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01/11のツイートまとめ

afterfinitude01

存在するのは世界を認識する主体それぞれの解釈に基づいた「色眼鏡」(『神話・狂気・哄笑』でガブリエルが引用する有名なクライストの書簡のメタファーを借りれば)であって、各主体の感覚なのだということ。前掲論文はキェルケゴールの思想と新実在論がかなり近い地点にいることにも言及していた。
01-11 23:28

「世界は存在しない」をガブリエルの論旨に照らして言えば、「世界全体を認識することの不可能性」のことであって、そうである以上は誰も「世界」を知らない、そもそも「世界」のようなあらゆる実在の総体を誰も認識できない、ということ——ただし思惟の内に世界は有限性の形式において格納される。
01-11 23:25

「世界は存在しない」は、実在の総体を認識することは主体にはそもそも不可能であり、また世界全体を含んだ実在の認識はあり得ないという点から自然に帰結する。「感覚領域の存在論」に立つガブリエルにとって、世界は常に有限性に基づいた解釈の多義性(等価性)を招来する。
01-11 23:19

橋本崇「後期シェリングからマルクス・ガブリエルの新実在論へ」(『思想』17年1月号)。整理しておくと、新実在論の立場は、カントが物自体を認識不可能なものと捉えたのに対して、感覚領域においてそれは認識可能だという立場から出発する。つまり感覚されたものが事物そのものである。
01-11 23:17

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