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10/23のツイートまとめ

afterfinitude01

RT @lunar_shirayuki: 《ヴィーナス》の独特の裸体画は、これが観たかったので心躍った!《ホロフェルネスの首を斬るユディト》は、クラーナハは幾つも好んで描いたようだが、パワーがあり、ヨハネの首を持つ生々しい残酷さと冷酷さに、余り近づいて観たくないほどであった。…
10-23 21:27

一方で、衣裳のディテールに関しては子のルカスも含め、極めて美しく描いていた。ただし、この画家の本質は対象から衣服を剥ぎ取らなければけして見えてこないだろう。
10-23 21:24

そう、おそらく私はクラーナハの女性像を美的範疇論的に「美」でも「優美」でもない、それらからの「意志的な遠ざかり」として位置付けたいのだろう。特に強烈にグロテスクなのは「不釣合いな恋人」連作で、ここには彼が美より醜(悲愴の喜劇化としての)を愛好する気質があった点を滲ませる。
10-23 21:07

例えばボッティチェッリやラファエロの描く女性像は概してプロポーションも滑らかで美しいのだが、クラーナハの少女にはどこか「病み上がり」のような陰湿な内向性というか、死体を見て微かに笑うことを美徳だと誤認した狂人の思考が溶け込んでいるように感じる。それは私にとって美より「醜」に近い。
10-23 21:00

クラーナハをロリータと相関させるのはあまりにも常道だと思うのだが、やはり何作も裸体の女性像を観ると、確実に未成熟な少女への性的嗜好を見出さざるをえない。それも滑らかな曲線美ではなく、あえてリアルに腰の贅肉をコブ状に描いてしまう点など、実に厄介なほど深刻な症状ではないか。
10-23 20:54

クラーナハの描くルクレツィア、サロメ、ユディト、ディアナといった若い女性像の顔が微分的に差異化されているものの、ほぼ同じ「少女的なサディズム」の刻印を受けている点も、私としては妙に不穏な気がしていただけない。何か極度に隠蔽されたフェティッシュの気配を薄っすらと感じる。
10-23 20:46

クラーナハの版画は「素早い画家」だけあって、描線がデューラーに較べるとかなりデフォルメされていた。特に雲の描き方などは日本の水墨画に近い。《聖アントニウスの誘惑》に関しては、ショーンガウアーの悪魔の方が、より古典的な美しさを放っていたように感じる。
10-23 20:23

RT @lunar_shirayuki: クラーナハ展、妖しい魔力を堪能。目を引く鮮色と大胆な構図や蠱惑的な眼差し、美しい装飾品やドレスは身に纏いたくなるほどであった。 https://t.co/AQnj7vkLbk
10-23 19:49

クラーナハ展、宗教改革期に跨った「揺らぎ」が誘惑のテマティックにも反映されているように感じた。最近は宗教関連では仏教、イスラム教の本を開くことが多かったが、来年あたりから再びカトリックらしい本を真剣に読んでいけたら——そんな感情を沸かせてくれる宗教画が何点か確かにあった。
10-23 17:36

本日は午後から西洋美にてクラーナハ展鑑賞。館内で「ロダン/カリエール展」図録をメモを取りながら閲覧。これから、ねぎしで食事。
10-23 16:44



私の場合、十代の夏のフランス滞在期間の経験はかなり大きいと思う。あの時期に訪れたルーブルやオルセー美術館での鑑賞体験は、いかに「実物に生で触れる」ことが「美的体験」(ガダマー)に直結するかを肌身で感じさせてくれた。それは私の趣味形成の根幹を成していると思う。
10-23 09:46

下の統計で美術鑑賞において「TV、DVDなど除く」とあるのは何気ないが重要な点。基本的に『ディスタンクシオン』でも『美術愛好』でも「美術館に訪れて実物を生身で鑑賞する」以外のケースは、「鑑賞」には含めない。なぜなら「趣味を実際に行為に移せる能力」という審級こそが析出対象だから。
10-23 09:33

RT @tmaita77: 小学生の趣味・娯楽実施率(貧困層と富裕層の比較)。赤字は実施率に倍以上差があるもの。美術鑑賞とかは,階層差が大きい。文化を介した,地域の再生産の条件。 https://t.co/YR35XhQxRG
10-23 09:24

