† 文芸理論 †

小説の基礎学習(1) ジェイムズ・ジョイス「イーヴリン」

ダブリンの市民 (岩波文庫)ダブリンの市民 (岩波文庫)
(2004/02/19)
ジョイス

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小説の基礎を学ぶために、ジェイムズ・ジョイスの「Eveline」を「物語の構成、起承転結、改行の作法、会話文の特質、場面転換」などに注目して読解する。

「カメラワークによる裁断」

彼女が窓辺で並木通りを眺めている。
時刻は夕暮れだ。
冒頭で、「時間/空間/人物/その人物の感情の状態」が読み取れる。

○部屋の中

まず、「彼女は疲れている」とある。
「頭をカーテンにもたせかけ、鼻孔には埃っぽいクレトン更紗のにおいがしている」とある。
映像として、これはイメージすることができる。
おそらく、この掌編は映画化できる。
平易に映像化されるような文学は文学ではない、という主張もある。
しかしながら、文章で「におい」を表現することは極めて大切だと思われる。

○ 並木通り

部屋の文章の後、改行されて、次に並木通りの文章が続く。
改行のポイントは、「場面変換=視点変換=カメラ変換」である。

そこで、昔遊んでいた近所の子供たちとの想い出が簡単につづられている。
昔、ここは平原だった、という感覚で、何気ない過去を想起している。

「わたしも、兄さんたちも、姉さんたちもみんな大人になった」

過去から今へと連れ戻される。
そして、「今度はわたしもみんなのように出かけ、家庭をあとにしようとしている」と書かれる。

○ 部屋の中 Ⅱ

ここで改行だ。
カメラが再び彼女の部屋の中に戻る。
並木通りから、記憶と続いて、想起しているうちに、再び今自分がいる場所に帰還したのだ。

ここでも、過去の出来事が何気なく想起されている。
注目すべきは、過去の父親の台詞が「―」で挿入されていることである。

ここから、改行の仕方は心理の流れの「区切り」へと変化する。
カメラワークの変化から、意識における「ダム」の役割を果たすセンテンスを目安にして、改行が行われている。

別の人物の台詞が、やはり「回想シーン」として、「―」で挿入されている。
これも映画的である。
作者の気配はまるで感じられず、ひたすら「物語」の構築が目指されている。

ちなみに、イーヴリンは十九歳の女性で、結婚するために家を出て行く、という決断で揺れ動いている。回想シーンなどは、いわば、この心の複雑な動きにとって効果的である。
これも、しかしやはりシネマ的ではある。

家族とのこれまでの生活が回想される。
今のところ、すべて回想中心だ。

○ 部屋の中 Ⅲ (フランクについて)

フランクのことが意識される。
フランクという固有名詞の登場で、改行されている。
ここからフランクとの回想シーンへシフトだ。

フランクはイーヴリンの恋人だ。
父親と折り合いが悪い。
父親の台詞が、再び回想シーンの台詞として「―」で挿入されている。

回想シーンが中断され、「夕闇が並木通りに深まった」で改行される。
しかし、カメラはあくまで部屋の中だ。
膝の上の二通の手紙のことがつづられる。
兄への別れの手紙のようだ。

そして、「時間がせまってきた」でまた改行される。
並木通りからは手回しオルガンを奏でる音が聞こえている。
しかし、カメラワークとしては、おそらくやはり部屋の中であろう。
ただし、アングルが変化し続けているのである。
冒頭の窓辺でぼんやりしている様に近いアングルであろう。

母はすでに死んでいるが、最後の夜のことが想起され始める。
あくまで回想中心の掌編というわけである。
そして、またしても父親の過去の台詞が「―」で挿入される。

○ 部屋からの退出

母親の死の夜を想起した直後、彼女は「立ち上がる」。
ここで改行だ。
カメラもその変化を追う。

「逃げよう!逃げなければ!」

彼女は母親のようになりたくないのだ。
だから、この家から退出する決意をする。

○ 駅

改行ではなく、文章自体に間隔があけられている。

・  ・  ・  ・  ・

上のような具合で、場面変換が強調されている。

ここで、彼と「一緒に船に乗るか、乗らないか」になるわけだ。
しかし、ここが極めて驚愕させるのである。
普通は、ここで彼と一緒に旅立ってハッピーエンドだ。
起承転結でも、「行くか迷う」→「父親が怖かった」→「母も早く死んだ」→「私は母のようになりたくない」と来て、そしてフランクと旅立って結で終わるはずだ。
しかし、ここがジョイスの「結」の卓越さであろう。

なんと、イーヴリンは、「彼はわたしを溺れさせるだろう」といって、「おいで!」というフランクに対して、「いや!いや!いや!」と三度も否を唱える。
この限りで、おそらくイーヴリンは、「フランク」に、父親と似た気配を感じていたのだろう。
それを押し殺していたのだろう。
父親の言葉が想起されるのはそのせいである。

要するに、彼女はフランクに別れを告げたのだ。
これは予想できない出来事であり、迫真である。

「彼女の目には愛のしるしも、別れのしるしも、彼のことを認めるしるしも浮かんでいなかった」でこの掌編は終わる。
虚無的な表情で終幕するわけだ。
彼女に待っているのは、兄たち、そして父との変わらぬ退屈な生活だけである。

しかし、彼女はなぜ、フランクに反対したのか?
その解釈は色々と提示されるだろう。
いずれにせよ、物語としては構成も含めて、巧く成立している。

● まとめ

1、 改行はどうするのか?

「カメラマン」になったつもりで改行する。
つまり、場面が変わればそこで改行する。
あるいは、意識に関する描写から、光景に関する描写に戻った時などに。
意識の流れにおいて改行する時は、その「ダム」に値する箇所で、半ばランダムに、読みやすくするために改行する。

2、 台詞について

台詞は「―」で行われている。
その場合、必ず「―」のところで一段下げている。
つまり、改行された先頭の高さと同じである。

3、 起承転結の成立

イーヴリンがフランクと旅立たないことは、予期できない展開である。
「予期できない」ということ、これが大切である。
誰もがそうなると思っていたことが、実際には生起しない。
起承転結は成立している。
しかし、回想中心であり、主人公はほとんど動いたりはしていない。
むしろ、この掌編は、極めて孤独な色彩を帯びているのである。

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