† Twitter †

05/20のツイートまとめ

afterfinitude01

ナーガールジュナによれば、ニルヴァーナとは「一切の認め知ること、戯論(形而上学的議論)が滅して、めでたい境地である」(『中論』)が、この「めでたさ」は哲学的に同じ認識を述べるガブリエルが強調するAugstと対照的である。
05-20 20:18

ヘーゲルはフェノメナルなもの(仮象的)とヌーメナルなもの(実在的)の区別は存在しないと主張するが、これは世界一切「空」であり、ニルヴァーナさえ実は仮象に過ぎないと述べるナーガールジュナとけして遠くはない。
05-20 20:18

カストリアディスは、世界それ自体に色眼鏡をつけて知覚せざるを得ないことを「存在論的生成」と呼ぶが、ガブリエルはこの認識に伴ってある感覚が浮上する点を見逃さない。つまり、対象なき意識の志向性、すなわちAugst(不安)である。
05-20 20:17

青い眼鏡をかける人が見る世界と赤い眼鏡をかける人の世界とでは、世界の把握の仕方が異なる。この名高い「クライストの眼鏡」の喩えは、我々が把握する世界はけして世界の自体的な姿にまで達しないこと(有限性)を示唆する。
05-20 20:16

おそらくガブリエルはメイヤスーを批判しているのではない。そうではなく、彼の考えが既にドイツ観念論(特にシェリング)によって更に洗練された形式で展開されていた点を強調していると考えられる。
05-20 20:15

メイヤスーの事実論性の原理(偶然性の必然性)は既にシェリングによって展開されているのみならず、更に発展的に「必然性の究極的な偶然性」にまで到達していたとするのがガブリエルの主張である。
05-20 20:15

ガブリエルはシェリングに依拠しつつ、意識が作り出す内なる他者(他律性)をreines Selbst(純粋自己)と名付けるが、これが「神」と呼ばれる。つまり、神とは意識が他律性に与える名だが、これが自然に投射されるとアニミズムを形成する。
05-20 20:14

関連記事
スポンサーサイト
*Edit TB(0) | CO(0)



~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


Back      Next