RT @tmaita77: 高学歴人口率と学力の相関(都内23区)。相関してるねえ。相関係数は+0.9を超える。平均年収よりも学力を強く規定しているよ。やっぱ「経済資本<文化資本」なんかな。 http://t.co/waih0yJqna
10-23 09:16

RT @tmaita77: 美術館に行く頻度なんかは,もっと階層差が大きい。ブルデューの文化的再生産論が想起されますな。 http://t.co/EbSNAx5f0s
10-23 09:14

『ロデリック・ハドソン』はジェイムズ初の長篇であり、リーヴィスが円熟期よりも高く評価している芸術家小説であり、『使者たち』でおそらく最も素敵な男性である彫刻家グロリアーニの若き日の姿が描かれていることもあって、特に読むのが楽しみだ。
10-23 05:01

ジェイムズは題材がロマンティックなだけあって英米圏で女弟子が多いのだが、イーディス・ウォートン、エリザベス・ボウエンあたりは影響関係も気になるところ。後に訣別してしまったヴァーノン・リーまで含めると、ジェイムズを父祖とする文学的家系図が更に広がるだろう。
10-23 05:00

マセーシンやリーヴィスの秀逸な論稿に触発されて、昨夜新たに『ロデリック・ハドソン』、『ボストニアン』、『モーヴ夫人』の三冊注文。29日に届くまで楽しみだ。これで『詩神』以外のtop 10は全て揃うことに。 https://t.co/aQn6u4cOMZ
10-23 04:59

一時期、ジェイムズは『悲劇の詩神』を最後にもう長篇は書かないと宣言して、五年間ほど劇作に夢中になっていたがこれは屈辱的な挫折に終わった。だがこの時期に得た「聖なるシナリオの原理」がやがて円熟期の豊作に繋がる——という過程を創作ノート中心に鮮やかに描き出すマセーシンの手腕は見事。
10-23 04:54

マセーシンの『円熟期の研究』があまりにも面白くて、昨夜は一気に「観相の芸術」、「意識の宗教」の二論を読み終えてしまった。マセーシンがなぜ「批評の天才」と評されるのかはまだ掴めないが、少なくともこのハーバードの教授がいかにジェイムズを敬愛しているのかは濃密に伝わった。
10-23 04:53

「貴族の子が貴族を生む」図式を法則化するのが決定論ないし宿命論であり、「貴族の子ほど貴族を生む確率が高い」図式を社会科学的に可視化するのが発生論的構造主義に立つブルデューの立場である。双方は似ているようで全く異なる。
10-23 01:38

「人はnoblesse(貴族)に生まれるが貴族になるのである。貴族でなければ貴族として振舞うことはできない。しかし、貴族的に振る舞わなければ、貴族でなくなるのである。換言すれば、社会的魔術はしっかり現実的な効果を発揮するのである」ブルデュー『国家貴族』
10-23 01:36

ブルデュー『美術愛好』における文化貴族と美術館の関係性については、なぜ彼らが東京を居住地にする場合が多いか、という観点から地方との文化施設数格差に焦点を当てて論を立てることも可能だろう。
10-23 01:31

「正統的文化の聖なる世界を前にして、敬意の念で押し潰されてしまいそうな、最も教養のない訪問者たちがしばしば感じる、資格がない(能力がない)という根深い感情が、彼らを美術館から遠ざけておくことに少なからず貢献している、と考えてもおそらく誇張ではあるまい」ブルデュー『美術愛好』
10-23 00:58

「文化資本」を「読書文化資本」と「芸術文化資本」に分別すると、後者のタイプで女性の方が男性をはるかに上回る傾向が存在する。ブルデューが『美術愛好』で可視化したように、高学歴女性ほど卒業して働くようになってからも永続的に美術館、博物館、オペラ、コンサートなどに足を運ぶことが多い。
10-23 00:57

「象徴財としての芸術作品は、それを自分のものにする手段、つまりそれを解読する手段を持つ者にとってしか存在しない。ある人間の芸術的能力は、ある時点で利用可能な、芸術作品を自分のものするための用具全体を彼がどの程度マスターしているかによって測ることができる」ブルデュー『美術愛好』
10-23 00:56

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