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11/08のツイートまとめ

afterfinitude01

例えば『スピノザと表現の問題』14章、「反デカルト的反動において問題となるのは、力を与えられた自然の権利を回復することである」。この「自然の権利」の回復が、まさにSRや新しい人類学の運動によって開花しつつあると私は考えています。
11-08 21:52

メイヤスーは論稿「潜勢力と潜在性」でライプニッツ哲学の、いわゆる「可能世界」の概念を極めて巧妙な相関主義として批判していますが、ドゥルーズはスピノザの「合理的非道徳主義」をライプニッツの系譜とは完全に異質なものとして描いている。SRの萌芽となる言及はこのスピノザ論にも存在します。
11-08 21:49

スピノザにとっては、善は悪と同様に意味を持っていない。人間社会が善と「される」ものへ、或いはその反対への生成(様態の変容)があるだけで、この宇宙には善悪はそもそも存在していない。ただ、そのものの本質との相性の向き不向きがあるだけ(例えば魚は砂丘では生活できない等)だとする。
11-08 21:40

ちなみに、スピノザはドゥルーズの解釈ではライプニッツとも決定的に異なる点でやはり哲学史上特殊な存在です。プラトンからライプニッツ哲学の流れでは、「最善」が世界を創造し、事物を存在せしめることが前提となる合理的道徳主義が採用されますが、スピノザはこの観点には位置していない。
11-08 21:34

重要なのは、人間を含むあらゆる事物の「様態は変容する力を持つ」ということ。あるのはこの「変容の力」であって、善悪はあくまでも人間の観念が作り出したものに過ぎないとされる。ドゥルーズが「自然には善悪は存在しない」と強調するのもこのため。様態が変容しているだけで、本質は常に完全。
11-08 21:30

『スピノザと表現の問題』第16章では、キリスト教とスピノザ哲学の重要な差異について論じられています。キリスト教では善人が悪に走った場合、その原因を善の「欠如」として解釈しますが、スピノザは「大きな完全性」から「小さな完全性」への移行として捉える。
11-08 21:25

RT @lunar_shirayuki: 昨日彼氏と鑑賞した『箪笥』は、なかなか難解でしたが映像も美しいホラー映画で惹き込まれた。少女期の不安定妄想はポランスキーの『反撥』とも重なるかな… https://t.co/hdobyGOtbu
11-08 20:30

RT @nekonoizumi: 目次あり。「あらゆる種類の形象がちりばめられたヴァールブルグの『ムネモシュネ・アトラス』、偉大な記憶の展覧の不安な悦ばしき知、…」⇒ジョルジュ・ディディ=ユベルマン/伊藤博明訳解説『アトラス、あるいは不安な悦ばしき知』ありな書房 https:…
11-08 09:53

RT @KazumichiH: ディディ=ユベルマンの新刊(https://t.co/t4u8nfwDIt)が映画監督に宛てられた手紙という形の小著であることは知っていたが、その監督というのが『サウルの息子』のネメシュ・ラースローであることに今気づいた。『サウルの息子』はフラン…
11-08 09:52

RT @lunar_shirayuki: いいねを寿司アイコンにしてみたw https://t.co/TuUe6bxbf3
11-08 00:26

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