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07/16のツイートまとめ

afterfinitude01

これは行かねば。デリダの痕跡、喪の概念を再考する上でも貴重な機会になるだろう。東京都庭園美術館|クリスチャン・ボルタンスキー アニミタス-さざめく亡霊たち|2016年9月22日(木・祝)-12月25日(日) https://t.co/zLaJXN8VdN
07-16 20:37

最近増加している「全ては自分以外の他人が悪い」と考える「べきねば母」の実態について。低所得層で夫婦共働き、かつ母親が「夢に複雑な未練を抱えている」ケースに多い気がする。【子供の生きる気力を奪う親とは】 ライブドアニュース https://t.co/azfYUh0BOo
07-16 15:01

これを書いている過程で、SRと新しい人類学(特にヴィヴェイロスのperspectivism)との接点について清水先生から貴重なアドバイスをいただけたことは私にとって重要な経験になった。
07-16 13:36

メイヤスー論はシャヴィロと『数学的経験の哲学』を踏まえて更に加筆する予定なので、100枚は越えることになるでしょう。超弦理論やマルチバースの概念と「事実論性」の親和性の高さについては一章を設けて、特に時空の「コンパクト化」に注目しながら詳しく分析しています。
07-16 13:25

門倉ユカの実体験に基づくホラー短編小説は、私がOOOやメイヤスーの「能動的生成」をテーマにして書いた『人形(仮題)』(80枚程)や、現在も執筆途中のメイヤスー論(こちらも80枚程)と同時収録して一冊本として発売予定です。3月頃から申しておりますが、今年中にはなんとか出したい。
07-16 13:16

RT @lunar_shirayuki: 私の6、7歳の頃の誕生日🎂🎀 https://t.co/9lDPJHzrXc
07-16 13:01

RT @lunar_shirayuki: 初めて実体験ベースの恐怖小説もどきを書いてみたのだけど、恋人に的確なアドバイスや校閲をして貰えたので有難いし参考になった✳︎
07-16 12:59

SRにおける物自体への到達不可能性というテーマは、接近不能であると同時に苦痛の中で享受し得るかもしれないラカン的な〈物〉の次元、つまり快原理を越えた「享楽」の次元と結び付いている。ただ、メイヤスーにおいて数学的実在が到達の手段として「満足」を与え切れているかには疑問の余地がある。
07-16 12:52

ラカンにとって〈物〉とは、いわば母親の乳房のように失われた現実であり、「不在」として現前するトポス(いかなるシニフィアンによっても代理し得ない)として位置付けられる。到達し得ないがゆえに欲望は常にこの〈物〉に取って代わる何かを目指すよう宿命付けられている。
07-16 12:45

『精神分析の倫理』でラカンは〈物〉(あるいはSRに接近させてle réelと表現しても良い)への到達不可能性について言及しているが、それはシャヴィロがSRを区分する際の汎心論/消去主義のいずれにも当てはまらない。
07-16 12:36



コンビニ的雑種性についてのアクティビティが意外に高かったので付言すると、広く浅く理論は何一つ残さずを貫いた評論家としてブルデューの冷笑の種になっているのがロラン・バルトだが、彼のように「名指しで批判される名誉」に与る者がいる一方で、あくまで無名性に還元される二流バルトらもいる。
07-16 12:20

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