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03/11のツイートまとめ

afterfinitude01

このご夫婦が息子さんの帰りを待つことは、やっぱり「来るべき」の問いに関わっている気がする。もしかすると、切迫した到来者への希求は、デリダの言う「喪を担い=宿し=携える」地平において初めて可能になるのかもしれない。これは無念の死を遂げた者の復活を前提にするメイヤスーとも通底する。
03-11 19:47

先ほども職場で被災直後の様子についてお話ししていたんだけど、辛いな...。〉「自分が生きてるうちに会えないとは思うんですけど、きっとどこかにいるっていう思いが私にはあります」遺体見つかっていない息子にメール送り続ける NHKニュース https://t.co/U1hiq1D7es
03-11 19:35

「一時的な快楽より、普遍で永続的なものを」--お世話になったシスターから直接言われたことはなかったけれど、彼女もまたこの信念を貫き通していたと思う。そして離れた今だからこそ思うけれど、そこには信仰を越えたナザレのイエスその人への愛があっただろう。
03-11 15:23

RT @rinlaku: 誕生が苦痛を伴うとしても、安らぎの死を望むことは許されたい。香り高くて音楽のする死を。一時的な快楽より、不変で永続的なものを。
03-11 15:19

RT @dessinatrice001: 「私の意図は――『アフターフィニチュード』ではまだなされていないということに留意して頂きたいのですが――数学化可能なものは絶対化可能であるということを論証することにあります」クァンタン・メイヤスー「思弁的唯物論のラフスケッチ」
03-11 13:31

RT @dessinatrice001: 「事象の宇宙を決定するただ二つの方法は、経験に依拠すること、そして可能世界の集合の濃度(その位数)をそれ自体で動機付けることのできる数学的構成に依拠することである」Q・メイヤスー「潜勢力と潜在性」
03-11 13:30

RT @dessinatrice001: 「私の一般的な計画としては、形而上学を復活させることなしに、物自体について語ると主張する思弁的な道を復活させることである」Q・メイヤスー「潜勢力と潜在性」
03-11 13:29

事実論性の原理からすれば数学も絶対的ではないとメイヤスーははっきり書いているけれど、そこに可能性を見出そうとしている点は否定できない。この点に関して、読了後に私と同じような疑問点を持った人がけっこういることに気付く。とても刺激を受けるな。
03-11 13:27

RT @freakscafe: 津田一郎『心はすべて数学である』(文藝春秋)を読む。昨日メイヤスーを読んで、相関主義を内在的に批判する行はとてもエキサイティングだったのだが、実在にアプローチする方途として数学が特権的に扱われていることに、もう一つ理解が及ばない。 https:…
03-11 13:20

RT @diesuke_w: そういえば、メイヤスーが『有限性の後で』と、近藤和敬さんの『数学的経験の哲学』を併読すると、どういうことになるんだろうか…。時間ができたら、読み直したいけど…。
03-11 13:20



RT @doob_y: メイヤスーの対談、理系は物自体を扱ってたけど、文系はカント以来相関主義的だとかって話だけど、量子力学以後は、理系が物自体を素朴に扱えなくなってるはずなんだけど。相関性の外部にあるものも、数学の絶対性も言えなくなっちゃってるはずってのが前提だと思ってるのは…
03-11 13:19

RT @_0___3: また、理由律は棄却されるけれども無矛盾律は維持されているわけだから、それで論理の技芸としての数学が特権的な位置づけになるのかな、という気はする、のだが。もう一つ、メイヤスーが社会科学についてどう考えるのかってところは興味がある。なんか発言はあるんだろうか
03-11 13:18

RT @_0___3: 『有限性の後で』読み終えた。いろいろ共感できるところが多く、おもしろかった。が、数学「なるもの」を絶対化する、というパッションにやや違和感も。メイヤスーのいう「科学」「数学」「絶対(者)(的)(化)」がよくわからない。科学のイメージがすごくシンプル?、と…
03-11 13:18

RT @takanarisato: メイヤスーがアート界でうけてる理由が分かってきた。かなり特殊な状況を想定しての哲学だよね。極大とか極小とかにアプローチする物理学の理論のような。でも漠然と思うのは、別に数学じゃなくてもいいんじゃないの?という点。アートの方がうまくいくのかもと…
03-11 13:16

RT @H_Nobunaga: ”(メイヤスーは)「人間は人間が世界に投げかけたフィルター(とくに言語)を通したものだけを認識する」というカント−新カント派の「相関主義」を排し、人間と独立して存在する宇宙(数学的にとらえられる)の実在を肯定”(浅田彰)→この2つは次元が違う。…
03-11 13:13

RT @ke_ta3: メイヤスーによるカントールの援用はちらっと見た感じせいぜい比喩以上のものではないと思った せっかく集合論を引き合いに出すなら、集合論研究の前線では様々な「集合論的宇宙」(それぞれの宇宙では異なる定理が成り立つ)の関係について調べたりしてるんだからそこま…
03-11 13:12

RT @inaphenomeneuro: ハルキゲキニアも、羊水に浮かぶ胎児の生も、木星の大赤斑も、科学的データ抜きに近づくことはできない。そんな当たり前の世界の事実を、哲学はどう扱うのか。メイヤスーにも仄かに見える遡行的、基礎づけ的発想から哲学はどう抜け出すのか。あるいは抜け…
03-11 13:10

