あいだ」である。
11-14 12:45

現代において「散種的に書く」ことについて、デリダは以下のように答えている。「イメーヌの折り返しにおける散種…これのための方法などない。いかなる道も、弧を描いて初めの一歩に戻ってくることはなく、単純なものから複雑なものへと進むことはなく、始まりから終わりへと導くこともない」『散種』
11-14 12:41

一冊の「書物」とは常に「先立つ別の書物」との間で「微分的差異」を有する散種された辺境的存在である。つまり、どのような書物も常に再標記されたもの、規格を若干変更して再生産されたものなのだ。ここにテクストにおける「円環」が、「ネットワーク」が全体像として描く循環構造が可視化する。
11-14 12:35

デリダは「テーマ批評」(作品をある一つのテーマを主張している統一体として解釈する方法論)を批判する。そもそも、作家がそのような「テーマ」を表現しても、読者が彼の意図を字義的に解釈してくれる保証などないし、レクチュールは本質において「誤読」(ド・マン)である。
11-14 12:30

洪水時に唯一水面から顔を出していた大陸の「余白」としての「アラトトの山」(世界の再創造のメルクマール)は、「エデンの園」の「代補」であるが、この回帰の構造そのものは子孫たちに認識されない。そうであるからこそ、起源はいつまでも〈別の何か〉によって「意味」され続けるのである。
11-14 12:25

クインティリアヌスは端的かつ明晰に、「記号」とは「それによって〈別の何か〉を意味するもの」と定義した。デリダは更に以下のような条件を与えている。すなわち、記号とは、「それによって〈別の何か〉を絶え間なく意味し続けつつ、起源を〈痕跡〉としてのみ表象するもの」である、と。
11-14 12:20

ド・マンがロックを読解しながら提示する要諦は、メタファーはあらゆるテクストにおいてアナモルフォーズ(歪像的変形)しながら全体化していくという運動に他ならない。ロックはメタファーを忌避し、論理的に一貫した形式を重視したが、概念はいつしか比喩になり、比喩は概念になってしまう。
11-14 12:15

デリダは隠喩的な次元における「代補」の原理を、「イメーヌ」とも表現している。『散種』によれば、「イメーヌとは、〈かつ/または〉についての、〈かつ/または〉のあいだの構造である」。それはいわば「原-隠喩」である。
11-14 12:10

言語が「あるもの」を「常に別の何か」として意味することは、いつでも、どこでも、誰にでも、権力のメカニズムによって恣意的に意味賦与されるという契機をも孕んでいる。これこそ、アンリ・メショニックが現代批評の主勢力たるデリダ、ド・マンらの「隠喩的解釈」に喚起させる問題提起である。
11-14 12:05

後期フーコーは「私」と「他者」との「襞」の生起、すなわち、他者という絶対的に外部的な存在が、「私」という内部的な領域へと陥没する瞬間を、「主体化」の作用として定義した。対他的な関係性のネットワークによって外が内へ、内が外へ折り畳まれる「襞」の運動こそが「自己」である。
11-14 12:00

言語そのものが表現したいものから遠ざかっていく感覚を、松浦寿輝は「肯定されるべきエクリチュールのaura」と規定している。「意味させたいこと」と、「意味していること」には常に齟齬が生起する。この作者の意図の実現不可能性、常に乖離しようとする意味作用の運動は「花粉」とも表現される。
11-14 11:55

エロスは本質的に「表象不可能」である。エロスはテクストや絵画などの外部的なメディアにはけして還元できない。何故なら、究極のエロスにおいてはエクスタシスに伴う「主体の消失」が起きるからである。いわば、「cogitoの明証性が砕け散る」(松浦寿輝)次元が、「性愛」なのだ。
11-14 11:50

「主体、精神もまた言語の産物である以上、それはメタファーから生成する」という認識への到達にド・マンが明確な「近代」を見出す以上、ロックの『人間知性論』(1689)がフランス革命の百年前であるという点は極めて先駆的である。
11-14 11:45

ド・マンにとって〈文学的近代〉とは、「レトリック」が実は十八世紀啓蒙思想そのものを影で支配していたことを「察知」した瞬間に一つの極点を見出しているのではないか。だからこそ、彼はヘーゲルとフィヒテを除外し、ロック、ルソー、カント、ニーチェという一連の系譜を描き出す。
11-14 11:40

存在論はデリダが述たように、神学上の概念を「それとは別の」語彙によって語り直したものである以上、やはり「神」を「存在」にトロポロジカルにrepresentしていると解釈可能である。すなわち、ハイデッガーにとっては「存在」という概念それ自体が「神」のメタファーとして機能する。
11-14 11:35

