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02/10のツイートまとめ

afterfinitude01

そういや、ガルシア・マルケス『百年の孤独』のカバーレイアウトもバロだったな。あの螺旋状都市は一度夢の中で訪れてみたい。ミステリアスなところとか、ボルヘス含めラテンアメリカ文学に合う気がする。
02-10 21:02

RT @rinlaku: 神秘的で魔術的、ユーモラスでエレガント、細部に至るまで完全で女性らしい精神世界。レメディオス・バロの絵は不安定で儚く、闇からこちらを見つめる眼は力強い。 https://t.co/Jk5bGiJleP
02-10 20:57

SRと関係が深いヘッカーの音楽はYouTubeにけっこうアップされてるけど、ブラシエが演奏したIdioms and Idiotsもちょっと興味あるな。音楽が存在する以上、最低限のミニマルなイメージは成立可能であり、したがって文学化可能である。
02-10 19:38

メイヤスーのマラルメ論『数とシレーヌ』(2011)の版元が音楽レーベルと共同で出したフロリアン・ヘッカーの曲ってこれか。ブックレットにメイヤスー自身がテクスト寄せてる模様。他のもちょい聴いたけど、なぜか『マザー2』思い出した。 https://t.co/BxdXKKuO6v
02-10 19:32

RT @omnivalence: 〈人間-物質〉ネットワーク世界の情報社会論|10+1 website https://t.co/JATEkhbFLX こんなものも書いてみました。。
02-10 18:22

RT @omnivalence: きちんと論証するメイヤスーって偉いなと思う。。
02-10 18:21

RT @omnivalence: というのが、『有限性の後で』までのメイヤス―の展開である。。だからこれをあんまり偶然性や世界の変化可能性とばかり結びつけるのは、ちょっと彼が可哀想な気がする。。それにしても、西田だったら単なるレトリックで、「~なければならない」とだけ連続してい…
02-10 18:21

RT @omnivalence: 偶然性の必然性についての長い考察が展開されるわけである。。偶然と必然が一種の循環的な円環をえがくところで、主体と客体についての相関主義的循環は脱輪させられる。批判としては決定的だったので、脱構築主義までは一応完全に否定されている。。しかし、副産…
02-10 18:21

RT @omnivalence: これらすべてが「事実性」から派生したものだという風に、並び立つ。。(しかも、相関主義的不可知論からすると、主観的観念論はそれが再構成される数だけ、複数考えられる)これをブリッジしているのが「事実性」である。しかも、それが「なければならない」もの…
02-10 18:21

RT @omnivalence: 事実性をただ実定的に、気がついたらあったようなものとして(事実性の事実性)として捉えるのではなく、「なければならない」ものとして論じ、かつ幅を持たせた。二つの実在論も、主観的観念論も、相関主義的不可知論(この立場からは、先の三者が全部自分に包摂…
02-10 18:21



ヴィヴェイロスとメイヤスーが接続できるということは、新しい人類学とSRも連動していて、その双方向的な読みが結局、今の新しい思想動向を主導していく、という清水先生の読みはやはり決定的だと思う。
02-10 13:41

「事実性」は、清水先生の解釈を踏まえると「客体優勢でコギトの位置を複数スライドさせる」機能を持つ--この辺りがヴィヴェイロスのパースペクティブ主義と連動するポイントだと思う。つまり「私」は別に俺じゃなくて猫や樹木や人形や死者でも良いわけだ。別様な新しい視点としての事実性。
02-10 13:36

私が今ここにいるのも事実論性(メイヤスーは事実性と事実論性を区別してるけど)の問題だけど、今度はこれをどのように活動力を向上させる概念としてポジティブに捉えられるかになってくる気がする。「能動的生成に身を委ねて、変化する自己を楽しもう」(別様である私への生成変化)、スピノザ的な?
02-10 13:19

