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『進撃の巨人』における「戦争」の寓話化、あるいは戦争映画との比較分析


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あまりアニメについて言及することのない私ですが、前回駒場で参加した表象文化論学会の学会誌『表象』でも、過去に「アニメーションのマルチ・ユニヴァース」(07号)という特集(※1)が組まれていたりするなど、伝統的な絵画、芸術、映画からアニメ、漫画、ライトノベルなどと「垣根を越えて論じる」傾向は確かに存在しています。
特に石岡良治氏の著書はTwitter上でも研究者のあいだで盛んに言及されており、「所詮アニメでしょ?」という時代では最早なく、アニメを通して現在の状況、あるいは思想上のトピックを思考するヒントを与えられるなどといった思潮は着実に強まっている傾向にあると言えるでしょう。


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このページを書こうと思い立ったのは、あるアニメ作品を全て視聴して、この作品の魅力はいったい何だろうか、と考えたからです。
私は基本的にアニメはあまり何も考えずに、「感性的に惹かれるか、そうでないか」でだけ捉えていたのですが、この作品に関して言えば、「面白さ」だけではない何か強力な力を感じました。
いわば、最近の私は遅れ馳せながらも、この作品がなぜ「21世紀の少年漫画」などと呼ばれ、上野の美術館でも個展が開かれるほど人気を博し、社会現象にまでなっているのかについて、私なりに理路整然と把握しておく必要性を感じたわけです。
その作品とは何なのか、既にページ冒頭でも紹介したように、無論諫山創氏の原作をアニメ化した荒木哲郎監督の『進撃の巨人』(第1期の1話から25話まで、第2期は2016年になる模様)のことです。
あらかじめ断っておきますが、私が観たのはアニメのみであって、原作との相関については言及できません。
したがって、以下のような原作とアニメ、あるいは派生作品などを通して総体的な作品世界の分析を行うつもりは、はじめから全くありません。


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また、これほど有名な作品ですので、あらかじめ作品世界について読者の皆様もある程度御存知であるという前提の上で述べさせていただきます。
私がこのアニメ作品で突出して魅力的であると感じたのは(これまで、これほどアニメで感動したことはおそらくないでしょう)、1話、21話、22話、そして25話に集中しています。
これは、それぞれの各回に見所があるという意味ですが、以下で個別的に考えてみることにしましょう。

・エレンの母が巨人に喰われる場面(1話)
・リヴァイ班がアニーに殺され、激怒したエレンが巨人化する場面(21話)
・リヴァイとミカサがエレンを救出する場面(22話)
・巨人化したエレンとアニーの闘い(25話)



1話に関して言うと、これは「母と子の死別」を描いています。
母が子の眼前で恐ろしい敵に喰い殺される場面です。
21話も基本的に同じく「戦争状態」のエピソードであり、「仲間が殺されて主人公が力を解放する」という場面です。
ここでも、やはり人が死んでいます。
22話では、「敵に捕らわれた主人公を味方が救出する」場面で、やはりこれも「戦争映画」に同類のエピソードを相関させることが可能でしょう。
25話は、これまで殺戮を繰り返していたアニーがエレンとの戦闘中に「父が見せた愛情」を意識の中でフラッシュバックさせる場面です。
このフラッシュバックはリフレインを伴っており、音響的効果に沿う形式で、エレンが巨人化したアニーの項から「涙を流している元の少女アニー」を見出す、という流れです。
このように私の心を掴んだ場面を少し説明して感じるのは、やはりこの作品は「語らない」ままの方が、私にとって良いような気がするということです。
とはいえ、こうして言語化して改めて再認識したのは、『進撃の巨人』は「戦争」をファンタジックに隠喩化して描いた作品であり、私が個人的に魅力的だと感じた全てのエピソードは、ある程度、他の「戦争映画」の場面に変換することができるということでしょうか。
例えば『フルメタル・ジャケット』や『プライベート・ライアン』、『ハート・ロッカー』といった戦争映画がここで参照軸として挙げられます。
これらの作品には、全て実質的な「敵」が存在しており、「味方/敵」の二項対立がはっきりしています。


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オマハ・ビーチでの戦闘から始まるスピルバーグの『プライベート・ライアン』では、味方のアッバムが敵のドイツ兵と一時的に仲良くなり(敵軍の一人との「友情」というテーマ)、それがラストで崩壊します(戦場での厳しい現実)。
『ハート・ロッカー』では、イラクの民間人がテロリストに人間爆弾にされ、それをアメリカ軍の爆弾処理班が全力で解除しようとし、結果的に民間人を爆死させてしまうという凄惨な場面が描かれています。
あるいは、主人公と仲良くなっていたイラク人少年が腹部の中に爆弾を詰め込まれた死体となって発見されるという場面があり、これらは共通して「敵」の残忍さ、戦地での仕事の困難さを描いています。
『フルメタル・ジャケット』では、ラストで仲間がベトナムの女性兵士によって銃殺され、最後に彼女を銃殺するという場面や、訓練学校中に集団的苛めを受けて孤立した青年が卒業前に教官を射殺して自らの頭も撃ち抜く場面が描かれています。
これら三つの映画は、それぞれ「第二次世界大戦」、「イラク戦争」、「ベトナム戦争」といった、戦場での人間を描いた作品です。
どの映画にも、「戦争の残酷さ」と、「命の儚さ」、そして限界状況下での人間の「狂気」が極めて切実に描かれています。

