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03/22のツイートまとめ

afterfinitude01

最近、単純な人間である私は本気でドラキュラになりたいなと思う。21歳の洗礼を受けた年齢のままでいたかった。そして好きになった人に噛み付いて、ちょっとずつ家族の輪を広げていく。でも私は月より太陽を愛しているから、日光で大火傷する彼らにはやっぱりなりたくないかな。
03-22 20:37

RT @rinlaku: 純粋性を追求するかぎり肉体は乗り越えられなければならない。動物性は削ぎ落とされ、自然に回帰する望みは永遠に絶たれる。自然界に純粋なものなどない、わたしは間違っているのかしら。言語を、音を、図像を失って、精神の束か一縷の気になりたい。人は容易にわたしを判…
03-22 15:22

RT @lunar_shirayuki: 私が装訂しております。ダナイス 鈴村智久 https://t.co/P5uUTjgnm9
03-22 15:12

「数学と女の子の心は思考の相関には還元し得ない」
03-22 13:16

むしろ私は、事実論性の原理を宇宙だけでなくインナースペース、例えば恋愛に絡める方が面白いと思う。『Symphonic Love』レビューでもさり気なく言及したけど、恋愛ほど別様な世界への生成を迫るものはないよ。だから恋に落ちるのは素晴らしいとかじゃなくて、それだけ危険なんだけど。
03-22 13:14

まあただ、ある種の小説や詩によってメイヤスー的な問題設定を「追認」することは可能だろうし、これは言語芸術以外の他の領域にも当てはまるだろうね。あとはシニカルに数学的なオブジェクトとか、「これが物自体です」みたいに小石を美術館に展示するとか、そういうニヒリズムしか残されていない。
03-22 12:56

不可避的に生じるけれど、メイヤスー自身が「人間主体の芸術」の終焉を暗に示唆している以上、言語や意識、思考の相関なく芸術を制作することは不可能に近い。むしろメイヤスー以外のSRの論客の方が美学や音楽とは相性が良いけど、ハーマンは評価が低いし、SRは世界的には時代遅れだし、なんとも。
03-22 12:47

時々メイヤスーをアートに応用するっていう意見が色んな人から流れるんだけど、どうなんだろうね。「ドゥルーズの時みたいには無理だよね」って私もはっきり「断定」しておくべきなのかな。相関の最たる産物である芸術の中でその外部に達せられるか、物自体に芸術は急迫可能かという問いがこの場合、
03-22 12:35

「今は数学の時代」--これはメイヤスー以後を考える上での良いスローガンだと思う。自己検閲を含んだ上でのある断定が立場をより明確化することは多々ある。
03-22 12:16

RT @tmasada: Social Acceleration、あと結論の章のみだけど、分析は興味深いとしても、著者の主張はあんまりピンと来ない。感覚的に言えば、もはや運動学kinetics(p.417, n45)でものを考える時代じゃない。今は数学の時代。メイヤスーがそんな…
03-22 12:09



RT @ruroa2: エクリチュール/レクチュール論は、これから認知(脳・神経)科学的なアプローチが来るし、テクスト論では、ビッグデータ論(超大規模な計量解析)からのアプローチがなされているし、思弁的実在論やポスト人類学の展開を理由に、エクリチュール論やテクスト論を「時代遅れ…
03-22 12:08

RT @ruroa2: メイヤスーの(関係の非関係化を捉えるための)「科学・数学」と、ガブリエル/ジジュクの(非関係の関係化を捉えるための)「神話的なレトリック」のどちらを選ぶか、という問いにおいて気になるのは、依然として「近代の散文」の問題が、等閑視(あるいは否認・抑圧)され…
03-22 12:05

RT @osaki_haruchi: 身体的数学という問いを提起している。具体的な科学を実行している点で、その様相はとても似ているんじゃないか。問題の場所は違うけれど。
03-22 12:02

RT @osaki_haruchi: メイヤスーの『有限性の後で』読了。ヒュームの因果関係の懐疑をさらに上回る視点は強烈で、世界のネガポジ反転が起きるようだった。荒川修作に通じるスケールを感じたのだが、経験の可能性の条件(カント)を拡張するという点では、相関的、現象学的なアプロ…
03-22 12:02

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