† 展覧会 †

「美」は遊牧する――ホイッスラー展(横浜美術館)の記録

白のシンフォニー
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー《白のシンフォニーNo.3》(1865−67)

 横浜美術館で開催中の、唯美主義の巨匠ジェームズ・マクニール・ホイッスラー展に訪れたので、その記録を残しておこう。ホイッスラーには以前から関心が高かったので、今回の展覧会は私にとっては非常に重要な出来事だった。

カーライル
《灰色と黒のアレンジメント No.2 トーマス・カーライルの肖像》(1872-73)

 今回の私の最大の発見は、ホイッスラーの人物画と、私が以前から関心を寄せ続けているデンマーク室内画派の巨匠ヴィルヘルム・ハンマースホイの室内画が共に持っている、ある種の「静謐さ」である。特に私が注目したのは、代表作としても知られる《灰色と黒のアレンジメント No.2 トーマス・カーライルの肖像》(1872-73)だった。この絵を観た時、私が思い出したのはハンマースホイが描いた妻の後姿の絵である。全体的に色調は抑えられていて、暗く、クラシックで厳格な印象を与える。この抑制は、例えば集団肖像画を描いたファンタン=ラトゥールよりも更に暗い。特に照明を使わず、部屋に射す自然光と灯りのみを頼りに描いたような暗さに、私はホイッスラーの「性格」に通底するような何かを濃密に感じ取ったのだった。それは例えば、70年代以降に盛んに描き出される「ノクターン」のシリーズの静けさにも流れているものだ。そもそも、「ノクターン」のシリーズの多くがなぜ「夜の暗い橋の下」を中心に描かれているのかを考えなければならないだろう。画家が太陽の沈んだ後、ほとんど寂寥感さえ漂っている橋の下で孤独に絵を描く姿は、どこかカーライル氏の肖像から感じられる「孤独」によって予兆されているような気がするのだ。このホイッスラーが感じさせる「孤独」な側面は、ジャポニズムや唯美主義ばかりが喧伝されることの多い画家よりも、いっそう本質的なものではないだろうか。

小さなホワイト・ガール
《白のシンフォニー No.2 小さなホワイト・ガール》(1864)

 ここで私が提示したいのは、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンの『ヴィーナスを開く』や『ニンファ・モデルナ』などから共通して得られた概念であり、それは以下のようなものである。画家のある共通した感覚様態が、人物画や風景画の差異に関わりなく、何か「共通の符牒」として現れるということだ。例えば、長年の愛人を描いた代表作《白のシンフォニー No.2 小さなホワイト・ガール》(1864)は、確かにその絵画空間を占める唯美主義的な道具立て(オリエンタル・ペインティングの手法として特徴的な日本風の団扇や陶器、花など)が揃っていながらも、鏡面に映る彼女の表情は明らかに「メランコリア」を印象付けている。つまり、「美的なもの」が、あたかも憂愁、あるいは端的に「死」の不安に見張られていることを、この絵はどこかで告げようとしているようなのだ。ホイッスラーは、おそらく「唯美的な画風」をスタイルにしようと企図していたのだろうが、実質的にはそこに彼自身の内奥に住まう「影」の如きものが滲み出ているのである。そして、それこそが逆説的なことだが、おそらく「唯美的なもの」に必要なものなのだろう。美は美それ自体として自立できず、常にある種の「反美」(美を脅かそうとするもの)に支えられ、依存し、共犯関係にあるのだ。ホイッスラーの唯美的な作品が実質的に告げているのは、実は「唯美」なるものが「一瞬」のものであり、極めて儚いものであるということに他ならない。それゆえ、描かれた女性たちは美しく優雅な衣裳を身に纏い、壮麗な空間に配置されながらも、どこかアンニュイなのである。そしてこの「表情」こそ、唯美主義だけでなく、軽妙洒脱な華やかさという点で共通した「ロココ絵画」の本質でもあるだろう(例えば、シャルダンの《シャボン玉遊び》は、ヴァトーやフラゴナールのギャラントを意識した画風では描き得なかった、同時代の憂愁を物語る)。
 さて、ここでホイッスラーのエッチング(版画)に触れておこう。私は油彩画と同じくらい、あるいはそれ以上に実はエッチングに美を感じることがあるのだが、ホイッスラーの版画にも稀有な魅力が存在している。私が「版画」という芸術において最初に思い出すのは、国立西洋美術館の企画展で2014年に鑑賞したジャック・カロ展である。あるいは、それより少し前にやはり同じ美術館で観たデューラーの版画展だ。特にジャック・カロ展では、ルーペを用いて一枚一枚、眼の前で「拡大」しながら鑑賞することが推奨されていることもあって、その緻密な細部の描写に驚嘆させられたものである。版画には、いわばこうしたディテールに意識を同一化させていくことで、その作品の内部世界に「侵入」するという瞬間が存在している。油彩画よりもこうした「侵入」の経験が生起し易いのは、おそらく鑑賞者に版画が「本の挿絵」としての機能を呼び覚ましているからだろう。つまり、どの版画にも、それがもし「挿絵」に使用されていればいったいどのような「物語」なのだろうか、という想像力を喚起させる力が宿っているのだ。こうした版画=挿絵の持つ「物語喚起力」は、もちろん我々のホイッスラーにも存在しているのである。


