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02/15のツイートまとめ

tomoichiro0001

「ボルヘス文学の遺産を受け継いだ著者が〈来るべき文学の可能性〉を提示した恐るべき恋愛小説。都市で生きる男と女の偶然の出会いを通して、緩やかに〈存在〉の迷宮が可視化していく……。」鈴村智久の最新作『アニエールの水浴』(装訂/門倉ユカ)http://t.co/F4DNMDHv3Y
02-15 22:38

「小説とは根源的に何なのか、その〈制度〉への懐疑なくして新しい現代文学は誕生しないと感じる全ての読書家への真の応答がここに!前衛的実験作品三篇を収録した来るべき文学のための羅針盤」鈴村智久『メリーゴーランド』(装訂/門倉ユカ)http://t.co/PAI547jgZg
02-15 22:35

「ボルヘス文学と〈Web〉が革新的に融合した〈来るべき文学〉の誕生。〈個性〉の分散が加速する現代社会の中で、〈存在〉の在り方を探究した黙示録的な注目の最新短編集」鈴村智久『聖アントニウスの誘惑』(装訂/門倉ユカ)http://t.co/hohcwdynZi
02-15 22:30

類似したハビトゥスに属する行為者は社会的に結合する傾向を持ち、これをブルデューはスピノザの概念を応用して「コナトゥス」(自己保存のためのプログラム)と表現する。これはその人間をハビトゥスの内面的自己規定に従って永続化させる原理であり「ホメオスタシス(生体恒常性)」とも相関する。
02-15 20:11

卓越した文化/経済資本を相続できる貴族的な家庭で生まれ育った行為者は、生まれた時から自然に「資本が資本を求めるように、貴族は貴族的人脈を呼び寄せる」(ブルデュー『国家貴族』)のであり、社会関係資本のネットワークが遺産相続者たちの出世に多大な利益を齎すようになる。
02-15 20:06

日本では昔から子女に「文化的洗練性」を美徳として教育する傾向が強く、これが成人後の「結婚戦略」にとって大きな武器となってきた歴史がある。統計調査では文化資本が高い女性ほど結婚後の社会的地位が高くなり、男性が文化資本の高い女性を選ぶことで文化資本が「再生産」される下地が形成される。
02-15 20:01

統計調査から判然となるのは、女性の中でも特にハイカルチャー志向が強いのは「専業主婦」である点である。職場からも一時退いている学歴資本の高い彼女たちは「大衆文化を排除する戦略」を自然に身体化している場合が多い。ハイカルチャー志向は上級文化専門職に限定されてはいないのだ。
02-15 19:56

男性の場合、高い文化資本を所有していても企業内での社会関係資本の構築、円滑化のためにそれを「隠す」(大衆文化を「纏う」)というエリート的な所作が見出される場合が見られる。「出る杭は打たれる」というのが、〈和〉という観念で欺瞞的に踏襲されている現代日本の文化的実態に他ならない。
02-15 19:51

「文化資本」を「読書文化資本」と「芸術文化資本」に分別すると、後者のタイプで女性の方が男性をはるかに上回る傾向が存在する。ブルデューが『美術愛好』で可視化したように、高学歴女性ほど卒業して働くようになってからも永続的に美術館、博物館、オペラ、コンサートなどに足を運ぶことが多い。
02-15 19:46

大学教授クラスになると、日本文化だけでなく西洋の歴史、文化、芸術、思想についての極めて高い文化資本を持つ「文化貴族」が多くなる。換言すれば「専門外」の分野でも比較的豊かな文化的素養を当たり前のように身体化した行為者である。
02-15 19:41



日本でライフスタイルを分析する上で重要なのは、ブルデューがフランスで行ったように「文化資本×経済資本」の多寡によって分布図を作成することである。この二大資本の交叉配列から明らかになるのは、「西洋文化趣味」は統計的に本人と両親の学歴資本が高く、支配階層と深い相関がある事実だ。
02-15 19:36

文化消費パターンにおける「ハイカルチャー(文化威信の高い文化活動群)」とは、「オペラ、クラシック」、「美術館、博物館」、「歌舞伎、能、文楽」、「華道・茶道・書道」、「短歌、俳句」等の消費として社会学的にカテゴライズされる。
02-15 19:31

文化資本、経済資本が高い家庭に出自を持つ行為者の「相続文化資本」は、成人後のハイカルチャー消費の「再生産」へと結実する。現代日本において「文化貴族」の血統性を保存する社会的ホメオスタシス(恒常性)がより堅固に機能するのは、特に女性の高学歴層においてである。
02-15 19:26

「ポップスよりもクラシックを愛好する」、「漫画には眼も向けず文学に耽溺する」、これら好き嫌い、共感、反感、引力、斥力として発現する感情は、常に本質的なものである。非常にデリケートで細やかな文化的趣味のディテールに至るまで、全ての「性向」は「社会的構築物」に他ならない。
02-15 19:21

行動とは「歴史化された身体」=行為者が、社会空間において「身体」を還元していく行為であり、この継続により身体は逆に「歴史化」する。この図式が「世界の生成原理」である。「社会化した身体は社会という身体によって形成されたのであるし、また、それと一体をなしている」(ブルデュー)
02-15 19:16

