† 存在論 †

存在論から蝶学へ

ゼフィルスの森―日本の森とミドリシジミ族

蝶蝶美鑑―BUTTERFLIES (JUNGLE BOOKS)

モンシロチョウ―キャベツ畑の動物行動学 (中公新書)モンシロチョウ―キャベツ畑の動物行動学 (中公新書)
(2003/03)
小原 嘉明

商品詳細を見る


蝶について


上記に掲載した「蝶」に関する二冊は、どちらも極めて美しい図鑑である。
何故、私が「蝶」に関心を持ったのかというと、人間が「蝶」に「なる」ということに関心があるためだった。
これは、勿論、創作の次元での話であって、これらの本を資料として私は図書館で借りたのだった。

まだ調べ始めて間もないけれど、私が考えているのは、もしもハイデガー全集の3巻に『変身』というタイトルの存在論的分析が成された著作があれば、一体どうなっていただろうか、という夢想の先にあるものである。
ハイデガーという方は、ここでも何度も取り上げているけれども、「ある」ということを探求した。
「なる」については考えていない。
「なる」という概念を、「変身」と呼称してよいのか、それすら未だ漠然としている。
だが、「なる」を分析した哲学者が20世紀のフランスにいたのは事実だ。
ジル・ドゥルーズと、フェリックス・ガタリである。
詳しいことは、『千のプラトー』の「生成変化」論で取り上げられている。

ロレンスは「亀」になったようだ。
『モロー博士の島』では、動物化した人間がキメラ動物として登場する。
しかし、私がイメージしているのは、むしろ外見は完全に人間でよいのだ。
ただ、一点、存在論的に、神から「お前は蝶で<ある>」と定められている、という発想があるのだった。
それを「なる」と表現すべきかどうかは定かではない。
第三者から観れば、「なった」ように考えられるだろう。
だが、私はエンターテイメント的な「変身」を想定しないのである。
私が考えているのは、あくまでハイデガーが極めて夢幻的なイメージに襲われて、その期間で「存在論的な変身」について考えた、というような、いわば「神学的/存在論的な<蝶になること>」を作品化してみたいのだった。

これらの資料は、そのための情報だ。
関連記事
スポンサーサイト
*Edit TB(0) | CO(0)



~ Comment ~















管理者にだけ表示を許可する

~ Trackback ~


Back      Next