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05/31のツイートまとめ

tomoichiro0001

RT @dessinatrice001: Dieu n'existe pas encore(神はまだ存在しない)――現代思想において世界的注目を集めるQ・メイヤスーの神論に真正面から文学的応答を試みた表題作を含む、これからの時代の新しい文学。鈴村智久 『私たちの存在の墓で』 h…
05-31 19:25

RT @dessinatrice001: 【お知らせ】現在、S/K Studioでは鈴村智久の著書を御購入いただいた読者様からのレビュー(御意見、御感想、批評など)を募集しております。どなたでもお気軽にお寄せ下さい。以下のリンク先から販売中の全ての作品リストが表示されます。h…
05-31 19:25

RT @lunar_shirayuki: サロメ http://t.co/Sxc5eR2jiZ
05-31 18:59

グエルチーノによる洗礼者聖ヨハネ(私の洗礼名)を集めてみました。斬首後もありますね。17世紀はカトリックの間で聖人崇拝が再燃して、こうした絵も信仰の補助として有効でした。 http://t.co/b3v1m4DlsW
05-31 18:48

換言すれば、高度に深い瞑想性に達しているとされる宗教画にも、実は転位された様態でエロティックなものが表現されていると思います。例えば聖母の手にする花弁の構造が聖母自身の肉体の内部を代理的に表象しているという、谷川渥、ディディ=ユベルマン的なパースペクティブに繋がる考え方として。
05-31 18:18

ドゥルーズ以降、往往にしてバロックは「襞」と関係付けられてきましたが、絵画において着衣されたものの「襞」が注目されるのは、純粋にそのきめ細かい詳密なディテールの輝きによって画家の写実主義的感覚の「精度」を裁量できるからではないでしょうか。
05-31 18:12

グエルチーノの絵画において、聖母の顔が影に覆われていることは何を意味するのでしょう。あえて曖昧な影で聖なる顔をクリプト化すること。不可視性が聖性の条件であることを暗に告げている気がします。あの作品はV・ストイキツァの『影の歴史』のテマティックに連なりますね。
05-31 18:08

バロック美術はカトリック側の対抗宗教改革的な側面だけでなく、「聖と俗」というアンビバレントなものを同時に追求する点で(例えばグエルチーノの女性美追求のプロセスに登場するルクレツィアの裸身群)、やはり分裂症的なのかもしれません。マルシュアスの「皮」=「表層」の戯れとしてのバロック。
05-31 18:05

RT @lunar_shirayuki: 『世紀末の幻想』展ではシャルル・コッテの作品に惹かれた http://t.co/PdrlNbo65S
05-31 17:46

RT @lunar_shirayuki: グエルチーノ展鑑賞。天使達に癒された💘 http://t.co/IbGOUAiJfA
05-31 17:46



電車内ではメイヤスーへのインタビュー記録を読んでいました。ドゥルーズへの批判的アプローチなど、やっぱり惹かれる。
05-31 16:29

本日は彼女とグエルチーノ展へ。《聖三位一体》や洗礼者ヨハネが観れて良かった。グエルチーノの写実主義は絵画の味わいの最良のものを教えてくれます。
05-31 16:26

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