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12/20のツイートまとめ

afterfinitude01

売れる小説のための条件としてよく言及されるのは、佐藤亜紀さんも指摘しているけれど、嬉しい時は「嬉しい」などと喜怒哀楽を分かりやすく表現しつつ、会話文を増やすという二点がまず挙げられます。仮にこの先鋭化がライトノベルだとすれば、グラックのような隠喩の魔術師は恐ろしく反時代的。
12-20 19:27

例えばジョイスの『ダブリンの市民』や大江健三郎のレイトワークでは会話文をーーで表現したりするけれど、実はこれさえも回避可能だったりします(朝吹真理子のデビュー作での没会話性)。私は基本的に「 」を採用するけれど、やっぱり極力控えてしまう。商業的には禁じ手なのを承知しつつ。
12-20 19:17

私は昔から小説の「 」(会話文を鉤括弧で表現)に対してあまり心地良さを感じないタイプで、グラックの『半島』や松浦寿輝の『半島』が会話文を回避して可能な限り「地の文で攻める」主義を採用しているのを考えると、改めて小説的エクリチュールの魅力は非映画的な叙述にあるなと感じてしまう。
12-20 19:10

マリノフスキーの『呪術・科学・宗教・神話』とクラパンザーノ『精霊と結婚した男』も入手。
12-20 18:59

今、執筆資料として読んでいるI.M.ルイス(ロンドン大学人類学部教授)『エクスタシーの人類学』はヴィヴェイロス関連で入手した宗教人類学の基礎文献の一冊ですが、これがなかなかコンパクトに憑依現象が整理されていて素晴らしい。20世紀後半のカルトから精神分析学的な知見にまで及んでいる。
12-20 18:56

『惡の華』を全13話まで観て、日本のアニメもここまでレベルの高い作品を作れるのだなと感心。モデルは桐生市ですが、反復的に同じ閑散とした街並みが映されるのも良い。看板やフェンスの錆が人物の心理を反映するという視覚文化論で見られる常套句は抜きにして、単純にこの街の閉鎖性が素晴らしい。
12-20 15:39

『惡の華』の優等生佐伯は、アニメに限っていえば非常に退屈な少女でした。仲村のような怪物的な側面と、学校のシステム内での良好さは、私の経験では同居可能だと思ったり。むしろ少女という存在の二つの局面が佐伯/仲村に分裂しているだけで、作者は本質においては同一人物だと言いたいのかも。
12-20 15:16

『惡の華』の仲村が、おそらく学生時代の私の意識に最も近い存在。頭の中に「ぐちょぐちょの変態的なもの」があって、「世界が全部めちゃくちゃになればいい」と思っている。教師を「クソムシ」扱いして、家族ともうまくいっておらず友達も一人もいない。まさに学生時代とは、こういうものでしょう。
12-20 15:07

『惡の華』は、中高生くらいの「特別な自分でありたい」意識を極めて精緻に描いていると思います。最も魅力的なのは主人公が悩み、苦しみ、居場所を喪失する際の極めて生々しい身体表現なのですが、キャラクターとしては不良少女で攻撃性の高い仲村が傑出していると思います。
12-20 15:00

最近観たのは『惡の華』(アニメ全13話)。随所に素晴らしいリアリズムを感じます。ボードレールやバタイユを愛する読書狂の少年が同じクラスのアイドルに恋をしていて、やがて付き合い始めるのですが、事あるごとに小悪魔的な別の少女が邪魔をしてくる、というラブコメ的な展開。でも哲学的な作風。
12-20 14:56



風邪をひく、というのは換言すれば肉体が一時的に病を得る、それによって精神状態も変容することを意味しているので、創作においてはむしろメリットであると考えています。椅子に座れないほどなら静かに眠るべきですが、読書が可能な程度ならばむしろ何かを書いた方が良い。そして掌編が一つできた。
12-20 14:44

普段から食事や健康に気を配っているし、昔のように風邪はもうひかないだろうなと思っていたら、普通にひいてしまいました。午前中に病院に行って薬を貰ってきましたが、その日はさすがに仕事を休みました。休んだのは一年ぶりくらい。欠勤ゼロ主義を守ろうとしていたので少し悔しいな。
12-20 14:38

RT @lunar_shirayuki: 珍しく恋人が風邪をひいてダウンしてしまったので代わりに用足し・料理などしつつ、今夜はあたたかくのんびり過ごそう
12-20 14:27

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