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憎み合いながらも愛さざるをえない母と子の絆――注目集めるグザヴィエ・ドランが19歳の時に撮影した『マイ・マザー』について


マイ・マザー Blu-rayマイ・マザー Blu-ray
(2014/06/04)
グザヴィエ・ドラン

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 2015年に日本で公開予定のグザヴィエ・ドラン監督最新作『MOMMY』がカンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞したことで、彼の作品に対する世界的な注目が集まっている。今回、彼の実質的な処女作である十九歳の時に撮影した『マイ・マザー』を観た。
 主人公のユベールは母との関係が悪い、今時のフランス人少年である。彼は国語の成績は良く、小説や詩を書くのが趣味で、文学ではマルキ・ド・サドを偏愛しているようだ。ゲイの友人アントナンとは仲が良く、ベッドを共にするような関係である。ユベールの母は短期で気紛れな性格で、ユベールは自分を生んだ母の品の無さや性格に日々憤懣を募らせている。この当時の反抗期にある若者の心理的性質がうまく映画ではエピソードを通して演出されている。
 「僕と母が他人なら、きっとうまくやれた」――ユベールは、現在の母との関係をそのようにモノローグで告白している。ユベールの言動を注意深く見ていると、彼の怒りの矛先が母にのみ向いているわけではないような気がしてくる。いわば母という「身近なもの」、「自分に近しいもの」、「自分の周りに存在する全てのもの」に対する苛立ち、怒り、閉塞感なのだ。それを「世界」への憤怒と表現しても良いかもしれないが、これは別段珍しいことではなく、誰もがある時期には通過する特徴なのだ。
 本作で唯一、特権的な存在として描かれているのがユベールの女教師ジュリーである。ジュリーはユベールが母とあまり良い関係にないことを知って、面倒を見ようとする。彼女はミュッセの詩集にある母への愛情について綴った詩をユベールに読ませたり、かなり親密な関係にも発展していく。ただ、極めて残念なことに、この映画ではテーマがあらかじめ「母子関係」になっているので、「先生と生徒の禁断の恋」が、閉塞化する世界の突破口として描かれることはない。それが秀逸なこの作品の唯一の物足りなさであるが、これはいわば脚本の問題でもあるだろう。
 印象的なのは、反抗するユベールを包み込もうとする世界の描かれ方だ。例えば、友人のアントナンは驚くべき親愛の情を見せてこの友を労っている。寄宿舎へ入れられるユベールとの別れの場面でも、彼は自分たちの友情の絆を記念した人形に、ユベールの母の人形をも贈っているのだ。この年齢で、ここまで物分かりの良い親友はそういないものである。新しい環境では、金髪の美青年エリックと同性愛的な関係を感じさせる場面が描かれもするが、ユベールは馴染むことができない。
 ユベールは母への憎悪と愛情を同居させている。憎しみを抱きつつも、愛さざるをえない存在――それが「母」なのだろうか。私にとって「母」とは、愛そのものであり、光であり、水死しかけた少年期の私の命を救い出した存在でもある。だが、やはり学生時代は母と様々な場面で衝突することもあり、そのような時期をこの映画を観ながら自然に思い出していた。ああ、みんな同じだったのだな、という不思議な安心感を覚えたのは事実である。
 このような作品を十代で撮影したドランの才能に世界は驚嘆したが、逆に言えば、十代後半のドランであったからこそ描けた世界観である。今後も期待できる監督だ。







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