† ホルヘ・ルイス・ボルヘス †

SFについて ―レムとギブスンの場合―

大失敗 (スタニスワフ・レムコレクシヨン)大失敗 (スタニスワフ・レムコレクシヨン)
(2007/01)
スタニスワフ・レム

商品詳細を見る


天の声・枯草熱 (スタニスワフ・レム コレクション)天の声・枯草熱 (スタニスワフ・レム コレクション)
(2005/10)
スタニスワフ レム

商品詳細を見る


レムは本当にポスト・ボルヘスの系列に属するのか?

SFについて書こう。
個人的な見解に過ぎないが、私は断言して、SFを“全く認可していない”。
理由は一つ――全然面白くないし、明らかに少年向けに過ぎるから――である。

例えば、ギブスンの『ニューロマンサー』だ。
私はこの本について、既に二度もこのブログでレジュメを記録している。
そこで、私は「この傑作は岩波文庫の“思想版(ブルーライン)”に並べられるべきだ」と書いた。
あれはミステークではない。
ただし、注記しておこう。
私はギブスンの文体や、ギブスンが展開した「物語のプロット」には、つまりギブスンの書き方(あの軽率な語り口)には、何の魅力も感じていない。
これは強調しておかねばならない。

そもそも、私は『ウェブ進化論』の系列として、『ニューロマンサー』を知った。
そこで、私は「情報学」に関心を持ち始めた。
だが、ギブスンは単なるSF作家に過ぎない。
つまり、「少年」に過ぎない。

それは、実は東欧のSF的巨匠であるレムにも妥当する。
レムは「面白い」とか「巨匠」などといわれる。

だが、どこが面白いのか?

私には、『大失敗』の冒頭は、冒頭から大失敗しているような気がする。
これは、「スタートレック」なのだ。
いちいち引用する気もないが、レムの『大失敗』は、「宇宙船」とか「科学用語」が頻出し、結局「宇宙人がいるか、いないか?」といった、ほとんどどうでもいいようなテーマに集中している。
宇宙人がいるかいないか、そんなことを考えていても何にもならない。
だが、レムはそれに気付かずに、こんな長々しい作品を書いているのだ。

私は基本的に、「SF」と「ミステリー」と「ホラー」はエンターテイメントであって、「純文学」の下位にあると考えている。
だから、レムがどんなに頑張っても、所詮は映画にしかならないのである。
特に、宇宙船などが出てきたらもうおしまいだ。
宇宙船に、一体我々の誰が関心などあるのか?
それに乗れるほどの富豪が、我々の中にいようか?
そんな空想をしていても、仕方がない。

では、ボルヘスとはなんだったのか?
そう、実はレムこそ、「ポスト・ボルヘス」などと呼称されることがあるのだ。
だから私は気になってきた。
だが、ボルヘスは果たしてSF作家だったか?
否。
では、ミステリー作家か?
確かにそうだ。
そういう面も確かにある。(『伝奇集』を見よ)
だが、ボルヘスには、そんな「ミステリー」などという「トリック性」の如き遊戯的世界を超越した、「思想家」としての魅力があったのだ。
ボルヘスは、私が規定する限りでは、円環論者であり、実質的には仏教徒である。
しかし、ボルヘスはライプニッツ研究者でもある。
ボルヘスのテーマである「反復」はジル・ドゥルーズの『差異と反復』や初期論稿『無人島』と重なる。
こういう奥深い点が、ボルヘスの哲学的魅力だ。
だからこそ、私はボルヘスを世界最高峰の作家と確信するわけである。

が、レムを見よ。
レムの、『天の声』はどうだろうか?
なるほど、確かに面白そうだ。
かなり巧緻に書かれており、設定も充実し、ボルヘスにはない「科学的/数学的」な魅力もあろう。
だが、レムには何故か私はそれほど惹かれない。
『ソラリス』も買ったが、あれは私の中では「駄作」に過ぎない。
というより、何故「地球外生命体」などに関心を持つのか、私には理解できない。
いればそれでいいではないか。
いなければそれいい。
この世界は主が創造したのである。

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)
(1986/07)
ウィリアム ギブスン、ウィリアム・ギブスン 他

商品詳細を見る


では、ギブスンはどうだ?
ギブスンの書いたことは、確かに面白いとは想う。
例えば、ウェブの中で「意志」が覚醒する、とか、ウェブの中で霊魂が遊牧する、とか、別の有機体(身体)へ魂だけ移転する、とか、こういう前時代の魔術思想の「再燃」をサイバースペースと結合させた発想は素晴らしい。
それは認めてやろう。
だが、ギブスンのこのテーマは、断言するが、「エンタメ」である。
例えば、NHKのアニメ番組『電脳コイル』などは、ほとんどギブスンとテーマ的に重なっている。
つまり、ギブスンはアニメ化可能なのだ。
実際、ギブスンは『マトリックス・リローテッド』か何か忘れたが、それの脚本だったか解説を書いている。
つまり、ギブスンは「エンタメ少年」である。

伝奇集 (岩波文庫)伝奇集 (岩波文庫)
(1993/11)
J.L. ボルヘス

商品詳細を見る


では、ボルヘスは?
ボルヘスもまさか「エンタメ少年」なのか?
そんなはずはない。
だが、「バベルの図書館」は、あれは断言するが、「アニメ化可能」である。
何ということだろう、実をいうと、「円環の廃墟」も、おそらくは「映画化可能」である。
唯一、アニメ化できないのは、やりにくいのは、「トレーン」とか「ピエール・メナール」である。
だが、多くは、実は映画化できるし、アニメ化もできるし、つまりはキャラクターを立てれば、それだけエンターテイメント性へと繋がるわけだ。
ボルヘスはやはり「エンタメ」だったのか?
だとすれば、何故あれほど私の心を魅惑するのか?

繰り返すが、ボルヘスには思想的な魅力もあったのである。
だが、これもアニメで伝達可能だ。

手塚治虫ならば、レムを漫画化できるし、ボルヘスも漫画化できるだろう。

このように、レム、ボルヘス、ギブスンは、皆、「エンタメ少年」であることがいまや、暴露された。
これは真実である。

だとすれば、私がレムにアレルギーを感じるのは、私が単にSFにあまり感覚が合わない、というだけのことに過ぎない。
他にもジャンルは山ほどある。

NOISE (アフタヌーンKC)NOISE (アフタヌーンKC)
(2001/10)
弐瓶 勉

商品詳細を見る


この漫画は、漫画であるが、非常に素晴らしい内容である。
弐瓶 勉と遠藤浩樹、この二人の作品には触れていて損はしない。
特に、弐瓶の作風、というより画風は、「異端時代(キリスト教的)+電脳時代(Web3・0以後)」がミックスされたようで、極めて素晴らしい。


要するに、面白ければそれでいいのだ。
つまり、私もおそらく「エンタメ小僧」だったことが、今や暴露された。
しかし、読む行為に「面白さ」がなければ、それは読みではない。
それは囚人の反復行為と等しい。

私にとって、レムはあまり面白くない。
ボルヘスは面白い。
ギブスンも一時的にはまる。

このように、私には確かにエンタメ的な側面があるのだ。
それは、弐瓶や遠藤の漫画にまで言及していることからして、明らかだろう。

そして、それで別にいい。
恩田陸という作家がいたと想うが、彼女はジャンルを横断していないか?
それでいいのではないか?

関連記事
スポンサーサイト
*Edit TB(-) | CO(-) 



Back      Next