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09/07のツイートまとめ

afterfinitude01

偽ロンギヌスを組んで言えば「崇高」寄りの美意識だが、これは『夏の嵐』や『熊座の淡き星影』、『イノセント』などに通底するヴィスコンティ映画のメタバシスとも深く関与している。美は唯美/耽美ではなく、それが零落し、焦土と化した時に初めて稲妻のような速度で「瞬間的に」伝わるものだろう。
09-07 20:59

私にとって「美」はこの瞬間であらねばならない——これは美は己自身に対して自己破壊的(内省的機能)であるというド・マンのカント論のテーマに通底するものである。譬喩的に言えば、美は己を傷付けることで新たな美を創出し得るものでなければならない——ヴィオネ伯爵夫人の素顔の到来のように。
09-07 20:50

一人の作家が、これまで描いてきたヒロインを真逆の人物にまで堕とすことは並大抵の精神で成せるものではない——つまり『使者たち』の11部はひとつの深淵、闇への開口部、孔、空虚の開きである。だが既に婚約者のいるヴィオネを誰も責められない。何という怖しい女性だろう。
09-07 20:40

私にとって衝撃的(稀にしか使いたくないが「天才的」と言っても良いかもしれない)なのは、ジェイムズが少なくとも500pの分量をストレザーのヴィオネへの賞賛と敬愛、信頼に捧げてきた点。いわばヴィオネは美の城だった——それがここに至って一瞬で灰のように焼尽する。
09-07 20:36

事実を端的に言えば、それはヴィオネがストレザーに「非の打ち所のない貴婦人」を演じ、彼を騙していた(少なくとも多くを偽った)ということだが、この点だけでは文学史的に特筆すべきではない。問題は500pというここにまで至る分量だ。
09-07 20:31

ストレザーはヴィオネと話す内に青春を取り戻し、恋していることに気付く(控え目で上品な彼はけして想いを伝えはしない)。ヴィオネもまんざらではないように振る舞っていたが、11部で物語構造に亀裂——というよりあえて「審美的暴力」(ヴィスコンティ)と表現しておく——が走る。
09-07 20:27

ジェイムズはおよそ500pにわたってヴィオネ伯爵夫人というパリのエレガントな女性に惹かれゆくアメリカ人の「使者」(実質的に恋愛調査を請け負った私立探偵に近い)ストレザーの心理を精緻に描いている。ストレザーはパリに憧憬を抱いていて、ヴィオネはまさにその化身だった。
09-07 20:21

ジェイムズ『使者たち』は彼の文体の様式美とテーマにおいて最高峰と評される作品。少しずつ読み進めて第11部(著作集版ではp520あたり)まできた——そして今、作中で起きたある事件をめぐって気持ちを整理しなければならないと感じている。この事件は読者にとってあまりにも残酷に過ぎる。
09-07 20:17

マンディアルグ『大理石』を読んでいる時、不思議と革命期の建築家ジャン=ジャック・ルクーの実現しなかった建築案を思い浮かべた。《占い師の館》、《少女の噴火口》、そしてドレッシーで煌びやかな男根型の神殿など。シュールレアリズムとの関連で、ルクーはもっと再評価されて良いだろう。
09-07 16:48

記述によれば、このボルゴロトンドの街の卵型の建物はかつて教会(おそらくキリスト教)として用いられたが、現在は全く異質な何らかの儀式の舞台になっている模様。街の女性たちはほぼ半裸体で、薄いヴェールしか纏わない——マンディアルグにとっては、ひとつの街全体が女なのだろう。
09-07 16:42



前の妻が裸体で現れる場面では、葡萄の房のような無数の乳房を備えたイメージが登場したりする。エロティックな場面が意図的にグロテスクへ変容させられるのだが、文体は淡々としていて「架空の旅行記」に近い。「《読者》の屍」が登場する辺りも挑発的な仕掛けだ。
09-07 16:30

昨夜、下北沢の古本屋で買ったマンディアルグ『大理石』を読んでいて、奇妙な卵型の建物が数知れず存在する不思議な街の場面に遭遇した。卵は女性を意味するという。だが、どの建物にも二人の妊婦が重ね合わさるように磔刑に処されているレリーフが描かれている。
09-07 16:22

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