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03/25のツイートまとめ

afterfinitude01

@passiflora_24h 初めて観た時、画家の心の深奥に流れている孤独の河のようなものを感じました。それは私にとってデジャビュでもあったので、以来特別な画家の一人です。私もずっと日本で個展が開かれないかなと思っています。(あっ、エラーはなかったので安心して下さい。)
03-25 14:02

@rm_oti フスについてはWikiにもけっこう詳しいページがあるようです。火刑での実質的な最期の言葉は“O, Sancta simplicitas”ですね。この表現も凄い。私が意訳的に引用したのはその直前の言葉です。https://t.co/Nv8d2f0mJ8
03-25 13:56

だから私は、永遠や普遍的なものを「求める」という生き方ではなく、「求めてもいいし、壊してもいい」より自由で奔放な世界を肯定したい。善や法よりも、そこから常に逃走して自分たちだけの新しい領土を形成できるような世界で今後も生きていたい。ちょっと語ってみたよ。
03-25 05:30

でもその時、ふとフスの最期の言葉を思い出す。「私が神の教えに背いていないことは、神御自身が知っておられる」。何年も前からこの言葉は美しいと感じてきた。今もそう感じる。でも、過ちと挫折を繰り返しながら直向きに生きている普通の人々よりも彼が「より美しい」などと誰が言えるだろうか。
03-25 05:29

だとすれば、私は「移り変わる愛」そのものを肯定したい。けして神のように完全ではない人間の脆さをこそ愛したい。過ちを犯した人々を憐憫の情で抱き締めてやりたい(僕も同じだよって)。つまり、私は人間の野蛮な感情を、その醜さを、戯れと偶然に支配されたこの世俗の荒地をどこまでも愛する。
03-25 05:28

確かに一部の聖職者は不滅の揺るぎない愛を貫徹しているように見える。でも、「移り変わる愛」を抑圧して永遠の神との愛に入ろうとすればするほど、誘惑もまた質の違う大きなものとして忍び寄る。ことに僕らは野に出ている以上、誘惑はそこかしこにある。
03-25 05:27

「普遍的な立法の原理」を、ここでキリスト教的な倫理観ではなく、あらゆる法の基礎になり得る「徳」だとして、それを人間が実現可能か、という問いとしてまず捉えてみたい。しかしそれは可能なのだろうか。「移り変わる愛」こそが愛の本質ではないのだろうか。
03-25 05:27

すいれんさんの言葉の意味を静かに考える。そのためにはカントにおける「普遍的な立法の原理」と「意志の格率」の共立の問題をテクストを確認しつつ把握する必要があるんだけれど、ひとまずここでは私なりにこの問題についてちょっと書いてみよう。
03-25 05:26

RT @rinlaku: あれほど反発していたカント的人間にいまや近づこうとしている。「あなたの意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ。」絶えざる磨きによらない偶然の素質に焦がれたりしない。移り変わる感情のごとき愛を信じない。私が欲しいのは最後ま…
03-25 05:26

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