「台所」(『12点の写生エッチング』「フレンチ・セット」より)1858年

 例えば、この『12点の写生エッチング』(1858年)の「フレンチ・セット」の一枚にある「台所」という作品をゆっくり観てみよう。奥に、誰かがいる。彼女はおそらく料理か、皿洗いをしているはずだ。素朴な室内の遠近感は、光の効果によってどこか洞窟の神秘にも似た安らぎを感じさせる。皿の冷たさ、硬さに対して、壁の柔らかさまで描写の濃淡によって微妙に描き分けられている。こうした一枚の版画だけからでも、例えば「展開」を無限に遅延させ、「描写の細部」に並外れた努力を捧げたジュリアン・グラックのような作家であれば、一冊の本を書き得るだろう。むしろ、版画には油彩画のような色彩が欠如していることによって、いっそう我々の想像力を掻き立てる力があるはずなのだ。

《ヴェネツィアの扉口》1880年頃
《ヴェネツィアの扉口》1880年頃

 また、この「ヴェネツィアの扉口」(1880年頃)にしても、扉口の奥にいる人物の顔は影に覆われて曖昧にぼかされている。それは我々に、スーラの素描のような独特な「妖しさ」を感じさせないだろうか。実際、美学者の岡田温司氏は『半透明の美学』の中で、スーラのデッサンには、彼の油彩画以上の「美」があることを認めている。事物を「曖昧」に描くことでしか得られない幻想的な情趣というものがあるのだ。ホイッスラーはこうした版画制作の方法論を、レンブラント、メリヨン、クールベといった巨匠たちの作品から学んだという。

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《ライム・リジスの小さな薔薇》(1895年)

 さて、ここで一枚、避けては通れない重要な作品を紹介しておこう。これは今回の展覧会の隠れた華である。そう、《ライム・リジスの小さな薔薇》(1895)のことだ。画廊をゆっくり歩きながらこの絵の前に立った時、私を襲った感慨は、この絵がまず非常に「弱い照明の室内」にいる少女を描いているということである。換言すれば、この絵にはどこか名状し難い色調の暗さがあって、それが今日の写真加工における「明るさの調節」などといった技術的補正とは一線を画させているように感じられるのである。確かに、《白のシンフォニー》のシリーズのようなアイボリー色の明るく軽やかな作品とは違って、この黒と暗い臙脂色によって統一された人形のように美しい少女の絵は、どこか異様な「暗み」を帯びている。この暗みこそ、展覧会カタログや巷のポストカードではけして感じられない、実作に対峙することでしか把捉し得ない「絵画的なもの」の〈質〉であるのではないだろうか。つまり、特別な照明や、人工的な明るさに頼らず、むしろ暗さの中で、衣裳を、人物を織り成すということ――この「暗み」が、いわばこの絵画の魅力の本質を成しているものである。
 私がここで述べているのは、この絵が元々、おそらく貴族の古い邸宅の薄暗い廊下か、あるいは書斎の秘められた片隅に薄らと掲げられているべき代物であったはずだという「想像」に依存している。だが、この絵はそういう想像を促す。そして、おそらく画廊で何千人もの人々の眼に曝されるべき作品ではなかったはずだ、というある種の憐れみすら感じるのだ。これは、やはりそれほど貴族的な「嗜み」に関わっている作品なのである。薄暗い貴族の部屋では、ただ眠れぬ夜に枝型燭台を近付けて、蝋燭の火を翳しながら一枚の絵を嗜むといった審美的鑑賞が自然なものであったはずだ。だからこそ、《ライム・リジスの小さな薔薇》は、暗く「なければ」ならなかったのである。いわば、唯美主義の「光」の側面が《白のシンフォニー》であるとすれば、リジスの薔薇とはその裏面なのだ。ホイッスラーには、この絵の他にも「少女」をテーマにした作品がある。例えば、ポーの名高い「アナベル・リー」に捧げられた同名の油彩画がそうだ。エドガー・アラン・ポーという、このゴシック文学の城とも呼ぶべき作家に対して、ホイッスラーはシンパシーを抱いていたようだ。