RT @dessinatrice001: 「科学に、事物の状態、すなわち流動の状態を記述し思考する役割が与えられているとすれば、哲学には、潜在的生成を記述し思考する責務が残されているだろう」Q・メイヤスー「減算と縮約」
03-11 13:07

昨夜はガブリエルの続きを読んでいて、私がヴィヴェイロスに感じている問題点が「これだ」という形で書かれていた。ガブリエル、メイヤスー、ヴィヴェイロス...しかし最終的に私は誰にも寄り添うことはない気がする。韜晦的で読み手を時に苛立たせるブルデュー的な分裂を素で実践したいかな。
03-11 12:56

でもこれは私の勘なんだけれど、たぶん違うんだ。論旨が見えるようにもっとはっきり書くけど、メイヤスーにとって神の問題はどう考えても二次的だと思う。事実論性の概念が理論物理学と絡み付いていることが浮き彫りになれば、もっと奇妙な神論だっていくらでも展開できる。彼の影響源が重要だと思う。
03-11 12:33

『有限性の後で』の理論面からすると、神という表現をあえてまだ採用する必要がないのは明瞭で、にも関わらず「来るべき神」や「死者/物の復活」を暗示させるテクストも残している点が不思議だな、と確かに感じることはできる。私も最近までそう思っていたし、千葉先生もこういった発言をしていた。
03-11 12:25

神論については、メイヤスー個人の秘められた問題もあるだろうし、信仰に関わるデリケートな部分なのでそっとしておいてあげてもいいんじゃないかな。彼の言う「来るべき神」は事実論性の原理を神学に応用した結果、不可避的に算出されたものかもしれない。
03-11 12:15

@Qualia726 有神論であるかないか、またその問いが意味を持つかという点に関しては、私はまだあまり語れないんですよね。『神の不在』がまだ著者本人の納得するかたちで刊行されていないというのもあって。「亡霊のジレンマ」は確かにある種の神論ではあるけれど。
03-11 11:55

RT @201yos1: 教皇フランシスコの米議会での演説の日本語訳を、カトリック中央協議会のウェブサイトで読めます。アメリカの霊的思想家であるトマス・マートンや、社会活動家ドロシー・デイ、マーティン・ルーサー・キングなどを取り上げたとても興味深い演説です。https://t.…
03-11 11:43

こんな感じのテイストでしか描けないんだよなあ。 https://t.co/F5j3QzA2cm
03-11 04:02

RT @lunar_shirayuki: 朱砂の肖像の為のエスキスby 恋人 https://t.co/BhaTdbV4wU
03-11 03:57

私にとって、あの時顔も見たことのない方が綴って下さった感想は今でも何か異様な感動の契機を秘めていて、今さっきも思い出しながら涙が出そうになった。私は信じることしかできない。彼は既にイエスに祝福されているし、赦されていると。
03-11 02:33

堕落して既に破門された男が、それでもなお誰にも見られないほど素早く十字を切ってから食事することーー私もここに「信仰」とは何かを考える上での起源を見出す。それは習慣的な素振りなのだろうか。私にはどうも違うように感じられる。この話をしてくれた方には今でも心から感謝している。
03-11 02:19

こんな感じで感想を綴ってくれていて、最後に遠藤周作(だったはず)が小説で書いたあるエピソードを紹介してくれた。その人物は元神父であったが今は破門されている。彼が喫茶店にいる姿を私が店内で見つめている。彼は食事の前、誰にも見られないように素早く胸で十字を切ってからパンに手をつけた。
03-11 02:14

「愛の教え」の教義上、彼のことをあたかも愛しているかのように接する必要がある。恋愛対象ではない相手にさえ愛の天使のようにふるまうのはカトリックの基本的な態度であり義務である。ここに全てのキリスト者が恋愛において堕落する原因がある。彼らは誘惑されやすく、また容易く誘惑する。
03-11 02:09

以前、私の小説を読んでくれた方がカトリックについて話していた。その話は今でも時々思い出すし、明確に言語化することはないけれど何かしら私に影響を与えていると思う。曰く、カトリックの人間は恐ろしいほど誘惑に弱い。例えば女性の信徒の場合、特に男性として魅力的ではない人に対しても
03-11 02:06

これは小説や詩を書く時にも言えるんだけど、私は基本的に自分がカトリックであることに拘束されることは、少なくとも何かを書く上では時に不自由に繋がることを少しずつ学ぶようになった。そんなことを忘れられるくらい優れた本の場合、自分の立場や信念に固執することは読みの盲目を招く。
03-11 01:56

たぶん今回のメイヤスー論は、今までブログなどで公開してきたどの記事よりも気合を入れてると思う。
03-11 01:45

前に書いたデリダやド・マンについて参照RTして下さっている方がいるのに気付くと、今書いているメイヤスー論のモチベーションが上がる。どうもありがとうございます。
03-11 01:37

RT @omom398: 「間」=「コーラ」と九つの派生概念――磯崎新×ジャック・デリダ×ミルチャ・エリアーデ https://t.co/8h86Z8OARU
03-11 01:01

RT @philosophrenie: ポール・ド・マン、ジャック・デリダ以後の新しいエクリチュール/レクチュールの可能性について――バーバラ・ジョンソン『差異の世界』 https://t.co/TA9X8Tpi9B
03-11 01:00

RT @readymade_um: 《バウハウス》の建築家ヴァルター・グロピウスと幽霊性 https://t.co/o61Tjm6RsS装飾を排除して機能に特化した芸術って意味でディスコとハードコアテクノ、ハウスと関係性が似てる気がする
03-11 01:00

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