† Twitter †

04/15のツイートまとめ

afterfinitude01

RT @j_derrida_bot_2: 幽霊とは何であるのか。亡霊の現実性〔effectivite〕あるいは現前、すなわち仮象におとらず非現実的で、潜在的で、頼りのないままにとどまるものの現実性あるいは現前とは何か。そこ、すなわち物自体とその仮象のあいだの対立関係は妥当であり…
04-15 20:36

RT @j_derrida_bot_2: 〈メシア的なもの〉とは、他者の到来、正義としての到来者の絶対的で先取り不可能な特異性である。(『マルクスの亡霊たち』)
04-15 20:33

RT @y_Sn0430: デランダ『社会の新たな哲学』読んだ。ドゥルーズの集合体理論を援用して、社会を多数のレイヤーの相互作用から成るものと捉える実在論の立場を取る。社会を個人にも社会構造にも還元しない、まあ穏当な第三の立場だけど、SRに乗っ取って人や都市など、レイヤーの物質…
04-15 20:22

水上歩行やラザロの復活も実在論的に捉えた場合、キリストの身体は別様の物理法則がこの世界に開示されている特異点になる。事実論性の展開を宇宙に見ることが可能なら、この一個の身体にも超弦理論でいう余剰次元に匹敵するような別様の時空がコンパクト化(梱包、縮約)されていたと考えられる。
04-15 15:53

洗礼者ヨハネは、まず何よりも荒野で神を「待つ」預言者ですが、これはメイヤスーの「来るべき神」における待機の継続の起源として捉えられる。この場合、キリストは潜在性の内に梱包されており、呼びかけに応じて到来(開封)する。ヨハネ的待機は神の潜在性を考える上で極めて重要。
04-15 15:31

この神学的命題は「主よ、来てください」に対する応答「私は来る」を含むアポカリプスのメシアニズムとも接続する。メイヤスーが明確にキリストに言及していないことを考えると、「メシアなきメシアニズム」(デリダ)に近いのかもしれない。
04-15 15:25

関連記事
スポンサーサイト
*Edit TB(0) | CO(0)



~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


Back      Next