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09/20のツイートまとめ

tomoichiro0001

このようにブラシエの「絶滅の真理」は後半部の恐ろしい絶滅論が、前半部のニーチェのポジティブな生成論により相殺される独特な構造です。勿論、人生論的な価値もありますが、メイヤスーの相関主義批判との関係で考察してみても非常に興味深い論稿でもあります。SRに関心のある読者様はぜひ。
09-20 23:59

ここからニヒリズムが始まるのですが、ニーチェは「力への意志」によって「生成のカオス」が持つ無意味性を克服する。一切の価値転換によって、生成の無垢さは「肯定的な意志」によって全て無条件に肯定される。だから過去の苦なども現在まで続く生成の担保として肯定される(「過去の救済」)。
09-20 23:52

メイヤスーも「能動的生成」や「生成のカオス」という表現で同様のことを述べていて、それを総合すると世界は本質的には無秩序で破壊的なカオスに支配されていることになる。これは井筒俊彦が『コスモスとアンチコスモス』で展開した秩序原理としてのコスモスでさえ、実はカオスの表層だということ。
09-20 23:42

前半でブラシエはニーチェの「永劫回帰」について「生成」の観点から考察しています。宇宙の本質は聖愛でもブラフマンでもニルヴァーナでもなく、「何ものも目的とせず何ものにも到達しない」(ニーチェ)〈生成〉であるとされる。だとすると、宇宙はただ無目的に生成を繰り返し絶滅へ至るだけになる。
09-20 23:37

換言すれば、何らかの契機によりある対象を思考する時点で「思考」と「対象」の差異が生まれるーー人間が存在する限り続くこの「相関主義」に、もしも終わりがあるとすれば、それは原理的に「宇宙の死」に等しい究極的な「絶滅の事後性」でしかない。これが後半部の要諦で、謎めいているのは前半。
09-20 23:33

ブラシエをこの点をブランショ的に真の「思考の不在」と表現します(思考主体そのものだけでなく宇宙も死に至る瞬間)。このブラシエの思考は実は相関主義の本質を逆照射していて、それは相関主義が「概念」(対象についての思考)と「対象」の〈差異〉を作り出す人間中心主義的装置だということ。
09-20 23:28

本論でブラシエはメイヤスーの言う「相関主義」には実は出口があると結論付けています。それこそが人間が「思考」するという土台そのものが消尽される瞬間としての「絶滅の事後性」。時間/空間のユニットが抹消される瞬間を人間は思考できない。だからこそここには「絶滅の思考不可能性」がある。
09-20 23:22

英訳版『有限性の後で』の訳者レイ・ブラシエの論稿「絶滅の真理」読了。以下、メイヤスーとの関係で考察した点を幾つかメモしておきましょう。
09-20 23:17

LACOSTEで長袖シャツ二枚を買ってきました。彼女と色々見て回りましたが、ここが一番シャツの品揃えが良かった。左は仕事用に使うつもりです。カジュアルなワニのトレードマーク。 http://t.co/DGeS4Zf4KX
09-20 22:10

RT @yaesu_honten: またこれに合わせ4階特設コーナーで山本芳久さん選書による【詩と哲学が出会う場所】フェアも9月末まで行っております。是非お立ち寄りください。 http://t.co/4oSfARCLxB
09-20 13:18



RT @201yos1: 謙虚さが徳であるのは、自らの能力を実際よりも低めに見せる点にあるのではない。むしろ正反対だ。謙虚さの本質は、自らの有する能力をありのままに認めることにうちにこそある。自らの能力を発揮すべき状況で、妙に遠慮したりするのではなく、積極的に自らの能力を活用す…
09-20 13:02

最近、この記事へのお気に入り登録数が急増している様子なので再掲しておきます。ちなみに、本書は文学理論関連の必読書の一冊。「あらゆる物語のナラティブ(叙法)はたった三つのパターンから成立している――西村清和『イメージの修辞学』読解」http://t.co/qsiySJvjYF
09-20 10:17

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