『進撃の巨人』では、「敵」とは何でしょうか?
私の考えでは、おそらく「巨人」ではありません。
「巨人」とは目に見えるメタファーであって、この作品が現代社会に向けて真に発信しているのは、メタファーの奥にある真の「敵」の存在です。
ここで一つ、以下のような仮定を立ててみましょう。
20世紀、そして21世紀初頭において人類が経験した様々な「戦争」を、この作品がカフカ的に「寓話化」している、と。
そうすると、私が先述して抽出した四つの印象的なエピソードの断片も、いわばそのようなメタフォリカルな意味を帯びてくるでしょう。
そのような視座が一つあります。

では、なぜ我々はこのような生きるか死ぬかの瀬戸際にある危機的な人間の姿に惹かれるのでしょうか。
それは、メニングハウスが『吐き気』で定式化した美学的概念を緩用すると、我々の生活が「平穏」だからに他なりません。
「ルクレティウスの難破船」のエピソードを解釈する際にメニングハウスが述べたように、沈没寸前の船上にいることは「恐怖」ですが、その光景を安全な岬の上から眺める行為には、一定の美学的な「恐怖に対する快」が伴います。

...恐ろしい諸対象はまず、我々の精神器官に対してとりわけ強烈な刺激を齎すとともに、更にまた、その後、これらの対象がたんに芸術上のイリュージョンに過ぎなかったということに対する喜びと安堵を与える。(※2)



戦争は我々の生活から遠ざかれば遠ざかるほど、いわば隠喩化された「遊戯的なもの」として、かりそめの姿を纏って「近付いて」きます。
戦争は、今、寓話化されたエンターテイメントとして、いわば「消費」されているわけです。
最近でも、ISISの一連のテロルが世界に衝撃を与え、日本でも未成年がこれに悪影響された事件を起こすなど、『現代思想』でも臨時増刊号が発行されて思想上のトピックになりました。


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巨人は基本的に突然襲撃してきます。
アニーも当初は、目撃した兵団によって奇行種の一種だと判断されていました。
奇行種は行動が読めません。
巨人の存在は、「テロル」も含めた戦争状態の隠喩として読解することもできるでしょう。
テロルを断片的にであれ描いた場面は、例えば押井守監督の『スカイ・クロラ』にも存在します。
この作品では、ヒロインと主人公が「絶対に勝てない敵の存在」について対話する場面があり、また、それを証明するかのように、「絶対的に強い敵」が突如として出現します。
この対話へのひとつの応答として、『進撃の巨人』における「巨人」を結び付けることも可能でしょう。


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では、『進撃の巨人』では、どのように敵に立ち向かうのでしょうか?
それは、徹頭徹尾、「戦う」ことを通してです。
ミカサが戦闘中に「生きる意味などない」と考え、虚無的になっていた最中で、エレンの「戦え、戦え!」という声を思い出す要約的な場面は、まさに「戦う」ことを描いたこの作品らしい箇所です。
この作品は、戦場と化した日常を描き、その上で人物をヒロイックに審美化することによって、いわば、我々が仕事や学校を通して経験する様々な「厳しさ」(娯楽作品に往々にして見出される共通規則としての、「残酷な世界を必死に生き抜く僕ら」)を投影し易い構造になっています。
あるいは、日常の平穏さに飽きた時に、最も強烈に心を揺さぶるのは、命を賭けた「戦いの世界」だけだとも言えるでしょう。
しかし、観た限りで言えば、『進撃の巨人』では戦場での現実問題として存在する「性的なもの」は捨象されています。
底知れない恐怖に脅えた後、あるいは、次々と人が死んでいくような世界においては、「繁殖」の問題、男性の「性愛」のテマティックは重要ですが、『進撃の巨人』ではそういった要素はやはり削ぎ落されています。
我々が観ているのは、このように、現実の戦争ではなく、高度に寓話化され、「物語化」された括弧付きの戦争になります。
さて、色々書きましたが、私の中でこのアニメが「ファンタジー」でありながらも「戦争映画」のような力を持っている点については説明できたと思います。
ちなみに、カトリックの私にとっては、「壁」を神聖視するウォール教という作品世界内の新しい宗教運動(明らかに物神崇拝ですが、聖堂はキリスト教に近い)の存在も、なかなか興味深いものだったりしました。






「註」


※1)――以下に、『表象』での該当論稿の目次を掲載しておく。

◆特集◆アニメーションのマルチ・ユニヴァース
イントロダクション(土居伸彰)
対談『アニメ・マシーン』から考える(トマス・ラマール+石岡良治/門林岳史=司会)
インタビュー「交わらぬはずの視線が交わるとき……」(ユーリー・ノルシュテイン/土居伸彰=聞き手)
アメリカの初期アニメイティッド・カートゥーンの「立体感」(細馬宏通)
アニメーションの定義――ノーマン・マクラレンからの手紙(ジョルジュ・シフィアノスによるイントロダクションつき)(土居伸彰=訳)
ロトショップの文脈――コンピュータによるロトスコーピングとアニメーション美学(ポール・ワード/土居伸彰=訳)
ミッキーマウス、ユートピア、ヴァルター・ベンヤミン(『ハリウッド・フラットランズ――アニメーション、批評理論、アヴァンギャルド』より)(エスター・レスリー/城丸美香=訳)
ディズニー(抄訳)(セルゲイ・エイゼンシュテイン/今井隆介=訳)




※2)――『吐き気―ある強烈な感覚の理論と歴史』 (叢書・ウニベルシタス) p63
ヴィンフリート メニングハウス (著), Winfried Menninghaus (原著), 竹峰 義和 (翻訳), 知野 ゆり (翻訳), 由比 俊行 (翻訳)





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