私はメイヤスーの考えを、世界が明日にでも激変するかもしれないというコスモロジックな事実論性の問題系として捉えがちだったけれど、コギトと結合したものとして捉えると内面性の問題にも繋がっていく。ただ、これはフッサールの純粋意識をベースに一から世界創造する操作とどう違うのだろう?
02-10 13:11

事実性が「私」(別様に生成する自己、別様であり得た自己、そして今のこの偶然性)の問題に収斂していくという点を、宇宙や世界以前にまず基礎付けておくっていう清水先生の説明は、この本を読む上で非常に魅力的なツールになると思う。
02-10 13:06

清水先生のメイヤスー関連の発言を大量RTしたのは、『有限性の後で』の核心である「事実性」解釈において極めて重要なため。特にコギトとの関連で事実性を捉えているところが非常に勉強になる。もう一度この観点を踏まえて読み直してみよう。
02-10 12:59

RT @omnivalence: 《主観的観念論や独断論の複数のあり方》が、まとめてよってたつ地盤が、あらかじめ「即自」的に思考可能である、と言い切ったところにメイヤスーの特色がある。そしてこの「即自的」なものが、「事実性」としての「私」なのである。彼はむしろ「あらゆる変化を免…
02-10 12:54

RT @omnivalence: 彼が主観的観念論や独断論の複数のあり方、それらがそれぞれに別様にありうる複数のあり方を繋いで、それらを変化させることもでき、また即自的にも考えられる「事実性」にアクセスしているというのは間違いない。そしてそれが「私」であるというのがミソで、ハー…
02-10 12:53

RT @omnivalence: メイヤスーの場合、「別様でもありうるもの」というのは、世界がどうとか以前に、「自分」なんだよね。この「別様でもあり得る自分」を、「事実性」として考えられる、しかも即自的に、といったところで相関主義的な懐疑が終わる。
02-10 12:53

RT @omnivalence: コギト(主体)の位置を複数スライドさせる働きを持つ。。(そういう意味で一対多関係が主客関係と重なっている)「事実性」は媒体的ではないんだけど、この議論や論証、否定する気には自分はなれないなぁ。。なるほど。
02-10 12:52

RT @omnivalence: 主体⇔客体の対から、コギト⇔非存在の対へとメイヤスーは移動する。前者の⇔は相関主義的循環であり、後者の⇔は「事実性」である。前者は主体優勢で客体を複数回収していったもの(そういう意味での一対多関係と主客関係の結びつき)であり、後者はモノとは言わ…
02-10 12:51

RT @omnivalence: 「事実性」は、「私が考えず、存在もしない」状態であれ、なんらかの別の形で「私が考える」場合であれ、今のように考える場合であれ、いずれの場合にも伴っており、それらの状態をもたらしている。そしてその意味での「事実性」には偶然性が強く結びつけられる、…
02-10 12:51

RT @omnivalence: 「事実性」によって「私が考える、ゆえに私は存在している」ということが言えるのであれば、「私が考えず、存在もしていない」状態も「事実性」次第のものとして「思考可能」である。この二つは表裏一体、ペアなのだ。とメイヤスーは主張する。つまりメイヤスーの…
02-10 12:50

RT @omnivalence: 「事実性」が、単なる「状況の遮断者」としてしか捉えられていない議論が多すぎる。。そうなると、これはメイヤスー的に言えば、相関主義的不可知論者が、「たとえば主観的観念論も別様に色々あり得るよね、やっぱし」と言ってるバーションになってしまう。
02-10 12:48

RT @omnivalence: やはり「事実性」は、媒体的に機能していると見たほうがいい。それはまた、非-綜合的に複数の要素を繋いでいる。しかも、端的には「私」である。デカルトとも近く、カントとも近く、脱構築主義とも近く、そのいずれともくっきり違っている。逆にいうと、それらを…
02-10 12:48

