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01/03のツイートまとめ

afterfinitude01

渡邉さんの前掲論文から敷衍すると、セールの準−客体はドゥルーズの離接的綜合やそれを応用したVdCの記号論的食人、メイヤスーの相関的循環を析出する思弁的展開ともリンクしてくる。アピチャッポンの一連の芸術は哲学や人類学のコンテクストからひとつの概念素として捉えられるだろう。
01-03 20:56

RT @diesuke_w: 12月21日発売の『アピチャッポン・ウィーラセタクン ─光と記憶のアーティスト』(フィルムアート社)に論文「ディジタル文化とアジア的世界観ー「準-客体」と(しての)アピチャッポン・ウィーラセタクン」を寄稿しています。 https://t.co/Xe
01-03 20:28

アピチャッポンの研究者の方々に色々RTしていただけるのはとても刺激になります。私もアピチャッポンの担う問題系とリンクした『事実論性の展開』というSR論をKDPで出しました。非人間的なもの、VdCの横断的シャーマニズムなどについても考察しているので、よろしければ読んでみて下さい。
01-03 15:43

(その場合、既に購入して下さった方々にもアピチャッポンについてのテクストが当然読めるようにしたい。KDPのシステム上、改討版を同じフォーマットから再出版した場合、読者様が既にお持ちのデータでも変更箇所が反映される手筈なのか、調べておかねば)
01-03 15:40

アピチャッポンについては後日何か書こうと思っているのだが、『事実論性の展開』に「増補」として掲載しておくことは可能か考えている。明らかに思弁的実在論界隈(メイヤスーよりはむしろハーマン、モートン)とも彼の問題意識は連動しているし、あの試論で考えたことを色々活かせるような気もする。
01-03 15:32

RT @Noripantsu: 仰る通りだと思う。『ブンミおじさんの森』冒頭における視点の問題はどこかの研究発表で指摘したような。牛を眺める視点や森で牛飼いを捉える視点の所在なさ、そしてキャメラ位置の高さと見下ろすアングル。これらはシーンの最後に現れる「猿の精霊」の視点ショット…
01-03 14:47

アピチャッポンの独特なカメラワークは人間の視覚ではなく、動物や精霊の視界のジャックを企図しているという研究にも言及されていたが、これも目を見張る着眼点だ。『ブンミ』冒頭の牛が逃げる場面、あれも牛の動揺ぶりや森のざわめきから察して「猿の精霊」のパースペクティヴを包摂している。
01-03 11:31

アピチャッポンはアジアのゴダールと形容されることもあるようだが、ゴダールには前景化しない精霊や幽霊、転生、変身、非人間的なもの、森などのタイ特有の文化的背景がある。むしろ非西洋のマイノリティな文化の特色が、いま最もラディカルな現代思想と深く共鳴しているのは驚くべきことだ。
01-03 11:20

アピチャッポンの映画はハーマンやVdCと相性が良いだろうと感じていたが、渡邉大輔「ディジタル文化とアジア的世界観」を読了してその理由が理路整然と理解できた。なるほど、映画の方法論としてはデューリングのprototypeにも接続するのか。これで一挙に現代思想との文脈が拡張した。
01-03 11:14

RT @lunar_shirayuki: 執筆部屋まであって驚きを隠せない https://t.co/r4My4Q5ag4
01-03 00:44



RT @lunar_shirayuki: 仕切り直しで、新年明けましておめでとうございます。市営の八戸ブックセンターが余りにお洒落でビックリしました❗️品揃えも結構好みかな(撮影OK) https://t.co/ZujhjgabMA
01-03 00:44

問題は——まずはじめに置かれるべき問題は、「ドアは開いているか否か」に尽きる。これまで私は「ドアはわずかに開いている」と考えていた。だが、アピチャッポン以後は、「ドアは最初から開け放たれていた」と考えるべきなのだろう。ドアの向こう側、彼方はすぐそこにある——それは開いていた。
01-03 00:18

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