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02/02のツイートまとめ

afterfinitude01

形式的棄教が容認されていたのに一般信徒から殉教者が続出した点について、主君に対する殉死(切腹)と同質の精神構造——つまり「武士道」との共通性が窺えるという山本博文の見解は非常に興味深い。彼らに配慮してあえて十字架刑にする事例もあったようだ。
02-02 20:31

ゴメスの論理を聖職者にも拡張してやれば、実はロドリゴはあれほど苦しまず、人命を失うことなく形式的棄教を採用して潜伏キリシタンとなり、別の司祭から赦しの秘蹟を受けることも可能だったろう。イエズス会から白い眼が向けられても、人命優先という大義が彼にはあるのだから。
02-02 20:30

島原の乱のキリシタンがなぜ殉教条件を満たさないのかという点もこの論理で解釈される模様。要するに、武力で抗戦した時点で条件外。細川ガラシャのように自害しても同様。高山右近の列福と他のキリシタン大名の差異について考えてみると更に深まりそうだ。
02-02 20:29

ただ、ゴメスも司祭と修道士は原則的にいかなる状況下であれ信仰否認してはならないとしているので、いずれにしても『沈黙』の主人公には重過ぎる十字架だった。「殉教」の条件のハードルは更に高く、いかなる刑にも無抵抗が基本で、命を惜しんだり抵抗すれば該当しないようだ。
02-02 20:28

殺害される危険がある場合に限り、一般信徒は形式的に棄教しても良いことを認めた16世紀末の日本準管区長ペドロ・ゴメスの存在は、『沈黙』のジレンマを解決するための糸口になると思う。ゴメスの論拠はマタイ(10:23)、使徒言行録(8:1)。
02-02 20:27

もちろんロドリゴのモデルのジュゼッペ・キャラやクリストヴァン・フェレイラなどの棄教した元イエズス会士、絵踏の考案者である井上筑後守(井上政重)も登場する。おそらくキチジローのモデルの一人で、ザビエルが日本上陸以前にマラッカで出会ったアンジローなる人物についての記述も興味深い。
02-02 20:26

浅見雅一『概説キリシタン史』(慶応義塾大学出版会)読了。イエズス会発足から、ザビエルの東洋布教開始、禁教令下の潜伏キリシタンの活動、元和の大殉教、島原の乱、隠れキリシタンへの変容など、キリシタン史を理路整然と把握する上で極めて有益。『沈黙』の時代背景を把握する上でも重宝。
02-02 20:26

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