RT @omnivalence: メイヤスーは三章で述べている事実性、もしくは事実論性の議論をこちらにひきつけて、根本的経験論(純粋経験論)で行くべきなのだ。ジェイムズにもまだ残っている二元論の残滓を周到に取り除きながら。
02-10 12:46

RT @omnivalence: ジェイムズも同様な批判をしており、経験と経験のスムーズな連接は、因果的必然性をそこに見出だすべきものではなく、それじたいが「連接の経験」なんだと言っている。
02-10 12:46

RT @omnivalence: 偶然性の必然性、などという妙な中性化にいかずに、むしろ直接《一と多》問題に行けば同じように主客の二項で行き詰まった分を回避できた。。折り紙の折り方を一ヶ所裏返しにやってしまったような印象。。
02-10 12:42

RT @omnivalence: この発想じたい、よくわかる。主客の二項のような問題で行き詰まったら、後で中性化できる別の二項をブリッジして解決するしかない。
02-10 12:42

RT @omnivalence: その事実性を、偶然性と必然性という二項に彼は先に結びつけすぎてしまった。。その後で、確率論の話を論じるなかで、偶然性の問題を全体と部分という、それ自体中性化できる問題のヴァリエーションとして扱えるのではないかと思い始めた。。
02-10 12:42

RT @omnivalence: メイヤスーの動機も、自分でいうほど数学的でもない。主客の二項問題を、相関主義批判で第三章までで完璧に、その二項だけだと循環に陥るものとして分析し、事実性をここに絡めたのだが、
02-10 12:42

RT @omnivalence: カントールを持ってきて全体と部分の関係をいわば中性化する、というのはストラザーンもやっていることであり、これは《一と多》の二項対立が重なってきたということだ。。
02-10 12:41

RT @omnivalence: 「事実論性の原理それ自体から可能的なものの非全体化を導出する」「超限数を[事実論性として]絶対化する」(メイヤスー)
02-10 12:41

RT @omnivalence: とにかくこのところ出る本が面白すぎて。。『現代思想』の人類学特集もすごいし、まだ手を付けてないがラッツァラートの記号と機械に関する本も恐らく絶対いい。
02-10 12:39

RT @omnivalence: メイヤスーは「カオス」と「時間」は言わなくてよかったと思う。。
02-10 12:37

RT @omnivalence: メイヤスーが言う「事実性」というのはデカルトのコギト「われ考える、ゆえにわれ在り」にまでそういうツッコミを入れるものだと思うんだよね。「たまたま考えちゃっているから在るだけじゃん」「考えてなくて、存在もしないことも(考えるだけは)考えられるじゃ…
02-10 12:36

そういや一回だけ、交互に詩を書き合って一つの詩にしたことあったけど、ああいう経験も良いもんだよ。思いがその時少しでも通じ合ったって証になる。っていうか、詩に詩で応えるって最高に素敵なことだよ。二人の書き手の血を混ぜるような。思い返せば、そういった共作性の記憶ほど豊かなものはない。
02-10 11:54

なんか頭の中ぐちゃぐちゃしてる時は詩書けばいいよ。俺も大阪時代によく書いてたけど、今あんまり書かなくなったのは毎日の規律性の方が詩作より優先度高いから。そうやってみんな詩を忘れるんだ。だから書ける時に書いた方がいい。
02-10 11:31

メニングハウス的にいえば、美と美のインセストからはグロテスクなものしか生まれないんだよね。アドニスとヴィーナスの隠し子はプリアポスだし。でも田舎の庭園神でもあるプリアポスのファルスが崇拝の対象になるのは面白い。アドニスに不在なものは怪物的な息子が再現前させる。
02-10 11:23

風邪ひいてすげー喉いたい。。。
02-10 11:17

RT @rinlaku: 「美」の逆説としての「吐き気」とは何か?――ヴィンフリート・メニングハウス『吐き気』×宮﨑裕助『判断と崇高―カント美学のポリティクス 』読解 https://t.co/eU73L41er7
02-10 11:12

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