メタファーの発生プロセスは「別の顔を与える」行為に本質を持つ。ド・マンによれば、たとえメタファーを排除した論理的なテクストを企図しても、メタファーはテクストにクリプト化され、かつアナモルフォーズ(歪像的変形)された形式で全体化している。
11-14 11:30

イェール学派のH・ミラーは、「読む/書く」行為は常に意図や解釈にとって逸脱、挫折、頓挫、失敗を運命付けられていると規定する。ミラーはこのような「読むことのアレゴリー」を、まさに「生きる」ことと相関して把捉する。「生きること」、それは「読む/書く」と同じくアレゴリカルなものである。
11-14 11:25

「倫理的なもの」は一元的な「真理」に解消され得ず、常に「無根拠」的なもの、他者との対話へと開かれたコンテクストとして現れざるを得ない。倫理について「倫理」的に思考するためには、倫理そのものが本質的にアレゴリカルな機制に支配されているということを念頭に置いておかねばならないだろう。
11-14 11:20

ある認識論的なシステムによって「倫理的なもの」を集約・還元するようなイデオロギーは「美学イデオロギー」(ド・マン)である。ある考えが絶対的に正しい「倫理的なもの」であると規定し、対話性を失った(コンテクストの不在)盲目的な権力こそが「反倫理的」なものに他ならない。
11-14 11:15

「倫理」は数ある言語形式の一様態に過ぎない。それはレヴィナスが規定したような「存在」に先立つものではない。ド・マンにとって「倫理」とは「ディスクールの恣意的な作用=戯れの中から立ち現れる効果」、すなわち言語的なレトリックの産物である。
11-14 11:10

前衛への意志たる「モダニティ」そのものは文学からの離脱であり歴史の拒否として規定されるが、それはまた文学に歴史性を与える根本原理として作用する。それは伝統的、歴史的な文学史を「祖父」とみなした場合の、反抗的な「孫」の身振りに他ならないが、孫もまたいつかは「祖父」になる。
11-14 11:05

いかなる作家もけして自らが望む「モダニティ」を完全に実現し尽くすことはできない。ここで彼らが「古典」へと反転衝動のように立ち返り、文学そのものの遺産へと「折り返される」瞬間――まさにそれは、「モダニティ」の概念が文学の歴史性と手を結ぶ瞬間に他ならない。
11-14 11:00

アリストテレスは「隠喩」を空間移送の問題として規定するが、デリダも「白い神話」で「metaphoraないしepiphora(適用・結論)は空間上の移転運動である」と述べる。言語空間上に存在する点A、Bに新たな「類似性」を見出して連結させる力学が、隠喩の根底に存在する。
11-14 08:15

Web社会の「盲点」から現代人の名状し難い孤独を炙り出し、存在論とメディア論の新たな地平を描出した来るべき時代の黙示録。鈴村智久『聖アントニウスの誘惑』(装訂/門倉ユカ)http://t.co/hohcwdPZ7m
11-14 08:15

「隠喩」を全ての比喩の全般的形式であると規定した最初の人であるアリストテレスは『詩学』で「metaphora(隠喩)とは、別の事柄を指すある名をある事柄へと移送することである。その移送は類から種へと、種から類へと、種から種へと、あるいは類比の関係に従ってなされる」と規定する。
11-14 08:10

「クラテュロス主義」、あるいは「クラテュロスの亡霊に憑かれる」とは、記号表現と物の結合を当然とみなす認識である。しかし、記号表現は本来レフェランに貼付されているものに過ぎない。ド・マンは『読むことのアレゴリー』のプルースト論で、これを「幻想」として批判する。
11-14 08:05

道端の猫をréférent(言語外的な指示対象)とした場合、記号表現としての「猫」はsignifiant(意味するもの)だが、この二つの本質が同一であるとみなす見解をロドルフ・ガシェは「言語のクラテュロス主義」、あるいはliteralism(字義的解釈主義)と表現する。
11-14 08:00

「聖女テレサやルドヴィカ・アルベルトーニの肉体を覆う外部の襞<外生的襞>は、肉体の内部の襞<内生的襞>に呼応しているのではないか。…外部の襞は内部の襞の反復なのだといってもいい」谷川渥『肉体の迷宮』
11-14 07:30

最近の私の帰宅してからの隠れた楽しみは、眠っている彼女の素足をこっそりこちょばすことです。リアクションが可愛すぎる。
11-14 01:00

関連記事
スポンサーサイト
*Edit TB(0) | CO(0)



~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


Back      Next