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「ピーコックルーム」(孔雀の間)、フリーア美術館
 
 最後に、やはりホイッスラーと「ジャポニズム」との関連を抑えておこう。日本風の「和」の要素を、部分的であれ採用した作風は「オリエンタル・ペインティング」と呼称される。あるいは、日本風とギリシア風の要素をカップリングさせたような作風は、時として「グレコ=ジャパニーズ」などと表現される。ジャポニズムとの関連で言及されるのが、ホイッスラーが浮世絵から学んだ技法である。特に歌川広重などの浮世絵から、彼は遠景と近景をそれぞれ別の作品として大胆に「二分割」したような作風を採用した。今回の展覧会では、こうした「和」から「洋」への影響具合が比較されて判り易く展示されている。
 実はホイッスラーにとって「ジャポニズム」は、ロココ時代の建築家における「シノワズリ」(中国趣味)と同じような機能を持っている。つまり、異国的なもの、東洋の美術は西洋の貴族にとって非常に高価で美しいものなのだ。その証拠に、現在、「唯美主義の頂点」と言っても過言ではない作品がワシントンのフリーア美術館に展示されている。展示されているというより、一つの空間全てがホイッスラーが描いた美の結晶体なのだ。そう、画家が富豪フレデリック・R・レイランドのために元は設計した「ピーコックルーム」(孔雀の間)である。この部屋は1877年に完成したが、特徴的なのは日本風の着物を着た西洋の女性と、「孔雀」である。ここで思い出したいのが、フレデリック・レイトンのようなロイヤル・アカデミーの画家が描いた唯美主義的な作品である。レイトンもやはり「女性と孔雀」という二つの要素を、「唯美主義の象徴」として取り入れている。ホイッスラーはこれにジャポニズムまで取り入れているわけであるから、いわば「美」の集合体のようなものだ。

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「ピーコックルーム」(孔雀の間)、フリーア美術館

 展覧会では、もちろんピーコックルームを「再現」してはいない。その代わりに、広いスペースに三つのスクリーンを用いてフリーア美術館の展示空間を映している。これをわざわざ映していること自体、極めて記念すべき出来事として捉えるべきであろう。要するに、ホイッスラーの「唯美主義」にとって、「ジャポニズム」とは彼の美意識を更に研ぎ澄ませるための武器だったのだ。我々日本人が、西洋の美術をインテリアに取り入れて、それに慰めを与えられるように、彼ら西洋人も、我々日本の重要な文化を取り入れて、それによって魂の滋養を与えられていたのである。このように、ホイッスラーには「和」と「洋」を融合させる架橋のような力がある。というより、彼は二十九歳の時にはラファエル前派の影響を受けて、その潮流の要素を上手く取り入れたりしていることからも判るように、時流の美意識に対して極めて鋭敏な審美眼を持った芸術家であったのだろう。けして一つの物体、一つの画題、一つの概念に凝り固まることなく、ホイッスラーはそれぞれの時代、それぞれの国によって「美」とされているものの共通項を探り、それを一枚の作品として後世に残すことに成功した。その多大なる功績は、いくら称讃されてもそれが過ぎるなどということはないだろう。


(2015.1.15鑑賞)




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