† 文芸理論 †

小説の基礎学習(3)ジュリアン・グリーン「クリスティーヌ」

レイトン  awa
Frederic Leighton, 1st Baron Leighton

「少年時代に見た神秘的な少女」

ジュリアン・グリーンの初期短編の代表作、発表は1928年。

極めて印象的な短編で、構成、展開、描写、どれにおいても突出して素晴らしい。

これについては、たんに「基礎」を学ぶ読解だけでは勿体無いほどである。

「起」

夏休み、主人公の少年は母と叔母の家に滞在する。
叔母の家で、彼は(作中では「私」が回想する、という形式になっている)叔母の娘と出会う。

娘の名前はクリスティーヌ。
光を背にして座っており、顔がよく見えないが、わずかに影で見えるその姿は神秘的なまでに美しく、少年は時間を越えた出会いのような恍惚を抱く。
クリスティーヌは少年を見つめている。
しかし、その視線は少年の「瞳の奥」の「さらにまた奥」を――つまり、彼を見ていなかった。
少女は終始無言であった。

「承」

雷雨の晩、悲鳴とドアと叩く音で主人公が飛び起きる。
しかし、翌朝、クリスティーヌのことを叔母や母に質問しても、何も教えてくれなかった。
この物語の全域を通して、叔母と母は、クリスティーヌについては何も語らない。
むしろ、「語ってはならない掟」を少年にまで遵守させる。
これが少年にはいっそうクリスティーヌを神秘化させる由縁となる。

「転」

叔母と母が出かける。
少年は、クリスティーヌの部屋の鍵穴から、彼女の姿を覗く。
ここが、極めて神秘的で夢幻的なのである。
クリスティーヌは、鍵穴の向こうで、じっとこちらを見つめていた。

少年は「開けてもらう」ために、サファイアの指輪をドアの下から滑らせる。
それを手に取ったクリスティーヌはうっとりしながら親指にそれをはめる。
しかし、指輪は手から抜けなくなり、クリスティーヌは手を振り回したり声をあげながら、ベッドの上で暴れだす。
少年は逃げ出す。

やがて少年が起床した時には、家に来ていた医師が帰るところであった。
しかし、医師はクリスティーヌを連れていた。
そして、彼女は同じあの指輪をつけていた。

「結」

叔母が後日、家に来る。
叔母は指輪をはめていた。
そして、叔母は母の胸元で泣き崩れる。

ここで物語は終幕する。
冒頭にはワーズワスの「幻」を主題にした詩が引用されている。


終盤で、指輪の所有者が「クリスティーヌ」から「叔母」へ戻ったという事実が、少女の「死」を象徴している。
このように「死」は直接的ではなく、「指輪」の移動、という極めて詩的で暗喩的な描かれ方をしている。
それが、非常にクリスティーヌの神秘性を増す効果を生み出している。

作品の構成、展開、人物、どれにも無駄はない。
どれもが作品に必要不可欠であり、なおかつ、中心人物であるクリスティーヌの姿が見えにくい、ということでいっそう少女の神秘さが高まっている。
また、クリスティーヌが見せる、「少年」の前での幼すぎる行動も、この当時の年齢の少年には「美しい妹」のように感じられ、極めて絵画的で幻想的な印象を与えている。

いずれにせよ、この物語は「クリスティーヌのドアは開かない」という点で、どこかカフカの『城』と同じような、神学的な命題を潜ませているような気配を感じる。
実際、作者のグリーンはカトリックである。

○作品が持ついくつかの謎

Ⅰ 「死」についての予兆

長い屋敷の廊下に刻み付けられている聖書の一句。

「われ死の影の谷を歩むとも、禍を怖れじ」

Ⅱ クリスティーヌは病人だったのか?

盲目である可能性が高い。
また、声をかけても聞こえていない仕草などから、聴覚が不自由である可能性もある。
重度の、何かは説明されていないが、精神的な病気かもしれない。

Ⅲ 叔母の指輪の中の手紙

この手紙の文面は作品とは関係ないのだろう。
だが、指輪に細い指先のように嵌っている丸まった手紙は、明らかに暗示的である。
というのは、本作は「指輪」が「死」と直結して描かれているからだ。

Ⅳ 顔

この作品で最も神秘的なのは、クリスティーヌの「顔」だ。
叔母に似ているような気がする、という描写はある。
しかし、初対面のときのクリスティーヌの顔は「光」の影で覆われている。
見えにくいのだ。
最後に見たクリスティーヌの顔も、日除帽を深くかぶって、顔が覆われている。
鍵穴から見た顔だけが、主人公にはっきりと顔として把捉されている。
少女の顔は隠蔽されており、神秘的なヴェールで包み隠されている。
「顔」が隠されている――これは不安を感じさせるキリスト教神学の概念である。



○まとめ

1、少年時代の記憶

少年期の記憶は、どこかあいまいで、神秘的な側面がある。
少年期に芸術創造の根源がある、といったのはベーコンであるが、この作品でも主人公の不安は、「少年」の視点から語られている。
それは「顔が隠されている」という、極めて特異かつ神学的な不安である。

2、小説の基礎とのかかわり

この作品は、むしろクリスティーヌのことについて語られている。
構成に特化されているのではなく、彼女を描くことが主題であり、あとから構成が成立していると考えてよい。
つまり、構成に拘泥しすぎてはならないのだ。
グリーンは、書いている時は、おそらく「起承転結はどうすべきか」などと考えていないはずであり、純粋に、むしろ想起するがままに、しかし物語のことはしっかりと意識して書いたはずである。
このような「基礎」と「主題」の溶け合いが理想的である。
これはその良質な例である。



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