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09/23のツイートまとめ

tomoichiro0001

RT @parages: 「赦しえぬものをこそ赦す」というデリダの(伝統的だけどラディカルな)議論は、ジャンケレヴィッチがもともと自身の赦し論で検討していた論点で、ジャンケレヴィッチは百も承知。しかしそれでもジャンケレヴィッチはのちの赦し論で「絶対に赦しえないもの」(ホロコース…
09-23 15:36

メイヤスーの〈来たるべき神〉とは、実はハーマンが「代替因果」で暗示させていた感覚的実在同士の相互的な内奥のカーニバルではないだろうか。もしそうだとすると、これは極言すれば、「キリスト(のような超自然的な力能を有する)的なもの」への〈生成変化〉の理論ではないのか。
09-23 11:27

テーブルの林檎から一匹の雛が生まれることはないし、人はイエスのように水上を歩くことはできない、なぜなら自然法則はそれを容認しない。この秩序はしかし明日にでも変換されるというのがメイヤスーの「能動的生成」解釈であって、そこで実現されるのは、オブジェクト同士のカーニバル(ハーマン)。
09-23 11:24

ここが決定的に重要。「ひとつのイマージュが実際に我々にそれ自体における物質を示すのだとすれば、どうしてその夥しい数の振動が、同じように我々に現れてはならないということがあるだろうか(当然、そんなことはない)」Q・メイヤスー「減算と縮約」
09-23 11:16

メイヤスーはテーブルの上の平凡な林檎の物自体を人間は知覚できない、なぜならそこではベルクソン的な「減算」が起きるからだと、言っているわけでは「ない」のではないか。むしろ逆に、人間の知覚はリンゴの潜在性を更に深く汲み出すことができるはずだと告げたいのではないか。
09-23 11:11

大澤真幸氏はSRのコンセプトそれ自体がキリスト教と密接な関係を持つと解釈していましたが、実は「減算と縮約」全文を改めて読み直して直感したのは、ここでの純粋知覚論解釈に既に「亡霊のジレンマ」の〈来たるべき神〉と接続できる糸口が見出されるということ。
09-23 11:01

RT @dessinatrice001: 「潜在的なものは、真の生成のための、すなわちnouveauté(新しいもの)の予見不可能な創造のための存在論的な条件である」Q・メイヤスー「減算と縮約」
09-23 10:55

RT @dessinatrice001: 「知覚するとは、イマージュの表象に留まるようになること、物質的な知覚という無限の深層から遠く離れて、イマージュを表層的になるように強いることである。ゆえに我々は諸々のイマージュの内、僅かな部分しか知覚しておらず、この部分が我々の環境を成…
09-23 10:55

RT @dessinatrice001: 「ベルクソンの純粋知覚理論とはいわば、減算的な知覚の理論である。その賭け金は、知覚の内にあるものは物質の内にあるものよりも少ないということ、représentation(表象)がprésentation(現存)よりも少ないことを立証する…
09-23 10:54

RT @dessinatrice001: 「ひとつのイマージュが実際に我々にそれ自体における物質を示すのだとすれば、どうしてその夥しい数の振動が、同じように我々に現れてはならないということがあるだろうか(当然、そんなことはない)」Q・メイヤスー「減算と縮約」
09-23 10:53



RT @dessinatrice001: 「ベルクソンによる純粋知覚の減算理論によれば、物自体とは、その物に対して取ることができる全ての視点である」Q・メイヤスー「減算と縮約」
09-23 10:53

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