我々の「性向」は「ハビトゥス」の所産である。性向は我々の「身体」に書き込まれ、社会的に(再)生産されている。ある行為者がオペラを愛し何度も足繁く劇場に通うまでの知的変遷それ自体に、彼の周囲を取り巻く社会的歴史の地層が横たわっている。この限りで「性向」には「歴史」が身体化している。
02-15 19:11

ハビトゥスは「歴史の産物」であり、「社会的構築物」であり、我々の「眼」を制度的に生み出す力の根源的場である。最も重要なのは、我々の日常生活を形成するごく些細な行為の全てが、ハビトゥスによって構造化されているという事実である。
02-15 19:06

ブルデュー社会学の基礎概念であるhabitusとは、歴史が個人に身体化された文化的所産であり、habitudes(習慣)、「趣味」を生み出す根源的な場である。それは行為者をclassement(分類化=差異化)させるdisposition(生成力量)を持った場である。
02-15 19:01

ブランショは「消滅」と呼ばれるはずのものを「完成」と呼ぶ。バルザックの『知られる傑作』の画家フレンホーフェルのように、「完成」とは画家が「何もない」と確信できるような状態であり、「不在」、「欠損」において「完成」する境地を指す。
02-15 18:51

エクリチュールには、どれ程捨象しようとしても最小限度に伴わざるをえない「ミニマル・イメージ」が存在する。ブランショのように、極度にイメージを排斥しているかに見える文体ですら、テクストの創出に当たっては最小限度に抑制されたオルフェウス的な「振り返り」をせざるをえない。
02-15 18:46

「〈書くこと〉は既に、死の中のエウリュディケーを振り返り、目にした後で書くこと、つまり〈書くこと〉の後で〈書くこと〉である。この終わりなき循環ゆえに純粋な芸術は存在しない。しかし、むしろ純粋ではありえないものとして、芸術のようなものは〈ある〉」郷原佳以『文学のミニマル・イメージ』
02-15 18:41

maintenant(今)の語源はmain(手)でtenir(支える)であり、「現前」は常に何かによって「支えられている」ものである。しかし、「現前としての不在」とブランショが述べる時、そこではこのmain(手)そのものが消尽している。
02-15 18:36

ベルニーニの《ヴェールを剥がれる真理》という女性像では、外面に表出している衣服の「外生的襞」が、彼女の身体内部の「内生的襞」をrepresent(表象=代理)している。隠匿されている内面的なものは、代理的に外面に既に表象されている。
02-15 18:31

ティツィアーノの《バッカスとアリアドネ》では酒神によって犯され、投げ捨てられたニンファが「もみくちゃになったドレス」という「残存物」として表現される。衣服が脱ぎ捨てられていることは「欲望の痕跡」である。ニンファの身体なき「衣服」には無数の襞があり、投げ捨てられ天をただ茫然と仰ぐ。
02-15 18:26

身体は「布」によって代理される。コレッジョの描いたダナエはヴェールの「襞」=「白鳥」すなわち「ゼウス」と性的に戯れている。ゼウスの本質とは「布」である。こうした「身体」が「衣服」に、「衣服」が「白鳥」へと自在に「転位」するプロセスをヴァールブルクは「力性に満ちた反転」と表現する。
02-15 18:21

ドゥルーズは「存在」が多義化する瞬間を「跳躍」と表現する。これは「起源」の次点に位置するのではなく、現在も更新され続けている「瞬間」の連続である。「存在」を多義化させる力=「跳躍」を、彼は「魔神的なもの」という「途方もない怪物」に見出している。
02-15 18:16

ドゥルーズは『オイディプス王』を解釈しつつ「魔神的なもの」を以下のように規定する。「魔神の跳躍」とは、「遊牧的(ノマド)な配分が、表象=再現前化の定住的な諸構造の中に忍び込ませる壊乱的なトラブル」(『差異と反復』)である。
02-15 18:11

カフカの《Machine d'execution》(処刑機械)もデュシャンの《大ガラス》も、命令を発する権力者の実態は隠蔽されている。デュシャンの場合、「花嫁」は骸骨になっており、「銀河」も抜け殻である。カフカの場合、機械作成者である「前司令官」=「神」は死んでいる。
02-15 18:06

デュシャンの《大ガラス》を緩用すれば、我々は「花嫁」という信じるべき対象を喪失してしまった点で一様にcélibat(独身者)である。オフィスの孤独な群れ、地下鉄の画一的な顔の交通などは、Les machines célibataires(独身者の機械)というシステムの一部である。
02-15 18:01

彼女の言葉には「貴族性」の全てが結晶化している。「上手に生きることは老いを学ぶことです。外見のみに頼らないで自分の内にしっかりした価値観を築くことです。知性、教養、品性、勇気とゆるぎない精神(古代人の美徳)は、女性に外見の美しさよりももっと美しい魅力という名の美しさを齎します」
02-15 17:21

真の貴族は「節度」を重んじる。「いくつもの指輪やネックレス、ブレスレットを同時に着けている女性は、品がないように思われます。同様に、お客様を自分の家にお招きするときは、お客様のほうが地味にならないように、招く側は控えめなジュエリーを選ぶようにしたいものです」(ロスチャイルド夫人)
02-15 17:16

ヴァレンタインの夜、門倉ユカ様からいただいたLe TAOのプレミアチョコレート。長蛇の列ができるほどの人気だったそうです。お味は濃厚で上品なビター加減が絶妙。本当にありがとうございました。 http://t.co/HKZQmtEQb7
02-15 02:08

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