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01/08のツイートまとめ

afterfinitude01

RT @lunar_shirayuki: 八戸のスタバとオシャレ米屋&カフェにも行ったのよね🌟 https://t.co/WbOSy6GvRl
01-08 23:59

身近な習慣を自己分析すると、例えば「原稿が書けない」のにも精神分析的な解釈を試みることは常に可能なんでしょうね。私の場合、評論を読む人間があえてなぜ小説でアウトプットするのか、というエクリチュールに内在する「分裂」の問題がまず挙げられると思います。なぜ小説に執着するのか?
01-08 19:05

ブルデューの『パスカル的省察』には「知識人は一般通念を往往にして批判する」という点を見越した上で、「批判的知識人を更に批判できる知識人」のポジションを踏まえつつ素朴な一般通念を理論化していくような特異なエクリチュールが働いているのですが、これ自体も分裂ハビトゥスの「症候」なのか。
01-08 19:00

あと派生的に気になるのが、ブルデューが『自己分析』で定義した「分裂ハビトゥス」に属する行為者に傾向として見出されやすい精神構造のデータでしょうか。例えば、高卒の閣僚とか郵便配達夫を父に持つノルマリアン(ブルデュー)には、確実に出自と地位の間で複雑な葛藤が働きやすい。
01-08 18:51

最晩年のラカンが「ひとはみな狂人である」という言葉を残し、後継のミレールがそこから現代社会を「普通精神病の時代」(潜在的に全ての人が精神病の傾向を持ちながら一般社会に帰属している)として捉えたことの意義は、やはり測り知れない程大きい。
01-08 18:45

@lunar_shirayuki うん、けっこう男同士でもいるよね。シェアハウスとかもあるし。
01-08 18:38

スキゾフレニーの症例「靴下がはけない」の場合、靴下の網目の一つ一つの「穴」が女性器の「穴」であると考えるのですが、ここで起きているのは単純な語の同一性。穴があるもの全ては女である。こういう発想は神話や伝承の世界、あるいはシュルレアリスムと親和性が高い気がします。
01-08 16:21

精神分析系統の本を読む場合、読者自身の体験談と重ね合わせて読むことは、一方で危険を伴うけれどラディカルな読みではあると思う。例えば同性愛に関しても、私の彼女は一時期女友達と同棲したりしていたので、私とはまた異質な読みが生まれるでしょう。私としては、同性愛的傾向は守られるべきもの。
01-08 15:29

例えば成宮寛貴が好きな場合、その理由の一つに彼自身の過去の同性愛的エピソードがあり、これが彼のキャラクター性と相まって男性のナルシシズムをくすぐる、安心させる、和ませるというメカニズム。男が好きになる男には彼との間で同一性が担保としてあり、ナルシシズムが投射される。
01-08 13:53

更に考察すべきなのは、「異性にモテる同性に対してなぜ嫉妬を覚えるのか?」という重要なテーマ。同性愛者の場合、嫉妬ではなく自分を女性とみなして逆に彼に強大な愛を抱くのではないか。ここで嫉妬や憎悪を抱くか、逆に性愛の対象となるかが同性愛の判断において重要な気がします。
01-08 13:45



ナルシシズムはやがて同性愛に至る、というのは男性として深い次元で理解できます。「男から見てカッコいい男」を模倣する過程にあるのは、その人に同一性を見出しつつ我有化しようとする欲望。本来ならこれは男性同士の社会的な友情へ昇華される。失敗や頓挫を経た場合、同性愛の抑圧が起きる。
01-08 13:37

「同性愛の抑圧」はパラノイアの発病と相関し、同性愛それ自体はナルシシズムを起源にしているという解釈については、個人的に大きな関心があって昨夜は熟読しながら書き込んだりしていました。同性愛的な傾向が、社会関係における男性との友愛において「失敗」した場合、ここが私自身を分析する鍵。
01-08 13:30

それにしても、ほぼ毎月6冊は確実に売れるようになりました。新しいのを出した月は15冊を越えたりも。地道な努力が少しずつ販売数に繋がっていくんですね。
01-08 13:19

新年に入り『ヴィスコンティの美学』、『私たちの存在の墓で』をお買い上げ頂いた読者様、心より御礼申し上げます。ヴィスコンティは私の中で常に別格の存在で、一度ならず人生の危機を救われたことがありました。
01-08 13:13

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