† 現象学  †

ナンシー/オリゲネス/ハイデガー

肖像の眼差し肖像の眼差し
(2004/11)
ジャン=リュック ナンシー

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既に三冊ともレジュメを残しているので、ブログではサラッと紹介するに留める。

まず、ナンシーの自画像論。
自画像論といえば、デリダの『盲者の記憶』が面白いのだが、この本も相当面白い。
簡潔にいうと、この本では以下のような図式がある。

客体=対象
   ↓
主体=タブロー



これが何を表現しているのかといえば、実は「自画像を描く行為」である。
時どき、日曜美術館などで俗物的なTV用のコメンテーターが出たりして、「この自画像からは彼の底知れない孤独を感じる。私も彼を見つめることで、自分自身を見つめる」などと月並みなことをいう。
だが、そういうありふれた俗物思考がどれほど陳腐であるか、どれほど自画像の分解プロセスから、主体性が他者性と不可分に絡み合っているかをナンシーは読み解く。

結論として、自画像は自画像ではない。
自画像とは、客体に意味賦与作用を施した結果としての「他者」である。
自画像は不可能である。

ヨハネス・ヒュンプの卓越した自画像(鏡に映った自分を見つめながら自画像を描く画家の姿を描いた画家だが)についてもナンシーはメスを入れている。
「自分を描くとはどういうことか?」
それを知りたい人、果ては、「私小説の〈私〉はいかにして不可能なのか?」などについて知りたい人、つまり主体性神話に疑問符を携えている人は必読である。

初期ギリシア教父 (中世思想原典集成)初期ギリシア教父 (中世思想原典集成)
(1995/02)
上智大学中世思想研究所

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この本の中に、オリゲネスの創世記論として極めて名高い『創世記講話』が訳出されている。
オリゲネス、といえば、私が敬愛する大阪の小教区におられる博識なスペイン人神父さまも尊敬している、キリスト教神学における初代教父の筆頭だ。
キリスト教について知りたい人、果ては教父について学びたい人には必読である。

貧しさ貧しさ
(2007/04)
マルティン・ハイデガー、フィリップ・ラクー・ラバルト 他

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そして、『貧しさ』。
ハイデガーの書いた『貧しさ』は短いのですぐに読める。
コミュニズム論としても読めるし、もちろん、ヘルダーリンが引用されていることからしても、「精神の貧しさとは何か」を教えてくれる本でもある。
ハイデガーによれば、精神の貧しさとは、「不必要なものを欠く」ことである。
つまり、何か一つのものにのみ「食料」を見出して、それ自身による「飢饉」に陥ることである。
この「不必要なものを欠く=貧しさ」という図式は倒置法である。
本来の辞書的意味としては、「必要なものを欠く=貧しさ」であり、「不必要なもの」は必要ないのだから、それが無いのであれば逆に「豊かさ」とも解釈していいはずだ。
が、ヘルダーリン/ハイデガーはこれを逆転させて、貧しさそのものの本質の考察を促す。
貧しさは、自分が何か一本道を敷いてしまうことである。
それだけに依存することで、必要なものだけで生活が構成されるようになり、人は豊かになる。
が、実はそれこそが貧しさである。
「ゆとり」が必要なのか、といえば、ハイデガーはけしてそれには答えを与えない。
ただ、彼は「不必要なものを欠く」ことにある種の危機を見出すのだ。
例えば、ノイズの除去、文化的に低劣なものを意図的に迫害すること、こうした問題とも「貧しさ」はリンクする。
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