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09/16のツイートまとめ

afterfinitude01

ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』カバー4種。人形の目はさすがに内容から逸脱しているようにも思うが、それにしても作品の持つ不気味さをよく表現したカバーが多い。私が初めてジェイムズの世界に入ったのも本作からだった。 https://t.co/cWrPOb5omq
09-16 20:01

メイヤスー的なカオスは内在(主観)ではなく超越(客観)から来るものなので、あくまでも内在的カオスに留まるのであれば依然として精神分析が前景化せざるを得ない。カント的直観に回帰する点で近藤氏は立場的にメイヤスーよりもガブリエルに近いだろう。
09-16 19:45

近藤論文では、メイヤスーのいう「カオス」を「内在」のヴァリエーションとして捉えており、内在/超越を外/内の包摂関係で思考しているようだったが、この点については清水論文でのセールの「準客体」論が参考になると思う。ディコトミーの脱構築という点でかなり有効な視座なので。
09-16 19:40

100人がこの夏おすすめする一冊「様々な方に選んでいただいた本を通し、本と出会う楽しさを感じていただけたらと思います。今回はWebでも選書とコメント冒頭部分を掲載いたします」 青山ブックセンター https://t.co/zDaylA6s1M
09-16 16:30

今後の予定としては、バルザック『人間喜劇』セレクション(藤原書店)をジェイムズと交互に読んでいこうかと考えている。昨夜注文した『従姉ベット』の評は松浦寿輝。この他、『オノリーヌ』や『セラフィタ』も注文した。 https://t.co/ftLDsjpDTS
09-16 13:14

この10日ばかり『使者たち』の世界に耽溺していたが、選び抜かれた数人に読むべき作家を限定して集中的に取り組むというのはこれほど有意義なのかと改めて実感した。流動する世界に対して確固たる「中心」が内部に形成される感覚。切断や断片ではなく、あえてツリーが重要だと私は考える。
09-16 13:03

ヴィオネからすればストレザーはチャドとのロマンスの脚注に過ぎない。この微妙な構図が『使者たち』を傑出したメロドラマ(悲劇の世俗化としての)に仕上げている。つまり中心をあえて周縁的人物に逸らすことで、ドラマを肩越しに眺めるという独特な視座だ。
09-16 12:56

薔薇と火、おそらくこれが作中で描かれなかったストレザーの「その後」の回想のキーワードだろう。同時にこれはパリ、あるいはヴィオネとの未遂に終わったロマンスの隠喩でもあるだろう。静かに暖炉の火が消えて終わる。
09-16 12:48

『ねじの回転』と『使者たち』は真理(真相)がクリプト化されている点で共通するが、後者はまるで火のようだ。ロマンスは一瞬で焼け焦げて灰になる。あたかも、最初から憧憬など行為にすべきではない、と戒めたウェイマーシュの徒労感をなぞるかのように。
09-16 12:39

この点が『使者たち』を審美的に解釈する場合、最も重要であることは疑い得ない。ストレザーはパリで何を得たのか?——「何も、ふりだしに戻ったのです」と疲れ果てた彼は言うだろう。だが実質的に彼がこれまでの人生で欠落していたものを獲得したのも事実。
09-16 12:31



『使者たち』で最も驚異的な、ヴィオネのこれまで纏っていたヴェールが露わになる場面——これでストレザーのパリへの印象が逆転したのだとすれば、彼は序盤での「退屈な日常」に引き戻されただけでなく、それこそが結局のところロマンスの本質だったと痛感させられたのではないだろうか。
09-16 12:21

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