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07/22のツイートまとめ

afterfinitude01

陣界仁の《ファクトリー》は工場内の単純機械作業を映した作品で、現代のコンビニ業のような誰にでもできる低賃金労働にも通じるところがあるだろうが、興味深いのはこれが丸ノ内のオフィスに囲まれた東京駅で「鑑賞」できる点。観者の眼が労働者を作品として俯瞰する点で「階層性」が前景化する。
07-22 21:01

エド・ルーシェイのガソリンスタンドシリーズは、フロイドと並んで今回の展示の主戦力だが、ウォーホルのトマト缶の大量陳列に似たポップアート特有の「軽さ」(私は嫌いでも好きでもない)があった。汐留で観た後期キリコの単純かつ大胆な色使いを思い出した(私は初期の方が好きだが)。
07-22 20:52

アンソニー・カロ《オダリスク》を様々な角度から観察していて感じたのは、たとえ一回り小さな彫刻でも頭部の欠損には何か「動物的な生々しさ」のようなものが漂うこと。切断された、もぎ取られた頭部の不在から私は屠殺された鶏を連想した。
07-22 20:45

戦争そのもののパロディというより、単にアーティストが様々な外国人女性と記念の写真を撮りたかっただけではないのか、という落胆を感じてしまう。拳銃(戦争)のテーマは扱うのが難しいだろうが、日本は敗戦国でもあるのだからもう少し切実な芸を見せて欲しかったところ。
07-22 20:36

東京ステーションギャラリーで観た小沢剛《ベジタブル・ウェポン》シリーズは、男性的な欲望(女性に銃を持たせて微笑みを浮かばせる)が見え透いてしまう点、本物でなく家庭菜園の平穏さを連想させてしまう点で「反戦」とは程遠い作品だった。 https://t.co/0S6I4zNz9j
07-22 20:33

シャヴィロは第五章まで読了。同時並行で、『理想』「特集ホワイトヘッド」収録の二論文読了。特にホワイトヘッドの美論は悲劇についての深い考察を含んでいて非常に刺激的だ。
07-22 01:51

RT @nosnino: これだけだとやや意味不明だが、関連する下記のトークの概要を読むかぎり、まずボルヘスを通じて普遍的な翻訳(可能性)という幻想を批判し、それをマルクスの「一般的等価物」と繋げた上で、新たな「文献学」を構想するというアイデアのようだ。 https://t.c
07-22 01:41

RT @nosnino: ジャック・レズラ氏(NYU)のFB経由で、ボルヘスによる『書写人バートルビー』(メルヴィル)のスペイン語訳の存在を知った。彼の新著はこのボルヘス訳の『バートルビー』を補助線にマルクスを読みなおすという内容らしく、今から刊行が楽しみ。 https://t…
07-22 01:41

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