† Twitter †

03/24のツイートまとめ

afterfinitude01

そういえば、ヘッセの「少年の日の思い出」に出てきたのはクジャクヤママユだったっけな。これは前に上野の博物館で観たもの。蝶は昆虫の中で一番好きだな。蛾派はなんとなくゴスのイメージがある。映画『モスダイアリー』もそうだった。 https://t.co/j2D3SaqcSR
03-24 20:12

先日の収穫物。特に『数学的経験の哲学』は噂通り、『有限性の後で』を更に深めたい人のための必読文献だと思う。 https://t.co/g8dBgPIbRt
03-24 19:55

RT @lunar_shirayuki: https://t.co/ZPRavyTZFs
03-24 19:44

@passiflora_24h ご紹介していただきありがとうございます。スピリアールトは良いですね。
03-24 19:44

RT @passiflora_24h: いつぞやもリンクした、このブログ記事が結局、いちばん良い。説明の文章がまた良いのだ https://t.co/inPd95qhi2
03-24 19:41

RT @yakumoizuru: 「哲学的言説にとって、もっと広くいえば歴史記述や文学分析も含めておよそ言語を論証的に用いようとするあらゆる試みにとって、メタファー、譬喩、および比喩言語一般は、永遠の難問、場合によっては当惑の明らかな源泉でありつづけてきた」(ド・マン『美学イデ…
03-24 10:44

RT @parages: 今回訳したロドルフ・ガシェの論考は、カントとレトリックの問題における「ヒュポテュポーシス」(修辞学用語で「迫真法」や「活写法」と呼ばれる技法)をめぐるもので、デリダ「白い神話」やド・マン「メタファーの認識論」に連なる重要論文です。PDF→ http:/…
03-24 10:43

RT @IchikawaTaka: 「いかなる哲学も比喩表現に依存しているかぎりは文学たることを免れないし、またいかなる文学もまさにこの問題の受託者となる以上、ある程度は哲学たらざるをえない」ド・マン自身が論文内で言及しているからだけではなく、今更ながら「メタファーの認識論」に…
03-24 10:42

ド・マンの弟子、例えばS・フェルマンがそのオースティン論『語る身体のスキャンダル』でドン・ジュアンに言及していたのも改めて重要だな。コンスタティブな策定をパフォーマティブに裏切るもの、そういう性質が書く行為には必然的に伴う。それを恋愛論にパリンプセストする点が彼女のクールな手腕。
03-24 10:38

RT @ytb_at_twt: 数学に有益な貢献をした哲学者、というと思い浮かぶのはフレーゲとラッセル、マーティン・レーフ、それからボルツァーノかな。デカルトはどちらかというと「数学に有益な貢献をした哲学者」というより「数学者兼業の哲学者」だよね。え、ライプニッツ?…あの人は…
03-24 10:15



『有限性の後で』を倫理の不可能性をめぐるひとつの言語論として捉えた場合、明快な一次方程式さえどこか輝いて見えてくるのかもしれない。つまり「代入可能なものは全て同じ集合(概念)に属する」(ボルツァーノ)ことをメタファーなしで示す数式のみが、あたかも相関を免れているかに見える。
03-24 10:09

哀しいことに、メイヤスーが相関主義の外部に数学を見出すことが可能なのもまた「言語」を担保とせざるをえない以上、どこまでもデリダ/ド・マン的なアプローチはその有効性を維持し続ける。例えば想定可能な反論を予め布陣に組み込むあのスタイルもまた強烈なまでに政治的であるだろう。
03-24 09:57

身近な例ではツイッターで自分の言いたい内容をRTで代理する行為(あるいは引用)ほど言語の政治性が妥当する瞬間はないと思う。私たちは「自分の」考えの正当性を継続させるために多様な引用を行うけれど、そもそも自分の考えそれ自体が言語主体の産物だという主張もまた相関主義の内部に位置する。
03-24 09:50

最近、ド・マンの重要性について改めて考える。どのようなテクストも政治的だなと。倫理でさえ言語という本質的にメタフォリカルな物質の諸効果に過ぎない。以前はその働き方が具体的に身に沁みなかったけれど、ひとつの論文、ひとつの著作、ひとつの商品説明まで含めこの政治性を免れるものはない。
03-24 09:38

関連記事
スポンサーサイト
*Edit TB(0) | CO(0)



~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


Back      Next